エゼルレッド2世 (イングランド王)

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エゼルレッド2世

エゼルレッド2世Ethelred II, 968年 - 1016年4月23日)は、イングランド王(在位:978年 - 1013年1014年 - 1016年)。「エゼルレッド無思慮王」、「エゼルレッド無策王」(Ethelred the Unready)とも称される。

生涯[編集]

先王のエドワード殉教王が暗殺されたため10歳で王位についた。エゼルレッドは、その治世を通じて絶えずデーン人の侵入に苦しめられた。デーン人が侵入する都度、イングランドは「デーンゲルド」と称される退去料を支払ってきた。これは一時的な平和には寄与したものの、イングランド財政には大きな負担となった。

エゼルレッドは、デーン人がノルマンディーを拠点としてイングランドに攻撃を仕掛けることを恐れた。そのため、ノルマンディー公国と友好関係の樹立を図り、ノルマンディー公リシャール1世の娘エマと結婚した。

また、エゼルレッドはデーン人に対する懸念から、国内のデーン人を虐殺した。このことは、当時のデンマーク王スヴェン1世の反発を招き、デーン人の侵入を激化させることになった。イングランドの国内勢力をまとめ上げることもかなわず、ついに1013年、デーン人の攻撃に屈して姻戚関係にあったノルマンディーへの亡命を余儀なくされた。

こうしてスヴェン1世にイングランド王位を奪われたが、翌1014年にスヴェン1世が急逝した。そのため、エゼルレッドはイングランドに帰国して復位を果たした。しかし、デーン人のカヌート(のちのデンマーク王クヌーズ1世)がイングランド遠征を引き継いだため、引き続きデーン人との攻防は続いた。だが、1015年には3代の国王に仕えて「デーンゲルド」政策推進の中心人物であった重臣エアドリチがカヌートに内応して離反してしまう。これによってイングランド側は苦境に立たされる。こうした状況の中、生涯を通じてデーン人と争ったエゼルレッドは、1016年に病没した。

その後、エゼルレッドの息子エドマンド2世が王位を継承した。しかし、間もなくエドマンドも死去したため、デーン人のカヌートがイングランドの王位につくことになる。

評価[編集]

デーン人に国を奪われたために後世「無思慮王」と呼ばれ、歴代のイングランド王の中でもジョン王と並ぶ暗君と言われ続けた。一方で、同時期の古文書の研究の進展とともに、エゼルレッドの治世において初めて文書による行政運営が行われたことや、法典編纂などが進められた事がわかり、その後のイングランドの政治の範となった要素も少なくないことが知られてきた。

大衆文化[編集]