七条明
| 七条 明 しちじょう あきら | |
|---|---|
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| 生年月日 | 1951年8月1日(74歳) |
| 出生地 |
|
| 出身校 | 東京農業大学農学部 |
| 所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
| 称号 |
農学士 旭日重光章 |
| 当選回数 | 1回 |
| 在任期間 | 2013年10月20日 - 2017年10月19日 |
| 選挙区 |
(徳島県全県区→) 比例四国ブロック |
| 当選回数 | 5回 |
| 在任期間 |
1993年7月19日 - 1996年9月27日 2000年4月7日 - 2009年7月21日 |
| 当選回数 | 4回 |
| 在任期間 | 1981年 - 1993年 |
七条 明(七條 明[1]、しちじょう あきら、1951年8月1日 - )は、日本の政治家。
徳島県板野郡上板町長(1期)、内閣府副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、財務大臣政務官(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、衆議院法務委員長、衆議院議員(5期)、徳島県議会議員(4期)を務めた。
来歴
[編集]徳島県板野郡上板町生まれ。徳島県立阿波高等学校、東京農業大学農学部醸造学科卒業。大学卒業後は酒造会社やその関連会社の役員を務める。
1981年、徳島県議会議員選挙に出馬し、初当選。県議を4期務め、県議時代の同僚議員に、後に徳島2区で議席を争う山口俊一がいた。1993年、県議を4期目の任期途中で辞職。第40回衆議院議員総選挙に徳島県全県区から自由民主党公認で出馬し、地元である板野郡での大量得票により、日本社会党前職の仙谷由人を僅差で下して最下位で当選した(当選同期に安倍晋三・田中眞紀子・熊代昭彦・横内正明・岸田文雄・塩崎恭久・根本匠・野田聖子・浜田靖一・山岡賢次・江崎鉄磨・高市早苗らがいる)。
1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制導入に伴う選挙区調整の結果、板野郡が含まれる徳島2区での公認を1期上の山口俊一に譲り、七条は比例四国ブロック単独4位で出馬するが、落選。2000年3月24日、比例四国ブロック選出の越智伊平の死去により、同年4月7日に繰上当選。同年の第42回衆議院議員総選挙では比例四国ブロック単独3位で出馬し、3選。なおこの選挙から、徳島1区におけるコスタリカ方式(七条、岡本芳郎が交互に選挙区、比例から立候補)が決定した。2003年、第1次小泉第2次改造内閣で財務大臣政務官に任命され、第2次小泉内閣まで務める。同年の第43回衆議院議員総選挙では、徳島1区で民主党前職の仙谷由人に敗れたが、比例四国ブロックで復活し、4選。2004年、第2次小泉改造内閣で内閣府副大臣(科学技術政策、食品安全行政及び情報通信技術(IT)関係の政策の担当[2])に任命され、第3次小泉内閣まで務める。
2005年の郵政解散による第44回衆議院議員総選挙では、徳島2区に国替え。これは、同区選出の山口俊一が郵政民営化法案の採決で造反して反対票を投じ、自民党の公認を得られず無所属で出馬したためである。徳島2区では山口に1万5千票差をつけられ敗れるが、比例四国ブロックで復活し、5選。郵政造反組復党問題で山口が自民党に復党した後、徳島2区における党の公認を争っていたが、2008年2月、自由民主党選挙対策委員長の古賀誠は七条の処遇を後回しにした上で、山口の徳島2区における公認を内定。七条は比例四国ブロック単独13位に登載された。2006年10月より衆議院法務委員長。2009年の第45回衆議院議員総選挙では自民党大敗により、下位に登載されていた七条ら、名簿順位が10位以下の候補は全員が落選した。落選後、2010年の第22回参議院議員通常選挙への徳島県選挙区からの出馬を模索していたが、候補者の選考に漏れたため、2010年2月27日、自由民主党徳島県連において離党及び政界引退を表明した[3]。
2013年10月、3年前の引退表明を撤回し、前町長の納田伸春の辞職に伴う上板町長選挙に無所属で出馬。元町長の松尾國玄を破り、当選した[4]。
2017年10月1日に行われた町長選に立候補するも、元町議の松田卓男に僅か6票差で敗れ落選した[5]。
※当日有権者数:10,382人 最終投票率:66.88%(前回比:
3.77pts)
| 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 松田卓男 | 69 | 無所属 | 新 | 3,421票 | 50.04% | |
| 七条明 | 66 | 無所属 | 現 | 3,415票 | 49.96% |
政治資金
[編集]日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」の報道によれば、消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入等により資金提供を受けていた[7] 。
所属団体・議員連盟
[編集]家族
[編集]- 七条一(はじめ) - 兄。明治大学政治経済学部3年次在学中の1970年、北陸方面を旅行中に行方不明になり、北朝鮮による拉致の疑いがある特定失踪者「1000番台リスト」に掲載されている。
選挙歴
[編集]| 当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 当 | 1981年徳島県議会議員補欠選挙 | 1981年 | 30 | ーー | ーー | ーー票 | ーー | ー | / | / |
| 当 | 1983年徳島県議会議員選挙 | 1983年4月10日 | 31 | ーー | ーー | ーー票 | ーー | ー | / | / |
| 当 | 1987年徳島県議会議員選挙 | 1987年4月12日 | 35 | ーー | ーー | ーー票 | ーー | ー | / | / |
| 当 | 1991年徳島県議会議員選挙 | 1991年4月7日 | 39 | ーー | ーー | ーー票 | ーー | ー | / | / |
| 当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年7月18日 | 41 | 徳島県全県区 | 自由民主党 | 4万8456票 | 10.94% | 5 | 5/9 | / |
| 繰当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 45 | 比例四国ブロック | 自由民主党 | ーー票 | ーー | 7 | 4/17 | 4/3 |
| 当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年6月25日 | 48 | 比例四国ブロック | 自由民主党 | ーー票 | ーー | 6 | 3/17 | 3/3 |
| 比当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月9日 | 52 | 徳島県第1区 | 自由民主党 | 4万4892票 | 39.05% | 1 | 2/3 | 3/3 |
| 比当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年9月11日 | 54 | 徳島県第2区 | 自由民主党 | 4万3695票 | 27.61% | 1 | 3/4 | 1/3 |
| 落 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年8月30日 | 58 | 比例四国ブロック | 自由民主党 | ーー票 | ーー | 6 | 13/17 | 13/2 |
| 当 | 2013年上板町長選挙 | 2013年10月20日 | 62 | ーー | 無所属 | 4339票 | 66.37% | 1 | 1/2 | / |
| 落 | 2017年上板町長選挙 | 2017年10月1日 | 66 | ーー | 無所属 | 3415票 | 49.96% | 1 | 2/2 | / |
脚注
[編集]- ^ a b “令和4年春の叙勲 旭日重光章”. 内閣府. p. 1. 2025年8月2日閲覧。
- ^ “第161回国会 内閣委員会 第2号(平成16年10月27日(水曜日))”. www.shugiin.go.jp. 2025年9月5日閲覧。
- ^ “七条氏自民離党を表明 一枚岩に早くもひび”. 読売新聞. (2010年2月27日) 2014年9月12日閲覧。
- ^ “上板町長 新人・七条さん 出直し選”. 読売新聞. (2013年10月21日) 2014年9月12日閲覧。
- ^ “上板町長選、新人の松田氏が当選 現職に6票差|徳島ニュース|徳島新聞デジタル”. 徳島新聞デジタル (2025年9月5日). 2025年9月5日閲覧。
- ^ 『官報』号外第97号、令和4年5月2日
- ^ “サラ金業界/パーティー券リストの面々/自民67、公明2、民主5人”. www.jcp.or.jp. 2025年9月5日閲覧。
関連項目
[編集]| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代 石原伸晃 |
2006年 - 2007年 |
次代 下村博文 |
| 公職 | ||
| 先代 納田伸春 |
第7代:2013年 - 2017年 |
次代 松田卓男 |
| 先代 伊藤達也 佐藤剛男 中島真人 |
西川公也 林田彪と共同 2004年 - 2005年 |
次代 嘉数知賢 桜田義孝 山口泰明 |
| 先代 田中和徳 森山裕 |
山下英利と共同 2003年 - 2004年 |
次代 倉田雅年 段本幸男 |
