後藤斎

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日本の旗 日本の政治家
後藤 斎
ごとう ひとし
生年月日 1957年7月22日(59歳)
出生地 日本の旗 山梨県甲府市
出身校 東北大学経済学部
前職 国家公務員農林水産省
所属政党 新進党→)
民主党細野派)→)
無所属
称号 経済学士

山梨県の旗 公選第18代 山梨県知事
当選回数 1回
在任期間 2015年2月17日 - 現職

選挙区 比例南関東ブロック→)
山梨3区
当選回数 4回
在任期間 2000年6月26日 - 2014年11月11日
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後藤 斎(ごとう ひとし、1957年7月22日 - )は、日本農水官僚政治家山梨県知事(公選第18代)。

内閣府副大臣野田内閣野田第1次改造内閣野田第2次改造内閣)、文部科学大臣政務官鳩山由紀夫内閣菅内閣)、衆議院議員(4期)、民主党国会対策委員長代行等を務めた。

来歴[編集]

山梨県甲府市生まれ。山梨県立甲府第一高等学校東北大学経済学部卒業。大学卒業後、農林水産省に入省した。本省勤務の他、日本貿易振興会食糧庁への出向も経験した[1]

1996年第41回衆議院議員総選挙新進党公認で山梨1区から出馬したが、自由民主党中尾栄一旧民主党輿石東の後塵を拝し、得票数3位で落選。その後民主党に入党。山梨1区には既に新党さきがけ出身で、前回の総選挙は比例単独で当選した小沢鋭仁がいたため、山梨3区に国替え。2000年第42回衆議院議員総選挙では山梨3区で自民党の横内正明に敗れたが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し、初当選した。

2002年熊谷弘らが民主党を離党し保守新党を結成した際は、一時熊谷に従って離党する考えを示していたが、最終的には離党を断念。横内正明山梨県知事選挙出馬に伴う、2003年4月の山梨3区補欠選挙に出馬するよう党本部から求められるも、これを拒否した。これらが影響してか、2003年の第43回衆議院議員総選挙では山梨3区で自民党の保坂武に敗れ、比例復活もならず落選した。

2005年第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化法案に反対したため自民党公認を得られず、無所属で出馬した保坂武、自民党公認で小泉純一郎首相の秘書官を務めていた小野次郎、後藤の三つ巴の争いが山梨3区で繰り広げられ、後藤は保坂に1,943票の僅差で敗れたが、再度比例復活した(小野次郎も比例復活し、山梨3区で立候補した3人は全員当選)。

2009年第45回衆議院議員総選挙では、民主党への強い追い風に乗り、自民党の小野次郎に比例復活すら許さない大差をつけ、圧勝した(小野はその後自民党を離党し、みんなの党公認で参議院議員に転出)。同年、鳩山由紀夫内閣文部科学大臣政務官に任命され、菅内閣まで務める。2011年9月、野田内閣内閣府副大臣に任命され、11月から拉致問題担当の副大臣も兼務する。内閣府副大臣は野田第2次改造内閣まで務めた。

2012年第46回衆議院議員総選挙では、山梨3区で自民党の中谷真一の猛追を受け苦戦を強いられるも、172票の僅差で逃げ切り、4選。選挙後、民主党国会対策委員長代理に就任。2013年9月、松原仁国会対策委員長代行の国対委員長昇格に伴い、後任の国対委員長代行に就任した[2]

2014年11月4日、翌年の山梨県知事選挙無所属で出馬する意向を表明し、民主党に離党届を提出[3]11月7日、衆議院事務局に議員辞職願を提出し[4]11月11日の衆議院本会議で辞職が許可された[5]。後藤の辞職により、山梨3区は廃止が予定されている選挙区ながら補欠選挙が行われる見通しだったが、直後に衆議院解散されたため、補選は実施されなかった[6]2015年1月25日投開票の山梨県知事選挙では、民主党に加え自民党、公明党の推薦も受けて当選し[7]2月17日に山梨県庁に初登庁した[8]

衆議院議員時代の政策・主張[編集]

知事としての政策[編集]

  • 「県まち・ひと・しごと創生人口ビジョン」として山梨県の人口を2060年を目途に100万人にする政策を掲げている。選挙出馬時には「定住者のみで100万人」を目指すとしたが、知事就任後は別荘などの利用者や帰郷者、県内を訪れる旅行者を「リンケージ人口」として100万人の中に含め、定住者の人口は2015年時点の83万人から75万人になるとしている[12]。これについて後藤知事は会見で「人口の定義は定住に限らない。下方修正ではない」と釈明したが、有権者や有識者から「県民の受け止め方と隔たりがある」と批判が出ている[13]
  • 日本国政府が2016年4月より実施する「年収360万円未満の世帯は3歳になるまで2人目の保育料は半額、3人目以降は無料」の政策を拡大し、「山梨県在住の年収640万円未満の世帯は3歳になるまで2人目以降の保育料は無料」とした。上述の人口100万人政策の一環として県主導で上乗せする形をとり、事業費は県と市町村で折半する[14]
  • 機械・電子産業の育成を目的とした県立の高等専門学校の設置」および「重粒子線治療」の導入を目指していた。しかし検討委員会から「時間を要する」などを理由に修正を迫られ[15]、その後の定例会見で「(公約に掲げていた時の)1年前に見通すことができなかった」と事実上の後退を示唆する発言をしている[16]
  • 中央新幹線山梨県駅(仮称)の周辺について住宅や商業施設、地産地消型の発電設備や、総合球技場の整備を打ち出し、前知事による「商業施設を抑制し、公共施設に特化する」の方針と異なり民間資本を誘致し、人や産業の集積を図ろうとしている[17]

脚注[編集]

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  1. ^ 山梨県/知事プロフィール
  2. ^ [1]
  3. ^ “後藤斎・衆院議員が立候補表明 来年1月の山梨知事選”. 朝日新聞. (2014年11月4日). http://www.asahi.com/articles/ASGC44258GC4UZOB004.html 2015年2月25日閲覧。 
  4. ^ “民主・後藤斎氏が議員辞職願 山梨県知事選出馬で”. 産経新聞. (2014年11月7日). http://www.sankei.com/politics/news/141107/plt1411070030-n1.html 2015年2月25日閲覧。 
  5. ^ “後藤斎議員の辞職許可 衆院、山梨知事選出馬で”. 日本経済新聞. (2014年11月12日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS11H39_R11C14A1PP8000/ 2015年2月25日閲覧。 
  6. ^ “山梨知事選、民主・後藤議員が出馬表明 無所属で”. 日本経済新聞. (2014年11月4日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS04H2C_U4A101C1PE1000/ 2015年2月25日閲覧。 
  7. ^ “山梨知事選、後藤氏が初当選…元民主党衆院議員”. 読売新聞. (2015年1月25日). http://www.yomiuri.co.jp/election/local/20150125-OYT1T50105.html 2015年2月25日閲覧。 
  8. ^ “後藤知事が初登庁”. 読売新聞. (2015年2月18日). http://www.yomiuri.co.jp/local/yamanashi/news/20150217-OYTNT50191.html 2015年2月25日閲覧。 
  9. ^ 2009年衆院選時朝日新聞アンケート調査への回答
  10. ^ 2009年衆院選時毎日新聞アンケート調査への回答
  11. ^ a b c d e f “2012衆院選 山梨3区 後藤斎”. 毎日jp (毎日新聞社). http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_area_meikan.html?mid=A19003004004 2014年4月8日閲覧。 
  12. ^ 公約の下方修正否定 知事「『定住』は思い違い」(2015年9月3日、毎日新聞
  13. ^ 人口、45年後75万人 「100万人」と隔たり(2015年9月3日、朝日新聞
  14. ^ 山梨県が第2子以降3歳まで無料に 全国初(2016年1月13日、毎日新聞
  15. ^ 『知事の公約 黄信号…検討委が修正迫る』(2016年2月3日)
  16. ^ 『重粒子線治療と高専新設 山梨知事、2公約を軌道修正 「見通せなかった」』(2016年2月5日、産経新聞
  17. ^ リニアを山梨県発展に生かせるか 知事就任1年、問われる指導力(2016年2月16日、産経新聞


公職
先代:
横内正明
山梨県の旗 山梨県知事
公選第18代:2015年 -
次代:
(現職)
先代:
東祥三山口壮末松義規
日本の旗 内閣府副大臣
石田勝之中塚一宏と共同
石田勝之松下忠洋末松義規中塚一宏と共同
石田勝之吉田泉末松義規中塚一宏と共同

2011年 - 2012年
次代:
藤本祐司白眞勲松宮勲今野東大島敦前川清成園田康博
先代:
萩生田光一浮島とも子
日本の旗 文部科学大臣政務官
高井美穂と共同

2009年 - 2010年
次代:
笠浩史林久美子