下川駅

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下川駅
駅舎(1989年3月)
しもかわ
Shimokawa
岐阜橋 (2.7 km)
(4.9 km) 二ノ橋
所在地 北海道上川郡下川町共栄町
北緯44度18分2秒 東経142度38分19.6秒 / 北緯44.30056度 東経142.638778度 / 44.30056; 142.638778
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 16.5 km(名寄起点)
電報略号 モハ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1919年大正8年)10月20日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
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1977年の下川駅と貨物ホーム。周囲約500m×750m範囲。右が紋別方面。左側に下川駅の本構があり、少し離れた右に戦後に設置された大きな貨物ホームと側線がある。周囲はかなり広いストックヤードとなっていて、パルプ材が野積みされているが、既に疎らである。北側の営林署のストックヤードは既に草生して一部が宅地になっているが、かつては珊瑠森林鉄道が引き込まれていて、町と名寄川を挟んだ対岸の支流サンル川上流から木材を搬入していた[2]。この軌盤跡は、上中央より少し右寄りから本線に対して直角に向かって入る道路として残っている。ヤード右側の水色の家屋は当時の機関車庫の一部。最盛期の頃はこれらのヤードが満杯になった事もあった[2]
また、写真下端に道道354号が本線と並行して走っているが、1951年昭和26年)に廃止されるまで、下川鉱山軌道(中名寄森林鉄道ペンケ線)がこの道沿いを右へ向かい、下川ペンケ川上流の鉱山まで引かれていた[3]。この軌道はまた、下中央から少し右寄りに見える青い屋根の民家の庭先で90°上に曲がり、貨物ホームの左側でまた90°左へ曲がって本線と並行して下川駅構内へ向かっていた[2]。軌盤跡がこれらの曲がり箇所に残っているのが見える。また中名寄森林鉄道パンケ線は、この民家からペンケ線とは逆方向へ向かって曲がり、町営住宅や左下に見える建設中の中学校の敷地を通って桑の沢川の上流へ向かっていた[4]国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

下川駅(しもかわえき)は、北海道上川支庁上川郡下川町共栄町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線廃駅)である。事務管理コードは▲122105[5]

歴史[編集]

1986年(昭和61年)まで運行されていた急行「紋別」の停車駅であった。

駅名の由来[編集]

当駅の所在する地名(町名)より。

駅構造[編集]

廃止時点で、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡していた[6]。線路北側の駅舎側ホームが下り線、対向側ホームが上り線となっていた。そのほか1983年(昭和58年)時点では、下り線遠軽方から駅舎側に分岐し駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を2線、また上り線から分岐し対向側ホームの外側(乗降不可)への貨物側線を2線、また副本線の遠軽方から分岐した側線を2線有していた[6]

職員配置駅で、駅舎は構内の北側(遠軽方面に向かって左側)に位置し下り線ホーム中央部分に接していた[6]

利用状況[編集]

  • 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は332人[6]

駅周辺[編集]

下川町バスターミナル合同センター[編集]

名寄本線廃止に伴うバス利用者等の利便を図り、交通資料の保存展示、町民の生活文化向上を目的として1991年(平成3年)1月に開設された。バス待合室やトイレ等が設置され、エントランスホールには鉄道コーナーがあり駅の写真などが展示されている[8]。1階には下川町商工会、観光協会が入居し、2階にはコミュニティホール(大ホール)などが設置されている。

駅跡[編集]

上記の下川町バスターミナル合同センターのほか、にぎわい広場、林業総合センターなどが設置された。広場には名寄本線で使用された車輌であるキハ22形気動車キハ22 237キハ22 245の2両が連結された状態で静態保存・展示されている[9]。これらの車両は2000年(平成12年)時点では集会所として再利用されており[8]、2010年(平成22年)時点では車体にかなり痛みが見られた[10]。車内はお座敷風に改装されている。また、名寄本線の沿革が記載された「鉄道記念碑」が建立されている[11]。路盤跡は「ふるさと通り」として道路が整備された。

隣の駅[編集]

北海道旅客鉄道
名寄本線
岐阜橋駅 - 下川駅 - 二ノ橋駅

接続[編集]

旭川営林局下川営林署の管轄として、下川駅に隣接した2つのストックヤード(土場)を設置し、1956年(昭和31年)頃まで作業軌道を含む総延長40km近い森林鉄道を有しており[12]、その間下川鉱山の未精錬鉱石運搬にも使用されて、これら天然資源の貨物が下川駅を利用した。その後徐々にトラック輸送に切り替えられ、1959年(昭和34年)の森林鉄道全廃に伴い、下川駅は扱う貨物の大半を失った。

  • 1936年(昭和11年) - 珊瑠森林鉄道(20km)竣工。第一土場(下川駅北側)へ運材[12]
  • 1942年(昭和17年) - 中名寄森林鉄道ペンケ線(本線10.5km、作業軌道5.5km)竣工、第二土場(下川駅南側)へ運材[12]。下川鉱山と併用。
  • 1950年(昭和25年)
    • - 下川鉱山が選鉱場から当駅まで索道を設置し、中名寄森林鉄道ペンケ線の利用を廃止。
    • 9月 - 中名寄森林鉄道ペンケ線撤去[12]
  • 1952年(昭和27年) - 中名寄森林鉄道パンケ線(13.8km)竣工(ペンケ線の軌道を移設)[12]
  • 1956年(昭和31年) - 珊瑠森林鉄道(30km)撤去、軌道跡をトラック道に切り替え[12]
  • 1959年(昭和34年) - 中名寄森林鉄道パンケ線廃止[12]

脚注・出典[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『旭川・鉄道八十八年の歩み』1987年(昭和62年)3月 日本国有鉄道旭川鉄道管理局 編集・発行 では10月31日竣工。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、909頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b c 1948年撮影航空写真USA-E327-44(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
  3. ^ 下川町史
  4. ^ 1956年測量2.5万分の1地形図「下川」
  5. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、241頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  6. ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)208ページより。
  7. ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)15ページより。
  8. ^ a b 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング2000年1月発行)39ページより。
  9. ^ 書籍『全国保存鉄道III 東日本編』(監修:白川淳、JTBパブリッシング1998年11月発行)66ページより。
  10. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)33ページより。
  11. ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)114ページより。
  12. ^ a b c d e f g 『旭川営林局史』 1960年(昭和35年)12月 旭川営林局発行、P395-397。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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