宮戸島

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宮戸島
20091011松島.jpg
松島丘陵東端周辺の空撮。写真中央にある宮戸島は、写真左から延びる七ヶ浜半島と共に松島湾の湾口を形成する。
所在地 日本
所在海域 太平洋仙台湾松島湾
座標 北緯38度20分7.1秒
東経141度9分14秒
面積 7.39 km²
海岸線長 約15 km
最高標高 105.6 m
最高峰 大高森
Project.svgプロジェクト 地形
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当島最高峰の大高森から松島湾内(当島西岸域)の眺望。松島四大観のひとつで「壮観」と呼ばれる
松ヶ島橋から東向きに撮った夕暮れ時の潜ヶ浦水道(2007年10月)。嵯峨渓遊覧船の桟橋付近は砂州であるため平坦だが、写真奥の嵯峨渓は急峻な地形を見せる。
嵯峨渓の高島。通称「めがね島」
嵯峨渓のかえる島

宮戸島(みやとじま)は、宮城県東松島市にある陸繋島で、仙台湾の支湾である松島湾石巻湾とを分ける位置にある。島としては、松島湾で最大の面積を持つ。人口は約1,200人。

日本三景松島の観光地区の1つ「奥松島」の主要部である。島の最高峰である大高森からの眺望は「壮観」と呼ばれ、「松島四大観」の1つである。また、島の東南の「嵯峨渓」は名岩・奇岩が多数連なり、「日本三大渓」の1つに数えられる。

地理[編集]

現在の当島は野蒜海岸地図)の南端にあり、同海岸を陸繋砂州とする陸繋島になっている。かつて同海岸とは潜ヶ浦水道(かつぎがうらすいどう。西端東端[1]をまたぐ松ヶ島橋(地図)によって結ばれ、宮城県道27号奥松島松島公園線が通っていたが、2011年に松ヶ島橋は津波で流失している。当島の西側にある浦戸諸島の寒風沢島(地図)とは、わずか80mの幅の鰐ヶ渕水道(地図)を挟んで向かい合っているが、浦戸諸島は旧宮城郡域となっている。

気候は温暖で、椿などの暖地性の植物と寒地性の植物が共存する珍しい場所でもある。島はほとんど山地で、平地は少なく、海岸線が入り組んでいる。

陸繋島[編集]

江戸時代までは、鳴瀬川河口付近より南側にある沖ノ明神岩(地図[2]不老山地図)、鷺ノ巣岩(さぎのすいわ、地図)、鰯山(いわしやま、地図)、当島などは全てであり、日本三景松島の松島海岸地区のような多島海の風景だった[3][4][5][6][7][8]。しかし、当海域の北東にある石巻湾の海岸付近では、の影響で旧北上川等から供給されるが東から西に海岸沿いを移動する傾向があり、さらに鳴瀬川の流出土砂も加わって、特に鳴瀬川河口から当島までの間に砂が堆積した[4]。これにより、不老山、鷺ノ巣岩、鰯山などは陸封され、それらより海側には野蒜海岸(洲崎浜)という広大な砂嘴砂浜が形成された[4](沖ノ明神岩は陸封されなかった)。

当島も明治時代までは潜ヶ浦(かつぎがうら)と呼ばれる海域により対岸と分かれていた[4]。土砂の堆積が進んで徐々に野蒜海岸が当島へ延びると、当島と同海岸との間に潜ヶ浦水道を開削するよう第12回国会衆議院運輸委員会に請願書を提出し、1951年昭和26年)11月27日に審議された[9]1963年昭和38年)から1965年昭和40年)度の3か年をかけ、潜ヶ浦水道の開削や同水道を渡る松ヶ島橋(45m)の架橋などを事業費約1億6千万をかけて行い、陸繋砂州の野蒜海岸と分離された[10]。また、二本松鼻(地図)と呼ばれる細長いが、潜ヶ浦水道の開削により宮戸島から切り離された[3]

大高森[編集]

島の最高峰は大高森標高106m[11]地図)と呼ばれ、この山頂からは仙台湾およびその内湾である松島湾と石巻湾、牡鹿半島蔵王連峰栗駒山を望むことができ、「松島四大観」の一つに数えられる。

嵯峨渓[編集]

島の東南端にある萱野崎に向かう岬は「嵯峨渓」と呼ばれている(地図)。女性的な松島湾の景観と対照的に男性的で荒々しい自然の造形美が見られる。岩手県の猊鼻渓、大分県の耶馬渓と並ぶ「日本三大渓」の1つである。遊歩百選にも選ばれている。

歴史[編集]

最終氷期には松島湾は全て陸地であり当島も地続きだったが、現在から8900年前には縄文海進により大仏山(地図)側の松島丘陵との間に海が侵入して松島湾が形成され始めた[3]。さらに8700年前には、当島と浦戸諸島などが1つの島として(当時の)松島湾内に浮かぶ形となった[3]。当初、丸山(地図)は当島と浦戸諸島などが一体となった島の一部であったが、6800年前には分離して大仏山側と陸続きなった[3]

当島には縄文時代から人が住んだ痕跡が残る。里浜貝塚は日本全国でみても大きな貝塚で、1918年大正7年)に縄文時代の人骨が14体発見され、当時黎明期にあった日本の古人骨研究を活気付けた[12]。この時、またその後の調査でさらに多くの人骨を含むおびただしい遺物が発掘され、特に出土した縄文後期土器に基づく「宮戸島編年」はその後も縄文土器編年の指標の一つとなっている。東北歴史資料館の発掘調査を経て、1995年平成7年)に国の史跡に指定された。

第二次世界大戦中には震洋の基地が建設され、現在でも格納壕が残っている[13]

交通[編集]

現在、島には公共交通機関はなく、陸路ではJR仙石線野蒜駅からのタクシー、海路では松島港から観光船、あるいはプレジャーボートでアプローチする形になる。かつては仙北鉄道がバスを運行していたが、その後宮城交通となり、1997年平成9年)9月末日をもって廃止された。

松ヶ島橋の北詰(野蒜海岸側)の潜ヶ浦水道沿いに、嵯峨渓遊覧船の案内所、桟橋、客用の無料駐車場がある。

生活[編集]

  • 学校 - 島内に宮戸小学校がある。
  • 郵便局 - 宮戸小学校のすぐそばに宮戸郵便局がある。
  • 医療 - 島内に宮戸クリニックという医院がある。
  • 電話 - 本土と同様に使える。
    • 携帯電話 - 島内すべての集落で使える。
  • 放送 - 宮城県で放送されている全てのテレビ・ラジオ放送局の電波が問題なく受信できる。
  • 民宿 - 100軒近くの民宿があり、島内にはホテルもある。

脚注[編集]

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  1. ^ 潜ヶ浦地区位置図 (PDF) (宮城県石巻港湾事務所「潜ヶ浦地区海域環境対策コラボ事業懇談会資料」 2008年2月15日)
  2. ^ 環境脆弱性指標図(宮城-31) (PDF)海上保安庁海洋情報部)
  3. ^ a b c d e 野蒜海岸付近の砂移動と地形変化 (PDF) (宮城県石巻港湾事務所「潜ヶ浦地区海域環境対策コラボ事業懇談会」 2008年10月17日)
  4. ^ a b c d 潜ヶ浦コラボ通信 (PDF) (宮城県石巻港湾事務所「潜ヶ浦地区海域環境対策コラボ事業懇談会」作業部会 2008年12月1日)
  5. ^ 仙台領分図宮城県図書館古絵地図」。年代:1670年寛文10年)- 1678年延宝6年))
  6. ^ 仙台領国絵図(宮城県図書館「古絵地図」。年代:1701年元禄14年))
  7. ^ 御領分絵図(宮城県図書館「古絵地図」。年代不明)
  8. ^ 御領分絵図(宮城県図書館「古絵地図」。年代:1865年慶応元年))
  9. ^ 第012回国会 第14号 昭和26年11月27日(衆議院会議録情報)
  10. ^ 潜ヶ浦水道について「潜ヶ浦浚渫掘削事業と松島湾浅海漁場開発事業計画」 (PDF) (宮城県 1968年10月)
  11. ^ 宮城県の主な山岳標高国土交通省国土地理院
  12. ^ 『宮城県史』復刻版第1巻(古代・中世)、23-24頁。
  13. ^ 戦争の記憶 東松島に特攻兵器「震洋」の基地跡 格納壕10個 - 河北新報

関連項目[編集]

外部リンク[編集]