質問主意書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

質問主意書(しつもんしゅいしょ)とは、国会法第74条の規定に基づき、国会議員内閣に対し質問する際の文書である。内閣は回答義務と答弁に対して閣議決定する義務を負わされる[1]

質問と質疑の違い[編集]

国会においては、国政全般に関して内閣の見解をただす行為を質問と呼び、会議(本会議常任委員会特別委員会等)の場で議題となっている案件について疑義をただす行為を質疑と呼ぶ。質疑が口頭で行うものであるのに対し、質問は緊急質問(国会法第76条)の場合を除き、文書で行うことが原則である。緊急質問に対して、文書(質問主意書)を用いて行う質問を、特に文書質問と呼ぶ。

委員会等の質疑では所轄外事項について詳細な答弁が期待できないことや、所属会派の議員数によって質疑時間が決まるため、無所属や少数会派所属議員は質疑時間を確保できない。これに対し質問主意書は一定の制約はあるものの国政一般についての質問が認められ、議員数の制約もないことが最大の特徴となっている[2]

質問主意書の処理[編集]

議長(衆議院議長参議院議長)に提出され承認を受けた質問主意書は内閣に送られ、内閣は7日以内に文書(答弁書)によって答弁する。期間内に答弁できない場合はその理由と答弁できる期限を通知する。[2]ただし、非公式には、議院事務局に提出された直後に院内の内閣総務官室に仮転送されており、内閣総務官室は、質問の項目ごとに答弁の作成を担当する省庁の割振りを仮決めし、各省庁にその適否を照会する。

各省庁は、仮決めされた割振りに異議がある(所管の誤りがある、他省庁と共同でないと答弁できないなど)場合は、照会から60分以内にその旨申し立て、省庁間及び内閣総務官室との協議を経て、仮転送当日のうちに割振りを決定する。

事実上、議院事務局に対する質問主意書の提出に時間制限がないため、国会開会中は、全省庁において答弁書の作成に関与しうる立場にある職員(ひとつの課で数人~十数人程度)は、自省庁に割り振られ、あるいは自らが担当すべき主意書が提出されないことが確認できるまで待機を要求され、もし担当が決定すれば、国会法第75条の定める7日以内という答弁の期限に間に合わせるため、すぐに答弁案の作成に着手しなければならない。

答弁案の作成に対する省庁の関与には、

  • 執筆(答弁案の作成、閣議請議手続など)
  • 合議(他省庁の作成した答弁案の内容確認、修正など)
  • メモ出し(他省庁の答弁案作成に必要な資料の提供、答弁案の内容確認、修正など)

の各形態がある。答弁作成が複数省庁にまたがる場合は、最も質問主意書の主題と関係が深いか答弁の重要な部分を担当することとなった省庁が、全体の取りまとめを行う。

作成された答弁案は、原則として、仮転送から2ないし3日(営業日ではなく、休日祝日を含む暦日。以下同じ)で、執筆した各省庁の法令担当課及び内閣法制局において、質問に対する適確さ、現行法令との整合性、用語・用字などにわたる審査と修正を終了する必要がある。その後、内閣総務官室、与党国会対策委員長への内容説明などののち、仮転送から6ないし7日後の閣議決定を経て、正式な答弁書として提出議院の議長に提出される。

質問主意書の提出数は増えてきているものの、答弁書の延期はほとんどなくなっている。これによりスピーディーなやり取りができるようになったと言われる反面、答弁内容が不十分になったとの声も出ている。[2]

制度の実態[編集]

制度に関する議論[編集]

この制度は、通常の国会質疑の場でなくとも政府の見解を質したり情報提供を求めたりすることができ、議席の少ない野党無所属議員にとって有用な政治活動の手段であると評価されることが多く、実際にこの制度を積極的に利用する野党が増えている。質問時間が不足しがちな少数政党や無所属の議員は、質問主意書をもって国会審議を補っているという側面もある。また、質問主意書によって政府見解が明確になったり、政府の問題が明らかとなったりするメリットもあるとされる。[3]また長妻昭は自身の公式サイトに、質問主意書が「野党議員にとっては、巨大な行政機構をチェック・是正出来る武器(国会法74条、75条)」で、「本質問主意書がきっかけで是正された事項も数多い」と記している[4]。2005年度は新党大地鈴木宗男衆議院議員がこの制度を利用し外務省内のセクハラ事件などの情報を引き出した。

細田博之内閣官房長官(当時)は2004年8月5日の記者会見で、民主党長妻昭代議士の質問主意書を手に取り、「『自分は質問主意書日本一だ』と自慢して、選挙公報に出している人までいる。非常に行政上の阻害要因になっている」と発言し、質問主意書制度の運用の見直しに着手することを表明した。これに対し野党は「国政調査権の制限である」と強く反発し、民主党の川端達夫国会対策委員長(当時)は「国民の付託を受けてわれわれが要求することに、(官僚が)徹夜してでもしっかりと対応するのは当然だ」と発言し、与野党の議論が紛糾した。その後の与野党の協議の結果、衆議院議院運営委員会で、「事前に主意書の内容を各党の議院運営委員会の理事がチェックする」ことで合意した。

2008年3月27日、民主党の平野博文は同年2月に起きたイージス艦衝突事故に関する質問主意書で「国会議員が行政情報の資料を要求したり、国会質問で説明を求めるに際し、法的根拠が必ずしも明らかではない回答拒否が頻繁に行われている」とした上で、福田内閣も「資料の要求があった場合には、政府としてはこれに可能な限り協力をすべきもの」との立場に立つものと理解して良いかと質問。これに対し福田康夫内閣総理大臣(当時)は2008年4月4日、答弁書において「議員の質問は、国政に関して内閣に対し問いただすものであるから、資料を求めるための質問主意書は、これを受理しない」 との先例があるものと承知していると答弁した。[5] 2013年11月12日、無所属の山本太郎参院議員提出による特定秘密保護法案に関する質問主意書に対する内閣答弁書に、廃止された行政機関名を掲載する等誤りが指摘され、内閣法制局と内閣情報調査室は国会で謝罪した。ジャーナリスト田中稔氏に対する回答では、内閣法制局は「見落とした」、内閣情報調査室は「当室職員が確認を怠った」と誤りの事実を認める回答書を同氏に提出し、話題となった[2]

2010年12月、与党民主党は質問主意書について「公文書として残す意義がある例外的な場合に限る」として制限する方針を決めた[6]。今後の提出には党政策調査会の了承が必要となる。

東京大学先端科学技術研究センター 菅原琢特任准教授は、質問主意書の増大が政府の効率性に少なからぬ影響を与えているのは間違いないとする一方で、質問主意書は政府の非効率を正す場合もあるため、一様に非難するのもおかしな話であると指摘。また長妻が質問主意書制度を積極的に利用し、それまでの政治家の型にはまらない活動を展開し実績を挙げている一方で、抽象的で網羅的な長妻の質問主意書の要求が役所の業務に大きな負担となっているという理由から官僚に忌み嫌われているとしている。その上で「質問主意書制度は質問と答弁が一体となって国民の側に利益とコストをもたらすものである。したがって、質問と答弁をセットで観察していきたいところである」と述べている。

提出数[編集]

長妻の他に提出の多い例として、「質問主意書のキング」とも呼ばれ[7]野党時代に1900の質問主意書を提出した新党大地鈴木宗男が挙げられる。鈴木は2009年に与党となった民主党と統一会派を組んでからも外務省への追及を緩めず、今後も提出を続けると語った[8]。宗男は2010年(平成22年)に失職となり国会を去ったが、その後は同じ新党大地で後継者となった浅野貴博に質問主意書の提出を継続させた。さらに2013年(平成25年)6月に宗男の長女の鈴木貴子が繰り上げ当選すると、以降は貴子を通じて質問主意書による攻勢をかけている。

諸外国との比較[編集]

件数を単純比較した場合、日本の質問主意書の件数が諸外国の質問件数より多くないとの指摘がある[9]。日本の衆参両議院での合計件数は千件以下であるが、イギリス議会で1年間に5万件以上、フランス議会でも計1万5000件以上の、文書による質問が行われている[9]。しかしながら、これについては制度の違いが大きく、例としてイギリスにおいては新たな作業や調査に一定以上のコストがかかる質問については、政府側は回答を拒否することもできる[10]。また回答期日を指定しない質問が大多数で、指定するものであっても回答期日が7日以内という急なものではない(例えば国会審議での口頭の質問でさえ、実質的には10営業日以前に通告することが求められる)。さらに閣議決定のような大規模な手続きも必要なく、政府に過剰な負担がかからないような制度設計をしたうえで、大量の質問を受け付け処理している。

脚注[編集]

  1. ^ [1]「質問主意書 | 長妻昭 オフィシャルWEBサイト」
  2. ^ a b c 参議院のあらまし 参議院
  3. ^ 岩井茂樹公式サイト岩井茂樹公式サイト。
  4. ^ 質問主意書 長妻昭公式サイト
  5. ^ 答弁本文情報 衆議院 2008年4月4日
  6. ^ “野党時代の武器、でも今は… 民主、質問主意書を制限へ”. 朝日新聞. (2010年12月22日). http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201012220406.html 2010年12月23日閲覧。 
  7. ^ j-cast 2010年3月3日
  8. ^ THE JOURNAL2009年10月4日
  9. ^ a b 大石眞2001『議会法』有斐閣アルマ
  10. ^ 木原誠二2002『英国大蔵省から見た日本』文藝春秋

外部リンク[編集]