宮戸島

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宮戸島
20091011松島.jpg
松島丘陵東端周辺の空撮。写真中央にある宮戸島は、写真左から延びる七ヶ浜半島と共に松島湾の湾口を形成する。
所在地 日本
所在海域 太平洋仙台湾松島湾
座標 北緯38度20分7.1秒 東経141度9分14秒 / 北緯38.335306度 東経141.15389度 / 38.335306; 141.15389 (宮戸島)
面積 7.39 km²
海岸線長 約15 km
最高標高 105.6 m
最高峰 大高森
宮戸島の位置(宮城県内)
宮戸島
宮戸島
宮戸島 (宮城県)
宮戸島の位置(日本内)
宮戸島
宮戸島
宮戸島 (日本)
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大高森から松島湾内(当島西岸域)の眺望
夕暮れ時の潜ヶ浦水道

宮戸島(みやとじま)は、宮城県東松島市にある陸繋島で、仙台湾の支湾である松島湾石巻湾とを分ける位置にある。島としては、松島湾で最大の面積を持つ。人口は約1,200人。

日本三景松島の観光地区の1つ「奥松島」の主要部である。島の最高峰である大高森からの眺望は「壮観」と呼ばれ、松島四大観の1つである。また、島の東南の嵯峨渓日本三大渓の1つに数えられる。

地理[編集]

現在の当島は野蒜海岸北緯38度22分11.1秒 東経141度9分54.4秒 / 北緯38.369750度 東経141.165111度 / 38.369750; 141.165111 (野蒜海岸(野蒜海水浴場)))の南端にあり、同海岸を陸繋砂州とする陸繋島になっている。かつて同海岸とは潜ヶ浦水道西端東端[1]をまたぐ松ヶ島橋(北緯38度21分14.2秒 東経141度9分24.7秒 / 北緯38.353944度 東経141.156861度 / 38.353944; 141.156861 (松ヶ島橋))によって結ばれ、宮城県道27号奥松島松島公園線が通っていたが、2011年に松ヶ島橋は津波で流失している。当島の西側にある浦戸諸島の寒風沢島(北緯38度20分12.1秒 東経141度7分32.5秒 / 北緯38.336694度 東経141.125694度 / 38.336694; 141.125694 (寒風沢島))とは、わずか80mの幅の鰐ヶ渕水道(北緯38度20分18.3秒 東経141度7分51.3秒 / 北緯38.338417度 東経141.130917度 / 38.338417; 141.130917 (鰐ヶ渕水道))を挟んで向かい合っているが、浦戸諸島は旧宮城郡域となっている。

気候は温暖で、ツバキなどの暖地性の植物と寒地性の植物が共存する珍しい場所でもある。島はほとんど山地で、平地は少なく、海岸線が入り組んでいる。

陸繋島[編集]

江戸時代までは、鳴瀬川河口付近より南側にある沖ノ明神岩(北緯38度22分27.8秒 東経141度10分32.3秒 / 北緯38.374389度 東経141.175639度 / 38.374389; 141.175639 (沖ノ明神岩)[2]不老山北緯38度22分26.9秒 東経141度10分7秒 / 北緯38.374139度 東経141.16861度 / 38.374139; 141.16861 (不老山))、鷺ノ巣岩地図)、鰯山地図)、当島などは全てであり、日本三景松島の松島海岸地区のような多島海の風景だった[3][4][5][6][7][8]。しかし、当海域の北東にある石巻湾の海岸付近では、の影響で旧北上川等から供給されるが東から西に海岸沿いを移動する傾向があり、さらに鳴瀬川の流出土砂も加わって、特に鳴瀬川河口から当島までの間に砂が堆積した[4]。これにより、不老山、鷺ノ巣岩、鰯山などは陸封され、それらより海側には野蒜海岸(洲崎浜)という広大な砂嘴砂浜が形成された[4](沖ノ明神岩は陸封されなかった)。

当島も明治時代までは潜ヶ浦(かつぎがうら)と呼ばれる海域により対岸と分かれていた[4]。土砂の堆積が進んで徐々に野蒜海岸が当島へ延びると、当島と同海岸との間に潜ヶ浦水道を開削するよう第12回国会衆議院運輸委員会に請願書を提出し、1951年昭和26年)11月27日に審議された[9]1963年度 - 1965年度の3年をかけ、潜ヶ浦水道の開削や同水道を渡る松ヶ島橋(45m)の架橋などを事業費約1億6千万をかけて行い、陸繋砂州の野蒜海岸と分離された[10]。また、二本松鼻(北緯38度21分19秒 東経141度9分49.7秒 / 北緯38.35528度 東経141.163806度 / 38.35528; 141.163806 (二本松鼻))と呼ばれる細長いが、潜ヶ浦水道の開削により宮戸島から切り離された[3]

大高森[編集]

島の最高峰は大高森標高106m[11]地図)と呼ばれ、この山頂からは仙台湾およびその内湾である松島湾と石巻湾、牡鹿半島蔵王連峰栗駒山を望むことができ、「松島四大観」の一つに数えられる。

嵯峨渓[編集]

島の東南端にある萱野崎に向かう岬は「嵯峨渓」と呼ばれている(北緯38度19分22.8秒 東経141度10分47.6秒 / 北緯38.323000度 東経141.179889度 / 38.323000; 141.179889 (嵯峨渓))。「めがね島」や「かえる島」などの名岩・奇岩が多数連なり、岩手県の猊鼻渓、大分県の耶馬渓と並ぶ「日本三大渓」の1つである。遊歩百選に選ばれている。

歴史[編集]

最終氷期には松島湾は全て陸地であり当島も地続きだったが、現在から8900年前には縄文海進により大仏山(北緯38度22分31.3秒 東経141度8分38.3秒 / 北緯38.375361度 東経141.143972度 / 38.375361; 141.143972 (大仏山(標高78.8m)))側の松島丘陵との間に海が侵入して松島湾が形成され始めた[3]。さらに8700年前には、当島と浦戸諸島などが1つの島として(当時の)松島湾内に浮かぶ形となった[3]。当初、丸山(北緯38度21分42.5秒 東経141度8分7.2秒 / 北緯38.361806度 東経141.135333度 / 38.361806; 141.135333 (丸山(標高52m)))は当島と浦戸諸島などが一体となった島の一部であったが、6800年前には分離して大仏山側と陸続きとなった[3]

当島には縄文時代から人が住んだ痕跡が残る。里浜貝塚は日本全国でみても大きな貝塚で、1918年大正7年)に縄文時代の人骨が14体発見され、当時黎明期にあった日本の古人骨研究を活気付けた[12]。この時、またその後の調査でさらに多くの人骨を含むおびただしい遺物が発掘され、特に出土した縄文後期土器に基づく「宮戸島編年」はその後も縄文土器編年の指標の一つとなっている。東北歴史資料館の発掘調査を経て、1995年平成7年)に国の史跡に指定された。

第二次世界大戦中には震洋の基地が建設され、現在でも格納壕が残っている[13]

行政区画に関しては、1889年(明治22年)4月1日町村制施行時は桃生郡宮戸村に属していたが、1955年(昭和30年)5月3日市町村合併により同郡鳴瀬町となり、2005年(明治22年)4月1日より東松島市の市域となっている。

生活[編集]

  • 学校 - 島内に東松島市立宮戸小学校が存在したが、2016年(平成28年)4月1日に島外の宮野森小学校へ統合された。
  • 郵便局 - 宮戸郵便局がある。
  • 医療 - 島内に医院がある。
  • 通信- 電話は本土と同様に利用可能。宮城県で放送されている全てのテレビ・ラジオ放送局の電波が問題なく受信できる。
  • 民宿 - かつては100軒近くの民宿があったが、現在は10軒を下回っている。

交通[編集]

宮城県道27号奥松島松島公園線(奥松島パークライン)によって、本州との陸上交通が確立されている。宮城県道27号は宮戸島内では、月浜地区を経由して室浜地区に至っている[14]

現在、島には公共交通機関はなく、陸路ではJR仙石線野蒜駅からのタクシー、海路では松島港から観光船、あるいはプレジャーボートでアプローチする形になる。かつては仙北鉄道がバスを運行していたが、その後宮城交通となり、1997年平成9年)9月30日をもって廃止された。

松ヶ島橋の北詰(野蒜海岸側)の潜ヶ浦水道沿いに、嵯峨渓遊覧船の案内所、桟橋、客用の無料駐車場がある。

脚注[編集]

  1. ^ 潜ヶ浦地区位置図 (PDF) (宮城県石巻港湾事務所「潜ヶ浦地区海域環境対策コラボ事業懇談会資料」 2008年2月15日)
  2. ^ 環境脆弱性指標図(宮城-31) (PDF)海上保安庁海洋情報部)
  3. ^ a b c d e 野蒜海岸付近の砂移動と地形変化 (PDF) (宮城県石巻港湾事務所「潜ヶ浦地区海域環境対策コラボ事業懇談会」 2008年10月17日)
  4. ^ a b c d 潜ヶ浦コラボ通信 (PDF) (宮城県石巻港湾事務所「潜ヶ浦地区海域環境対策コラボ事業懇談会」作業部会 2008年12月1日)
  5. ^ 仙台領分図宮城県図書館古絵地図」。年代:1670年寛文10年)- 1678年延宝6年))
  6. ^ 仙台領国絵図(宮城県図書館「古絵地図」。年代:1701年元禄14年))
  7. ^ 御領分絵図(宮城県図書館「古絵地図」。年代不明)
  8. ^ 御領分絵図(宮城県図書館「古絵地図」。年代:1865年慶応元年))
  9. ^ 第012回国会 第14号 昭和26年11月27日(衆議院会議録情報)
  10. ^ 潜ヶ浦水道について「潜ヶ浦浚渫掘削事業と松島湾浅海漁場開発事業計画」 (PDF) (宮城県 1968年10月)
  11. ^ 宮城県の主な山岳標高国土交通省国土地理院
  12. ^ 『宮城県史』復刻版第1巻(古代・中世)、23-24頁。
  13. ^ 戦争の記憶 東松島に特攻兵器「震洋」の基地跡 格納壕10個 - 河北新報
  14. ^ 地理院地図|国土地理院”. maps.gsi.go.jp. 2020年2月22日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]