世耕弘一

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世耕 弘一(せこう こういち、1893年3月30日 - 1965年4月27日)は日本教育者政治家衆議院議員(8期)。

世耕 弘一
せこう こういち
生年月日 (1893-03-30) 1893年3月30日
出生地 日本 和歌山県 東牟婁郡敷屋村大字西屋敷(熊野川町をへて現・新宮市
没年月日 (1965-08-07) 1965年8月7日(満72歳没)
出身校 日本大学
所属政党 立憲政友会
自由党
自由民主党
称号

紫綬褒章
従三位
勲一等瑞宝

親族 父・世耕佐七

母・世耕志げ

妻・世耕紀久子

長男・世耕政隆

息子・世耕弘昭

孫・世耕弘武

孫・世耕弘成

孫・森元つる子森元恒雄夫人)
内閣 第2次岸内閣
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来歴・人物[編集]

和歌山県東牟婁郡敷屋村(熊野川町をへて現・新宮市)に中農・世耕佐七の五男として生まれる。一旦は材木店に丁稚奉公をするが、その後苦学して、日本大学法学部に入学。日大の政治経済海外研究員としてベルリン大学に5年間留学。帰国後の1931年に日本大学教授1944年に日大と関係の深い大阪専門学校の校長と大阪理工科大学長に就任。学制改革に伴い、大阪専門学校と大阪理工科大学が合併し近畿大学となると初代の総長及び理事長に就任した。

また、1932年に故郷の和歌山県から第18回衆議院議員総選挙に立候補し当選、その後23年間にわたって衆議院議員を務めた。戦前は立憲政友会に所属し、戦後は自由党の結成に参加した。1947年3月の衆議院決算委員会で「日銀の地下倉庫に隠退蔵物資のダイヤモンドがあり、密かに売買されている」と発言。隠退蔵物資事件を暴露する。この軍需品払下問題にからむ大規模な詐欺横領事件は経済問題から保守政党の党費にからむ政治問題になった。

日銀の地下倉庫の隠退蔵物資が、その後も密かに運用され、俗にM資金と呼ばれるとの噂が絶えなかった。またこの噂を利用して多くの詐欺事件も発生した。

第2次岸内閣経済企画庁長官を務めた。1965年4月27日死去。享年72。鈴木善幸内閣改造内閣自治大臣・国家公安委員長を務めた世耕政隆(近畿大学2代目総長・理事長)は弘一の長男、前近畿大学理事長(3代目)の世耕弘昭は弘一の次男である。内閣官房副長官で、前近畿大学理事長(4代目)の世耕弘成は孫(弘昭の長男、政隆の甥)にあたる。

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

「我ガ生、難行苦行ナレドモ我ガ志、近畿大学トナレリ : 炎の人生 : 評伝・世耕弘一先生」、近畿大学世耕弘一先生建学史料室、2002年6月

近畿大学世耕弘一先生建学史料室 編

学職
先代:
新設
近畿大学理事長
1943年 - 1965年
次代:
世耕政隆