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志摩町和具

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志摩町和具
—  大字  —
和具中心街(2013年5月撮影)
志摩町和具の位置
志摩町和具の位置(三重県内)
志摩町和具
志摩町和具
志摩町和具の位置
座標: 北緯34度15分31.6秒 東経136度48分54.0秒 / 北緯34.258778度 東経136.815000度 / 34.258778; 136.815000
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Mie Prefecture.svg 三重県
Flag of Shima, Mie.svg 志摩市
面積
 - 計 3.46km2 (1.3mi2)
標高 8m (26ft)
人口 (2013年4月1日)
 - 計 5,168人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 517-0703
市外局番 0599
ナンバープレート 三重
※座標・標高は志摩市役所志摩支所付近
和具小学校

志摩町和具(しまちょうわぐ)は三重県志摩市地名郵便番号は517-0703。住民基本台帳に基づく2013年4月1日現在の人口は5,168人[1]

前島半島(さきしまはんとう)の中心的な集落で、同県鳥羽市菅島や相差(おうさつ)と並んで海女の多い地域として知られる[2]

地理[編集]

志摩市の南部、前島半島の中央に位置する[3]。北は英虞湾、南は熊野灘に面しており、両方にを持つ。また間崎島(まさきじま)や和具大島などの離島を有する。

  • 英虞湾の:間崎島、座賀島
  • 熊野灘の島:大島、鳴神、幣ノ島、神ノ島

志摩町布施田西志摩町越賀と接する。

志摩市の北隣の鳥羽市にも答志島に「和具」という集落があるため、区別するために「志摩の和具」・「崎島(先志摩、さきしま)の和具」と呼ぶこともある[4]

小・中学校の学区[編集]

市立中学校に通学する場合、志摩町和具全域が、和具小学校・志摩中学校学区となる[5]。和具小学校・志摩中学校はともに志摩町和具にある[5]

歴史[編集]

和具では小字百部及び石ヶで円墳が見つかっており、石室須恵器片が出土している[6]ことから、古くから人が居住し有力者がいたことが窺える。

文字による記録では「志摩国志摩郡和具郷御調 海藻六斤」や「志摩郡答志郡和具郷」と記された木簡平城宮跡から見つかっているが、「和具郷」が当地域を指すとする説と鳥羽市沖の答志島の和具であるとする説があり、はっきりしない[3]。当地域に関する記録であることがはっきりしているもので最古のものは、嘉元3年(1305年)の『摂ろく(竹冠に録)渡荘目録』に記されたもので、摂関家渡領・勧学院領であったという[3]

戦国時代には「志摩十三地頭」の一人、青山氏(和具氏とも称す)が勢力を伸ばし和具に居城を構えた。この城は「和具砦」と呼ばれ、50×40mの規模があり[6]、7代が拠った。青山氏の初代・青山小平太は暦応年間(1338年1341年)に紀伊国から守護に招かれ[3]和具に来たという。子孫の青山豊前は永禄年間1558年1570年)に九鬼嘉隆の家来となって九鬼姓を名乗り、著しい軍功をあげた。九鬼氏の家督争いで転封になった際は嘉隆の孫・久隆に従い摂津国三田藩(現兵庫県三田市)へ移った[3]1532年天文元年)頃、矢納村(和具の旧村名)から4戸の農民が生活困窮のために間崎島へ移住した[7]。こうした経緯から、間崎島は距離的には阿児町の方が近い[7]が、志摩町和具に属している。

江戸時代には一貫して和具村として英虞郡鵜方組に属し、鳥羽藩の配下にあった。享保11年(1726年)の『村差出帳』では村高538.676石、延享3年(1746年)の記録では551石とある。主に漁業で生計を立てており、耕地稲作に不向きでサツマイモなどの畑作が中心であった。このサツマイモは英虞湾対岸の鵜方浜島農民と取り引きされ、みかんが和具にもたらされた[6]

おりきの松公園

明治時代に入ると町村制施行により単独村制を敷き、1939年(昭和14年)に和具町に昇格、2度の大合併を経て現在に至る。2009年(平成21年)3月29日、片田村(現:志摩市志摩町片田)出身でアメリカ合衆国へ渡った伊東里きが親戚に贈った「おりきの松」の周囲が「おりきの松公園」として整備され、一般開放された[8]

沿革[編集]

わぐちょう
和具町
廃止日 1954年12月1日
廃止理由 新設合併
和具町布施田村片田村越賀村御座村志摩町
現在の自治体 志摩市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東海地方中部地方、(近畿地方)
都道府県 三重県
志摩郡
団体コード なし(コード導入前に廃止)
面積 3.46km²
総人口 6,767
(『志摩町史』、1953年)
隣接自治体 志摩郡布施田村、越賀村
和具町役場
所在地 517-07
三重県志摩郡和具町
Map of Shimacho-Wagu.png
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地名の由来[編集]

志摩市志摩町片田にある真言宗醍醐派の三蔵寺で所蔵されている『三蔵寺文書』によると「矢納村」から改称され「和具村」になったという。盗賊に襲われ、矢納村から間崎島へ移住しなければならないほど困窮した地域が回復し、平和になったことから和具に改称されたという[4]。和具という名前の由来は定かではない[3]

鵜方町(現・志摩市阿児町鵜方)の中村精貮は、友人から聞いた話として、「和具の人は騒ぐのが好きだったため、近隣の人にサワグという地名を付けられてしまったが、和具の人は忘れん坊でもあったので、サワグからサを忘れてワグとなった」という説を紹介した[9]。更に中村は、和具にある古墳に大若子命(おおわくごのみこと)の弟である「乙若子命」(おとわくごのみこと)を葬ったものがあり、乙若子命の「若子」(わくご)から「わぐ」という地名が付けられた、との自説を披露している[10][注 1]

人口の変遷[編集]

総数 [戸数または世帯数: R10.png 、人口: G10.png ]

1745年延享2年)[6] R10.png 210戸
G10.pngG10.pngG10.pngG10.pngG05.pngG01.pngG01.png 954人
1880年(明治13年)[6] R10.pngR10.pngR05.pngR01.png 522戸
G100.pngG10.pngG10.pngG10.pngG10.pngG05.pngG01.pngG01.pngG01.png 2,978人
1908年(明治41年)[3] R10.pngR10.pngR10.pngR01.pngR01.pngR01.pngR01.png 685戸
G100.pngG100.pngG01.pngG01.pngG01.pngG01.png 4,099人
1980年(昭和55年)[12] R50.pngR10.pngR10.pngR10.pngR05.pngR01.pngR01.png 1,757世帯
G100.pngG100.pngG100.pngG10.pngG10.pngG10.pngG01.pngG01.pngG01.pngG01.png 6,684人
2013年(平成25年)[13] R100.pngR01.pngR01.pngR01.png 2,062世帯
G100.pngG100.pngG50.pngG05.pngG01.pngG01.pngG01.png 5,168人

経済[編集]

和具漁港
和具漁協水産物荷捌施設

水産業及びそれに関連した水産加工業や造船業が基幹産業である。和具の南側にある和具漁港は漁業基地になっており、イセエビアワビカツオタイなどの水揚げがある[14]。高木(2009)は志摩市内の漁業センサスを基に分析し、志摩市の漁業の中心は和具と浜島の2本柱であったが、2000年代には浜島の漁業が衰退したため、和具1本になったとしている[15]

農業では野菜サツマイモの生産がある[12]

和具漁港[編集]

和具漁港(わぐぎょこう)は三重県志摩市志摩町和具にある第4種漁港。三重県が管理する。三重外湾漁業協同組合志摩支所(旧・志摩の国漁業協同組合)の基幹港である。高木秀和の漁業センサスを用いた分析によると、志摩市の漁業の中心は和具と浜島の2本柱であったが、浜島の衰退により志摩市の漁業を支える1本柱となった[16]。同名の第1種漁港が三重県鳥羽市沖の答志島にある。

明治時代までは天然の良港であったが、明治末期から大正期にかけての台風による堆積作用で港の機能は壊滅的な被害を受けた。1939年(昭和14年)からは県の事業として港湾整備事業が開始されるも第二次世界大戦により中断、終戦後の1951年(昭和26年)7月28日に第4種漁港指定を受け、整備が完了した[17]

2006年(平成18年)現在、漁協組合員数624人、所属漁船513隻、水揚げ高2062.3tである[17]地域活性化の一環として三重県外からの漁船を誘致しており、高知県宮崎県からカツオマグロの漁船が入港・水揚げしている[18]

昭和初期の水産業[編集]

東京文理科大学教授青野壽郎1936年(昭和11年)に発表した研究で、和具は三重県における遠洋漁業の東限であり、農耕地が狭いことと、沖合を黒潮が流れていることから、カツオを中心とする遠洋漁業が成立したと説明した。これ故に「遠洋漁船の普遍度は房総伊豆両半島に勝る」と結論付けている[19]

主要水産統計
以下の統計は1932年 - 1934年(昭和7年 - 昭和9年)の平均値を示す。当時の和具村が三重県内5位以内に入る品目のみ掲載する[20]
品目 数値 県内順位〔位〕 品目 数値 県内順位〔位〕
イセエビ 236百円 1 アワビ 179百円 3
真珠養殖面積 57,311百坪 1 養殖真珠出荷額 557百円 3
テングサ 72百円 2 田作生産 77百円 3
男子漁業専業者数 888 2 延縄マグロ 313百円 4
刺し網サンマ 15百円 3 遠洋カツオ 805百円 4

離島[編集]

間崎島[編集]

間崎島(まさきじま)は英虞湾内の有人島。湾内の位置はやや北寄りで、志摩半島先端部にある和具より紀伊半島本体にある浜島阿児に近い。91世帯266人(1990年国勢調査による)が暮らす島で、真珠養殖とイワシ漁が盛んである[21]。英虞湾が多島海である典型を示すように東に連なる天童島、小天童島などのそれぞれの距離は100メートルと離れておらず、これらの島々の周辺にはびっしりと真珠養殖いかだが浮かぶ。北緯34度17分20秒東経136度48分50秒

座賀島[編集]

座賀島(ざがしま)は英虞湾内の無人島で、「雑賀島」と表記することもある[22]。和具のすぐ北側にあり最近接部の距離は100メートルもない。北緯34度16分33秒東経136度48分16秒

島内には三重大学大学院水産実験所[23]や真珠養殖の作業小屋などがあるが、常住する住民はいない[22]

かつては大阪大学和具臨海学舎(海の家)も設置されていた。この学舎は、同学出身の医師が当時無医村だった和具の住民を救ったことから[24]1949年(昭和24年)に設置されたという[25]。しかし、老朽化などを理由に大阪大学は閉舎を決定、2009年(平成21年)3月31日をもって運営を終了した[25]

島の周辺海域では、シンジュカズナギ(学名:Zoarchias macrocephalus Kimura and Sato, 2007)というスズキ目新種が発見された[26][27][28]

大島[編集]

大島(左下)・小島(右上)(国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成)

大島(おおしま)は三重県志摩市の太平洋(熊野灘)上にある無人島各地の大島と区別するため、和具大島とも称する。志摩町布施田の広の浜の沖合2.5kmにあり、面積は0.02km2である[29]。八雲神社が所有する私有地で、住所は三重県志摩市志摩町和具4186である[30]北緯34度13分52秒東経136度48分46秒

三重県指定天然記念物の「和具大島暖地性砂防植物群落」(1936年(昭和11年)1月22日指定[30])があり、ハマユウの花が咲く[31]

毎年旧暦6月1日に開催される潮かけ祭りは正式名を「大島祭」と言い、本土の八雲神社から市杵島姫命が島内の大島神社へ帰ることを祝う祭りである[32]

北東約500mの本土よりに(和具)小島があって、大島と同じくハマユウが群生し、浅瀬が多く航行の難所である熊野灘・布施田水道(志摩町片田の麦崎・和具漁港間の約2.5海里[33]の南端に位置する。小島は和具領であったが、現在は隣接する志摩町布施田に属する[34]北緯34度14分11.5秒東経136度49分0秒

両島は浅瀬と岩礁に取り囲まれ、付近はイセエビを始めアジサバなどが獲れる漁師海女の好漁場で、「和具の金蔵」とも呼ばれる[35]

大島のさらに南には鳴神、幣ノ島、神ノ島の岩礁が存在する。

交通[編集]

陸上[編集]

鉄道は通っていない。道路に関しては幅員が狭く、対向車の行き違いが難しい区間が多い。

路線バス
三重交通志摩営業所管内
道路

海上[編集]

北部に船着き場(和具港)があり、志摩マリンレジャーにより、以下の定期船が就航する。

  • 和具 - 間崎島 - 賢島
    • 所要時間:和具 - 間崎島10分、間崎島 - 賢島15分。

間崎島以外の離島への渡船はなく、訪問の際は漁船等をチャーターする必要がある。

施設[編集]

志摩文化会館・志摩市役所志摩支所
八雲神社
和具観音堂

離島にある施設は離島の節を参照。

出身者[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 大若子命・乙若子命は伊勢神宮に奉職した度会氏の祖とされ、豊受大神宮(外宮)の摂社である大間国生神社祭神となっている[11]。大若子命は答志島の和具の古墳に葬られていることから、志摩町和具と答志和具の関連を中村は指摘している[10]

出典[編集]

  1. ^ 志摩市役所"志摩市の人口について"平成25年4月(2013年5月2日閲覧。)※志摩町和具の領域である、「和具」と「間崎」の人口を合算。
  2. ^ 青野(1953):6ページ
  3. ^ a b c d e f g 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):1125ページ
  4. ^ a b 中村(1951):150ページ
  5. ^ a b 学校通学区”. 志摩市教育委員会事務局学校人権教育課. 2014年8月6日閲覧。
  6. ^ a b c d e 平凡社(1983):699ページ
  7. ^ a b アイランダー2012"島の情報 鳥羽・志摩諸島"<ウェブ魚拓>(2013年5月14日閲覧。)
  8. ^ 里き・源吉の手紙を読む会 編(2011):202ページ
  9. ^ 中村(1951):149 - 150ページ
  10. ^ a b 中村(1951):152ページ
  11. ^ 伊勢文化舎(2008):53ページ
  12. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会、1983、1423ページ
  13. ^ 志摩市役所"志摩市の人口について"平成25年4月(2013年5月2日閲覧。)※志摩町和具の領域である、「和具」と「間崎」の人口を合算。
  14. ^ 志摩市観光協会、志摩市観光協会>観光名所>志摩(2010年1月28日閲覧)
  15. ^ 高木(2009):52 - 53ページ
  16. ^ 高木(2009):53ページ
  17. ^ a b 三重県農水商工部水産基盤室『三重県農水商工部水産基盤室/和具漁港
  18. ^ 志摩市市長公室 編(2007):1ページ
  19. ^ 青野(1953):42ページ
  20. ^ 青野(1953):22 - 41ページ
  21. ^ 菅田、1995、58ページ
  22. ^ a b 伊勢志摩きらり千選実行グループ"雑賀島(ざがしま/国土地理院地図では座賀島)"(2013年12月18日閲覧)
  23. ^ 三重大学大学院生物資源学研究科"施設の概要"<ウェブ魚拓>(2013年6月15日閲覧。)
  24. ^ 大阪大学大学院文学研究科フランス文学研究室"大阪大学・フランス文学研究室・トップページ"<ウェブ魚拓>(2013年6月15日閲覧。)
  25. ^ a b 大阪大学"和具臨海学舎(海の家)閉舎について"<ウェブ魚拓>2009年2月10日(2013年6月15日閲覧。)
  26. ^ 三重大学大学院水産実験所"さかな座賀紀行 » シンジュカズナギ"2011年5月25日(2013年12月18日閲覧。)
  27. ^ 国際海洋環境情報センター海洋研究開発機構"シンジュカズナギ - Marine Biological Sample Database"(2013年12月18日閲覧。)
  28. ^ 三重県・三重大学"志摩の自然を活かす - 生物資源学部 - 三重大学"(2013年12月18日閲覧。)
  29. ^ 寺尾(1985):137ページ
  30. ^ a b 三重県教育委員会事務局、みんなで、活かそう!守ろう!三重の文化財・和具大島暖地性砂防植物群落(2010年1月28日閲覧)
  31. ^ 三重県環境森林部自然環境室『みえの自然楽校/和具大島のハマユウ』(2010年1月28日閲覧)
  32. ^ 山川芳彦『海女の祭り』(2010年1月28日閲覧)
  33. ^ 海上保安庁第四管区海上保安部「四管区内・愛知県・三重県の水道
  34. ^ 志摩町史編纂委員会 編(2004):240ページ
  35. ^ 伊勢志摩きらり千選実行グループ『伊勢志摩きらり千選 和具の金蔵』(2010年1月28日閲覧)
  36. ^ 三重県観光連盟『選ばれし三重|建築物(道・建築物):観光三重』(2010年2月1日閲覧)
  37. ^ リクルート『和具観音堂の基本情報-じゃらん観光ガイド』(2010年2月2日閲覧)
  38. ^ a b 「桜がないのはかわいそう」―石原円吉翁の銅像公園に「円吉桜」植樹”. 伊勢志摩経済新聞 (2009年4月16日). 2016年8月4日閲覧。
  39. ^ 安永陽祐"志摩ノ海関 十両報告 市長訪問「豪快な相撲取りたい」"中日新聞2016年6月16日付朝刊、三重総合17ページ

参考文献[編集]

  • 青野壽郎『漁村水産地理学研究[2]』青野壽郎著作集Ⅱ、古今書院、昭和28年6月25日、382pp.
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、昭和58年6月8日、1643pp.
  • 志摩市市長公室 編『広報しま 2007年5月号』Vol.57、志摩市市長公室、平成19年3月1日、28pp.
  • 志摩町史編纂委員会 編『志摩町史 改訂版』志摩町、平成16年9月1日、1164pp.
  • 菅田正昭『日本の島事典』財団法人日本離島センター監修、三交社、1995年6月25日、495pp. ISBN 4-87919-554-5
  • 高木秀和(2009)"三重県志摩半島における漁村の分析と地域類型"2009年人文地理学会研究発表要旨(人文地理学会).52-53.
  • 寺尾幸晃(1985)"先志摩台地と英虞湾をめぐる"三重地理学会 編『三重県の地理散歩』(荘人社、昭和60年1月20日、193p. ISBN 4-915597-02-4 ):135-139.
  • 中村精貮『志摩の地名の話』伊勢志摩国立公園協会、昭和26年11月3日、167p.
  • 里き・源吉の手紙を読む会 編『故国遙かなり―太平洋を渡った里き・源吉の手紙』ドメス出版、2011年3月15日、207pp. ISBN 978-4-8107-0750-2
  • 『お伊勢さん125社めぐり』別冊『伊勢人』、伊勢文化舎、平成20年12月23日、151p. ISBN 978-4-900759-37-4
  • 『三重県の地名』日本歴史地名大系24、平凡社、1983年5月20日、1081pp.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]