岩崎幸治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
岩崎幸治郎

岩崎 幸治郎(いわさき こうじろう、1874年明治7年)4月6日[1] - 1946年昭和21年)1月9日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会)、弁護士

経歴[編集]

大阪府中河内郡英田村(現在の東大阪市)に岩崎九郎平の四男として生まれる。1898年(明治31年)、弁護士試験に合格。1900年(明治33年)よりドイツに留学して、1904年(明治37年)にライプツィヒ大学を卒業し、法学博士の称号を得た[3]。帰国後、弁護士のほか、関西大学講師も務めた。1908年(明治41年)に横浜地方裁判所判事に任命され[4]、東京控訴院判事を経て、1911年(明治44年)には元田肇拓殖局総裁の秘書官に就任したが、翌年に官を辞した[5]

1915年大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は6回を重ねた。その間、加藤高明内閣司法参与官を務めた。

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、5頁。
  2. ^ 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年、80頁。
  3. ^ 『代議士月旦』p.61
  4. ^ 『官報』第7641号、明治41年12月14日
  5. ^ 『代議士詳覧』p.408-409

参考文献[編集]

  • 大石末吉『普選の勝者 代議士月旦』東京平和新報社出版部、1928年。
  • 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。