長島 (岡山県)

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長島
長島 国土画像情報(カラー空中写真)
所在地 日本岡山県
所在海域 瀬戸内海
座標 北緯34度40分31.3969秒 東経134度14分31.9022秒 / 北緯34.675388028度 東経134.242195056度 / 34.675388028; 134.242195056座標: 北緯34度40分31.3969秒 東経134度14分31.9022秒 / 北緯34.675388028度 東経134.242195056度 / 34.675388028; 134.242195056
面積 6.6 km²
海岸線長 18 km
最高標高 99 m
Project.svgプロジェクト 地形
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長島(ながしま)は岡山県瀬戸内市にある虫明湾の南東にありす。北の鴻島や東の大多府島日生諸島であるが、これらの島と長島の間に旧郡境(現在は市境)があり、長島は日生諸島には該当しない。


歴史[編集]

中央部の船越は、屋島の戦いの後に源義経の船が長島に吹き寄せられ、武蔵坊弁慶が船を引き越した地であるという伝説がある[1]大正時代は島内のほとんどが山林で、中部より西側に水田が点在し、20世帯余りが住んでいた。ボラ敷網が有名だったが1960年頃から衰退し、代わって鴻島との間ではカキ養殖が盛んになった。本土の丘陵との間には幅200m程の「瀬溝の瀬戸」がある。全島が山地で、南東部などは海食崖となっている。谷状の島の中央部を境に東西に分かれている。西部は古生層砂岩、中心部は花崗岩で、東部はわずかに流紋岩がある。

一方、1927年に日本初の国立ハンセン病療養所である国立療養所長島愛生園が島内に設置された。この際に、村有地や民有地の殆どが大日本帝国政府に買収され、従来からの島民居住者は居なくなった。収容人員400名を目標にして1930年に療養所が完成したが、予定を超えて1943年には2,000人以上が収容されていた。また1938年には大阪府から公立らい療養所(外島保養院)が長島に移転し、1941年に国に移管され国立療養所邑久光明園となっている。こちらには、最盛期で1,000名のハンセン病患者が収容されていた。

この2つの療養所の施設として、病棟、患者・職員の住宅、作業場、慰安・娯楽施設、看護学校などが建設された。また、以前からの農耕地が患者の農園となった。水道水は本土の吉井川から水道管で送られている。本州から僅か200メートルの距離にありながら、ハンセン病への差別・偏見によって隔絶されていたが、岡山県道224号瀬西大寺線の工事で、全長185メートルの『邑久長島大橋(通称:人間回復の橋)』が、1988年昭和63年)5月9日に開通して、本州と陸続きになった。

1996年らい予防法廃止によって、ハンセン病患者の入所は義務ではなくなったが、長期間の隔離によって出所は困難になっており、2005年現在で合計685名が入所している。

交通アクセス[編集]

参考文献[編集]

  • 『角川日本地名大辞典 33.岡山県』 角川書店、1986年
  1. ^ 『邑久郡誌』

関連項目[編集]