下川町

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しもかわちょう
下川町
日本の旗 日本
地方 北海道地方
都道府県 北海道 上川総合振興局
上川郡 (天塩国)
団体コード 01468-1
面積 644.20 km²
総人口 3,521
住民基本台帳人口、2013年12月31日)
人口密度 5.47人/km²
隣接自治体 上川総合振興局
名寄市士別市
オホーツク総合振興局
紋別郡滝上町西興部村雄武町
町の木 トドマツ
町の花 エゾリンドウ
下川町役場
町長 安斎保
所在地 098-1206
北海道上川郡下川町幸町63番地
外部リンク 下川町

日本地域区画地図補助 01450.svg

下川町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

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下川町(しもかわちょう)は、北海道上川地方の天塩国上川郡にある町である。

概説[編集]

地名はアイヌ語で町内を流れる名寄川支流の下川パンケ川の沿岸を「パンケ・ヌカナン」(川下の・ヌカナン川)と称したことに由来する。かつては農林業および鉱業(三菱系銅山、三井系金山)で繁栄し、ピーク時の1960年昭和35年)には人口が15,555人に達したが、産業構造の変化とともに人口は減少傾向にあり、現在の人口はピーク時の4分の1を下回っている。

スキージャンプが有名で、郊外にはミディアムヒル(K点65m)、スモールヒル(K点40m、26m)、ミニヒル(K点8m)と4つのジャンプ台がある。出身者や北海道下川商業高等学校の卒業生からは、スキージャンプやノルディック複合競技において、ワールドカップ大会オリンピックの日本代表選手が選抜されている。

キャッチフレーズ[編集]

おいでよ 森林(もり)と人が輝く町 しもかわ

地理[編集]

北海道北部を流れる天塩川の支流名寄川の上流部にあり、名寄盆地の東縁に位置し、北見山地の斜面が大部分を占める。

  • 山:ピヤシリ山(989m)、札滑岳(993m)、ウエンシリ岳(1142m)、幾山岳(1030m)、柵留山(852m)、砥割山(798m)、糸魚岳(アイヌ語名イトイヌプリ、914m)、奴可難山(777m)、三角山(346m)、矢文山(アイヌ語名シプンオトチシ、422m)、前田山(560m)、札天山(596m)、蕗の山(718m)、班毛山(722m)
  • 河川:天塩川支流名寄川、名寄川支流下川パンケ川(20.5km)、サンル川(33.2km)、下川ペンケ川(16.0km)、モサンル川(14.0km)、シカリベツ川(14.5km)

隣接している自治体[編集]

歴史[編集]

町名は、アイヌ語の「パンケ・ヌカナン」(川下の・ヌカナン川)に由来する。町内に存在するもっとも古い遺跡は最終氷期の終期ごろのものと推定されている。

  • 1859年安政4年)- 松浦武四郎が箱舘奉行に命ぜられ天塩川流域を踏査し、名寄川およびサンル川まで至り、のちに天塩日誌を著す。
  • 1872年明治5年) - 開拓使宗谷支庁中主典の佐藤正克が名寄川を拠点に翌年まで越冬調査を行い、のちに闢幽日記を著す。
  • 1888年(明治21年) - 名寄川沿原野(名寄原野)に殖民区画が設定される。
  • 1897年(明治30年)6月 - 増毛支庁管内の天塩国上川郡に剣淵、士別、多寄、上名寄の各村が置村され、天塩国上川郡戸長役場管轄となる。現在の下川町の範囲は上名寄村に属す。
  • 1899年(明治32年)5月1日 - 天塩国上川郡を上川支庁に編入し、剣淵村他3ヶ村(士別、多寄、上名寄)戸長役場を設置する。
  • 1901年(明治34年) - 岐阜県郡上郡高鷲村および北濃村(いずれも現郡上市)から25戸の開拓団が名寄原野16線 - 19線に集団移住する(開拓元年)
  • 1902年(明治35年)4月1日 - 剣淵村他3ヶ村戸長役場より分離し、上名寄村他2ヶ村(多寄、下名寄)戸長役場を設置する。
  • 1903年(明治36年) - 水稲が試作される。パンケヌカナン駅逓、シカリベツ駅逓が開設される。
  • 1904年(明治37年)6月15日 - 上名寄簡易教育所(のちの上名寄小学校、2002年休校、2003年廃校)が設置される。
  • 1905年(明治38年)2月26日 - パンケヌカナン駅逓を下川駅逓に、シカリベツ駅逓を一の橋駅逓にそれぞれ改称する。(下川の最初の呼称)
  • 1906年(明治39年)12月25日 - 下川簡易教育所(のちの下川小学校)が設置される。
  • 1907年(明治40年)4月 - 下名寄他1ヶ村(中川)戸長役場を割き、上名寄他1ヶ村(多寄)戸長役場を設置する。
  • 1909年(明治42年)4月1日 - 多寄村が離れ、二級町村制が施行され上名寄村となる。
  • 1915年大正4年)11月1日 - 一級町村制が施行され、上名寄村が名寄町となる。
  • 1919年(大正8年)10月20日 - 名寄線として名寄 - 下川間の鉄道が開通する。
  • 1920年(大正9年)10月25日 - 名寄線下川 - 上興部間の鉄道が開通し、町内を全通する。
  • 1924年(大正13年)1月1日 - 名寄町から名寄原野11線以東が分村し、二級町村制が施行され上川郡下川村となる。
  • 1926年(大正15年)12月 - 珊瑠鉱山三井鉱山株式会社による操業を開始する。
  • 1941年昭和16年) - 下川鉱山三菱鉱業株式会社による操業を開始する。
  • 1947年(昭和22年)5月12日 - 下川中学校が開校する。
  • 1948年(昭和23年)11月30日 - 名寄農業高等学校下川分校(のちの北海道下川商業高等学校)が開校する。
  • 1949年(昭和24年)12月1日 - 町制施行、下川町となる。
  • 1956年(昭和31年)5月7日 - 一の橋市街大火が発生する。
  • 1957年(昭和32年)5月9日 - 下川市街大火が発生する。
  • 1983年(昭和58年)3月 - 下川鉱山が休山する。
  • 1986年(昭和61年)4月 - 珊瑠鉱山が休山する。
  • 1989年平成元年)5月1日 - 名寄本線が廃止され、名士バス等による代替路線となる。
  • 2000年(平成12年)10月1日 - 開拓100年記念式典が挙行される。
  • 2006年(平成18年)10月8日 - 下川小学校開校100周年記念式典が挙行される。

行政[編集]

特別豪雪地帯過疎地域振興山村山間農業地域に指定されている。2008年(平成20年)には環境モデル都市に、2011年(平成23年)には環境未来都市に選定された。

歴代首長[編集]

下川村[編集]

  • 初代 三浦留五郎(以降九代村長まで官選、1924年1月 - 1929年6月
  • 二代 千田貞二(1929年6月 - 1930年9月
  • 三代 倉本壬生造(1930年9月 - 1932年2月
  • 四代 寺田秀一(1932年2月 - 1932年7月
  • 五代 中江庄三郎(1932年7月 - 1933年4月
  • 六代 佐藤敬之助(1933年4月 - 1934年9月)
  • 七代 木造右衛(1934年9月 - 1938年8月
  • 八代 森岡幸作(1938年8月 - 1944年5月
  • 九代 宮地誠次(1944年5月 - 1946年11月
  • 職務代行者 新岡剛(1946年11月 - 1947年4月)
  • 十代 末武次郎吉(以降公選、1947年4月 - 1949年11月)

下川町[編集]

  • 初代 末武次郎吉(1949年12月 - 1951年4月)
  • 二 - 四代 宮地誠次(1951年4月 - 1963年4月)
  • 五代 村上貞次郎(1963年4月 - 1967年7月)
  • 六 - 九代 川原満(1967年4月 - 1983年4月)
  • 十 - 十三代 原田四郎(1983年4月 - 1999年4月)
  • 十四代 - 安斎保(1999年4月 - 現在4期目)

経済[編集]

産業[編集]

農業[編集]

酪農業が盛んである。稲作の北限地帯に近く、かつての水田は減反政策により大部分が転作された。主な農産物は、地元で加工されるジュース用や高糖度栽培のトマト絹さやえんどう等の野菜、小麦ソバもち米などである。

林業[編集]

町の面積の約9割を森林が占め、その8割以上を国有林が占める。木材の搬送は、開拓当初は流送に頼ったが、鉄道の開通で輸送効率が改善され、関東大震災の復興材需要の急増で繁栄した。その後、1954年(昭和29年)の洞爺丸台風では約280万石の風倒木被害が発生し、その処理による特需があったが、森林資源の減少、輸入材の台頭などで徐々に衰退している。一方、町では1953年(昭和28年)より本格的な町有林経営を開始し、2003年(平成15年)には4,300haを超える町有林を有し、法正林思想に基づき年間50ha程度ずつを伐採・栽植する「循環型林業経営」に取り組んでいる。また、町内の民有林や国有林を含めて森林認証を取得し、森林の適正管理を推進している。

鉱業[編集]

を産出した珊瑠鉱山と、亜鉛を産出した下川鉱山は、いずれも現在は休山し事実上廃鉱となっている。これらの他にマンガン、砂チタン亜炭等の鉱床が確認されている。

工業[編集]

商業[編集]

  • 主に国道沿いや旧駅前通沿いに商店が立ち並ぶ。
    • 商工会に加盟している商店等で組織するアイキャンスタンプ会では、売上100円につき1枚の割合でスタンプを発行し、350枚たまると加盟店で500円の商品券として使うことができる。

農協[編集]

金融機関[編集]

郵便局[編集]

  • 下川郵便局(集配局)
  • 一ノ橋郵便局
  • 上名寄郵便局

宅配便[編集]

公共機関[編集]

警察[編集]

消防[編集]

  • 上川北部消防事務組合下川消防署

姉妹都市・提携都市[編集]

国内[編集]

海外[編集]

公共施設[編集]

[編集]

[編集]

下川町スキー場に隣接するジャンプ台 幾多の名選手を輩出した
  • 公民館 - 図書室を併設
  • 町民会館
  • 桜ヶ丘公園
    • 万里長城
    • 土間運動場「桜ヶ丘アリーナ」
    • 山村広場
    • 野球場
    • ふるさと交流館 - 毛綱毅曠設計
    • 万里長城パークゴルフ
    • センターハウス「ガーデニング・フォレスト フレペ」
  • 総合福祉センター「ハピネス」
  • 町民スポーツセンター(第1ホール、第2ホール、柔道場、弓道場)
  • B&G海洋センター(プール)
  • 町民総合グランド
  • スキー場(ロッジ、シャンツェ、スキーハウス)
  • 多目的宿泊交流施設「アイキャンハウス」
  • 幼児センター「こどものもり」
  • バスターミナル合同センター - 旧下川駅跡地
  • 地域間交流施設「森のなか ヨックル」
  • 下川町環境共生型モデル住宅「エコハウス美桑」
  • 下川町共生型住まいの場「ぬく森」
  • 農村活性化センター「おうる」 - 旧上名寄小学校
  • 郷土資料展示保存施設「札天山収蔵館」 - 旧一の橋小学校
  • 下川営林署旧庁舎「恵林館」

医療施設[編集]

地域[編集]

人口[編集]

Demography01468.svg
下川町と全国の年齢別人口分布(2005年) 下川町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 下川町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
下川町(に該当する地域)の人口の推移
1970年 11,568人
1975年 9,275人
1980年 7,173人
1985年 5,730人
1990年 5,065人
1995年 4,747人
2000年 4,413人
2005年 4,146人
2010年 3,775人
総務省統計局 国勢調査より

教育[編集]

小学校から高校まで一貫してスキージャンプを教えることができる環境が整っており、有名スキージャンパーも輩出している。

交通[編集]

交通アクセス[編集]

札幌駅から函館本線で旭川方面へ、旭川駅から宗谷本線で名寄・稚内方面へ、名寄駅下車、駅前からバス乗り場(2)で下川・興部方面行きのバスに乗車。

空港[編集]

鉄道[編集]

町内を通っていたJR北海道名寄本線は、1989年(平成元年)5月1日に廃止となった。現在の最寄りの宗谷本線名寄駅である。

バス[編集]

  • 名士バス
    • 興部線(名寄本線代替バス):(名寄)市立病院前 - 名寄駅前 - 南丘団地前 - 下川バスターミナル - 西興部 - 興部
    • 下川線:市立病院前 - 名寄駅前 - 東病院前 - 下川バスターミナル
  • 下川町営バス

道路[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

文化財[編集]

  • 毘沙門天立像 - 下川町指定有形文化財第1号(1959年指定)、大福寺。平安初期の作とされ、1956年(昭和31年)に岡山県倉敷市勝福寺より勧請する。2012年8月大福寺廃寺により指定解除。
  • 上名寄郷土芸能 - 下川町指定無形文化財第1号(1964年指定)、上名寄郷土芸能保存会。麦や節、郡上節、小大尽を保存する。
  • はるにれ - 下川町指定天然記念物第1号(1964年指定)、下川小学校校庭。北海道100年記念名木、北海道自然保護条例に基づく下川小学校開校記念保護樹木に指定される(1974年3月30日指定)。
  • 下川鳴る石 - 下川町指定天然記念物第2号(1982年指定)。中新世の火山噴出物で、振ると球体の空洞内に晶出する石英がサラサラと鳴る。

名所[編集]

祭事[編集]

催事[編集]

  • 万里長城クロスカントリー大会(5月) - 1989年(平成元年)より開催
  • 名寄下川間往復駅伝競走(6月) - 1973年(昭和48年)より開催
  • 全道ノルディックスキー競技大会(12月)- 1985年(昭和60年)より開催

温泉[編集]

出身有名人[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 下川町『下川町史』1968年。
  • 下川町『下川町史(第2巻)』1980年。
  • 下川町『下川町史(第3巻)』1991年。
  • 下川町『下川町史(第4巻)』2002年。
  • 下川町『下川町の地質および環境地質』1975年。
  • 下川町教育委員会『下川町の文化財(第2集)』1987年。
  • 佐藤正克『闢幽日記』日本庶民生活史料集成(4)、1969年。

外部リンク[編集]