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間崎島

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間崎島
Masaki Island
Masaki Island Aerial photograph.2015.jpg
間崎島の空中写真(2015年10月撮影)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
所在地 日本の旗 日本三重県志摩市
所在海域 英虞湾
所属諸島 志摩諸島
座標 北緯34度17分25秒 東経136度48分57秒 / 北緯34.29028度 東経136.81583度 / 34.29028; 136.81583座標: 北緯34度17分25秒 東経136度48分57秒 / 北緯34.29028度 東経136.81583度 / 34.29028; 136.81583
面積 0.36[1] km²
海岸線長 7.4[1] km
最高標高 18.5[2] m
間崎島の位置(三重県内)
間崎島
     
Project.svgプロジェクト 地形
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英虞湾における間崎島の位置(赤色が間崎島)
島内の真珠養殖風景

間崎島(まさきじま)は三重県志摩市志摩町和具にある、英虞湾に浮かぶ。島名は、志摩方言で暗礁と暗礁の間にある砂浜を「マ」ということから、地形にちなんだ名称であると考えられる[3]。島は東西約2km、南北約0.5kmと東西に長く[4][5]、最高標高は18.5m[2]リアス式海岸特有の複雑な海岸線をなす。湾内では賢島に次いで面積が大きい。和具から4.1km、賢島から3.0kmの位置にある[6]

集落は島の南西部にあり[7]、69人(2019年9月30日現在、住民基本台帳人口)が暮らす[8]。島民の姓は7割が「岩城」か「山本」である[9]真珠養殖イワシ漁を中心とする水産業が主な産業とである[1]

歴史[編集]

1532年天文元年)頃、本州の矢納村(現・志摩町和具)から4戸の農民が生活困窮のために移住したのが始まりとされる[6][9]。当時の住民は本土の鵜方浜島(ともに現在の志摩市)で借地を耕作をしながらイワシ漁に従事していたという(志摩町片田三蔵寺の記録による)[1]

島が歴史的転換を迎えたのは真珠養殖技術が発明されたことにある[9]。真珠養殖は間崎島に富をもたらし、「宝石の島」と呼ばれるほど繁栄した[7][10]1950年代にはラジオテレビ電話の普及率が日本一となり[7]、伊勢税務署管内の長者番付のトップ10を島民で独占したという「神話」が語り継がれている[11]21世紀初頭の現在でも、当時の好況を偲ばせる立派な住宅が立ち並ぶ[12]1955年(昭和30年)、島の人口は668人と最高を記録している[13]高度経済成長期や総合保養地域整備法(リゾート法)時代の観光開発が旺盛だった時期に島民は本土に持っていた田畑を手放し、それらはホテルキャンプ場に変貌した[9]1982年(昭和57年)、本土からの海底送水管が開通した[1]

養殖真珠生産高は1966年(昭和41年)を境に低下し、かつての繁栄は薄れていった[12]。英虞湾の汚染の進行や密殖、日本国内外での競合産地の台頭がその原因である[14]。1990年国勢調査時は91世帯266人[1]で、2013年4月1日現在66世帯116人まで減少している[15]。島内にあった志摩市立和具小学校間崎分校2006年(平成18年)3月に閉校した[16]。島民の7割が高齢者[6]限界集落である[2]。人口減少が進み、島内では空き家が目立つ[17]。市全体の人口が減少している志摩市当局としては、離島に対して打つ手がない状態となっている[2]

2013年(平成25年)9月、地域おこし協力隊として名古屋市から60代の男性が移住した[4]2014年(平成26年)7月19日には先述の移住者が中心となって8月19日までの期間限定で「里海カフェ」を開設した[4]

2016年(平成28年)5月21日から5月28日まで、第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)開催に伴い賢島への入島が規制されたことから、間崎島 - 賢島間の航路の発着港が志摩地中海村に変更された[18][19]。これに伴い、サミット期間中の食料を買いだめする「買い物ツアー」が5月24日に開催され[20]、個人で利用する船は和具に停泊する場所が設置された[21]。同じ湾内の賢島が注目を浴びたのとは対照的に、間崎島の島民はサミット効果を享受することができていない[17]。島内唯一の宿泊施設であった料理旅館美城(みき)[22]2017年(平成29年)に廃業した[23]。跡地はリノベーションされて寿司店「鮨裕・禅」になった[24]

人口の変遷[編集]

2019年(令和元年)6月末の登録上の人口は69人で、うち57人(82.6%)が65歳以上の高齢者である[5]。ただし実際の居住者は50人程度と見られている[5]
総数 [戸数または世帯数: R10.png 、人口: G10.png ]

1955年(昭和30年)[13] R10.pngR10.pngR01.png 105世帯
G100.pngG10.pngG10.pngG10.pngG01.pngG01.pngG01.png 668人
1965年(昭和40年)[13] R10.pngR10.pngR01.png 107世帯
G100.pngG10.pngG05.pngG01.pngG01.png 585人
1975年(昭和50年)[13] R10.pngR10.pngR01.png 105世帯
G50.pngG10.pngG10.pngG05.pngG01.png 383人
1985年(昭和60年)[13] R10.pngR05.pngR01.pngR01.pngR01.pngR01.png 95世帯
G50.pngG05.pngG01.pngG01.pngG01.pngG01.png 296人
1995年(平成7年)[13] R10.pngR05.pngR01.pngR01.png 85世帯
G10.pngG10.pngG10.pngG10.pngG05.png 225人
2005年(平成17年)[13] R10.pngR05.png 78世帯
G10.pngG10.pngG10.pngG05.pngG01.pngG01.pngG01.png 192人
2015年(平成27年)[25] R10.pngR01.png 56世帯
G10.pngG05.pngG01.pngG01.pngG01.pngG01.png 95人

生活[編集]

島内に教育機関はないため、児童生徒は本土の学校へ通学する[26]。志摩市教育委員会の指定する学区は和具小学校・志摩中学校となる[27]。通学にかかる乗船代は義務教育の間、志摩市が全額負担する[26]。ただしこれは制度上の規定であり、2016年(平成28年)6月現在で最も若い島民は19歳であり、就学年齢の子どもは存在しない[17]

島内には2013年(平成25年)時点で酒店1軒とよろずやが1軒あった[28]。よろずやは2012年(平成24年)に一度閉店を決めたものの島民の要望が多く、必要最低限の生活必需品の販売を続けた[4]2016年(平成28年)に閉店し、志摩市社会福祉協議会(社協)が生活支援拠点「もやい」を設立し、2017年(平成29年)2月より民生委員らが日用品売り場の運営を開始した[5]。また島内で食料品が購入できなかったため社協が毎月1回程度、賢島経由で市街地への「買い物ツアー」を実施していた[20]。しかし2019年(平成31年)3月に閉店し、代わってイオン阿児店の協力で、同年(令和元年)8月に「もやい」内にイオンの商品を販売する「いきいきショップ」が開店した[5]。いきいきショップは毎週月・水・金曜の午前中に営業し、生鮮食品を含む約200点の商品を取り扱う[29]

高齢者は阿児町鵜方や志摩町和具に出かけた際に買い物するか、本土で暮らす子供や隣近所の人に買い物を頼んでいる[30]新聞は定期船の始発便で輸送され、各戸配達される[31]自動販売機は1台のみ設置されている[4]

島内の産業は水産業主体であり、本土へ通勤する住民もいる[26]。ただし自前の船がなければ定期船の終発が17時台であるため、事実上通勤は不可能である[28]。高齢者のほとんどは国民年金の受給者である一方、島では「生涯現役」を貫く人が多く、半数弱の人が真珠やノリ養殖の収入もある[32]

介護予防施設はあるが、福祉施設医療機関は未設置である[26]。間崎保育所は廃止後にデイサービスセンターに転用されたが2011年(平成23年)に閉鎖となった[13]。医療機関に至っては島の歴史上一度も設置されたことがない[28]2008年(平成20年)までは志摩市立国民健康保険前島病院(現・志摩市立前島診療所)が巡回診療を行っていたが、志摩市立国民健康保険大王病院(現・国民健康保険志摩市民病院)との機能統合により終了し[33]、阿児町鵜方の開業医が月1回日曜日ボランティアで訪問診療を行っている[28]2017年(平成29年)12月、島民の要望を受け三重県立志摩病院が月1回の巡回診療を導入することになった[33]。緊急時には自治会所有の救急艇を出動し、本土へ搬送する[28]

以上のような生活環境であるため、日常的に本土へ通う必要があり[34]、島で暮らすには自己完結型の生活が求められる[17]

間崎漁港[編集]

間崎漁港

間崎漁港(まさきぎょこう)は、三重県志摩市志摩町和具の間崎島にある、志摩市の管理する第1種漁港戦前まではカツオの釣り餌用のイワシを供給する機能を持っていたが、戦後は真珠養殖の隆盛により、主として真珠養殖漁船が利用するようになった[35]1963年(昭和38年)2月14日に漁港指定を受けて以降、港湾機能の整備が進められた[35]

2009年(平成21年)の統計では、属地陸揚量・属人漁獲高はともに71.3t、属地陸揚金額は82百万円である[35]。島内に海女はいない[36]

観光[編集]

1970年(昭和40年)頃から間崎島では観光業に進出し、最盛期には20軒の宿泊施設が営業していた[32]1992年(平成4年)には34,900人の観光客が訪れたが、2001年(平成13年)には17,400人に減っている[37]。2001年(平成13年)時点では民宿が2軒だけで、宿泊可能人数は合計67名であった[37]。2017年(平成29年)に最後の1軒が廃業し、島内から宿泊施設がなくなった[23]。元々観光地ではないため、島民による試行錯誤が繰り返され、住民組織と行政、民間企業の共催によるツアーを通して、魅力の発信に努めている[34]。賢島に拠点を置く一般社団法人伊勢志摩里海学舎は、間崎島を「宝石の島」に戻すべく、島内で清掃活動を行っている[38]

主な観光スポット[編集]

間崎小公園
  • 間崎海水浴場
    • 海岸環境整備事業で整備された。三重県はこの海水浴場を観光の核として体験型・参加型イベントの支援をしていく方針である[39]。湾内のため波が少なく、海の透明度が高い[10]
  • 間崎小公園
    • 英虞湾の真珠(いかだ)や対岸の御座岬が見え、夕日の名所として紹介されている[40][41]
  • 旧・間崎分校
    • 春にはサクラが咲き、花見ができる[7]
  • 鮨裕・禅
    • 会員制、1日1組限定、全6席の寿司店[42]テレビ番組NEWS23』(TBSテレビ[42]、『仰天!超立地レストラン』(テレビ東京)で取り上げられた[43]。『NEWS23』では入会金250万円、年会費36万円、ヘリコプターで来店する高級店であり、島民の多くが年金生活の高齢者で占められる限界集落であることと対比する形で紹介された[42]

間崎分校[編集]

間崎分校跡地(2013年)

志摩市立和具小学校間崎分校(しましりつわぐしょうがっこうまさきぶんこう)は三重県志摩市の間崎島にかつてあった小学校分校である。

1881年(明治14年)に和具小学校間崎分教場として開校し、1955年(昭和30年)には間崎小学校として独立した[44]。一時休校を経て間崎分校として再出発したが、2006年(平成18年)3月31日をもって廃校した。この間に318人の卒業生を送り出し[44]、廃校時の在籍児童は2人で兄妹であった[45]。地元の三重テレビが3年間に渡ってこの分校を取材し[45]、その模様は2006年6月に特別番組「さよなら〜島の小学校」で放送された[46]。校舎は廃校後の2010年(平成22年)10月に解体され、現存しない[47]

校庭は、地元の和具出身で伊勢志摩国立公園の指定に尽力した石原円吉が植えたサクラの木に囲まれていた[7]

分校の沿革[編集]

  • 1881年(明治14年)6月 - 和具小学校間崎分教場として開校[44]
  • 1947年(昭和22年)4月 - 志摩町立和具小学校間崎分校に改称[44]
  • 1955年(昭和30年)12月 - 志摩町立間崎小学校として独立[44]
  • 2002年(平成14年)3月 - 志摩町立間崎小学校を閉校。翌4月から志摩町立和具小学校間崎分校に移行、休校に入る[49]
  • 2003年(平成15年)4月 - 児童の入学により分校を再開[49]
  • 2004年(平成16年)10月 - 市町村合併に伴い、志摩市立和具小学校間崎分校に改称。
  • 2006年(平成18年)3月 - 25日に閉校式を挙行し、31日に廃校。

交通[編集]

島内に公共交通機関はなく[6]、訪問者は徒歩移動となる。自転車軽トラックなどの車両を所有する島民もいる。港から島の東端に至る一本の道がメインストリートであり、島の端から端まで徒歩でも15分程度である[2]。この道路は好況時に島民らがお金を出し合い、登茂山から架橋することを期待して整備したものである[11]

島へは志摩マリンレジャーによって以下の航路が就航する[50]。賢島 - 間崎間は船で約15分である[10]

賢島 - 和具航路
  • 賢島 - 間崎 - 和具
    • 1日の運航便数は賢島発9便、和具発9便[50]。料金は2016年7月現在、賢島 - 間崎が370円、和具 - 間崎が250円[50]
    • 賢島 - 間崎間の方が間崎 - 和具間よりも運航時間は短いが、料金は賢島 - 間崎間の方が高い[6]。就航率は99%と高く、年間利用者約34,000人は島民と三重県立水産高等学校への通学生でほとんどを占める[34]

島民は本土で利用するための自家用車を賢島に駐車している[20]

施設[編集]

間崎島開発総合センター

平地が限られているため、狭い範囲に民家などが集中している[51]。集落は島の西部にあり、東部は真珠工場と畑が点在する程度である[52]

  • 志摩市間崎島開発総合センター
  • 志摩市志摩介護予防拠点施設「間崎いきいきセンター」
  • 間崎真珠養殖漁業協同組合
  • 間崎簡易郵便局 - 廃業した民宿を利用していた[53]が、2013年(平成25年)11月5日に移転した[54]
  • 天真名井神社(あまのまないじんじゃ) - スサノオノミコトなど7柱を祀り、6月14日天王祭9月15日の中祭、12月1日の大祭が行われる[6]
  • いきいきショップ
  • 鮨裕・禅

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f 菅田(1995):58ページ
  2. ^ a b c d e 石田ほか(2013):92ページ
  3. ^ 中村(1951):6ページ
  4. ^ a b c d e 英虞湾に浮かぶ離島「間崎島」に初のカフェ?―夏季限定オープン”. 伊勢志摩経済新聞 (2014年7月20日). 2016年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月9日閲覧。
  5. ^ a b c d e 林一茂"英虞湾の「間崎島」 離島に「いきいきショップ」 買い物支援に大きな期待"毎日新聞2019年8月3日付朝刊、三重版16ページ
  6. ^ a b c d e f アイランダー2012"島の情報 鳥羽・志摩諸島"<ウェブ魚拓>(2013年5月13日閲覧。)
  7. ^ a b c d e f 英虞湾に浮かぶ間崎島の廃校で「さくら運動会」”. 伊勢志摩経済新聞 (2009年4月6日). 2013年5月13日閲覧。
  8. ^ 行政区別人口・世帯数一覧表”. 志摩市役所政策推進部市長公室 (2019年9月30日). 2019年11月8日閲覧。
  9. ^ a b c d 石田ほか(2013):93ページ
  10. ^ a b c 伊勢志摩観光ナビおすすめ島旅【間崎島編】”. 伊勢志摩観光ナビ. 伊勢志摩観光コンベンション機構. 2016年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月9日閲覧。
  11. ^ a b 石田ほか(2013):96ページ
  12. ^ a b 日本の島へ行こう"間崎島(まさきじま)・横山島(よこやまじま)"<ウェブ魚拓>2008年11月4日(2013年5月13日閲覧。)
  13. ^ a b c d e f g h 石田ほか(2013):94ページ
  14. ^ 石田ほか(2013):95 - 96ページ
  15. ^ 志摩市役所"志摩市の人口について"平成25年4月(2013年5月13日閲覧。)※行政区「間崎」の人口。
  16. ^ 志摩市間崎島の概要”. 大阪ふるさと暮らし情報センター. 2016年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月9日閲覧。
  17. ^ a b c d 斎藤健一郎 (2016年6月29日). “「取り残された島」の参院選 「政治には期待しない」驚異の自己完結”. withnews. 朝日新聞社. 2016年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月9日閲覧。
  18. ^ 「賢島の規制開始5月21日で調整」中日新聞2016年3月29日付朝刊、10版1ページ
  19. ^ 志摩市市長公室 編(2016):7ページ
  20. ^ a b c 安永陽祐 (2016年5月25日). “間崎島住民ら食料品を買いだめツアー 志摩市社協”. 中日新聞. 2016年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月9日閲覧。
  21. ^ 間崎島でサミット住民説明会”. 三重テレビ放送 (2016年5月2日). 2016年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月9日閲覧。
  22. ^ 池山敦. “間崎島で唯一の宿泊施設 美城”. ゲンキ3ネット. 2016年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月9日閲覧。
  23. ^ a b 英虞湾に浮かぶ離島唯一の宿泊施設 15年以上掛けDIYでバリ風に改装”. 伊勢志摩経済新聞 (2019年2月). 2019年3月30日閲覧。
  24. ^ ヘリで行く鮨屋”. コナラハウス (2019年9月7日). 2019年11月8日閲覧。
  25. ^ 行政区別人口・世帯数一覧表”. 志摩市役所政策推進部市長公室 (2016年9月30日). 2016年7月9日閲覧。
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  29. ^ 徳澄奏「志摩の離島 食料品店復活 間崎島 運搬や販売 住民が協力」読売新聞2019年8月2日付朝刊、北勢版21ページ
  30. ^ 石田ほか(2013):111ページ
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  32. ^ a b 石田ほか(2013):97ページ
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参考文献[編集]

  • 石田易司・小柳敬明・川井太加子・福山正和(2013)"限界集落の高齢者のいきがいと介護"桃山学院大学総合研究所紀要.39(1):91-137.
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、昭和58年6月8日、1643p.
  • 志摩市市長公室 編『広報しま 2016年5月号 Vol.195』2016年5月、志摩市市長公室、32p.
  • 志摩町役場企画課『志摩町町勢要覧 町制50周年記念号 〜磯笛と潮騒のまちを記録する〜』志摩町役場企画課、2004年7月、121p.
  • 菅田正昭『日本の島事典』財団法人日本離島センター監修、三交社、1995年6月25日、495p.、ISBN 4-87919-554-5
  • 中村精貮『志摩の地名の話』伊勢志摩国立公園協会、昭和26年11月3日、167p.
  • 三重県政策部地域づくり支援室『三重県離島振興計画』平成15年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]