小泉俊明

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日本の旗 日本の政治家
小泉 俊明
こいずみ としあき
生年月日 (1957-04-26) 1957年4月26日(60歳)
出生地 日本の旗茨城県北相馬郡取手町(現取手市
出身校 早稲田大学政治経済学部
前職 衆議院議員
所属政党 民主党→)
無所属→)
減税日本→)
減税日本・反TPP・脱原発を実現する党→)
日本未来の党→)
(無所属→)
維新の党
称号 政治学士
公式サイト 小泉としあき公式ホームページ

選挙区 比例北関東ブロック→)
茨城3区
当選回数 3回
在任期間 2000年 - 2005年
2009年 - 2012年11月16日
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小泉 俊明(こいずみ としあき、1957年4月26日 - )は、日本政治家

衆議院議員(3期)、減税日本幹事長(第2代)、国土交通大臣政務官菅第1次改造内閣菅第2次改造内閣)などを歴任した。

来歴[編集]

茨城県北相馬郡取手町(現取手市)生まれ。取手町立小文間小学校(現.取手市立取手東小学校)、取手市立取手第一中学校(現.取手市立取手第一中学校)、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。早稲田大学在学中は雄弁会に所属した。大学卒業後、中小企業経営者を経て取手市議会議員を務める。

2000年第42回衆議院議員総選挙茨城3区から民主党公認で出馬。自由民主党葉梨信行に敗れたが、重複立候補していた比例北関東ブロックで復活し、初当選した。2003年第43回衆議院議員総選挙では、葉梨信行が引退し、女婿の葉梨康弘が出馬。茨城3区では葉梨に敗れたが、小泉も再度比例復活で当選。2005年第44回衆議院議員総選挙では茨城3区で葉梨に敗れ、比例復活もならず落選。

2009年第45回衆議院議員総選挙では国民新党の推薦も受けて出馬し、自民党の葉梨に比例復活すら許さぬ大差をつけて3選。小泉が獲得した146,983票は、茨城3区における過去最高の得票数であった。

2010年9月、菅第1次改造内閣国土交通大臣政務官に任命され、菅第2次改造内閣まで務める。

2012年6月26日消費税増税を含む社会保障・税一体改革関連法案の採決で反対票を投じるが、同様に造反して反対票を投じた小沢一郎らが結成した国民の生活が第一への参加は見送る。同年8月9日衆議院に提出された野田内閣不信任決議案の採決では賛成票を投じ、採決に先立って民主党に離党届を提出。8月17日減税日本への入党を表明し、幹事長に就任(小泉同様、内閣不信任決議案の採決直前に離党届を提出し、不信任案に賛成した小林興起も減税日本に入党)。同年8月31日、小泉・小林・佐藤夕子(減税日本副代表)の減税日本所属の衆議院議員3名に、関西電力大飯原子力発電所の再稼働に反対し7月3日に民主党を離党した衆議院議員の平智之が加わり、院内会派「減税日本・平安」を結成した(その後、平が抜けたため再び会派名は減税日本に戻った)。減税日本は10月30日熊田篤嗣水野智彦が入党し国政政党化したが、11月には減税日本・反TPP・脱原発を実現する党を経て、日本未来の党に合流。

同年12月16日第46回衆議院議員総選挙に日本未来の党公認で茨城3区から出馬するも、前回下した葉梨に敗れ、比例復活もならず落選。

2012年10月10日に書籍『民主党大崩壊 国民を欺き続けた1000日(双葉社新書)』を出版。

2014年12月の第47回衆議院議員総選挙にも出馬への動きをみせていたものの、出馬を見送った[1]

政策・主張[編集]

所属していた団体・議員連盟[編集]

著書[編集]

  • 『民主党大崩壊 国民を欺き続けた1000日』(双葉社新書、2012年)ISBN 4575153966

その他[編集]

  • 日中国会議員書画展へ書画を提供している[2]

脚注[編集]

外部リンク[編集]