桑原幹根

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桑原 幹根
くわはら みきね
Kuwahara-Mikine-1.jpg
生年月日 1895年8月29日
出生地 山梨県南都留郡明見村(現・富士吉田市
没年月日 (1991-04-11) 1991年4月11日(95歳没)
出身校 東京帝国大学法学部
所属政党 無所属
称号 勲一等旭日大綬章

愛知県の旗 愛知県知事(公選)
当選回数 6回
在任期間 1951年5月11日 - 1955年1月17日
1955年2月15日 - 1975年2月14日

愛知県の旗 愛知県知事(官選)
当選回数 1回
在任期間 1946年7月9日 - 1947年3月5日
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桑原 幹根(くわはら みきね、1895年8月29日 - 1991年4月11日[1])は、日本の内務官僚[1]政治家。1946年官選愛知県知事に任じられ、公職追放された後、公選で当選し、同知事を6期24年にわたって務めた[1]。1987年愛知県名誉県民[2][1]勲一等旭日大綬章受章[1]

来歴[編集]

山梨県南都留郡明見村(現・富士吉田市)で養蚕農家の7男として生まれた。山梨県第一中学校都留分校(現・山梨県立都留高等学校)、旧制第一高等学校から東京帝國大学(現・東京大学法学部を経て、内務省に入省。1935年福島県書記官・経済部長、同年に内閣東北振興事務局書記官に就任。

1945年4月、東北興業株式会社の総裁に就任。終戦後、官界から身を引く決心をする。後任を決めて1946年6月に総裁を辞職し、東京の渋谷区の自宅に引き揚げた。ところが同年7月に愛知県知事の早川三郎公職追放を受け辞職したことから桑原の名が挙がり、急遽、愛知県知事に就くこととなる[3]

1947年3月5日、初の公選愛知県知事選挙に立候補するために知事を辞職。知事選は3月15日に告示されるが、その10日後、東北興業副総裁時代に関係していた会社の戦争関与が問われ、公職適否審査委員会から追放決定の通知を受ける[4]。4月5日に行われた選挙で当選したのは、官選最後の知事で元内務官僚の青柳秀夫だった。

1950年10月、追放が解除され、翌年4月の第2回公選知事選に向け活動を始める。難物は自由党の公認をめぐる争いであった。桑原は早くから大野伴睦佐藤栄作幹事長に渡りをつけ、岡崎勝男にも同期のよしみで手を回したが、地元の国会議員を頭越ししたのがこじれる原因となった。愛知県選出の国会議員中、山田佐一県支部長、江崎真澄以下10人は元一宮市長の吉田萬次につき、辻寛一以下5人は桑原についた。結局決着はつかず、二人とも公認を名乗って選挙戦に突入した[5]

1951年4月30日、愛知県知事選挙執行。候補者7人中最多の票を獲得するが、法定得票数に達した候補者がいなかったため、5月11日に上位2名による決選投票が行われる。死闘を演じた末、吉田萬次をわずか3,670票差でかわし、初当選を果たした。

1955年1月17日、任期満了を待たずして辞職[6]。辞職は対立候補の用意が整う前に選挙に持ち込む不意打ち作戦だったとされている[7]。社会党は尾張徳川家19代当主の徳川義親に白羽の矢を立てるが、本人に受ける気はなく、参議院議員の栗山良夫、大学講師の伊藤武雄らに断られたあと、党県連合会前会長の佐藤一平を擁立[8]。同年2月15日に行われた知事選で佐藤を破り再選。

1971年の知事選は、フランス文学者で『広辞苑』の共同編纂者の新村猛との一騎打ちとなった。桑原1,037,290票に対し、新村915,477票で、僅差で6期目の当選を果たした。名古屋市市内では逆に9万票の差をつけられて負けた[9]

1973年勲一等旭日大綬章を受章[10]1975年に知事を退くまで在任した。1987年、愛知県で初の名誉県民となった。

1991年4月11日、心不全のため死去。95歳没。同年5月16日には愛知県民葬が営まれた。

業績・人物[編集]

著書[編集]

  • 『警察風景』松華堂書店、1930年。
  • 『無胆の人』中部経済新聞社、1958年。
  • 『世紀を生きる 歴史とは未来のこと』政経社、1974年。
  • 『桑原幹根回顧録 知事二十五年』毎日新聞社、1979年。
  • 『忙中閑詩』中日新聞本社、1982年。
  • 『余生余話』中日新聞社、1987年。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e - 富士吉田市 - 桑原 幹根(くわばらみきね)氏
  2. ^ 愛知県、24年ぶりに「名誉県民」授与へ  :日本経済新聞 2011/9/2付
  3. ^ 『中日新聞』1991年1月1日付朝刊、市民版、18面、「あいち知事選物語 (1) 官選 終戦直後の知事受難 相次ぐ公職追放」。
  4. ^ 『中日新聞』1991年1月3日付朝刊、市民版、18面、「あいち知事選物語 (2) 公選 食糧難、実施実らず 初回は昭和22年 告示後に桑原氏追放」。
  5. ^ 『中日新聞』1991年1月5日付朝刊、県内版、14面、「あいち知事選物語 (4) 全国一の激戦 最多の7人が出馬 第二回選挙 党公認めぐり対立も」。
  6. ^ 歴代公選知事名簿(都道府県別)/全国知事会
  7. ^ 愛知県知事選Q&A:愛知県知事選2015:中日新聞(CHUNICHI Web)
  8. ^ 『中日新聞』1991年1月7日付朝刊、県内版、15面、「あいち知事選物語 (6) “抜き打ち”辞任 流行に乗った戦術 他候補の出足を遅らす」。
  9. ^ 『中日新聞』1991年1月9日付朝刊、県内版、14面、「あいち知事選物語 (8) 革新統一候補 共闘のうねり 新村氏、12万票差まで迫る」。
  10. ^ a b 桑原 幹根 (クワハラ ミキネ)”. コトバンク. 2018年11月16日閲覧。

関連項目[編集]