桑原幹根

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桑原 幹根(くわはら みきね、1895年8月29日 - 1991年4月11日)は、日本の内務官僚政治家愛知県知事を6期24年にわたって務めた。

来歴・人物[編集]

山梨県南都留郡明見村(現・富士吉田市)で養蚕農家の7男として生まれた。山梨県第一中学校都留分校(現・山梨県立都留高等学校)、旧制第一高等学校から東京帝國大学(現・東京大学法学部を経て、内務省に入省。1935年福島県書記官・経済部長、同年に内閣東北振興事務局書記官、1941年東北興業会社(現・三菱マテリアル総裁など役職を歴任した。

戦後1946年に官選の愛知県知事となる。官選知事就任7ヶ月後に公職追放になったが、1951年5月に公選の愛知県知事に当選し、以後1975年2月まで、6期連続のべ24年にわたって愛知県知事を務めた。

全国の草分けとなった地方計画を策定するなど、知事在任中は行政手腕と中央への人脈を活かし、名古屋港衣浦港を整備して工業用地を造成した。こうして高度経済成長の勢いに乗り、愛知県をトヨタ自動車新日本製鐵に代表される工業県に変化させた。1959年には愛知用水の存在が決め手となって三重県との誘致合戦を制し、東海製鉄(現・新日鐵住金名古屋製鐵所)を上野町(現・東海市)へ誘致する事に成功している。

1967年には全国知事会で初めて東京都知事以外から会長に選ばれ、1975年に知事を退くまで在任した。1973年には勲一等旭日大綬章を受章。1987年に愛知県で初の名誉県民となった。1991年4月11日、心不全のため95歳で逝去。同年5月16日には愛知県民葬が営まれた。

著書[編集]

  • 『警察風景』松華堂書店 1930
  • 『無胆の人』中部経済新聞社 1958
  • 『世紀を生きる 歴史とは未来のこと』政経社 1974
  • 『桑原幹根回顧録 知事二十五年』毎日新聞社 1979
  • 『忙中閑詩』中日新聞本社 1982
  • 『余生余話』中日新聞社 1987

関連項目[編集]