辻山治平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

辻山 治平(つじやま じへい、1897年5月16日[1] - 1974年7月29日[2])は、日本の内務官僚。官選県知事茨城県教育委員長

経歴[編集]

岩手県胆沢郡水沢町(現在の奥州市)出身[1]第一高等学校を経て、1922年東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1923年内務省に入り福岡県属となる。

以後、福岡県朝倉郡長、同県糟屋郡長、同県社寺兵事課長、栃木県書記官・経済部長、山形県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長、神奈川書記官・警察部長などを歴任。

1941年5月、徳島県知事に就任。1942年10月、茨城県知事に転じた。1943年7月、茨城県知事を退任。その後、新潟県参事官に就任し、1944年に退官。

戦後に公職追放となる。1956年10月から1960年4月まで茨城県教育委員長を務めた[3]

1974年7月29日死去。享年77。

脚注[編集]

  1. ^ a b 岩手県大鑑 時の人 1940, p. 154.
  2. ^ 1974年7月30日『朝日新聞』(東京本社発行)朝刊、19面の訃報より。
  3. ^ 茨城県教育委員会 歴代教育委員長 2013年8月17日閲覧。

参考文献[編集]

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 新岩手日報社編『岩手県大鑑』新岩手日報社紀元二千六百年紀念事業部、1940年。