東松島市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
ひがしまつしまし
東松島市
大高森(奥松島)
Flag of Higashimatsushima, Miyagi.svg
Symbols of Higashimatsushima Miyagi.JPG
東松島市旗
2005年7月28日制定
東松島市章
2005年7月28日制定[1]
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
団体コード 04214-5
法人番号 1000020042145
面積 101.36km2
総人口 39,460
推計人口、2018年4月1日)
人口密度 389人/km2
隣接自治体 石巻市遠田郡美里町宮城郡松島町
市の木
市の花 さくら
東松島市役所
市長 渥美巌
所在地 981-0503
宮城県東松島市矢本字上河戸36-1
北緯38度25分34.5秒東経141度12分37.5秒
Higashimatsushima city hall.JPG
外部リンク 東松島市

東松島市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

 表示 ウィキプロジェクト
奥松島縄文村歴史資料館から見た大高森

東松島市(ひがしまつしまし)は、宮城県中部、仙台湾沿岸に位置する

概要[編集]

宮城県の中部に位置し、周りを石巻市、美里町、松島町に境を接する。また、南側は太平洋石巻湾)に面している。野蒜は鳴瀬川の河口にあたり、北上運河、東名運河も通じる。

沿革[編集]

行政[編集]

市長[編集]

  • 市長:渥美巌(あつみいわお、2017年4月29日就任、1期目)
氏名 就任年月日 退任年月日
初-3代 阿部秀保 2005年4月29日 2017年4月28日
4代 渥美巌 2017年4月29日 現職

経済[編集]

松島基地

郵便局[編集]

  • 矢本郵便局(集配局)
  • 鳴瀬郵便局(集配局)
  • 野蒜郵便局
  • 宮戸郵便局
  • 大塩郵便局
  • 宮城赤井郵便局

姉妹都市・提携都市[編集]

日本国内[編集]

提携都市

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

人口[編集]

Demography04214.svg
東松島市と全国の年齢別人口分布(2005年) 東松島市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 東松島市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
東松島市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 32,192人
1975年 33,901人
1980年 36,865人
1985年 39,280人
1990年 40,424人
1995年 42,778人
2000年 43,180人
2005年 43,235人
2010年 42,903人
2015年 39,503人
総務省統計局 国勢調査より

交通[編集]

鉄道[編集]

  • 中心となる駅:矢本駅

バス[編集]

道路[編集]

高速道路[編集]

一般国道[編集]

県道[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

史跡・名勝[編集]

レジャー[編集]

祭り・イベント[編集]

伝統芸能[編集]

出身著名人[編集]

東日本大震災[編集]

被害状況[編集]

  • 死者1,109人(2014年 1月時点)、行方不明者 25人 家屋被害・・半壊以上が11,000棟を超える(全世帯の73.4%)。また、浸水域は市街地の約65%に達した[4]
  • 電気:全体的な復旧まで約2週間、宮戸地区は津波被害が甚大のため復旧まで約3か月。

※2011年(平成23年)3月11日時点の電気供給契約数 22,574件。

  • 上水道:2週間以上かけて徐々に復旧。宮戸地区は3か月以上。

※2011年(平成23年)3月11日時点の上水道供給契約数 15,012件。

  • JR仙石線:矢本駅~松島海岸駅間が不通状態のため、バスによる代替輸送を開始するととにもに、野蒜北部丘陵地区へ鉄

 道路線の変更を決定。2011年(平成23年)7月16日、石巻駅~矢本駅間がディーゼル列車により再開。 

  • 固定電話:2週間程度を復旧に要した。
  • 携帯電話:7日程度復旧に要した。[5]
  • 津波は野蒜海岸にて観測、浸水高 10.35m[6]
  • 野蒜地区は、東側の仙台湾(石巻湾)から押し寄せた津波が内陸2キロ弱を横断し、西側の松島湾に流れ込んだ。野蒜小学校の体育館で13人が、特別養護老人ホーム「不老園」の入所者56人が亡くなるなど、野蒜地区や大曲地区が壊滅的被害を受け、約1,100人が犠牲となった。航空自衛隊松島基地も冠水し、多くの航空機が破損した。
  • その一方、野蒜地区では民間人の佐藤善文が自宅裏の岩山に10年かけて避難階段と避難小屋を作っていた。近所の住民は「津波なんてここまで来るわけがない」と佐藤を変わり者扱いし、この避難所を「佐藤山」と呼んでいたが、結果的に約70人が津波被害を免れた[7][8][9]

当時の状況[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈

出典

参考文献

関連項目[編集]

外部リンク[編集]