江間俊一
えま しゅんいち 江間 俊一 | |
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生誕 | 1861年6月17日 (文久元年5月10日) 遠江磐田郡見附宿 (現・静岡県田方郡) |
死没 | 1933年5月31日(71歳没) (昭和8年5月31日) |
流派 | 江間式心身鍛練法 真蔭流柔術 鹿島流馬術 |
親戚 | 小桜葉子(孫) 加山雄三(曾孫) |
江間 俊一(えま しゅんいち、文久元年5月10日[1](1861年6月17日) - 昭和8年(1933年)5月31日[2])は、静岡県出身の、日本の弁護士、政治家。青木しのぶ(女優)の父、小桜葉子(女優で上原謙の前妻)の祖父、加山雄三(俳優)の曾祖父に当たる。
経歴[編集]
1861年6月(文久元年五月)、遠江国磐田郡の東海道見附宿(現・静岡県磐田市)の豪家山本幸七の子として生まれる。後に江間忠五郎の娘つねの入婿となる[3]。1889年明治法律学校(現在の明治大学)卒業[4]後、弁護士となり、東京弁護士会常議員、議長を歴任した。
政治家としては東京府会議員、東京市会議員・議長などを務め[2]、1902年(明治35年)には第7回衆議院議員総選挙に立憲政友会から出馬して当選し、その後も第10回衆議院議員総選挙(無所属)、第12回衆議院議員総選挙(立憲同志会)に当選した。
日露戦争の功で勲四等を受け、鉄道会社の社長なども務めた。
1918年(大正7年)、政治家を引退し、腹式呼吸と静座を基本とした「江間式心身鍛錬法」という気合術の普及につとめる[2]ようになる。横綱大錦が三段目のときに座骨神経痛を一発の気合で治療し、さらに57回にわたり気合いをいれるなどして、横綱への道を歩ませた逸話は有名。
江間は膂力に優れ角力に強く武術にも長じていた。
江間は柔術を修行しており、東京下谷区にあった演武館の今泉八郎から真蔭流柔術を学び免許を得ている[5]。また、鹿島流馬術の草刈庄五郎の高弟であった。
川村雨谷に師事した画家でもあり、雅号は「高峰(高峯)」。達磨像を得意としたとされる(「江間式心身鍛錬法:並気合法之原理」中「江間俊一先生小伝」(国立国会図書館デジタルコレクション)。同書では江間を「多趣味多方面の人」と紹介している)
家族・親族[編集]
娘婿は明治の元勲岩倉具視の次男・岩倉具定の五男岩倉具顕。具顕の息子である岩倉具賢と岩倉具憲は孫(上原謙の義弟にあたる)。