宗谷岬

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宗谷岬、1977年撮影。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

宗谷岬(そうやみさき)は、北海道稚内市にある。日本の本土最北端の地。日本国政府実効支配の及ぶ範囲で、一般人の行く事のできる最北端の地である。

本項では、宗谷岬を題材とした同名の楽曲(後述)についても記述する。

概要[編集]

日本政府が領有権を主張する範囲における最北端の地は、北方領土択捉島にあるカモイワッカ岬であり、また、現在日本政府の実効支配が及ぶ範囲における最北端の地は、宗谷岬の西北西の沖合い1kmに位置する弁天島という岩礁であるが、宗谷岬が一般人が通常利用する交通手段を用いて到達できる範囲においての日本国領土内の最北端の地であるため、「日本最北端の地」と記された石碑が建てられており、この石碑を目指し多くの観光客が訪れている。このため地理上の特徴として付近には様々な「日本最北端」が存在する。なお、「岬」とは称するものの、尖った地形になっている訳ではなく、海岸線がカーブしているだけである。

岬の南方に広がる宗谷丘陵は、全国的に見ても珍しい周氷河地形を肉眼で確認できることから、2004年10月に北海道遺産に選定された[1]。丘陵内にはこの地形を利用した牧場があり、のんびりと放牧されている宗谷黒牛や、風力発電の風車群を見ながら通る道は、稚内市街から宗谷岬を目指す観光ルートの一部として定着している。

  • かつては「大岬(おおみさき)」とも称していたため、稚内市民など周辺住民の間では大岬と呼ぶ者も多い。
  • 岬周辺は宗谷岬集落(旧称大岬)となっており、商店や人家が数多く建っている。
  • 岬の東端にある宗谷港はタコの水揚量が全国第2位である。

地名の由来[編集]

「宗谷」とは、アイヌ語の「ソー((so) (またはシュ、ショ))・ヤ(ya)」がその由来である。「ソー」は「礒岩の」の意で、「ヤ」は「岸」の意であり、「岩礁」「裸岩の地」「岸の海中に岩(暗礁)の多い所」がこれの意訳となる。現在の宗谷岬から西側の珊内、宗谷集落にかけての海岸が弁天島(ソー・ヤ・シュマ)などの岩礁や暗礁、磯岩の多い海岸であることからこの名が付けられたと推定されている。宗谷岬自体はアイヌ語では「ノテトゥ(notetu)」(ノ(not)(顎・岬の意)・エトゥ(etu)(鼻・岬の意))と呼ばれていた。

弁天島 (稚内市)も参照。

なお、宗谷岬付近は北見市北見国の地名のうちの「」の由来の地(樺太える場所)ともなっている。

アクセス[編集]

その他夏季には、同社の定期観光バスが「稚内バスターミナル(稚内駅)~市街観光地~宗谷岬~稚内空港~稚内バスターミナル(稚内駅)」間で運行される。

主な見所[編集]

岬周辺の宗谷岬公園(宗谷岬平和公園)等に灯台の他、数多くの碑や像、商店等が建っている。

日本最北端の地の碑 
宗谷岬の日没 
石碑にあるNの文字(2015年4月) 
宗谷岬(世界平和の鐘)の初日の出 
宗谷丘陵より灯台、祈りの塔、海峡越しに樺太を望む 
祈りの塔 
平和の碑・宗谷海域海軍戦没者慰霊碑 
大岬旧海軍望楼 
宗谷岬 望楼付近からの眺望(2015年4月) 
樺太(サハリン)
樺太(ロシア名:サハリン)の西能登呂岬(ロシア名:クリリオン岬)にわずか43kmと近いこともあり、海霧の立たない空が澄んだ日には宗谷海峡越しによく見える。
日本最北端の地の碑
日本本土最北端の位置に建つ碑。北極星の一稜をかたどった三角錐をデザインしたもので、塔の中央にあるNの文字は「北(North)」を、台座の円形は「平和と協調」を表している。1961年(昭和36年)に地元の有志により建てられた石碑を、1968年(昭和43年)7月により大きく建て替えられたもの[2]。当初碑を建てた場所の緯度が北緯45度31分22秒であったため、4.53メートルの高さで建立された。1988年(昭和63年)、大規模駐車場と広場を整備した際に、海岸を埋め立てたうえで10数メートル程度北寄りに移設された。このことにより、碑の立つ緯度と碑の高さが建立当初よりやや変化している。
間宮林蔵
肩には海上計測用の“縄索”をかけ、顔が樺太の方向に向けられている立像。生誕200年を記念して1980年(昭和55年)7月に建立。当初、岬の南西3キロメートルほど稚内市街寄りにある「間宮林蔵渡樺の地」に建てられたが、最北端の碑が移設されたとほぼ同じ時期に現在の場所に移設されている。
宗谷岬音楽碑
下記「宗谷岬(歌)」を参照
祈りの塔
1983年(昭和58年)9月1日に発生した大韓航空機撃墜事件の慰霊塔。事件三回忌に当たる1985年(昭和60年)9月1日に岬の裏の丘の上に建立。塔の先端は事件の起きた樺太沖の海馬島(モネロン島)を指している。高さは20メートルで、台座の16段の羽は被害者の国籍数、張られた石の数269個は被害者数をそれぞれ意味する。
世界平和の鐘
世界の恒久平和を願うモニュメントとして1988年(昭和63年)に建てられたもの。1号鐘(日本の平和の鐘)が国連本部に、2号鐘がこの鐘で、3号鐘は稚内市と友好都市を結んでいる沖縄県石垣市の新栄公園にそれぞれ設置されている。
子育て平和の鐘
家庭の平和や地域の平和、世界の平和を願って、市民からの10円玉募金などで造営されたもの。
平和の碑・宗谷海域海軍戦没者慰霊碑
第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)10月11日、宗谷海峡で5時間にわたり日本海軍と交戦し、撃沈されたアメリカ海軍の潜水艦ワフー」の乗組員80名と、同潜水艦によって撃沈された商船5隻の乗組員690名、1945年(昭和20年)7月の米海軍潜水艦と、日本海軍との戦闘で撃沈された「第112号海防艦」の戦死乗組員152名等、宗谷海峡での戦いの戦没者の慰霊と平和を祈念する碑が高台に建立されている。(宗谷海域海軍戦没者慰霊碑は1980年(昭和55年)9月に建立。平和の碑は1995年(平成7年)9月に建立。)
旧海軍望楼
ロシア帝国との関係が悪化し始めた1902年(明治35年)に、国境の備えとして旧帝国海軍が建設したもの。明治年代の建築物で稚内市内で現存する唯一のものであることから、1968年(昭和43年)12月に市有形文化財に指定された。
宮沢賢治文学碑
賢治が稚泊連絡船乗船中に作成したといわれる「宗谷(二)」の一説が刻まれている文学碑。宗谷要塞重砲連隊宗谷会が建立。
ラ・ペルーズ顕彰記念碑
欧州人で初めて宗谷海峡を通過し、同海峡の国際名にその名を残すフランス海軍の軍人・探検家のラ・ペルーズを顕彰する碑。通過220年目に当たる2007年(平成19年)10月建立。
あけぼの像
北海道の牛乳生産量100万トンを突破と、飼育乳牛50万頭突破を記念して、1971年(昭和46年)7月に建てられた男女の像。
宗谷丘陵
宗谷丘陵」を参照
日本最北端の施設
岬のすぐ東にある宗谷岬(大岬)集落に集中して存在している。
宗谷岬灯台 
宗谷岬SS 
宗谷岬郵便局 
大岬小学校 
宗谷中学校 
宗谷岬駐在所 
柏屋 

宗谷岬(歌)[編集]

宗谷岬音楽碑
  • 1972年7月発売。作詞・吉田弘、作曲・船村徹
  • 原盤に当たる1972年発売のシングル版レコードの歌手は黒木真理(まこと)で、ジャケットは黒木真理の顔写真と発売当時の「日本最北端の地の碑」周辺の風景写真だった。B面(カップリング曲)は「悲しみの川」。作詞者、作曲者は「宗谷岬」と同一。
  • 広く知られるようになったのは、1976年4月にNHKの番組「みんなのうた」でダ・カーポが歌うカバー曲が放送されて以降である。シングル盤レコードは同年同月に発売され、ダ・カーポは同年11月に北海道有線で優秀賞を受賞した。その後も多くの歌手・グループなどによってカバーされ、1982年4月には再び「みんなのうた」でダ・カーポの榊原まさとしがリメイク版を歌ったことなどにより、稚内市の最も有名なご当地ソングとなっている。
  • 日本最北端の地の碑の横50メートルほど東側に「音楽碑」があり、碑の中央にはめこまれている黒御影石でできた平板に歌詞と楽譜が刻まれている。音響装置が備え付けられていて、ボタンを押すと千葉紘子の歌う曲がフル・コーラスで流れるようになっている。2002年(平成14年)にこの音楽碑が作られる前は放送設備を用いて千葉紘子の歌う曲が周辺で流されていた。
  • 1983年6月中旬に同地を訪れた本多勝一は、この放送設備について言及した文章において「みやげ物屋の拡声器が浜辺の人々にがなりたてる。歌詞がまた決まり文句と手アカだらけの単語をこねて団子にしたような“作品”であり、歌詞を刻んだ石碑も建てられ、自然破壊の役割を果たしている。騒音に対するこの鈍感さ、自然に対するこのひどい冒瀆、心ある人は二度とこんな岬に来ないだろう」と述べている[3]

出典[編集]

  1. ^ 「宗谷丘陵の周氷河地形」(稚内市)北海道遺産 2016年7月3日閲覧
  2. ^ 稚内のあゆみ(歴史) 稚内市 2016年7月3日閲覧
  3. ^ 本多勝一 『北海道探検記』 朝日文庫 ISBN 4022608129、386-388p

関連項目[編集]

座標: 北緯45度31分22秒 東経141度56分12秒