ひやむぎ

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ひやむぎと枝豆

ひやむぎ冷や麦冷麦)とは、小麦粉から作られるの一種である。

素麺などと同様に主に乾麺の形で市場に流通し、日本国内を中心に消費される。そのため、通年入手することが可能であるが、日本では冷やして食べることが多く、清涼感を求めて夏の麺料理に用いるのが一般的である。「冷麦」の語の由来は、うどんの旧称「熱麦」に対する語であるとされる[1]

後述のように、現代日本においては日本農林規格により、うどんや素麺などと太さによって分けられる。

製造・規格[編集]

乾麺については、小麦粉に食塩を混ぜてよく練った生地を帯状に細く切って乾燥させる製法で、なおかつ機械で製造しているものは機械麺に分類される。小麦粉に食塩と水を混ぜてよく練った生地にでん粉食用油または小麦粉を塗付し、よりをかけながら引き伸ばして乾燥・熟成させる製法で『手延べ干しめんの日本農林規格』を満たしたものについては手延べひやむぎに分類される。

ひやむぎの麺の太さは機械麺の場合、日本農林規格(JAS規格)の『乾めん類品質表示基準』において直径1.3mm以上1.6mm以下とされている(同基準を満たしている場合、「細うどん」と表示することも可能である)。素麺は直径1.2mm以下とされ、直径1.7mm以上はうどん(饂飩)に分類される。手延麺の場合、ひやむぎも素麺も同基準であり、直径が1.6mm以下で丸棒状に成形したものが「手延べひやむぎ」もしくは「手延べ素麺」に分類される。直径が1.7mm以上で丸棒状に成形されたものは「手延べうどん」に分類される。

乾麺の生産量は、昭和40年代までは8万トンを維持していたが、昭和50年代に入ってから急激に減少。昭和60年代に一時的に増加したが、平成に入っても減少傾向が止まらず、平成10年代には昭和40年代の1/4である2万トンにまで落ち込んでいる[2]。乾麺類生産比率において長い間素麺・うどんに続く地位を維持していたが、平成5年(1993年)には日本そばに追い抜かれるなど年々縮小傾向である[2]

生麺・茹で麺等については『生めん類の表示に関する公正競争規約』にて、「この規約で「うどん」とはひらめん、ひやむぎ、そうめんその他名称のいかんを問わず小麦粉に水を加え練り上げた後製麺したもの、又は製麺した後加工したものをいう」となっているので、この規約上「ひやむぎ」は「うどん」に分類されており、狭義では「生麺・茹で麺タイプのひやむぎはうどんの一種」とも解釈できる。しかし別項にて「一般消費者に誤認されない名称に替えることができる」となっているため、それにより『ひやむぎ』の名を使用することも認められており[注釈 1]、この規約に沿った製品が実際に製造・販売されている[注釈 2]。それらの事例により広義(一般的)には生麺・茹で麺タイプのひやむぎも存在すると言える。なお、手打ちひやむぎも少数ながら存在し提供している店もある[3]

機械麺が一般化する以前には、素麺は手延べ工程により生地を細くするために断面が丸く(●)、ひやむぎは生地を薄く打ち伸ばしてから細く切るために断面が四角(■)になっている、という見分け方も出来たが、現在のひやむぎは素麺とほぼ同じ製法で作られているため、この見分け方法は不適となった。また素麺と食べ方が同じことや食感も類似していることから、一般的にはうどんよりもそうめんの一種として扱われるようになっている。

由来[編集]

日本にて細い麺を食べる文化は、奈良時代の初期に中国から伝えられた索餅・麦縄から始まったという説が広まっているが、その具体的な形状がよく解明されておらず、長い間手伸ばし・手延べの麺と考えられている。

現代の素麺に近いスタイルの索麺(そうめん)が普及するのは室町時代に入ってからであるが、その時代の文献には新たな製法、包丁などの刃物で切って作る麺(切り麺)が登場した[4]一条兼良が書いたとされる『尺素往来』には索麺は熱蒸、截麦(きりむぎ)は冷濯(ひやしあらい) との一節があり、当時「索麺」は蒸して熱いところを食べるのが主流で、「截麦」は冷やして食べるのが主流だったと窺える[4]また15世紀の日記類には、「截麦」のほかにも「切麺」「切麦」「冷麦」「冷麺」「切冷麺」といった言葉が頻繁に出ており[4]、同時代に頻繁に登場するようになった「饂飩(うどん)」とは明確に区別され、それとは形状の異なる切り麺であり、素麺と並べて論じられているので、形状は素麺に近い細い切り麺と推測されるのと、「冷麦」の読みは明らかに「ひやむぎ」であるため、この時期には「素麺に近い細い切り麺はひやむぎ」という概念は誕生していた模様である[5][要校閲]

時代が過ぎ、元禄10年(1697年)の本草書『本朝食鑑』では、うどんは寒い時期のものであり、ひやむぎは暑い時期に良い との内容で書かれており、この時代にはうどんとひやむぎの季節による食べ分けが定着していたと推測される[5]。他には、小麦粉を水で練ったものを細く切り、茹でて食べるものを「切り麦」と呼んでいたが、これを暖めて食べるものを「饂飩」、冷やして食べるものを「冷麦」と分けたから、さらにうどんが温かさを保つために太くなっているのに対し、ひやむぎはより冷たい状態で食べるために次第に細くなっていったという説がある。

食べ方[編集]

素麺と同様であり、茹でて氷水や流水で冷し、ぬめりを取るために揉み洗いをしたのち、めんつゆにつけて食べるのが一般的である。茹でる水には塩を入れない。これは麺に含まれる塩分を出すためである。細い麺であり他の味が移りやすいため、出来るだけ良い水で洗い、手油を避ける必要がある。

めんつゆは醤油ダシ砂糖などからなる甘辛いもので(市販品の「そばつゆ」と「そうめん・ひやむぎつゆ」を比較した場合、一般にそうめん・ひやむぎつゆの方が甘味が強く調製されている場合が多い)、食べる前日に作るのが良いとされる。ごまだれをめんつゆに入れたりつけ汁として用いるケースもある。

付け合わせには、煮込んだシイタケ錦糸卵等をつける場合もある。薬味としては、刻み、おろし生姜胡麻ミョウガなどが用いられる。他に素麺と同様の食べ方が可能であり、詳しくは素麺を参照。

文化[編集]

ひやむぎはそうめんと違い、西日本一帯では知名度が低いとも言われている[要出典]東京近郊の蕎麦屋では、ひやむぎは蕎麦と茹で上げる時間がほぼ同じであることが多いため、夏場にはそうめんではなくひやむぎを供している場合が多い[独自研究?]

ひやむぎの麺にの彩色麺が数本入っている場合もある(そうめんにも入っているケースがある)。これは、製麺所がひやむぎの麺束にこれらの彩色麺を混入しているためで、これによりそうめんとひやむぎを区別していた。この風習は1980年代後半までは関東地方(東京)などを中心に多く見られたが、1990年代には徐々に縮小していき、大多数が白一色のひやむぎになった。しかしその一方で、揖保乃糸などの一部の製造業者がこの風習を続けている。色のついた麺が入っていると子供が喜ぶため、近年では[いつ?]そうめんにも入れられていることがある。

北海道では、クロレラ粉末を混ぜた緑色のひやむぎ「グリンめん」が多く流通している[6]

山梨県では、ひやむぎやその他の麺類を甲州弁で「おだら」「おざら」と呼称する地域もある[7][8][9][注釈 3]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『生めん類の表示に関する公正競争規約』では一部特産品を除き「太さに関する具体的な数値による基準」や「形状に関する具体的な規定」を設けていないため、「ひやむぎ」「細うどん」「素麺」等は見た目の形状や製造・販売業者の意向等により、一般消費者に誤認されない範囲で自由に選択して名付けられる。
  2. ^ ふじさん堂「富士山生ひやむぎ」、鹿追そば「十勝鹿追 生ひやむぎ」、高砂食品「めじゃーひやむぎ」、サヌキ食品「生・ひやむぎ」、三和製麺所「手造り ひやむぎ」など、ひやむぎの名を用いた生麺や茹で麺タイプの製品も存在する。
  3. ^ 近年[いつ?]、「おざら」は「冷やしほうとう」を指す言葉として用いられることが多くなっている[独自研究?]

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]