亘理郡

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宮城県亘理郡の範囲(1.亘理町 2.山元町)

亘理郡(わたりぐん)は、宮城県陸奥国磐城国)の

人口45,455人、面積138.18km²、人口密度329人/km²。(2017年7月1日、推計人口

以下の2町を含む。

郡域[編集]

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか岩沼市の一部(吹上・吹上西・阿武隈・大昭和など)を加えた区域にあたる。

人口[編集]

現市町村界での国勢調査人口の推移(単位:人)を以下に示す[1][2]

                     亘理郡                      Flag of Watari, Miyagi.svg 亘理町                      Flag of Yamamoto, Miyagi.svg 山元町


歴史[編集]

古代は曰理郡と表記された。

近世以降の沿革[編集]

  • 幕末の時点では陸奥国に所属し、全域が南方郡奉行亘理代官所(小堤村)管轄の仙台藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。若干の混交はあるが、本藩領1村(小山)、大條氏知行地2村余(坂元・真庭および高瀬のうち笠野浜・新浜)を除く23村の大部分が亘理伊達氏の知行地であった。
坂元本郷、小堤村、吉田村、長瀞村、八手庭村、大平村、小平村、鷲足村、山寺村、浅生原村[3]、高瀬村、真庭村、高須賀村、鹿島村、高屋村、鷺屋村、蕨村、榎袋村、神宮寺村、上郡村、下郡村、田沢村、十文字村、牛袋村、中泉村、小山村
  • 明治7年(1874年)4月 - 区の再編により、伊具郡・宇多郡と共に宮城県第10大区となる。
  • 明治9年(1876年)4月22日 - 磐前県の管轄となる。
  • 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により宮城県に復帰する。
  • 明治9年(1876年)11月 - 区の再編により、刈田郡柴田郡・伊具郡と共に宮城県第1大区となる。
  • 明治11年(1878年)10月21日 - 郡区町村編制法の宮城県での施行により、行政区画としての亘理郡が発足。「伊具亘理郡役所」が伊具郡角田本郷に設置され、同郡とともに管轄。同日大区小区制を廃止。

町村制以降の沿革[編集]

41.亘理町 42.坂元村 43.山下村 44.吉田村 45.逢隈村 46.荒浜村 (橙:亘理町 黄:山元町 緑:岩沼市。1 - 11は刈田郡 21 - 35は伊具郡
  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足[4]。(1町5村)
    • 亘理町(小堤村が単独町制。現存
    • 坂元村 ← 坂元本郷、真庭村(現・山元町)
    • 山下村 ← 八手庭村、大平村、小平村、鷲足村、山寺村、浅生原村、高瀬村(現・山元町)
    • 吉田村 ← 吉田村、長瀞村(現・亘理町)
    • 逢隈村 ← 牛袋村、榎袋村、鹿島村、高屋村、上郡村、下郡村、小山村、鷺屋村、十文字村、神宮寺村、田沢村、中泉村、蕨村(現・亘理町)
    • 荒浜村(高須賀村が改称の上、単独村制。現・亘理町)
  • 明治27年(1894年)4月1日 - 郡制を施行。単独の亘理郡役所が亘理町に設置。
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は138.26平方km、人口は34,039人(男16,776人・女17,263人)[5]
  • 昭和18年(1943年)4月29日 - 荒浜村が町制施行して荒浜町となる。(2町4村)
  • 昭和22年(1947年)1月11日 - 逢隈村のうち阿武隈川北岸の部分(吹上地区[6]、2.44平方km)が名取郡岩沼町に編入。
  • 昭和30年(1955年)2月1日 (2町)
    • 亘理町・荒浜町・吉田村・逢隈村が合併し、改めて亘理町が発足。
    • 山下村・坂元村が合併して山元町が発足。


変遷表[編集]

行政[編集]

  • 歴代郡長

(伊具・亘理郡長は伊具郡の項を参照)

氏名 就任 退任 備考
1 山内信実 明治27年(1894年)4月1日 伊具・亘理郡長より転任
2 高岡松郎
3 高橋為清
4 半田卯内 明治34年(1901年)12月27日 明治41年(1908年)3月9日[7]
5 小倉信光 明治41年(1908年)3月9日[7]
6 伊地知靖臣
7 宮崎公男
8 卯埜正路
9 畑山四男美
10 古川為二
11 吉村十七夜月
12 佐藤新平
13 八谷サトシ[8]
14 小山喜寿
15 松山左助

脚注[編集]

  1. ^ 平成17年国勢調査1次結果(宮城県)
  2. ^ 平成27年国勢調査人口等基本集計結果(確定値)(宮城県)
  3. ^ 江戸時代を通じて「浅生原」「麻生原」表記が併存
  4. ^ 町村の統合自体は前日の3月31日付で実施されている。(明治22年(1889年)2月9日付、宮城県令第8号)
  5. ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。
  6. ^ 逢隈村中泉のうち、法京・鯖土手・藤波西・丹後北・丹後南・根方道北・岩沼上下の各字
  7. ^ a b 『官報』第7408号、明治41年3月10日
  8. ^ 「サトシ」はりっしんべんに鬲

参考文献[編集]