内離島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
内離島
Uchipanari 01.jpg
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
座標 北緯24度21分3秒
東経123度44分6秒
面積 2.1 km²
海岸線長 7.5 km
最高標高 193.8 m
所在海域 フィリピン海
所属諸島 八重山諸島
所属国・地域 日本の旗 日本沖縄県八重山郡竹富町
テンプレートを表示
白浜港から望む内離島

内離島(うちばなりじま)は、日本南西諸島沖縄県八重山郡西表島の南西2kmに位置する無人島である。

沖縄県八重山郡竹富町西表の一部。北西200mほどにあり、同じ字西表の一部となっている外離島との間には遠浅で小さな砂嘴が形成されており、古くから対の島として認識されてきた。

概要[編集]

北西・南東の距離が約2.7km、幅は1km。地質的には、大半が西表島の西部と同じ砂岩を主とした八重山層群である。海岸砂丘の発達した北側以外は海岸が急な崖となっており、避難港の船浮湾に面した南側は100m以上もの落差がある。また、北岸には15-16世紀の集落跡の成屋遺跡がある。東には西表島、西には外離島があり、その間はいずれも200mほどの遠浅の海である。西表島の船浦とともにニッパヤシの北限地である。

古くから、干潮時には外離島との間を歩いて渡れる事が知られていた[1]正保年間には無人島だったが、後に北岸の平地部に西表島から入植者が移住し、成屋集落が形成された[2]。島内でイノシシが根絶した雍正8年(1730年)頃に移住があったとみられる[3]が、成屋集落は1920年大正9年)に廃絶した。

1886年(明治19年)から1945年昭和20年)にかけて、石炭を含む薄い地層がある事から西表炭坑の一部として採炭事業が行なわれていた。石炭積込のために仮桟橋が設けられ、大型船の入港が続いた。第二次世界大戦中には船浮湾の基地防衛のため、砲座や通信施設などが設置されて軍人が居住していた。終戦後はアメリカ軍に接収され、1949年に炭坑を再開したがうまくいかず民間へ払い下げられた。1953年に琉球興発が事業を再開したものの採算が合わず1960年に休止状態となり島は急速に過疎化、1982年より無人島になっている。

2013年2月に外離島と内離島の土地の殆どを所有していた台湾人資産家が妻とともに、台北市郊外・八里区淡水河で水死体の状態で発見された[4][5]

脚注[編集]

  1. ^ 『両島絵図帳』
  2. ^ 『正保国絵図』
  3. ^ 『慶来慶田城由来記』
  4. ^ “尖閣付近無人島の所有者 中国との売買交渉中に殺害されていた”. NEWSポストセブン. (2013年4月22日). http://www.news-postseven.com/archives/20130422_184056.html 
  5. ^ 福島香織 (2013年5月1日). “沖縄の離島を所有する台湾人富豪の殺人事件 微妙な日本との接点”. 日経ビジネス. http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20130430/247368/ 

参考文献[編集]

  • 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)

関連項目[編集]