園部逸夫

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そのべ いつお
園部 逸夫
生誕 (1929-04-01) 1929年4月1日(88歳)
大日本帝国の旗 朝鮮
出身校 京都大学
職業 法学者、法曹

園部 逸夫(そのべ いつお、1929年4月1日 - )は、日本法学者弁護士である。判事として最高裁判所判事、東京地方裁判所部総括判事などを歴任した。立命館大学客員教授外務省参与(監察査察担当)。

人物[編集]

1929年昭和4年)、朝鮮生まれ。旧制台北高校,終戦後内地に引揚げ後,金沢の旧制第四高等学校を経て、京都大学法学部卒業。

経歴[編集]

園部の父親は、後に台北帝国大学教授も務めた行政法学者・園部敏であった。

法学研究者[編集]

園部は京都大学法学部を卒業した1954年(昭和29年)、同学部の助手となり、2年後の1956年(昭和31年)には同助教授に昇格した。1959年(昭和34年)からはコロンビア大学法科大学院に留学、帰国後の1967年(昭和42年)には、学位論文『 行政手続の法理』によって京都大学から法学博士号を授与された。

判事[編集]

園部は1970年(昭和45年)、東京地方裁判所判事に就任、司法試験及び司法修習を経ずに任官した数少ない裁判官のひとりとなった。

その後、1975年(昭和50年)には東京高等裁判所判事、次いで前橋地方裁判所判事となった。1978年(昭和53年)に最高裁判所裁判所調査官、1981年(昭和56年)に最高裁判所上席調査官(行政)を経て、1983年(昭和58年)からは東京地方裁判所部総括判事を務めた。

大学教授[編集]

園部は1985年(昭和60年)、筑波大学社会科学系教授に転じ、翌年には同大学第一学群長となった。さらにその翌年の1987年(昭和62年)、園部は成蹊大学法学部教授に就任した。

再びの判事[編集]

園部は1989年(平成元年)に判事に復し、1999年(平成11年)に定年退官するまで最高裁判所判事を務めた。

退官後[編集]

園部は判事を退官した1999年(平成11年)4月に弁護士登録、同月付けで住友商事株式会社監査役に就任した。更に、2001年(平成13年)9月には外務省参与(監察査察担当)に就任した。2009年(平成21年)からは、虎ノ門法律経済事務所客員弁護士も務める。

また園部は、小泉政権及び野田政権下において、皇室典範改正議論に関与している。

その他の役職[編集]

  • 公益財団法人痛風財団理事
  • 財団法人台湾協会会長
  • 公益財団法人千賀法曹育英会副理事長

受章など[編集]

園部は2001年(平成13年)11月、勲一等瑞宝章を受章している。

母系天皇容認論者として[編集]

園部は判事退官後の2004年(平成16年)12月、小泉内閣における皇室典範に関する有識者会議座長代理に就任、翌年11月に皇室典範女系女帝容認の改正を提言している。

その園部は2012年(平成24年)1月、民主党・野田政権下の「『女性宮家』検討担当内閣官房参与」に就任した。

外国人地方参政権裁判と「傍論」問題に関して[編集]

平成7年最高裁判決の判決理由の第二段落部分・「傍論」[編集]

園部が最高裁判所の裁判官として所属していた第三小法廷は、原告上告棄却した1995年(平成7年)2月28日の判決における判決理由の中で、外国人の地方参政権についての憲法判断を示した。(判決全文は外国人地方参政権裁判#判決全文を参照)

この判決理由の内、特に「憲法法律をもって居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至った定住外国人に対し地方参政権を付与することを禁止していない」という第二段落の部分を、外国人参政権付与運動および参政権付与賛成派は、「最高裁判決の傍論」として、付与根拠としてきた(日本における外国人参政権参照)。この部分は、部分的許容説を適用したといわれる(詳細は長尾一紘#外国人参政権における部分的許容説を参照)。

判例は、「先例」としての重み付けがなされ、それ以後の判決に拘束力を持ち、影響を及ぼすが、傍論はそのような拘束力を持たない。

ただし、園部は、この第二段落部分がこれまで一般に「傍論」とされてきたことについて、判決判断を行ううえでの理由を説明したものにすぎず、「傍論」でさえもないと発言している。

2001年の論文[編集]

2001年に園部は、論文で以下のように語った。 ※数字は段落数を表す。

「巷間、(1)が先例法理(stare decisis)で、(2)が傍論(obiter dictum)と理解したり、逆に(2)を重視する向きもあるようであるが、正確には(3)が先例法理であって、(1)と(2)は本判決の先例法理を導くための理由付けにすぎない。判例は、これを利益に援用する者や批判する者の解釈によって、その理論と射程が不正確に紹介されることがあるので注意しなければならない。
なお、ついでながら、日本の裁判所の判決では、判決要旨とそれ以外の部分に分けて構成したり理解することはあるが、先例法理と傍論という分け方はしない。最高裁判所の判決では、私の経験では、傍論的意見は裁判官の個別意見か調査官解説に譲るのが原則である。」[1] (2001年の(1)(2)(3)は、2007年の第一第二第三と同義なので参照。)


つまり、判決理由の一部を「傍論」として取り出し、判決(判決では「外国人に参政権は認められない」とされた)を無視して取り沙汰することを批判している。ただし、この第二段落部分を「傍論」として論じる法学論文は多数あり[2]、また、2010年3月5日には(弁護士資格を有する)枝野幸男内閣府特命担当大臣(鳩山由紀夫政権の「法令解釈」担当も併任)は、「傍論といえども最高裁の見解」と発言している[3]


ほか、「裁判の紹介・研究には、調査官の解説とコメントを必ず参照しなければならない」とし、その理由を「最高裁判所の判例と解説は一体不可分の関係にある。補足意見を付けるまでには至らないが、評議で話題になり、協議されたことを後々の参考のために調査官の解説に譲っていることがよくある」ためとしている[4][5]

2007年の論文[編集]

2007年の論文において園部は次のように論じる。

まず、判決は3つに分かれている。
  • 第一は、憲法93条は在留外国人に選挙権を保障したものではない。
  • 第二は、在留外国人の永住者であって、その居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至った者に対して、選挙権を付与する措置を講ずることは憲法上禁止されていないが、それは立法政策にかかわる事柄、措置を講じないからといって違憲の問題は生じない。
  • 第三は、選挙権日本国民たる住民に限るものとした地方自治法11条、18条、公職選挙法9条2項の規定は違憲ではない。

このうち、第三の部分が判例であり、第一と第二は判例の先例法理を導くための理由付けに過ぎないとしたうえで、

「第一、第二とも裁判官全員一致の理由であるが、先例法理ではない。第一を先例法理としたり第二を傍論又は少数意見としたり、あるいは第二を重視したりするのは、主観的な批評に過ぎず、判例の評価という点では、の世界から離れた俗論である」とした[6]

新聞での発言[編集]

1999年の朝日新聞[編集]

1999年、朝日新聞のインタビュー記事において、園部は次のように発言した[7]

「傍論」とされる判決理由(2)を付した動機は、「日本がかつて植民地支配し、差別してきた人たちが、今なお差別されている状況がある」として、日本の軍人・軍属として戦地で死傷した台湾住民とその遺族が、国に1人あたり500万円の補償を求めた裁判の判決を参照したと語った。
その台湾遺族の補償請求裁判判決においては、「日本国籍を持たないことを理由に原告が救援法や恩給法の補償を受けられなくても、法の下の平等を保障した憲法に違反しないし、どのような措置を講ずるかは立法政策の問題である」と記されたことについて「結論には賛成であったが、自らの体験から身につまされるもの」があったとした。
それゆえ、平成7年の最高裁判決において、「国籍条項適用の結果生じている状態が法の下の平等の原則に反する差別となっていることは、率直に認めなければならない」「根本的な解決については、国政関与者の一層の努力に待つほかない」と書かざるをえなかった」とした。
また、「こうした思い[8]」が参政権裁判判決でも反映され、いわゆる「傍論」とされる「地方公共団体の長や議員の選挙で、定住外国人に選挙権を与えることは憲法上禁止されていない」という判断をした、と語り、さらに、「在日の人たちの中には、戦争中に強制連行され、帰りたくても祖国に帰れない人が大勢いる。「帰化すればいい」という人もいるが、無理やり日本に連れてこられた人たちには厳しい言葉である。国会でも在日の人たちに地方参政権を与えたらどうかという意見が出ているが、ようやくこの問題をゆっくり認識する時間が出てきたという気がしている」と動機を説明した。さらに、
「裁判所としては、すでに政府間の取決めで決まった補償の問題を覆すところまで積極的な政策決定はできないという限界がある。しかし、傍論で政府や立法による機敏な対応への期待を述べることはできる」とも語った[9]

2010年『産経新聞』[編集]

2010年2月19日の産経新聞において、園部は次のように述べた。

  • 傍論と言われる判決理由(2)の判断について[2]
「韓国人でも祖国を離れて日本人と一緒に生活し、言葉も覚え税金も納めている。ある特定の地域と非常に密接な関係のある永住者には、非常に制限的に選挙権を与えても悪くはない。地方自治の本旨から見てまったく憲法違反だとは言い切れないとの判断だ。」
「韓国や朝鮮から強制連行してきた人たちの恨み辛みが非常にきつい時代ではあった。なだめる意味があった。日本の最高裁は韓国のことを全く考えていないのか、といわれても困る。そこは政治的配慮があった。」と語った。この点について、枝野幸男行政刷新担当相からは「最高裁判事は法と事実と良心に基づいて判決をしているのであって、政治的配慮に基づいて判決したのは最高裁判事としてあるまじき行為だ」と批判された[10]

ほかにも次のように語っている。

「はっきりと在日韓国人とは書かなかったが、最高裁判決でそんなこというわけにいかないからだ」「非常に限られた、歴史的に人間の怨念のこもった部分、そこに光を当てなさいよ、ということを判決理由で言った。たとえそうでも、別の地域に移住してそこで選挙権を与えるかというと、それはとんでもない話だ。そこは本当に制限的にしておかなければならない。」「憲法の地方自治の本旨に従って、特定地域と非常に密接な関係のある永住者に、非常に制限的に選挙権を与えることが望ましいと判断した」
  • (いわゆる「傍論」部分について)
「確かに本筋の意見ではないですよね。つけなくても良かったかもしれません。そういう意味で、中心的なあれ(判決理由)ではないけども、一応ついてると。それを傍論というか言わないかは別として、(1)と(3)があればいいわけだと、(2)なんかなくてもいいんだと、でも、(2)をつけようとしたのには、みんながそれなりの思いがあったんだと思いますね。みんなで。」
  • 将来における判決の見直しについて
「最高裁大法廷で判決を見直すこともできる。それは時代が変わってきているからだ。判決が金科玉条で一切動かせないとは私たちは考えてない。その時その時の最高裁が、日本国民の風潮を十分考えて、見直すことはできる。」
  • 民主党の法案について
(この判決・判例を根拠に特別永住者のみならず一般永住者をも地方参政権付与の対象とすることについて)
「ありえない」「移住して10年、20年住んだからといって即、選挙権を与えるということはまったく考えてなかった。判決とは怖いもので、独り歩きではないが勝手に人に動かされる。」「選挙権を即、与えることは全然考えていなかった」
「この傍論を将来、この政治的状況から、永住外国人に選挙権を認めなければいけないようなことになったとしても、非常に限られた、歴史的状況のもとで認めなきゃだめですよ。どかーっと開いたら終わりです」
(議員立法でなく政府が提出することについて)
「賛成できない。これは国策であり、外交問題であり、国際問題でもある。」と述べた。


脚注[編集]

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  1. ^ 園部逸夫「最高裁判所十年 私の見たこと考えたこと」(有斐閣、2001年)141頁。
  2. ^ a b
    • 別の裁判の最高裁判決(最判平成17・1・26)の調査官解説の中で、この判例の「部分的許容説」部分についても言及されており、傍論」とされている。ほか、
    • 高世三郎「最高裁判所判例解説」・法曹時報60巻1号(2008年)189頁
    • 常本照樹 北海道大学教授 /法学セミナー486号(1995年)82頁
    • 宇都宮純一 愛媛大学教授 /ジュリスト 平成7年重要判例解説(1996年)21頁
    • 門田孝 広島大学教授 /法学セミナー521号(1998年)73頁
    • 相馬達雄 弁護士 /「定住外国人と地方自治参政権訴訟」・21世紀の法・福祉・医療 その課題と展望 山上賢一博士古稀記念論文集(2002年、中央経済社)109頁
    • 青柳幸一 東北大学法科大学院教授 /「憲法判決における『主論』 筑波ロー・ジャーナル創刊号(2007年)1頁
    • 長谷部恭男 東京大学教授 /ジュリスト1375号(2009年)72頁
    などがある。
  3. ^ 外国人参政権 枝野行政刷新相「傍論でも最高裁の見解」2010年3月5日 産経新)
  4. ^ 園部逸夫「最高裁判所十年 私の見たこと考えたこと」(有斐閣、2001年)141頁
  5. ^ なお、10年後の別の裁判の最高裁判決(最判平成17・1・26)の調査官解説(高世三郎「最高裁判所判例解説」・法曹時報60巻1号(2008年)189頁)には、「この説示は傍論である」とされている。
  6. ^ 園部逸夫「私が最高裁判所で出合った事件(最終回)判例による法令の解釈と適用」(自治体法務研究第9号 2007年夏号)89頁。
  7. ^ 『朝日新聞』 1999年6月24日付
  8. ^ 園部の若き日の思い出、台湾住民の補償に関する裁判についての思い
  9. ^ 『朝日新聞』1999年6月24日付、園部逸夫「最高裁判所十年 私の見たこと考えたこと」(有斐閣、2001年)315頁以下再録
  10. ^ 2010年3月5日産経新聞

外部リンク[編集]