ジャマル・カショギ

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ジャマル・カショギ
JamalKahshoggi.png
2011年撮影
生誕 ジャマル・アフマド・カショギ
(1958-10-13) 1958年10月13日
サウジアラビア マディーナ
死没 2018年10月2日(2018-10-02)(59歳)
トルコ イスタンブール
国籍 サウジアラビア
出身校 インディアナ州立大学
職業 ジャーナリスト、作家
親戚 アドナン・カショギ(おじ)
ドディ・アルファイド(いとこ)
公式サイト https://jamalkhashoggi.com

ジャマル・アフマド・カショギ または ジャマール・アフマド・ハーショグジー (アラビア語: جمال خاشقجي‎,1958年10月13日-2018年10月2日)[1][注釈 1]はサウジアラビアのジャーナリスト、批評家[2]、作家で、アル・アラブ・ニュース・チャンネルAl Arab News Channel英語版の前管理者[3]である。 サウジアラビアの近代化論者とされる[4]

2018年、サウジアラビア領事館内で殺害されたとみられる。

経歴[編集]

1958年、サウジアラビア王国マディーナに生まれた[3]

学歴[編集]

中等教育までサウジ国内で施され、インディアナ州立大学に進学し1982年には経営学学士を取得した。[3][5][6]

職歴[編集]

カショギは、1983年から1984年までティハマ(Tihama)書店の地域マネージャーとして勤務した[7]

1985年から1987年までサウジ・ガゼットSaudi Gazette英語版の特派員およびオカーズOkaz英語版のアシスタントマネージャーを務めた[7][3][7]。1987年から1990年までアッシャルクル・アウサトAl-Sharq al-Awsat英語版アル=マジャッラAl Majalla英語版、アル=ムスリメーンAl Muslimoon英語版などさまざまな日刊紙や週刊誌のリポーターを務め、1991年にはアル=マディーナ Al Madina (newspaper)英語版の責任編集者、実働編集長に就任した。この部署は99年まで続いた。ここではアフガニスタン、アルジェリア、クウェート、スーダン等での特派員を担当した[3][8]。 サウジアラビアの主要な英字新聞であるアラブニューズArab News英語版の編集長に任命され、1999年から2003年まで勤務した。 2003年にアル=ワタンAl-Watan英語版の編集長となった[3][9][10][8]。リベラルな社風で知られるワタン紙は2003年5月22日付紙面にイブン・タイミーヤを揶揄する記事を掲載したが[11]宗教保守層の怒りを買い、カショギはサウジアラビア情報省によってこの「事件」の責任を取らされる形で解雇され[12]、結果としてわずか二ヶ月の勤務となった。 その後ロンドンに拠点を移した[13][14]。 その後、メディア担当補佐官として、のちに在米サウジ大使となるトゥルキー・ビン・アブドゥッラー・アール・サウードTurki bin Faisal Al Saud英語版王子に仕えた。

2007年4月からアル=ワタン紙の二度目の編集長として勤務し始めた[8]が、2010年3月に再び辞職した[15]。アル=ワタン紙は辞職理由を「個人的な事業に専念するため」と発表したが、王制の厳格なイスラム法に批判的な記事が原因で強制的に辞職させられたとする報道もある[15]

ビンラディンへの取材[編集]

カショギは1980年代からオサマ・ビン・ラディンの生涯を追っており、幾度か取材している。カショギはビンラディンのイスラム主義者としての時期から知り合っており、ビンラディンがソ連軍に対しアフガニスタンで戦闘を行った1987年に取材している[4]。トラボラのほか、最終的にはスーダンで面会している[16]。かつてカショギがビンラディンに暴力を止めるよう説得したことがあったとする報道がある[17]

トランプ大統領[編集]

2016年12月、イギリスインデペンデントThe Independent)紙は、Middle East Eyeのリポートを引用し、カショギがアメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプを批判したことが原因で、サウジの権力者が出版やテレビへの出演を禁じたと報じた。[18]

在トルコ・サウジアラビア領事館にて殺害される[編集]

2018年10月2日、カショギはトルコイスタンブールにあるサウジアラビア領事館を訪れた後、行方不明となった[19]。トルコ当局は、カショギが同館内で殺害されたとの見方を示した[20]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ジャマルはジャマール、カショギはカーショギー、ハーショグジーとも。保坂修司によれば、ハーショグジーが原音のアラビア語ヒジャーズ方言に近く、カショギという表記はジャマールの親族アドナン・カショギが報道された際に、日本語メディアがアラビア語を参照せずローマ字への転写に「引きずられ」て生まれたものだという。“ジャマル・カショギがジャマール・ハーショグジーであるべき理由”. https://www.newsweekjapan.jp/hosaka/2018/10/post-24_1.php 2018年10月23日閲覧。 
  1. ^ 保坂修司「サウジアラビア」岩波新書(新赤版)、2005 ではジャマール・ハーショグジーと表記される。p177-p178
  2. ^ “Jamal Khashoggi: Turkey says journalist was murdered in Saudi consulate”. BBC News. (2018年10月8日). https://www.bbc.com/news/world-europe-45775819 
  3. ^ a b c d e f Speakers”. International Public Relations Association - Gulf Chapter (IPRA-GC) (2012年). 2018年10月8日閲覧。
  4. ^ a b Saudi newspaper head resigns after run-in with conservatives(archive.org、2010年3月20日) - https://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5gf-BSqGrt0Tpo_oj694sxlOtiN-A
  5. ^ Khashoggi, Jamal”. JRank Organization. 2018年10月8日閲覧。
  6. ^ Jamal Khashoggi”. SO.ME. 2018年10月8日閲覧。
  7. ^ a b c Jamal Khashoggi”. World Economic Forum. 2012年7月21日閲覧。
  8. ^ a b c “Q & A with Al Watan's Jamal Khashoggi”. Asharq Alawsat (Jeddah). (2007年4月25日). http://www.aawsat.net/2007/04/article55262916 2013年4月5日閲覧。 
  9. ^ Saudi editor-in-chief fired following criticism of Ibn Taymiyya, spiritual father of Wahhabism”. MEMRI (2003年7月9日). 2012年5月19日閲覧。
  10. ^ Murphy, Caryle (2011年1月11日). “Tactical Delivery”. The Majalla. http://www.majalla.com/eng/2011/01/article1731 2012年6月25日閲覧。 
  11. ^ 保坂修司「サウジアラビア」岩波新書(新赤版)、2005 第4章 リヤードの春?「ワタン紙事件」p177-178
  12. ^ Blanford, Nicholas (2003年6月5日). “Reformist impulse in Saudi Arabia suffers setback”. The Christian Science Monitor. http://www.csmonitor.com/2003/0605/p07s01-wome.html 2013年3月1日閲覧。 
  13. ^ Soubra Barrage, Rada (2007年). “The domestic challenges facing Saudi Arabia”. Ecommons. 2013年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月8日閲覧。
  14. ^ Wright, Lawrence (2006年9月11日). “The master plan”. The New Yorker. http://itrams1.com/International_Tactical_Rescue_and_Medicine_Society/Terrorism_files/AQ%2020%20year%20Plan%20(full).pdf 2012年4月8日閲覧。 
  15. ^ a b “Saudi editor Jamal Khashoggi resigns from AlWatan”. BBC. (2010年5月17日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/8686340.stm 2013年3月1日閲覧。 
  16. ^ Susanne Koelbl (2011年6月14日). “Last Bastion: Saudi Arabia's Silent Battle to Halt History”. Der Spiegel (Riyadh). http://www.spiegel.de/international/world/last-bastion-saudi-arabia-s-silent-battle-to-halt-history-a-768368.html 2013年8月26日閲覧。 
  17. ^ “Head of Saudi's most daring newspaper resigns”. Al Arabiya. (2010年5月16日). http://www.alarabiya.net/articles/2010/05/16/108790.html 2012年4月30日閲覧。 
  18. ^ Osborne, Samuel. “Saudi Arabia bans journalist for criticising Donald Trump”. The Independent. https://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/saudi-arabia-donald-trump-journalist-banned-for-criticising-us-president-elect-a7456956.html 2017年2月16日閲覧。 
  19. ^ INC., SANKEI DIGITAL (2018年10月17日). “カショギ氏不明「尋問中のミスで死亡」と米CNN報道 トルコがサウジ領事館を捜索” (日本語). 産経ニュース. https://www.sankei.com/world/news/181017/wor1810170004-n1.html 2018年10月17日閲覧。 
  20. ^ “サウジ記者、殺害後に遺体切断か トルコ当局者” (日本語). CNN.co.jp. (2018年10月17日). https://www.cnn.co.jp/world/35127101.html 2018年10月17日閲覧。 

外部リンク[編集]