郵便

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郵便(ゆうびん)とは、郵便物を送達する(送り届ける)制度のことである。また、郵便物のこと。

帝国郵便は各国の通行をめぐる国際商取引を活発化させた。郵便を妨げる悪路は徐々に舗装された。やがて馬車より早い鉄道・自動車・飛行機が生まれ、それぞれが郵便を担った。それら交通手段に道路・駅・港湾・空港を加えた事業は民営化されながらグローバル資本を成長させた。郵便は、たとえ法律で公共事業と書かれていても、誕生の歴史とそこで培われた資本が運営国の手より引き離して世界市場へ連れ戻す。鉄道敷設と築港は、しばしば外債を募集して資金を調達した。一方、郵便制度そのものは委託貿易で用いられる為替手形を運搬した上、郵便経路を適度に遮断し手形の流動性まで向上させた。郵便は国際金融の根源である。

飛脚との違いは必ずしも明らかではない。廉価なペニー飛脚は利便性においても遜色はなかった。

1870年のフランスでの初の航空郵便の実施を記念したプレート。(フランス、メス市) ドイツで初の航空便を行う様子(1912年)
1870年のフランスでの初の航空郵便の実施を記念したプレート。(フランスメス市
ドイツで初の航空便を行う様子(1912年)

概説[編集]

写真は初の郵便切手、1840年から発行されたペニーブラック。郵便切手というのは、表示されている料金をすでに受け取ったということを証明する証紙の一種である。

広辞苑では「信書(書状、はがき)その他 所定の物品を国内・国外へ送達する通信制度」と説明している[1]。つまり、郵便とは郵便物を送達する仕組み・制度のことであり、(俯瞰してみれば)通信制度(通信システム)のひとつである、というわけである。

また「郵便」は郵便物略称として用いられることもある[1]

各国の郵便で基本となっているのは、定められた寸法や重量を守った郵便物に宛先を明記し、郵便局等において、寸法や重量のカテゴリごとに一定の料金を支払うと、郵便事業者が宛先へと配達してくれる、というものである。また同様に、通常の速さ(日数)で送るはがき封書などは、わざわざ郵便局に足を運ばなくても、郵便物に料金相当分の切手を貼付し郵便ポストに投函すれば、郵便事業者がポストを定期的に巡回しておりそれを集めて郵便局へ運び、その後は郵便局であずかった郵便物と同様に、宛先まで送達する、という仕組みもかなり一般的である[注 1]

郵便物の宛先(送達先)は、企業などの所在地、個人の住所などが指定されることが一般的で、その場合、企業や個人の郵便受けに届けられる。また宛先には、郵便局の私書箱が指定される場合があり、この場合は、郵便物は特定の郵便局の特定の箱に届けられることになり、受け取り人のほうが適宜(受取人の都合のタイミングで)その箱へと出向いて郵便物を受け取ることになる。

歴史[編集]

初期の郵便では、しばしば郵便物は定められた少ない経路上だけを運ばれた。これは19世紀のフィンランドにおける馬車を用いた郵便物輸送の様子。

世界初の郵便は、ドイツ・イタリアの名門一族の人物フランチェスコ・デ・タシス1世が、Thurn und Taxisを設立・運営する中で1516年から行ったものであり、ヨーロッパ全域を対象に開始したものである。この一族は、近年の郵便学における研究対象として筆頭である。

1657年にイギリス政府は郵便を国営事業にした。だが経営危機に陥り、ローランド・ヒルが改革を行うことになった[2]

1840年1月、ローランド・ヒルの考案による均一料金郵便制度が英国で施行されたことにより、近代郵便の基礎が確立された。世界最初の郵便切手ペニー・ブラック」の発行を伴ったことから、この郵便制度は通称「ペニー郵便制度」ともよばれた。合衆国の郵便史はその国の節に譲る。

1874年には万国郵便連合が発足し、現在、これに加盟している郵便事業体間であれば郵便物を送り届けられるようになっている。それまでは各国の事情に応じて郵便事業が行われていた。連合の発足においてはタシス家の代表も署名に参加した。万国郵便条約により、郵便料金をどのように設定するのかとか、事業体間でどのようにお金の決済をするのかといった問題が解決された。

各国の郵便事業体[編集]

各国の主たる郵便事業体(事業主)は次に示すようになっている。ただし、国ごとに国営/民営の割合は異なっている。もっぱら国営という国もあれば、郵便のほとんどが民営の企業によって運営されているという国もある。

郵便物を運ぶ現代の貨物列車(スイス)。スイスでは離れた都市間では貨物列車で運ばれ、それがトラックに移し替えられ、各地区の郵便局から小型トラックや自転車等々に積まれて配達されることになる。 現代フランスでは高速鉄道TGV(日本の新幹線相当の列車)の中に、まるまる一編成が郵便専用に割り当てられているものがある。
郵便物を運ぶ現代の貨物列車(スイス)。スイスでは離れた都市間では貨物列車で運ばれ、それがトラックに移し替えられ、各地区の郵便局から小型トラックや自転車等々に積まれて配達されることになる。
現代フランスでは高速鉄道TGV(日本の新幹線相当の列車)の中に、まるまる一編成が郵便専用に割り当てられているものがある。

アメリカ合衆国[編集]

南北戦争で公用の郵便サービスは無料化された。民間利用者に課された高額料金だけでは経費をまかなえずに莫大な補助金を食った。後に1792年の郵便局法が連邦レベルでの郵便網充実を構想した。法に基づいて議会自ら郵便ルートを開拓した。僻地の開拓費用は利用頻度の高い北東部諸州に転嫁、分散された。立法から1828年までに連邦議会は、閉じたものを差し引きおよそ2300のルートを拓いた。1840年までに、一つの郵便局がうけもつ住民の数はおよそ千人まで引き下げられた。郵便局の数はイギリスの2倍、フランスの5倍ほどにもなった。このような郵便制度を通して新聞が普及した。1790年には50万部(住民5人に1人が読める)だったのが、1840年には3900万部となった(住民1人あたり2.7部)。1832年、新聞は郵便物の95%を占めたが、歳入の15%にしかならなかった。合衆国の郵便と新聞は、南北戦争から基本的に政治の道具である。

アメリカ合衆国では、公営の郵便サービスと民間企業の様々なサービスが競い合っており、互いに切磋琢磨している。しばしばポストも、行政の郵便と、FedEx(フェデックス)、UPS等々のものとが並んでいる。

アメリカの郵便事業は現在、公共企業体であるThe United States Postal ServiceU.S.P.Sアメリカ合衆国郵便公社)が行っている。あくまで郵便だけを担い、貯金事務や簡易保険事務などは行っていない。

基本サービスとしては次の3種類を行っている。

  • Express Mail
3種類の中で最も速い速達。集配翌日の正午〜15時までに受取人に配達することを依頼人に保証しており、時間内に届かなかった場合は依頼人に料金が返却されることとなっている。また、無料で$100までの保険を付加することも可能。これはその速達性から、依頼主との信用関係を確保するためである。Express Mail Flat-Rate Envelopeという専用封筒で送ると、重量に関係なく一律$13.65の料金で送ることができる。封筒は無料で、各郵便局に置かれている。その他、インターネットで依頼封書・小包が現在どこにあるかを確認することができる。
  • First-Class Mail
アメリカ国内であれば1日から3日以内で配送される。機密性の高い文書(請求書の書類や法定文書など)に利用される。U.S.P.Sの定型はがきの大きさであれば、料金は23セント。それより大型のものであれば、封書の料金(37セント)となる。ただし長方形以外の変形封書は追加料金がかかる。
  • Priority Mail
アメリカ国内であれば3日以内で配送される。ただし荷物には大きさの制限があり、縦・横・高さの合計が180インチ(約45cm)以下で、重さは70ポンド(約32kg)までのものとしている。これもPriority Mail Flat-Rate Envelopeという専用封筒を利用すると、送り先や重量に関係なく一律$3.85で送ることができる。U.S.P.Sのウェブサイト[3]でプリントアウトした宛名レーベルを使用すると、無料で配達確認サービス(Delivery Confirmation)が付加される。
アメリカ合衆国の大学ではしばしば、学生ひとりひとりのための郵便受けが大学構内に用意されている。

U.S.P.S.は他にも次のサービスも提供している。

  • Parcel Post
小包の配送サービスで、JP(日本郵政)のゆうパックに相当。アメリカ国内であれば2日から9日で配達される。縦・横・高さの合計が130インチ(約330cm)、重量70ポンド(約32kg)の大きさまでの制限がある。
  • Media Mail
本やCD、DVD、ビデオテープなどの配送向郵便。アメリカ国内であれば8日ほどで配達される。料金はParcel Postよりも安価。

イギリス[編集]

1803年ロンドンの中央郵便局内の様子 現代のカナダの某郵便局内の設備群と郵便物(2006年)
1803年ロンドンの中央郵便局内の様子
現代のカナダの某郵便局内の設備群と郵便物(2006年)

イギリスにおける郵便事業は、1700年代以降350年以上に渡り国営のロイヤルメールRoyal Mail)が公社方式が独占的に行ってきたが、2001年に公社方式から英国政府100%出資株式会社へと変更された。ロイヤルメールグループとして数十社を展開、主にポストオフィス(Post Office。つまり郵便局で、窓口業務や郵便貯金事務などを行う)とパーセルフォースParcel Force。国際小包配送を行う)が実務の中核を担っている。2005年に郵政事業参入の自由化が行われ、ドイツ・ポストUKメールなどの新規参入が相次いでおり競争状態で業務を行うようになった。

ドイツ[編集]

トルコ、コンスタンチノープルにあった、ドイツの郵便局(1870年の絵ハガキの写真)。国際郵便制度がなかった当時は、ドイツ人がトルコからドイツ本国へと郵便物を送るためには、トルコ国内にわざわざドイツ郵便局を作らざるを得なかったのである。

1995年までは、国営の連邦郵便公社が郵便、電話、貯金の事業を行っていた。同公社は1995年に、ドイツテレコムドイツ・ポストバンクドイツポスト(DeutschePostAG)[4]の3社に分割され、ドイツポストは民営化され株式会社となった。

現在のドイツでは、このドイツポストが主に扱っている。

オランダ[編集]

オランダにおいては、民間会社であるTPGPOSTが郵便事業を行っている。TPGPOSTは完全民間資本であり、他のヨーロッパ諸国の郵便組織のように部分的にでも政府資本を入れるようなことを一切していないところに特徴がある。

中華人民共和国[編集]

現在、郵便業務の実質的経営は中国郵政集団公司が行っている。

中国では2006年に郵政事業と通信事業が分割された。2007年には、貯金業務も中国郵政儲蓄銀行として独立した。また2007年に、郵便事業を行う主体が、監督官庁の国家郵政局と、実質的経営を行う中国郵政集団公司に組織分割された、という経緯がある。

台湾(中華民国)[編集]

台湾における郵便事業は、中華民国政府が出資する中華郵政(中華郵政股份有限公司)が行っている。( なお、2007年から2008年にかけて一時期「台湾郵政」と呼称していた。)

かつて中華郵政は中華民国交通部郵政総局であったが、組織改革によって2003年1月1日に公共企業に改組し、交通部が100%出資する国営公司となった。事業内容は郵便事業および郵便貯金事業。

大韓民国[編集]

大韓民国では知識経済部が郵便、預金(貯金という用語は使用していない)、郵便局保険(簡易保険に相当)を取り扱っている。

日本[編集]

日本では「民間事業者による信書の送達に関する法律」(通称・信書便法)の条件を満たせば民間が参入することもでき、高付加価値型の郵便サービスである特定信書便については404事業者(2013年7月5日現在)[5]が参入している。英語で言うpostal serviceつまり一般概念としての"郵便"を民間企業も行うようになっている。

なお、"全国全面参入型"の一般信書便には参入する事業者がなく、もっぱら日本郵政グループが行っている。

なお、過去のいきさつもあり、実質的にpostal service(つまり郵便)を行っているにもかかわらず、日本で「郵便」と(商標的に)表記できるのは今のところ日本郵政グループのみ、となっている。

競合サービスとして民間企業(運輸会社各社等)のメール便(宅配便)がある。

日本の郵便の歴史[編集]

離島へはフェリーで配達する場合もある(日生諸島頭島

日本において通信制度が現れたのは、伝馬などを利用して公用通信に供した「大化の駅制」とされる。この駅制は盛衰を続け、鎌倉時代に至って飛脚の出現となり、戦国時代には大名の書状送付に飛脚が利用されるなどを経て、徳川時代(江戸時代)幕府の整備により武家町人が利用できる飛脚屋・飛脚問屋などの制度が発達した。その後明治時代に入り、飛脚は郵便に移行してゆく。

1858年の日米修好通商条約により、締結国が開港地に領事館を設置した。各国は公文書を蒸気船や軍艦に運搬させたが、自国民の手紙も便乗させた。いわゆる領事館郵便である。やがて中には業容を拡大し、独立の局舎を設けて専任の従業員を抱えたものもある。そのような在日外国郵便局を、英米仏三国が横浜兵庫長崎にもっていた。在日局は各国の郵便ルールに従っていた。切手販売、手紙引受、押印という基本的な機能は十分に果した。横浜の居留地ではサザーランド切手が使われた。

1870年(明治3年)5月、駅逓権正となった前島密は、太政官に郵便制度の創設を建議した。しかし、同年6月に前島が上野大蔵大丞に差添し渡英したことから、郵便制度創設の建議は、後任の駅逓権正・杉浦譲と各地の官史に引き継がれた。

1871年(明治4年)1月24日に「書状ヲ出ス人ノ心得」及び「郵便賃銭切手高並代銭表」、「郵便規則表」等、郵便に関する一連の太政官布告が公布され、4月20日旧暦3月1日)、東京〜京都〜大阪間に現行の制度の礎となる郵便制度が確立され、東京・京都・大阪に最初の郵便役所が創設された。布告に用いられた「郵便」の名称は、前島の案に準じたものであった。

前島密により建議され、創設された近代日本の郵便制度においては、これまで東京〜京都〜大阪間の政府の手紙等の配達に毎年1500両支出していたのを、政府の手紙配達に民間の手紙配達を併せて配達し利益を出すしくみが提案されていた。そのしくみは、東京〜京都〜大阪間62箇所の郵便役所・郵便取扱所で官吏が引き受け・管理を行い、配送時間は厳守された。郵便制度の創設後、従来の飛脚が東京〜大阪間144時間で書状を配送していたものを、78時間に短縮した。

1872年(明治5年)8月に前島が英国より帰京すると、郵便役所はさらに横浜、神戸、長崎、函館、新潟と全国展開が図られ、江戸時代に地域のまとめ役だった名主に自宅を郵便取扱所とする旨を要請、1873年(明治6年)に全国約1100箇所の名主が郵便取扱所を快諾したことから、郵便制度は全国に拡大した。

駅逓寮は国際郵便の整備も並行させた。1872年、在日局にならい手続きを明文化した。内容だが、在日局に着いた書信のうち、横浜宛は在日局に配達を任せた。横浜以外は日本側が配達した。横浜から先の国内料金は受取人払いとし、徴収額は国内料金にそろえた。逆に海外宛の手紙は二重封筒を使った。国内料金と外国料金を足した額の日本切手を上封筒に貼って駅逓寮に送り、駅逓寮が下封筒に各国の切手を貼って在日局に託すというリレーが行われた。万国郵便連合がなかった時分、各国と条約を結ぶ必要があった。1873年にワシントンで締結された日米郵便交換条約は、それらで最初のものである。日米の郵便船はそれぞれ相手国の郵便物を無償で運ぶという条文があるものの、日本郵船の設立は1885年を待たなければならなかった。

日本の郵便物[編集]

日本郵便が取り扱うその他の郵便サービス[編集]

JAPANPOST-DSC00250.JPG日本の郵便配達の様子

日本の郵便関連[編集]

郵便を題材とした作品[編集]

Category:郵便を題材とした作品を参照。

出典[編集]

[編集]

  1. ^ 郵便に十分な人員が当てられていない国などでは、郵便ポストはほとんど設置されていない場合もある。

出典[編集]

  1. ^ a b 広辞苑第六版「郵便」
  2. ^ 北岡敬『そこが知りたい【事始め】の物語』雄鶏社
  3. ^ U.S.P.Sのウェブサイト
  4. ^ dpwn.de
  5. ^ 総務省|信書便事業者一覧” (日本語). 総務省 (2013年). 2013年8月15日閲覧。
  6. ^ 郵便為替規則(大政官府告書明治7年第90号)、明治八年(1875年)一月二日ヨリ駅逓寮二於テ郵便為替規則ノ通リ三拾圓以下少額ノ為替方法施行候

参考文献[編集]

  • 『通信事業五十年史』逓信省、1921年

外部リンク[編集]