モズライト

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モズライト・ベンチャーズモデル
Mosrite1965後期 S/N 2637
Mosrite1965年・後期型の仕様
メーカー/ブランド モズライト
製造時期 1965年 - 10月
構造
ボディタイプ ソリッド
スケール長 24.5インチ
フレット 22フレット
ネックジョイント ボルトオン
材質
ボディ アルダー or バズ
ネック メイプル、白セルバインディング
フィンガーボード ローズウッド
ナット 真鍮
ハードウェア
ペグ クルーソン2列刻印
ブリッジ 可動式ローラー
テールピース モズレー・ヴィブラート・ユニット(亜鉛ダイキャスト製)
コントロールノブ 亜鉛ダイキャスト・ハット型
電気系統
ピックアップ(F) アルニコV シングルコイル
ピックアップ(R) アルニコV シングルコイル
コントロール ボリューム×1、トーン×1、3ウェイセレクタースイッチ
カラーバリエーション
サンバースト、パールホワイト、キャンディレッド、インクブルー
テンプレート | カテゴリ
Mosrite headstock 2.jpg

モズライト(Mosrite)は、かつてカリフォルニア州ベーカーズフィールドに本拠を置いていたアメリカ合衆国楽器メーカー。


概要[編集]

1950年代前半に元リッケンバッカーの社員であったセミー・モズレーによって創設され、幾度の倒産を経ながらも1994年前半まで存続していた。

  • 同社製のギター(モズライト・ギター)は特有のデザイン、音質から多くのアーティストに愛用され、ベンチャーズや加山雄三の影響で特に日本で人気を博しグループ・サウンズ期にも活躍した。1968年5月には日本のファーストマン社がと正式なライセンス契約が結ばれ、Avengerモデルが発売された。Avenge(復讐者)のネーミングは、当時の日本ではモラレスES-300やES-500を筆頭にさまざまなコピーモデルが氾濫していたので、それらに対する「復讐」の意味があったと言われている。
  • 1970年代の後半から、パンクバンド、ラモーンズのギタリスト、ジョニー・ラモーンが愛用していたこともあり、今も多くの若者に支持されている。後に1980年代末にノースキャロライナ州ジョナスリッジに(この工場は火災による被害を受けている)、そして晩年はアーカンソー州ブーンヴィルに移転し、モズレーが設立したユニファイドサウンド社が生産を行っていたが、1992年にモズレーが死去すると4番目の妻のロレッタ・モズレーが経営を引き継いだ[1]ものの、1994年に倒産した。ちなみに、元ユニファイド社のスタッフやフィルモア側の証言によると、ロレッタ夫人は倒産後、ブーンヴィルの工場を引き払ってネバダ州のカーソンシティに転居してしまった。
  • 1976年からモズライト代理店として営業して来た日本のフィルモア楽器(1976年6月創立)がモズレーの死後、浮いた商標を再取得し、東海楽器製造及びアメリカ国内のギターメーカーに製造を委託してモズライトとして販売している。
  • 前述のようにベンチャーズ全盛期にはセミー・モズレーとも親交のあった日本のファーストマン社(前述)が、モズライトの許可を得て日本製モズライトギター(モデル名:Avenger)を生産していたが、1969年に米モズライト社の倒産の煽りを受けて昭和44(1969)年 7月にヒルウッドに名称変更しギター製作から撤退した。その際、ファーストマン社の下請け会社であった黒雲製作所がAvengerやベンチャーズモデルなどの生産を続けていたため、商標使用の権利を巡って前述のフィルモア楽器が訴訟を起こしたが東京地方裁判所(平成19(ワ)5022)において双方共に正式な商標権を持たないことが確認された。
  • その後もロレッタ未亡人がモズライトの主権を主張し、京都府に工房を設け、かつてモズライトの工場に勤務しているクラフツマンを迎えてモズライトギターの受注生産を開始した。これにより現状ではフィルモア製モズライトと黒雲製作所製、そしてロレッタが設けた工房製の三種類があることになり、さらに2009年6月15日、ロレッタ・モズレー側が(株)フィルモア及びアメリカでのモズライトのディストリビューターである"Ed Roman Guitars"社を相手取り、「モズライト」の所有権を改めて明確にすることを求め、アメリカ合衆国連邦裁判所に対し提訴、正式にロレッタ未亡人がモズライトの版権[要出典]を取得した。
  • なお日本における直近のモズライト商標に関する継承者は、亡くなったモズライト創設者の一人で、モズライトギターを考案したセミー・モズレイの未亡人ロレッタ・モズレイである、と東京地方裁判所は述べた。これまで排他的にモズライト商標を行使できると目されていた株式会社フィルモア(東京都武蔵野市)は、1審では完全に敗訴した形になっており、今後の展開が注目される。

セミー・モズレー誕生~モズライト商標登録[編集]

  • 1935年6月13日 - 合衆国オクラホマ州デュラントでサザンパシフィック鉄道に勤務していた父ジョンモズレーとアイリーン夫婦の次男として生まれる。
  • 1944年 - セミー・モズレーが9歳の時両親と共にカリフォルニア州ベーカーズフィールドに移住。ギターを弾き始め改造も始める。
  • 1948年 - 13歳になったセミー・モズレーは学校を退学し宣教師グループのギタリストとして旅に出る。この当時マールトレヴィス(Merlr Travis)の為に、世界初の完成されたエレキギターを作ったポールビグスビー(paul Bigsby)の元でネックやピックガード、インレイワークの技術を習得。
  • 1951年~1953年 - セミー・モズレーは約2年間ポールバース(Rickenbacker)で自給1ドルで働くことになるが、内緒で自分のギターを作ったことが元で解雇される。しかし、その間にドイツ人デザイナー(Roger Rossmeisl)と出会い、これが後にジャーマンカーブを採用するきっかけになった。 
  • 1953年 - セミー・モズレーは、宣教師のレイ・ボートライト(Ley Bootrite)の後援を得て独自製作を開始するためレイのガレージを工房とし、モズライト社(MOSRITE Inc.)を創立。この頃レスポールの高音早弾きが好きだったセミー・モズレーは1オクターブ高い音が出せるトリプルネックを考案製作し反響を得る。このときセミー・モズレーは未だ19歳だった。
  • 1954年 - トリプルネックを見たジョーメイフィス(Joe Maphis)がダブルネックを注文した。これによりモズライトを使った最初のプロギタリストが誕生した。
  • 1957年 - ロサンゼルス郊外のサンフェルナンドに工房を移転した。この頃アーニーボール(Ernie Ball)と交流が始まる。
  • 1958年 - セミー・モズレーは離婚したことをきっかけに、ベーカーズフィールドのケンタッキーストリートの母宅ガレージに工房を戻す。この頃はカーヴィン製にPUを使用しカスタムギターをメインに製作していた。
  • 1959年 - パナマレーンの友人宅のトラクターハウスに工房を移す。またこの頃、ザ・ベンチャーズ(THE VENTURES)が米国ワシントン州シアトルで結成。メンバーは、ボブ・ボーグル(Bob Bogle)とドン・ウィルソン(Don Wilson)の二人組だった。
  • 1960年 - ザ・ベンチャーズ(THE VENTURES)に、リードギターのノーキー・エドワーズ(Nokie Edwards)とドラムのハウェー・ジョンソン(Howie Johnson)の2人が加入。4人のグループに発展
  • 1961年 - セミー・モズレーオリジナルのトレモノユニット(ヴィブラミュート)の開発に着手し最初期型のアルミ製誕生。塗装もラッカーからポリエステル塗料に変更。
  • 1962年 - ノーキー・エドワーズ(Nokie Edwards)が、自分のテレキャスのネックを削る為セミー・モズレーの工房を訪ねたその時、ボブクロックス用に作っていた低いフレットで細いネック、パワフルなPU仕様のモズライト・ギターに出会った。後にノーキー・エドワーズは当時としては破格の250㌦でモズライト・ギターを買取り使用を開始した。この頃 ザ・ベンチャーズが初来日、ボブ・ボーグル(Bob Bogle)とドン・ウィルソン(Don Wilson)の2人。ボビー・ヴィーと共演した。
  • 1963年 - ザ・ベンチャーズのサイド・リズムギター、ドン・ウィルソン(Don Wilson)、ベースギターのボブ・ボーグル(Bob Bogle)も「モズライト」を使用開始する。「モズライト・ベンチャーズモデル」誕生の時であった。ベンチャーズから多額の出資を得たMOSRITE Inc. セミー・モズレー社長は1500Pストリートに工場を拡張。大量生産に入る。(1963年年間200本、1964年800本、1965年1800本、1966年2100本)
  • 1964年 - 1424Pストリートにも工房を拡張する。ハードウエアーにMosrite of Cariforniaロゴが入り始まる。ヴィブラミュート・ユニットもアルミから真鍮に変わり、生産性を考えセットネックからボルトオンに変わる。従業員役100人体制。
  • 1965年1月 - ザ・ベンチャーズ(THE VENTURES)がフル・メンバーでモズライト・ギターを持参し2度目の来日。同年 5月 8日ベンチャーズ-モズライト社が、「 MOSRITE 」「 VENTURE-MOSRITE 」等の商標を日本の特許庁に出願する。
  • 1965年6月 - 飛鳥貿易株式会社が、ベンチャーズ-モズライト社から、モズライト・ギターを輸入開始。
  • 1965年夏 - ザ・ベンチャーズが、フル・メンバーでパールホワイトのモズライト・ギターを持参し3度目の来日。
  • 1966年 - コンボ、セレブリティ、ゴスペル、等の各種モデルが誕生。ファズ、PU、アンプも生産開始したが、開発資金を使い過ぎ経営難の一途を辿ることになる。同年、ザ・ベンチャーがフル・メンバーで4度目の来日。
  • 1967年 3月20日 - 特許庁が、ベンチャーズ-モズライト社の商標「 MOSRITE 」「 VENTURE-MOSRITE」等を商標登録。(商標登録第736316号として設定登録)

ファーストマンのライセンス生産~ユニファイド社設立~セミー・モズレー死亡~[編集]

  • 1968年5月 - 商標登録される前までモズライトは飛鳥貿易が独占輸入していたが、有名度は高まったものの高額すぎて販売は伸び悩んでいた。そこでモズライト本社の輸出部長 フィルブレナー氏が来日し販売促進を検討した結果、当時急速に販売実績を上げつつあったファーストマン株式会社に販売を一括委任する案がまとまった。ここで飛鳥貿易はファーストマンに対し、年間240本の最低仕入を要求、ファーストマンはモズライトの日本での生産の権利と独占技術提供を要求し、飛鳥貿易が主導で契約が取り交わされた。ここでファーストマン楽器製造株式会社が、モズライト社から生産ライセンスを取得して「モズライト アベンジャーモデル」を、「 M mosrite 」の標章を付したエレキギターとして製造販売開始。最初の日本製「モズライト・ギター」が誕生。黒雲製作所はネック部分とボディの一部量を下請生産した。モズレーユニットは諏訪のダイキャスト業者に下請生産させたという。
  • 1969年 - 黒雲製作所がテスコ楽器を介しファーストマン楽器製造株式会社の下請として、「モズライト アベンジャーモデル」を、「 M mosrite 」の標章を付したエレキギターギター製造、ファーストマン楽器製造株式会社に納入開始。
  • 1969年7月 - 米国モズライト社(MOSRITE Inc. セミー・モズレー((Semie Moseley))社長)が倒産。しかし2ケ月後に別のスポンサー(Kustom社)から資金を得て会社を再建する。
  • 1969年7月 - ファーストマン楽器製造株式会社がヒルウッドに名称変更。ギター製作から撤退。
  • 1969年7月 - 元エレキギター業者『ハニー』(1968年倒産)の役員数名がロジック社を設立し中間業者を通して黒雲製作所に在庫があったモズライト木工部分を購入し、コピーモズライトの生産を開始した。そして黒雲製作所は1977年まで木工部分のみの納品を継続した。
  • 1972年 - ベンチャーズモデルはV-1,ベースはV-1ベースとして再発売される。この頃日本では、6月22日「 M mosrite 」を、ある人物が日本の特許庁に出願した。(登録第1419427号)
  • 1973年 - PUがハム化されV-2,V-2ベースを発表したが、スポンサー会社のオーナーが変わり、セミー・モズレーは再び倒産する。セミーは再び宣教師のギタリストとなりオクラハマに転居する。
  • 1976年 - アメリカ建国200年の年を迎える為、再びベーカーズフィールドに戻りベンチャーズ建国モデルや新シリーズを作ったが、資金不足で量産はできなかった。体調を崩してアリゾナ州フェニックスに転居する。この年、日本では遊佐氏がフィルモア楽器店を開店させモズライト・ギターの販売を開始した。
  • 1977年 3月20日 - ベンチャーズ-モズライト社の「MOSRITE」等の日本商標が期間満了で消滅。同年 6月16日「M mosrite」をある人物が黒沢商事(株)に無償譲渡。
  • 1977年9月28日 - 黒澤楽器が「M mosrite」の商標申請をした権利を黒雲製作所に400万円で譲渡した。その頃から商標権を入手したと信じ込んだ黒雲製作所は「M mosrite」の完成製品を生産発売し始めた。その後、コピーモズライトを生産販売していたロジック社は物品税の脱税が発覚し、納税が不可能で税務署からの差し押さえが原因で倒産した。
  • 1979年 - セミー・モズレーはロレッタさんと再婚。同年 9月10日 ベンチャーズ-モズライト社の「 MOSRITE 」等の日本商標が登録抹消。
  • 1980年 - セミー・モズレーは病気が回復し、ネバダ州カーソンに移転してオファーが多かったこともあり月産30本程度の生産を開始する。同年5月30日特許庁が、黒雲製作所の「M mosrite」を設定登録。その後商標権存続期間の更新登録。
  • 1981年3月 - 遊佐氏とセミー・モズレーは、米国テキサス州ダラスで開催された「ビンテージショー」で初めて出会った
  • 1981年5月26日 - セミー・モズレーが、米国政府から「モズライト」の商標権取得。
  • 1982年 - セミー・モズレーは再婚したロレッタ夫人の故郷でもあるノースキャロライナ州ジョナスリッジに工場を設け300~400本を生産する。
  • 1983年3月 - セミー・モズレーがフィルモア楽器店を訪問。
  • 1983年9月1日 - パフォーマンス・ギター(須貝社長)が、米国カリフォルニア州政府から商標権「 M mosrite 」を取得する。同年11月セミー・モズレーは火災により全てを失うが、州からの資金借入れで工場を再建させる。
  • 1984年 - NAMMショウに3PUやノーピックガード等を出品し注目を浴びる。同年、黒雲製作所は「モズライト・ギター」の本件商標「 M mosrite 」下部に「of California 」の文字をも付記開始した。
  • 1985年 - セミー・モズレーは寺内タケシモデルやRDモデルを作る。セミー・モズレーがフィルモア楽器店を訪問。
  • 1986年 - フィルモア楽器店は雑誌『ギター・マガジン』に広告掲載。マクドナルド製作のUSAモズライトと記載。
  • 1988年 - セミー・モズレーは1988モデルを発表。
  • 1989年 - セミー・モズレーはノーキー・エドワーズモデルを完成する。5月と10月の2回に渡りノーキー・エドワーズと来日。
  • 1990年 - 黒雲製作所が、特許庁に商標「M mosrite」の更新登録願書を提出。
  • 1990年 - 黒雲製作所の商品パンフレットに「ジャパンモズライト(有)」と記載。
  • 1991年5月 - セミー・モズレーはノーキー・エドワーズと再来日し5月5日に東京・新橋のヤクルトホールでチャリティーコンサートを開催。
  • 1992年4月~5月 - セミー・モズレーは、米国アーカンソー州ブーンビルに移転し、ノーキー・エドワーズ 30th アニバーサリーモデル(30本限定と言われている。)を発表。ユニファイド・サウンド・アソシエーション社(以下、ユニファイド社)を設立。
  • 1992年5月 - 遊佐氏がブーンビルの新しい会社工場であるユニファイド社を訪れ、遊佐氏とセミー・モズレーは、モズライト・ギターの40周年モデルをまず40本製作し、これを全て遊佐氏が引き取る条件の契約を締結。
  • 当時、ユニファイド社が出荷したほとんどのモズライト・ギターは遊佐氏(フィルモア楽器店)に出荷され、クオリティー・コントロールから外されたギターがロッコーマンや高谷企画に送られたとされている。
  • 1992年6月 - セミー・モズレーは体調を崩し入院。
  • 1992年8月7日8時46分 - セミー・モズレー死亡。享年57歳。死因は骨肉腫。10日に葬儀。遊佐氏はセミー・モズレーの死後、アーカンソー州ブーンビルのユニファイド社の工場において集められた素人工員らに技術指導をしながらモズライト40周年記念モデルの製造に従事した。(この一連の動きによって、遊佐氏はセミー・モズレーから認められた継承者であると主張しているものと思われる。
  • 1994年4月 - 州から受けていた融資の返却が滞り、州から差し押さえを受けたためモズライト・ギターの生産続行が不可能になり、ユニファイド社が倒産。
  • 1996年10月 - 遊佐氏は、ユニファイド社が倒産したことにより、セミー・モズレーとの間に締結したモズライト・ギターの40周年モデル40本のみの販売店としての地位を失くした後、当時、なぜかモズライトの商標登録を得ていたカリフォルニア州に所在していたSugai Musical Instrument,Inc.(スガイ社)と接触し、モズライト用の生産ラインを構築して引用商標を付した偽物の「モズライト・ギター」を作らせて、これをUSAモズライト専門店などと広告しながらフィルモア楽器店で販売し始め、米国において「M mosrite」の文字を含む商標の出願をした。
  • ~2000年代 - フィルモア楽器店(2000年4月からフィルモア)は「リイシュー(復刻版)」「USAモズライト製品総輸入元」「真のモズライト」「本物のモズライト」等と,需要者に錯誤を生じさせることを意図しながら引用商標の顧客吸引力を利用して、偽物モズライト・ギターを販売してきた。一方、黒雲製作所も品質優秀な中味のあるモズライト・ギターを最初に作ったセミー・モズレーの承継者ではないのみならず、モズライト・ギターを毀損し続けていて需要者の期待を裏切る品質不良の偽装品を製造し続けてきた。

ベンチャーズ・モデルのシリアルナンバー[編集]

  • ※次のシリアルナンバーは目安としてお考え下さい。セミー・モズレーはシリアルナンバーの管理を厳密に行っていなかったようです。例えばS/N 2637は2000年8月発行のシンコー・ミュージック・ムック『Vintage Mosrite』の70ページに掲載されていますが、これと異なるS/N 2637の個体は日本のユーザーが所有しています。
  • #0002~0204
    • 1963年型、ボディーはセル巻き&サイドジャック、ネックはサンバースト・セットネック、ボデーカラーはサン・バーストのみ、ラージ・ロゴ、ビブラミュート搭載、ピックガードは3点止めで約200本が製造された。
  • #0213~0230
    • 1964年前期型、ボディーはセル巻き&トップジャック、ネックはバーストネックでボルト・オン&カバード止め、ボディーカラーにはサン・バーストの他チェリー・バーストがカラー・チャートに加わる、ラージ・ロゴ、ビブラミュート搭載、ピックガードは8点止めになる。
  • #0243~0380
    • 1964年型、ボディーのセル巻きが無くなる(以後のモデルからはセル巻きは無くなる)、ネックはバーストネックでボルト・オン&カバード止め、ボディーカラーには更にパール・ホワイトがカラー・チャートに加わる、ラージ・ロゴ、ビブラミュート搭載、これらシリアルのギターは別名「グラマラス・ボディー」と呼ばれている。
  • #0388~0616
    • 1964年型、セル無のトップジャック、ヘッド部分がブラック塗装になりネック部は通常の3トーンサン・バーストになる、ボディーカラーにはカスタム・カラーとしてオール・キャンディーレッドとオール・インクブルーが加わる、「ロゴ」はラージ・ロゴから希少なミディアム・ロゴ→そしてスモール・ロゴへと変わる。ビブラミュート装着。
  • #0629~1195
    • 1964年後期型、セル無のトップジャック、ヘッド部分がカラーものでは無くなりナチュラル・ヘッドになる、スモール・ロゴ、ビブラミュート搭載、ピックアップにラージ・ポールピースが登場する。
  • #1196~2398
    • 1965年前期型、セル無のトップジャック、スモール・ロゴ、ビブラミュート搭載、ピックアップのカバー部分に「Mマーク MOSRITE OF CALIFORNIA」の刻印が入っている。
  • #2404~3165
    • 1965年後期型、セル無のトップジャック、ネックは2ピースネックになる、塗装がラッカー塗装からポリウレタン塗装になる、スモール・ロゴ、このモデルからモズレー台座が搭載される。
  • #3169~5000
    • 1966年型、セル無のトップジャック、ヘッド部分にロッド調整用のカバーが付けられる、ポリウレタン塗装仕上げ、スモール・ロゴ、モズレー台座搭載、ピックガードのネジが7点止めになる。
  • #V5034~V5914
    • 1967年~1968年型、セル無のトップジャック、ヘッド部にロッド調整用のカバー付き、ポリウレタン塗装仕上げ、スモール・ロゴ、モズレー台座搭載。
  • その他
    • 1992年 - 1965年型リイシューだけでも100本を超えるオーダーになった。フィルモアからオーダーされたこれら1965年型リイシューのシリアル・ナンバーは#1001からスタートして、この年の終わりには#1110までがユニファイド社から出荷された。つまり、ユニファイド社が当時出荷したほとんどのモズライト・ギターはフィルモアに出荷され、クオリティー・コントロールから外されたギターがロッコーマンや高谷企画に送られ、それらのギターには「ユニファイド社」のシークレット・ナンバーがボディー・キャビティーに付けられた。
    • 1963年型、1965年型リイシューモデル(完全復刻版)サンバースト・カラーを6台、そしてパールホワイト・カラーを6台の合計12本フイルモア製シリアル・ナンバーは#1501~#1512。
    • 1965 年リイシューモデルは、日本向けシリアルナンバーとしては#1001(パール・ホワイト)からスタート#1094(キャンディー・レッド)までの94本が出荷。この94本の内訳:サン・バースト、パール・ホワイト、キャンディー・レッドですが、カスタムカラーで#1005(ブルーバースト・ラメ)、#1010(ホワイト・ラメ)、#1016(インク・ブルー)、#1028(オール・インクブルー)、#1029(スノーホワイ ト)、#1030(カリフォルニア・ブルー)が出荷。
    • 1993(平成5)年製造のリイッシュ、シリアルナンバーは「V93 000」“V”はベンチャーズ・モデルの略、“93”が1993年の意、あと数字3ケタ表示。1993年8月までに「V93 001~V93 135」までの135本を出荷
    • 1994年に1963年型、1964年型、そして1965年型の各リイシュー・モデル(V94 001(サン・バースト)~V94 023(メタリックブルー)の計23本がフィルモアに入荷。

著名なユーザー[編集]

引用文献[編集]

外部リンク[編集]

  • モズライト株式会社 -創設者 故セミーモズレーの意思を継承したロレッタモズレーの真正モズライトギターを直販する日本のカスタムショップサイト
  • Mosrite us official website - 真正モズライトオフィシャルUSウェブサイト
  • 株式会社フィルモア - USAモズライト製品総輸入・発売元、国産モズライト製品総発売元
  • 株式会社黒雲製作所 - このホームページに掲載されているMosriteは、全て株式会社黒雲製作所で製造された、日本製です。

脚注[編集]