新城島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
上地島
Kamiji island 01.jpg
座標 北緯24度14分02秒 東経123度56分40秒 / 北緯24.23389度 東経123.94444度 / 24.23389; 123.94444 (上地島)座標: 北緯24度14分02秒 東経123度56分40秒 / 北緯24.23389度 東経123.94444度 / 24.23389; 123.94444 (上地島)
面積 1.76[1] km²
海岸線長 6.2[2] km
最高標高 13.1 m
所在海域 東シナ海
所属諸島 八重山列島
所属国・地域 日本の旗 日本沖縄県八重山郡竹富町
テンプレートを表示
下地島
Shimoji island 01.jpg
座標 北緯24度12分56秒
東経123度55分46秒
面積 1.58 km²
海岸線長 4.8 km
最高標高 20.4 m
所在海域 東シナ海
所属諸島 八重山列島
所属国・地域 日本の旗 日本(沖縄県八重山郡竹富町)
テンプレートを表示
沖縄本島と八重山列島の位置図

新城島(あらぐすくじま)は、沖縄県八重山郡竹富町に属する八重山諸島上地島(かみじじま[3]、かみぢじま[1][4])及び下地島(しもじじま[3]、しもぢじま[1][4])の2つの島の総称である。

離れた2つの島からなることから、八重山方言で「離れ」を意味するパナリまたはパナリ島とも呼ばれる[4][5][6]。なお、下地島については、宮古列島(沖縄県宮古島市)にも同名の下地島が存在する。

地理[編集]

新城島は、西表島の南東約7km、石垣島の南西約23kmの石西礁湖に位置する[7]。上地島と下地島からなり、2島の間は約420mある[7]が、東側はリーフで繋がっており、大潮の干潮時にはリーフの一部が水面上に現れて、歩いて渡ることができる[8]

上地島は、東北から南西方向に細長く延びた島で、同方向の長さが約2.5km、最大幅が約0.7km[8]。大部分はで覆われている。集落は西海岸中部にあり、2001年時点で26戸の家屋が残っていた[6]が、常時住んでいる人口は10人未満である[9]

下地島は、南北方向約1.3km、東西方向約1.5kmの略半円形の島である[8]。集落は現存しない[3]。かつての集落は北部に位置していた。現在は牧畜業が営まれ、外周部の森と海岸以外は全体が肉用牛の牧場になっている。下地島に滞在しているのは牧場の管理人のみである。

新城島両島の空中写真。この写真は上方が北西方角である。1977年撮影の7枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

自然[編集]

全域が西表石垣国立公園に含まれる。

島周辺は、かつての南西諸島におけるジュゴンの最大の生息地の一つであったとされる。新城島ではジュゴンの捕獲が許可され、その干し肉を人頭税の一部として琉球王府に献納していた[10]。現在では沖縄本島近海以外ではジュゴンは絶滅したと考えられているが、新城島近海での目撃例もある[注 1]

八重山列島の他の島と同様に、野生化したインドクジャクが繁殖していたが、2006年から2009年にかけて集中的に駆除された[12][13]

人口[編集]

住民基本台帳人口(各年3月31日時点)[14]
年度 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年 2016年
人口 上地島 5人 6人 9人 8人 10人 10人 11人 14人 13人 13人 12人 13人
下地島 2人 2人 2人 2人 3人 3人 2人 3人 2人 2人 2人 2人

なお、住民基本台帳の基礎となる住民登録上では住所を新城島に置いていても、実際には石垣島や西表島にも家があり、新城島との間を行き来している人が多い[15]

新城島出身者の郷友会が石垣島等にあり、の時期には島の出身者が戻り賑わいをみせる[16]

歴史[編集]

成宗8年(1477年)に朝鮮済州島の漂流民3人が与那国島の島民に救助された際、波照間島の次に「勃乃伊島」に護送されたとあり、これが新城島のこととみられる。漂流民らによると波照間島からは一昼夜で着き、島は平坦で2日ほどで一周できた。民家は40戸余で、男女ともに青い玉を腕輪や足輪としていた。また、キビアワが栽培されていたが、米は西表島で入手していたという[17]

近世初頭には、琉球王国の2島・6間切のうち黒島に属し、1628年に3間切に再編された後は石垣間切に属した。水田がないため、島民は西表島の南風見村にで通って耕作を行った。

1893年明治26年)に八重山列島を訪れた笹森儀助は、西表島南風見村の東の海岸に新城島や黒島の農民の小屋が数軒あり、数十人がいると記録している[18]。なお、南風見村は1920年(大正9年)に廃村となったが[19]1938年昭和13年)から西表島への入植が始まり、大原集落が形成された。第二次世界大戦沖縄戦では新城島民は大原集落への疎開を命じられたが、同地でマラリアにかかる者が多発し、1945年(昭和20年)には島の人口255名中、24名が死亡している[20]

下地島では1953年(昭和28年)6月6日に大原中学校下地分校が、1954年(昭和29年)4月5日に大原小学校下地分校がそれぞれ廃校となり[21]1955年(昭和30年)頃から西表島や石垣島への転出が増加した。そして、1962年(昭和37年)8月に最後の住民が上地島に移転して、下地島は廃村となった[22][23][24]

1965年(昭和40年)10月1日には、パナリ牧場組合が黒島から下地島に黒毛和牛を移入し、下地島全体を牧場として牧畜を開始した。この牧場は、2002年(平成14年)にパナリ牧場からヤイマ・ブリーダー・ランチに経営が委譲されている。2010年(平成22)年の黒毛和牛の飼養頭数は254頭[25]

上地島では、1963年(昭和38年)に上地中学校が大原中学校に統合された頃から、子供の中学進学とともに島民が一家で島を離れるようになった[6]1975年(昭和50年)2月23日には、長年望まれていた西表島からの海底送水が実現した[26]が、同年3月に、過疎化のため上地小学校は廃校となった[6]。1988年(昭和63年)3月22日には海底送電が開始され、1日15時間の制限給電から24時間給電になった[22]

前述の通り、2016年(平成28年)現在では、島の人口は住民基本台帳上でも15人にとどまっている。

産業[編集]

観光[編集]

新城島観光やパナリ島観光等が自社や安栄観光の船舶を利用した石垣島等からのツアーを催行している[27]。また、西表島からシーカヤックでのツアー等も行われている。

なお、2005年(平成17年)3月に、西表島からのシーカヤックツアーの帰路でガイドを含め3人が死亡する事故が発生している[28][29]2009年(平成21年)にはシュノーケリング中の死亡事故も発生している[30]

新城島への年間入域観光者数は2008年(平成20年)までは概ね1千人台だったが、2009年(平成21年)以降は2千人を超え、2013年(平成25年)以降は3千人前後となっている。

年間入域観光客数[31]
年度 1990年 1995年 2000年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年 2016年
人数 1,776人 1,678人 1,780人 1,240人 1,224人 1,874人 1,931人 2,623人 3,195人 2,596人 2,248人 3,190人 3,529人 3,175人 2,978人

かつて1972年(昭和47年)3月にヤマハリゾートが、小浜島を拠点に、上地島、西表島(仲間川河口のヤッサ島)を結ぶ開発計画を公表。ヤッサ島は農地法により土地の転用ができなかったため開発が断念され、小浜島及び上地島での開発が行われた。小浜島にははいむるぶしが開業。上地島では竹富町立上地島小学校跡地及び私有地を買収し、はいむるぶしの別館として5室の宿泊施設が建設され、一時稼動していた[32][33]。このリゾート開発は、1984年(昭和59年)に石原慎太郎が発表し、1998年(平成10年)に映画化された「秘祭」のモデルになったとされる[34]。その後、宿泊施設跡は新城島公民館に無償譲渡されて、建物は解体され[33][35]2014年(平成26年)に公民館施設を兼ねた防災施設が完成している[36][37]

公共施設[編集]

金融機関郵便局[注 2]商店公衆電話公衆便所警察署駐在所消防署診療所信号はない。

1975年(昭和50年)に廃校になった上地島の竹富町立上地島小学校跡には、2014年(平成26年)に公民館施設を兼ねた防災施設が完成している。鉄筋コンクリート構造2階建て、建築面積225m2で、1階には集会所、舞台、研修室が設けられ、2階はライフジャケットや食糧を備蓄する防災備蓄庫とされている。海抜が4mの集落で津波の際の避難場所を確保するため、外階段でつながる屋上は海抜13mを確保している[36][37]

インフラ[編集]

上水道(西表島より海底送水)[38]、電気(海底送電)[26]、固定電話回線、ブロードバンドインターネット接続(ADSL、2008年(平成20年)4月1日開始)[26][39]が整備されている。

携帯電話は、au、ソフトバンクのサービスエリア内である[40]が、各社携帯電話の基地局はないので一部海岸沿い以外では携帯電話は通じない。

名所・旧跡・自然その他[編集]

タカニク
中森(波照間ムリ)

文化財[編集]

国指定史跡
  • 先島諸島火番盛
    • タカニク(上地島) - かつてニシヌブシヌヤー(北の武士の居館)があったとされる。八重山式土器や輸入陶磁器が発掘されている。
    • 中森(波照間ムリ)(下地島)
竹富町指定史跡
  • クイヌバナ(上地島 竹富町史跡 1972年(昭和47年)8月30日指定)
竹富町指定無形民俗文化財
  • 越の頂節、サーサー節、パナリヤーマーぬ前の海、越後節 - 竹富町指定無形民俗文化財(民謡の部)
  • 越の頂節、サーサー節、パナリヤーマーぬ前の海、クイヌウベ狂言、節祭の巻踊 - 竹富町指定無形民俗文化財(舞踊・狂言の部)

旧跡[編集]

新城島には古琉球から近世にかけての遺跡が多数ある[41]

上地島
  • タカニク遺跡 - 学校跡から北に約600mの海岸にある。砂浜に突き出た岩の上に石垣が築かれており、火番盛の跡とされる。また、かつてニシヌブシヌエー(西の武士の居館)があったともいわれる。
  • ポンヤマー遺跡 - 学校跡から北に約800mの海岸にある。タカニク同様に、砂浜に突き出た岩の上に石垣が築かれており、規模はタカニクより大きい。ニシヌブシヌエーに対してパイヌブシヌエー(南の武士の居館)と呼ばれ、一辺3mほどの方形の石積墓が6基あり、やはり土器や陶磁器が見つかっている。
  • ウブドゥムル遺跡 - ウブドゥ村の跡といわれ、屋敷囲いがある。
下地島
  • ナーシキ貝塚 - 八重山式土器やパナリ焼などが発掘された。
  • 伝ウィスク村跡遺跡 - 大量の土器と輸入陶磁器が発掘されている。
  • 伝ナーメ村跡遺跡
  • 伝フザトゥ村跡遺跡
  • 伝マヒヤン村跡遺跡
  • 伝アラスク村跡遺跡
  • 伝フカバレー村跡遺跡

御嶽[編集]

新城島には12の御嶽がある[42]

上地島
  • アールウガン(東御嶽) - 集落の東側にある。イショーウガン(磯御嶽)とも呼ばれる。かつて新城島は琉球王府から人頭税としてジュゴンの干し肉の上納を義務付けられており、この御嶽にジュゴンの頭骨を奉納して豊漁を祈願した。
  • イルウガン(西御嶽) - 集落の西側にある。
  • ナハウガン(美御嶽) - 集落の北側にある。
  • パンガナシウガン(シサブエーヌ御嶽) - 集落から離れた東側にある。
下地島[42]
下地島には8つの御嶽があり、八御嶽(ヤーヤマ)と呼ばれた。1964年(昭和39年)に解願(パジニガイ)が行われてすべての祭祀が停止しており、1984年(昭和59年)以降、各御嶽には記念碑が建立されている。
  • アーリウワン(東御嶽) - 島の東北海岸にある。
  • イリウワン(西御嶽) - 島の南西海岸にある。
  • パンゾウワン(繁盛御嶽) - 東御嶽と同じ敷地にある。
  • ナナゾウワン(七門御嶽) - 島の北海岸付近に位置する。7つの入口があることから名づけられた。イショーワン(磯御嶽)とも呼ばれる。100頭余のジュゴンの頭骨が奉納されている[43]
  • ナハヤマワン(中山御嶽) - アカムタ御嶽ともいう。
  • マラパイヤワン(マラパイヤ御嶽) - 水の神を祀る。
  • ナハスコワン(中城御嶽) - 島の中心部にある。
  • カンヤドゥルワン(神宿る御嶽) - 島の中心部にある。

上地島港には「来島者へお願い 1.無断でお宮に入ったり、勝手に願い事をしてはならない 新城島公民館長」と書かれた看板が掲示されている(2004年7月)。御嶽は聖域であり、祭司以外は住人でも立ち入らせず、とくに男子禁制である。願懸けの対象とさせないことも伝統とされる。[要出典]

海岸・海[編集]

  • 浜崎海岸 - 上地島の南部にある海岸[44]
  • 恋路ヶ浜 - 上地島の桟橋近くの小さな海岸[45]
  • 新城島マイビシ海域公園地区 - 上地島の北西1km沖に位置する西表石垣国立公園の海域公園地区のひとつ。面積179.7ha。1977年(昭和52年)7月1日指定、2012年(平成24年)3月27日拡張[46][47]
    • 竜宮の根(下地島西方) - 新城島マイビシ海中公園にあるダイビングポイント。イソバナとそれに群がる小魚が美しい。

その他[編集]

  • 展望所(下地島桟橋横) - 木製のテラスがある。上地島南端の浜崎海岸が望める。
  • 牧場(下地島) - 下地島全体が牧場になっている。

祭事・催事[編集]

  • 豊年祭(上地島) - 旧暦6月。アカマタ・クロマタ[34]・獅子舞。
  • 結願暦(上地島) - 旧暦8月。ミルク練行列、舞踊。
  • 節暦(上地島) - 旧暦7月~8月。巻踊り。

上地港には「祭事における注意事項 カメラ等の撮影禁止 祭詞・歌の録音禁止 スケッチ等の禁止夜間部落外への行動及び単独行動禁止 以上4項目を固く禁ずる」と書かれた看板が掲げられている(2004年7月)。[要出典]

交通[編集]

空港[編集]

空港はない。上地島に急患空輸等のためのヘリポートが整備されている[48]

港湾[編集]

  • 上地港 - 上地島の集落近くにある日本最南端の地方港湾である[49][50]。防波堤、物揚場、船揚場等が整備されている[51]が、竹富町では上地港への浮桟橋設置を要望している[52]。定期航路はない。安栄観光では、5名以上での希望があれば[要出典]石垣島から西表島行きの船を上地港に臨時寄港させている[注 3]
  • 下地港 - 下地島北端にある港。定期航路はない。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2010年度(平成22年度)の調査で、西表島との間の海峡で目撃情報が報告されている[11]
  2. ^ 上地島に郵便ポストが1箇所設置されている。
  3. ^ 2002年頃の資料では、新城島出身者が予約したときのみ運航するとされている[53]

出典[編集]

  1. ^ a b c 平成28年全国都道府県市区町村別面積調 島面積 (PDF)”. 国土地理院. p. 108 (2014年10月1日). 2015年3月16日閲覧。
  2. ^ 石垣港離島ターミナル 八重山諸島データ
  3. ^ a b c 新城島”. 竹富町. 2018年3月10日閲覧。
  4. ^ a b c 竹富町”. 知・旅・住 離島総合情報サイト 沖縄のしまじま. 2018年3月10日閲覧。
  5. ^ 崎原恒新『八重山ジャンルごと小事典』ボーダーインク、1999年8月1日、p.208
  6. ^ a b c d 贅沢な時間の流れる宝の島 ~バランスを考えた島の方向性~”. やいまタイム(月刊やいま 2001年12月号). 南山舎 (2001年12月). 2018年8月10日閲覧。
  7. ^ a b 山崎真治 「伝説の土器・パナリ焼きを探る」『鳩間島・新城島・黒島総合調査報告書』(PDF) 沖縄県立博物館・美術館 博物館班、沖縄県立博物館・美術館、2016年3月、93-107頁。2018年3月10日閲覧。
  8. ^ a b c 仲里健 「鳩間島・黒島・新城島(上地・下地)の地質」『鳩間島・新城島・黒島総合調査報告書』(PDF) 沖縄県立博物館・美術館 博物館班、沖縄県立博物館・美術館、2016年3月、1-11頁。2018年3月10日閲覧。
  9. ^ 山﨑仁也 「鳩間島・新城島(上地・下地)・黒島の植物相(FLORA)」『鳩間島・新城島・黒島総合調査報告書』(PDF) 沖縄県立博物館・美術館 博物館班、沖縄県立博物館・美術館、2016年、16-37頁。2018年3月10日閲覧。
  10. ^ ジュゴンが首里城に献上されたという記録はあるか。”. レファレンス協同データベース. 2018年3月10日閲覧。
  11. ^ 荒井修亮 (2011年). “ジュゴン Dugong dugong -沖縄におけるジュゴンの生態に関する文献等調査- (PDF)”. 京都大学大学院情報学研究科. 2013年12月20日閲覧。
  12. ^ “新城のインドクジャク 計116羽を駆除”. 八重山毎日新聞. (2009年7月17日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/14033/ 2018年3月10日閲覧。 
  13. ^ “外来生物次々と侵入 広がる生態系への影響”. 八重山毎日新聞. (2010年1月2日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/15157/ 2018年3月10日閲覧。 
  14. ^ 島しょ別住民基本台帳人口及び世帯数”. 沖縄県. 2018年3月10日閲覧。
  15. ^ “パナリへ郵便配達”. やいまタイム (南山舎). (2014年10月). https://yaimatime.com/yaima_special/44030/ 2018年3月10日閲覧。. 
  16. ^ “35年ぶりに故郷で運動会 石垣在新城郷友会”. 八重山毎日新聞. (2015年5月4日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/27378 2018年3月10日閲覧。 
  17. ^ 李朝実録
  18. ^ 『南嶋探験』
  19. ^ 『八重山歴史』
  20. ^ 『新八重山』
  21. ^ 岸本弘人、石垣忍 「鳩間島・黒島・新城島における石碑・記念碑等の調査報告」『鳩間島・新城島・黒島総合調査報告書』(PDF) 沖縄県立博物館・美術館 博物館班、沖縄県立博物館・美術館、2016年3月、109-146頁。
  22. ^ a b 『竹富町史 第五巻 新城島』 竹富町史編集委員会、2013年11月30日、10頁。
  23. ^ “新城・下地島、廃村から半世紀 郷友ら古里しのぶ、68年ぶりに訪れた出身者も”. 八重山毎日新聞. (2012年5月21日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/20118/ 2018年3月10日閲覧。 
  24. ^ “竹富町のあゆみ” (PDF). 竹富町史だより (竹富町) (35). (2014年3月31日). http://www.town.taketomi.lg.jp/uploads/fckeditor/uid000013_2016042511582529c6ea19.pdf 2018年3月10日閲覧。. 
  25. ^ 『竹富町史 第五巻 新城島』 竹富町史編集委員会、2013年11月30日、385-390頁。
  26. ^ a b c 竹富町のあゆみ”. 竹富町. 2018年3月10日閲覧。
  27. ^ 新城島”. ぱいぬ島ストーリー. 竹富町観光協会. 2018年3月10日閲覧。
  28. ^ “新城島付近シーカヤックの3人不明 観光客親子とガイド”. 八重山毎日新聞. (2005年3月24日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/601/ 2018年3月10日閲覧。 
  29. ^ “母娘ら3人の捜索打ち切る 石垣海上保安部”. 八重山毎日新聞. (2005年4月3日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/689/ 2018年3月10日閲覧。 
  30. ^ “観光の67歳男性水死 シュノーケリング中”. 八重山毎日新聞. (2009年6月18日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/13848/ 2018年3月10日閲覧。 
  31. ^ 竹富町観光入域者数 竹富町
  32. ^ 三木健 『リゾート開発-沖縄からの報告』 三一書房、1990年7月、90-91頁。
  33. ^ a b 『竹富町史 第五巻 新城島』 竹富町史編集委員会、2013年11月30日、10頁。
  34. ^ a b 安藤健二 (2017年8月8日). “撮影禁止の看板が埋め尽くす秘祭「アカマタ・クロマタ」。石垣島で私が見たものは...”. ハフポスト日本版. https://www.huffingtonpost.jp/kenji-ando/post_15561_b_17699150.html 
  35. ^ 松村正治「八重山諸島におけるツーリズム研究のための基礎調査--竹富島・西表島・小浜島の人々と自然とのかかわりの変遷 アジア・太平洋の環境・開発・文化 (2), pp.140-202、2001年3月30日、未来開拓大塚プロジェクト事務局
  36. ^ a b “新城に防災施設 竹富町”. 八重山毎日新聞. (2014年9月19日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/25839/ 2018年3月10日閲覧。 
  37. ^ a b “防災施設が落成 「住民の心のよりどころに」 新城島”. 八重山日報. (2014年9月30日). https://www.yaeyama-nippo.com/2014/09/30/%E9%98%B2%E7%81%BD%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%8C%E8%90%BD%E6%88%90-%E4%BD%8F%E6%B0%91%E3%81%AE%E5%BF%83%E3%81%AE%E3%82%88%E3%82%8A%E3%81%A9%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%AB-%E6%96%B0%E5%9F%8E%E5%B3%B6/ 2018年3月10日閲覧。 
  38. ^ “海底送水管を整備へ 16年度から2年間かけ更新”. 八重山毎日新聞. (2016年1月13日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/29156/ 2018年3月10日閲覧。 
  39. ^ 永野寛他「沖縄県離島部の生活環境の充実に向けたブロードバンド整備の方向性」、『アジア太平洋研究』No.18、2012年3月
  40. ^ 離島におけるICT利活用促進に関する調査 (PDF) 都市科学政策研究所野村総合研究所共同企業体、2014年8月5日
  41. ^ 『竹富町史 第五巻 新城島』 竹富町史編集委員会、2013年11月30日、77-95頁。
  42. ^ a b 『竹富町史 第五巻 新城島』 竹富町史編集委員会、2013年11月30日、414-418頁。
  43. ^ “ジュゴンの生息域調査 北海道大の大泰司研究員ら”. 八重山毎日新聞. (2012年12月9日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/21455/ 
  44. ^ 浜崎 やえやまなび
  45. ^ 恋路ヶ浜 やえやまなび
  46. ^ 西表石垣国立公園_概要・計画書”. 環境省. 2018年8月11日閲覧。
  47. ^ 西表石垣国立公園の公園区域及び公園計画の変更(H24.3.27 告示)の概要”. 環境省. 2018年8月11日閲覧。
  48. ^ 八重山要覧(平成28年度版) 第4章 生活環境施設等 (PDF)”. 沖縄県. p. 76. 2018年3月10日閲覧。
  49. ^ みなとマメ知識 (PDF) 国土交通省
  50. ^ 上地港 沖縄県
  51. ^ 上地港 (PDF) 沖縄県土木建築部港湾課
  52. ^ 波照間の航空路線再開を 衆院国土交通委と意見交換 八重山毎日新聞、2013年9月6日
  53. ^ 新城島への旅立ち (PDF)総合学習教材・素材集CD-ROM「結び合うしま島」、竹富町教育委員会

参考文献[編集]

  • 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]