ハロルド・ウィルソン
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ハロルド・ウィルソン Harold Wilson | |
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![]() ハロルド・ウィルソン(1967年) | |
生年月日 | 1916年3月11日 |
出生地 |
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没年月日 | 1995年5月24日(79歳没) |
死没地 |
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出身校 | オックスフォード大学ジーザス・カレッジ卒業 |
所属政党 | 労働党 |
配偶者 | マリー・ボールドウィン |
在任期間 |
1964年10月16日 - 1970年6月19日 1974年3月4日 - 1976年4月5日 |
女王 | エリザベス2世 |
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在任期間 | 1963年2月14日 - 1976年4月5日 |
在任期間 | 1970年6月19日 - 1974年3月4日 |
ウィルソン・オブ・リーヴォール男爵、ジェームズ・ハロルド・ウィルソン(James Harold Wilson, Baron Wilson of Rievaulx, KG, OBE, PC, FRS, FSS 1916年3月11日 – 1995年5月24日)は、英国の政治家。労働党党首、首相を務めた。
来歴[編集]
生い立ち[編集]
ハダースフィールドに生まれる。オックスフォード大学ジーザス・カレッジを卒業し、21歳で同大学の経済学講師に就任する。
政治[編集]
第二次世界大戦下で行われた1945年の総選挙で下院議員に初当選し、クレメント・アトリー内閣に次官級で入閣する。1947年には、商業大臣 (President of the Board of Trade) に就任する。
1960年に労働党党首選挙に初めて挑むが、現職のヒュー・ゲイツケルに大差で惨敗する。しかし、1963年にゲイツケルの急死にともなう党首選挙に再挑戦し、当選する。
首相[編集]
1964年の総選挙では労働党が13年ぶりに勝利し、首相に就任する。第6回選挙法改正を行い、18歳以上の男女に選挙権を与えた。
1970年の総選挙で敗北し下野するが、1974年2月の総選挙で労働党が過半数に及ばないものの第1党になったため、少数与党内閣を組織して首相に返り咲いた。さらに安定した政局運営を図って7か月後に議会を解散、同年10月の総選挙の結果、かろうじて過半数に達した。
1975年4月に労働党内の意見が二分される中、ヨーロッパ経済共同体 (EEC) への残留を国民投票により決定した。任期終了まで首相を務めあげるかと思われたが、1976年3月に首相を突然辞任した。
引退後[編集]
引退後はブラッドフォード大学の学長を1985年まで務めた他、王立統計協会会長などを務め1995年に死去した。なお1976年に突然引退した理由は長く明らかにされなかったが、死後にアルツハイマー病がその理由だったことがはじめて公表された。
エピソード[編集]
- ビートルズの「タックスマン」の歌詞に出てくる人物としても有名である。
- ミュンヘンの悲劇における機長への扱いに関して言及し、同事故の再調査が行なわれるきっかけを作り、これによって機長への過失が晴れることになった。
関連項目[編集]
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会 | ||
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先代: スティーブン・キング=ホール |
オームスカーク選挙区選出庶民院議員 1945年–1950年 |
次代: ロナルド・クロス |
新設 | ハイトン選挙区選出庶民院議員 1950年–1983年 |
廃止 |
公職 | ||
先代: ジョージ・ブラウン 代理 |
野党党首 1963年–1964年 |
次代: アレック・ダグラス=ヒューム |
先代: アレック・ダグラス=ヒューム |
首相 1964年–1970年 |
次代: エドワード・ヒース |
第一大蔵卿 1964年–1970年 | ||
新設 | 国家公務員担当大臣 1968年–1970年 | |
先代: エドワード・ヒース |
野党党首 1970年–1974年 | |
首相 1974年–1976年 |
次代: ジェームズ・キャラハン | |
第一大蔵卿 1974年–1976年 | ||
国家公務員担当大臣 1974年–1976年 | ||
党職 | ||
先代: オーステン・アルブ |
フェビアン協会会長 1954年–1955年 |
次代: マーガレット・コール |
先代: ディック・クロスマン |
全国執行委員会議長 1961年–1962年 |
次代: ダイ・デイヴィーズ |
先代: ジョージ・ブラウン 代理 |
労働党党首 1963年–1976年 |
次代: ジェームズ・キャラハン |
学職 | ||
新設 | ブラッドフォード大学学長 1966年–1985年 |
次代: ジョン・ハーヴェイ=ジョーンズ |
先代: ジョージ・アルフレッド・バーナード |
王立統計協会会長 1972年–1973年 |
次代: D・J・フィニー |