塩竈市

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しおがまし ウィキデータを編集
塩竈市
Hōō Maru for the Shiogama Minato Festival.jpg
塩竈みなと祭に使われる鳳凰丸
Flag of Shiogama, Miyagi.svg Symbol of Shiogama, Miyagi.svg
塩竈市旗 塩竈市章
1942年4月1日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
市町村コード 04203-0
法人番号 9000020042030 ウィキデータを編集
面積 17.37km2
総人口 51,710[編集]
推計人口、2021年10月1日)
人口密度 2,977人/km2
隣接自治体 多賀城市宮城郡利府町七ヶ浜町
市の木 シオガマザクラ
市の花 シラギク
塩竈市役所
市長 佐藤光樹
所在地 985-8501
宮城県塩竈市旭町1番1号
北緯38度18分51.7秒 東経141度1分19.1秒 / 北緯38.314361度 東経141.021972度 / 38.314361; 141.021972
Shiogama city hall Government building.JPG
外部リンク 公式ウェブサイト

塩竈市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

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塩竈市(しおがまし)は、宮城県のほぼ中央に位置するである。太平洋仙台湾に面し、塩釜港を中心とする港町および志波彦神社・鹽竈神社鳥居前町としての性格がある。

市名の表記[編集]

「しおがま」という地名は「塩竈」「塩釜」「鹽竈」「鹽釜」と様々に表記されてきた[1]。市は1941年の市制施行より表記を「塩竈」に統一しているが、「竈」に代えて「釜」を用いた「塩釜」の使用も認められている[1][2]。市が作成する公文書では「塩竈」の表記が専ら用いられ、市民が「塩釜」と表記した場合などは「塩竈」と解釈したうえで受理している[1]。組織や団体の名称にも「塩竈」と「塩釜」の表記が混在しており、市はどの表記を用いるかを各団体に一任している[2]。市内の施設では塩釜駅塩釜郵便局宮城県塩釜高等学校などに「塩釜」の表記が見られ[2][3]、県や国の機関もほとんどが「塩釜」の表記を使用している[1]

ただ、「」と「」は新字体と旧字体の関係であるため字義が同じである一方、「」はナベカマの「かま」を意味し、「」は釜を乗せる「かまど」を意味するため、この両者は字義が異なる[3][4]。市名が鹽竈神社の社号に由来することから、市は「竈」を使い、「鹽」を常用漢字の字体に置き換えた「塩竈」を市名の表記に採用した[4]。画数が多く複雑な「竈」の字は、市の公式サイトでも筆順つきで紹介されている[1][3]

地理[編集]

1984年(昭和59年)撮影の塩竈市中心部周辺の空中写真。画像下部は塩竈市の南隣の多賀城市である。1984年撮影の18枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

宮城県のほぼ中央、仙台市松島の中間に位置し、仙塩地区の中心の1つとなっている。松島湾と松島丘陵に囲まれており、平地のほとんどは埋立地である。市街地は、埋立地が6割、丘陵地が4割という比率である[5]

人口[編集]

平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、4.08パーセント減の54,187人であり、増減率は県下35市町村中17位。40行政区域中22位。世帯数は21,658世帯(2005年2月28日)。

Population distribution of Shiogama, Miyagi, Japan.svg
塩竈市と全国の年齢別人口分布(2005年) 塩竈市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 塩竈市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

塩竈市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


歴史[編集]

鹽竈神社の拝殿。

陸奥国国府が現在の仙台市太白区郡山遺跡)から多賀城市に遷った頃、陸奥国府の外港として、今の塩竈市内には国府津(こうづ)がおかれた。これは今の香津地区にあたると言われる。香津は内陸にあるが、古代には入り江が二つ、深く入り込み、南側の入り江に国府津があった。北側の入り江の北側に、海に面して鹽竈神社(しおがまじんじゃ)があった。港町と鹽竈神社は海を隔てて少々距離があったことになる。陸奥国府が多賀国府(たがのこう)として七北田川沿いの岩切に移転すると、河口港の湊浜が国府最寄りとなり、塩竈の外港としての意義は薄れたが、以後は鹽竈神社と港湾を中心にして、中世にも町として続いた。町の名は神社からとられて塩竈となった。

戦国時代(室町時代後期)には塩竈は留守氏の勢力圏にあり、留守氏が鹽竈神社の神人組織を自らの家臣団にした。伊達氏から留守氏へ養子に入った留守政景の代になって、留守氏は実質的に伊達氏の領国の中に取り込まれた。天正18年(1590年)に伊達政宗が豊臣秀吉に服属したとき、留守氏も政宗を通じて間接的に服したはずだったが、秀吉は政景を自分に帰参しない独立大名とみなして取り潰した。政宗が政景に磐井郡黄海に2万石を割いて家臣にしたとき、留守氏の家臣はこれに従って移り住んだ。

慶長5年(1600年12月24日1601年1月28日)に政宗が仙台城の築城を開始して、後まで続く仙台藩領の形が定まった。これ以降1871年廃藩置県まで、現在の塩竈市域を含む宮城郡は仙台藩の一部となった。 江戸時代、歴代の仙台藩主は鹽竈神社を厚く保護した。そのため、鹽竈神社は大いに栄えた。 また、塩竈は仙台市の外港として発展した。しかし、塩竈から仙台まで舟入堀と舟曳堀が引かれて物資が塩釜を素通りするようになると、衰微しかけた。鹽竈神社を尊崇した伊達綱村は事態を憂えて、1685年に塩竈から課役を免除し、米以外の産物に塩竈への着岸を義務付けた。これによって町は活気を取り戻した。

明治時代のはじめに塩竈は人口約3500人を数えた。1887年明治20年)に、今の東北本線の前身にあたる日本鉄道は、埠頭と直結する塩竈駅(現在の塩釜駅とは別)まで線路を敷いた。このことで、宮城県、あるいは東北地方における陸海の物流の結節点となり、流通業が大きく発展した。そして、のちにカメイやまやなどの宮城県を代表する企業が生まれた。1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い宮城郡塩竈町が発足した。

1910年(明治43年)に塩釜港は第二種港湾に指定され、港湾設備の整備が進んでいった。それまで気仙沼宮古釜石といった三陸沿岸諸都市との間に就航していた定期船に加えて、1928年(昭和3年)には函館釧路といった北海道航路の定期船も就航した[6]

1938年昭和13年)9月1日多賀城村七ヶ浜村の一部を編入した。太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)11月23日市制施行し、塩竈は日本国内で187番目、宮城県内で3番目の市となった。市では記念事業として東京日日新聞(現在の毎日新聞東京本社)仙台支局と合同で市章と『塩竈市民歌』の歌詞を募集しており[7]、市章は戦中の1942年(昭和17年)4月1日に制定された[8]

終戦後の1948年(昭和23年)海上保安庁の発足と共に、塩釜港に面して第二管区海上保安本部が設置された。商業港だった塩釜港は工業港と漁港の機能もあわせて整備されていくことになる[6]

1960年(昭和35年)のチリ地震に伴う津波による被害の様子。

1949年(昭和24年)12月1日に多賀城村牛生地区を、1950年(昭和25年)4月1日に浦戸村を編入した。1960年(昭和35年)チリ地震で生じた津波は約1日かけて日本に到達し三陸沿岸を中心に被害をもたらした。塩竈では波で持ち上げられた船が街中に打ち上げられるなどした。

1962年(昭和37年)に制定された新産業都市建設促進法に基いて、1964年(昭和39年)3月3日に本市を含む仙台湾地区が新産業都市に指定された。すると、同法23条に基いて塩竈市や仙台市を含む8市町村で「仙塩合併」議論がなされたが、不調に終わった。

1996年平成8年)1月24日に宮城郡利府町と境界を変更した。

2011年(平成23年)3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生し、これに伴う津波で沿岸部が浸水した。

行政[編集]

歴代町長
氏名 就任 退任 備考
1 菊地雄治 1890年(明治23年)7月 1901年(明治34年)
2 水間豊稲 1901年(明治34年)10月21日 1911年(明治44年)5月14日
3 根本四郎平 1911年(明治44年)6月24日 1918年(大正7年)2月12日
4 菊池忠吉 1918年(大正7年)3月22日 1922年(大正11年)10月8日
5 佐藤静治 1923年(大正12年)7月21日 1925年(大正14年)6月16日
6 今村治三郎 1925年(大正14年)11月21日 1936年(昭和11年)2月7日
7 佐浦重治郎 1936年(昭和11年)8月1日 1940年(昭和15年)7月31日
8 今村治三郎 1940年(昭和15年)8月1日 1941年(昭和16年)1月6日 再任
9 東海林祐五郎 1941年(昭和16年)5月19日 1941年(昭和16年)11月22日
歴代市長
氏名 就任 退任 備考
1 守屋栄夫 1942年(昭和17年)3月3日 1946年(昭和21年)5月1日
2 桜井辰治 1946年(昭和21年)6月18日 1967年(昭和42年)4月30日
3 川瀬基治郎 1967年(昭和42年)5月1日 1983年(昭和58年)4月30日
4 内海勇三 1983年(昭和58年)5月1日 1991年(平成3年)4月30日
5 三升正直 1991年(平成3年)5月1日 2003年(平成15年)4月30日
6 佐藤昭 2003年(平成15年)5月1日 2019年(令和元年)9月10日
7 佐藤光樹 2019年(令和元年)9月11日 現職

姉妹都市・提携都市[編集]

塩竈市は全国門前町サミットに参加している。全国門前町サミットは全国の神社仏閣を中心に発展してきた門前町・鳥居前町を有する自治体、観光協会、商業関係者などが集まり地域活性、街作り推進のため開催する会議である。

不祥事[編集]

2014年11月、塩竈市役所が複数の生活保護受給者に対し子どもの養育先を指示したり、家庭環境を無視した指示をするなど不適切な対応を行ったことに対して宮城県より改善指導が為された[9]

経済[編集]

水産業が盛んで、生マグロの水揚げ、蒲鉾など魚肉練り製品の生産は日本一である。また、1平方キロメートルあたりの寿司屋店舗数、人口あたりの寿司屋店舗数も日本一多い[10]

経済状況は厳しく、市のアーケード街ではシャッターを閉めて閉鎖した店舗が目立つ(シャッター商店街)。観光による経済発展の為に設けられた旅客船ターミナル「マリンゲート塩釜」も、テナントが次々と撤退し赤字経営が続いている。狭い可住地に密集して人が住んでいるため、ロードサイド店出店に適した土地がない。そのため、減反政策で土地に余裕があった利府町多賀城市にロードサイド店が多く進出するようになり、仙塩地区の商業の中心としての地位が奪われ、塩竈市中心部のみならず郊外部の商業も低迷している。一方、2007年(平成19年)には本塩釜駅周辺の環境が一斉に整備され、同年5月、旧国鉄貨物ヤード跡地に「マックスバリュ」を核としたイオンタウン塩釜ショッピングセンターがオープンした(同年2月に閉店したジャスコ塩釜店の事実上の後継店。)。また、食品スーパーのヤマザワ2010年(平成22年)4月3日に中の島地区に出店している。

公共機関[編集]

国の出先機関[編集]

  • 法務省仙台法務局塩竈支局
  • 財務省横浜税関仙台塩釜税関支署塩釜事務所
  • 国税庁仙台国税局塩釜税務署
  • 厚生労働省宮城労働局塩釜公共職業安定所
  • 厚生労働省仙台検疫所
  • 農林水産省横浜植物防疫所塩釜支所
  • 海上保安庁 - 第二管区海上保安本部宮城海上保安部、第二管区情報通信管理センター

医療[編集]

救急指定病院

郵便[編集]

  • 塩釜新浜町郵便局
  • 塩釜駅前郵便局[注釈 1]
  • 塩釜北浜町郵便局
  • 塩釜藤倉郵便局
  • 塩釜花立郵便局
  • 塩釜佐浦町郵便局
  • 塩釜東玉川郵便局[注釈 1]
  • 塩釜西町郵便局
  • 塩釜長沢郵便局

メディア[編集]

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

東北本線の塩釜駅。
仙石線の本塩釜駅。

JTB時刻表では当市の中心駅は塩釜駅となっているが、旧来の市街地、市役所の最寄り駅は本塩釜駅である。1997年(平成9年)までは、塩釜線塩釜港駅もあった。塩釜線は1956年に旅客扱いを廃止して貨物線となった。なお、下馬駅については、ホームが多賀城市と塩竈市に跨っているが、所在地は多賀城市となっている。

バス[編集]

フェリー・汽船[編集]

マリンゲート塩釜の桟橋。

道路[編集]

一般国道[編集]

県道[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

松島湾に浮かぶ浦戸諸島。
鹽竈神社
塩釜まちかど博物館

観光[編集]

祭り[編集]

塩竈みなと祭で使われる御座船の鳳凰丸。
  • 鹽竈神社帆手まつり
  • 塩釜市民まつり
  • 塩竈みなと祭(日本三大船祭りの一つとされている)

名産[編集]

スポーツチーム[編集]

著名な出身者[編集]

ゆかりの人物[編集]

電話番号[編集]

塩竈市で利用されている市内局番は次のとおり。

  • 塩釜収容局…361-1,3~9、362~367、762
  • 浦戸収容局…361-2、369-2
  • ひかり電話…仙台市と同一

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ a b 塩釜駅前郵便局の所在地は仙石線本塩釜駅北口近辺であり、東北本線塩釜駅前ではない。また、塩釜駅前(東口近辺)にある郵便局は、塩釜東玉川郵便局である。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 「竈」の字について”. 塩竈市. 2020年9月4日閲覧。
  2. ^ a b c 薬師知美 (2010年12月17日). “「釜」か「竈」か~北へ西へ~ 塩釜編後編”. 朝日新聞デジタル(ことばマガジン). 朝日新聞社. pp. 1-3. 2020年1月7日閲覧。
  3. ^ a b c 薬師知美 (2010年12月3日). “「釜」か「竈」か~北へ西へ~ 塩釜編前編”. 朝日新聞デジタル(ことばマガジン). 朝日新聞社. pp. 1-4. 2020年1月7日閲覧。
  4. ^ a b 市名の表記を見直すことについて(平成29年度)”. 塩竈市 (2017年5月26日). 2020年1月7日閲覧。
  5. ^ 地形・地質(塩竈市)
  6. ^ a b 『宮城縣史』復刻版5(地誌交通史)628-632頁。
  7. ^ 井上充昌 (2020年7月22日). “宮城)朝ドラのモデルが作曲した塩釜市民歌 「復活」へ”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). https://www.asahi.com/articles/ASN7P6TD1N7FUNHB01F.html 2020年7月30日閲覧。 
  8. ^ 図典 日本の市町村章 p36。
  9. ^ 【共同通信】2015年2月14日付「生活保護受給者に不適切対応 宮城・塩釜」
  10. ^ 塩竈市/くらしのガイド/「塩竈」は、どんなまち?
  11. ^ ようこそ、癒しの島へ。浦戸諸島 塩竈市営汽船”. 塩竈市. 2018年1月8日閲覧。
  12. ^ 日経エンタテインメント! アニメSpecial 声優バイブル2016』日経BP、2015年、55頁。ISBN 978-4-8222-7251-7
  13. ^ 山 寺 宏 一 × 佐 藤 昭”. 塩竈市. 2020年11月3日閲覧。

参考文献[編集]

  • 宮城縣史編纂委員会 『宮城縣史』復刻版5(地誌交通史) 宮城県、1987年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]