観艦式

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観艦式(かんかんしき)とは、軍事パレードのひとつで、軍艦を並べて壮行するのことである。国家の祝典の際や、海軍記念行事の一環として行なわれるのが一般的である。2005年平成17年)には、トラファルガー海戦200周年を記念する国際観艦式がイギリス・ポーツマスで行われた。

現代では水上艦や潜水艦だけでなく海軍航空隊の航空機も参加することが多い。

目的[編集]

かつては、味方の艦隊を観閲することにより、士気を高め、国民や友好勢力には、精強さをアピールすると共に、敵勢力に対する示威行為とすることであった。しかし現在では、他国からの艦艇を招き、国際親善や防衛交流を促進することや、自国民の海軍に対する理解を深めることが主要な目的である。

方法[編集]

主に、受閲艦艇が停泊し、その間を観閲艦艇が航行する方法が世界的には多い方式である。この他に、受閲艦艇と観閲艦艇の双方が航行しながら観閲する方法や陸上から観閲する方法がある。海上自衛隊の場合には、双方が航行しながら観閲する方法を採用しているが、さらに展示訓練を加えている。

起源[編集]

観艦式の起源は、1341年、英仏の百年戦争の最中に、イングランドエドワード3世が出撃の際、自軍艦隊の威容を観閲したことに始まる。また、現在各国で行なわれている観艦式の様式は、1897年明治30年)、イギリスのビクトリア女王即位60年祝賀の際に挙行されたものが基となっている。

日本海軍[編集]

日本における観艦式の起源は、明治元年3月26日(1868年)に大阪の天保山の沖において行われたものである[1]。この時は、明治天皇が陸上から観閲し[1]、受閲艦艇は日本の6隻及びフランス海軍の1隻で、受閲艦艇の総指揮官は旗艦電流丸佐賀藩)に座乗した石井忠亮海軍中佐であった。

その後、1878年明治11年)に当時の海軍卿川村純義が、海軍の本体である艦隊そのものを天覧に供することで海軍の進歩を図るべきと、太政大臣三条実美に上申し、その結果、1890年明治23年)に神戸沖で実施された「海軍観兵式」が近代海軍としての観艦式の始まりである。その次の1900年明治33年)の式からは名称も「観艦式」となった。1900年から1908年(明治41年)まで御召艦(おめしかん)に選ばれた装甲巡洋艦「浅間」は、日本海軍の観艦式で最も多数回、御召艦に選ばれた軍艦である。

戦前には、観艦式は明治元年に天保山沖で行なわれたものから数えて全部で18回[2]行なわれた。特に、1905年明治38年)の東京湾凱旋観艦式(日露戦争凱旋観艦式)と、1928年昭和3年)の昭和天皇即位の大礼に伴う観艦式は、連合艦隊に加え、外国の軍艦も参加する盛大なものであった。

観艦式

観艦式一覧[編集]

ここでは便宜上、正式名称の前に年号を付加してそれぞれの観艦式を区別する(1940年(昭和15年)の紀元二千六百年特別観艦式を除く)。名称の後に続くのは実施日と実施場所(と備考)[3]

海軍天覧(軍艦叡覧)
明治元年3月26日(1868年4月18日)、大阪天保山沖。
参加:軍艦6隻(2,452トン)
御召艦
なし、陸上より親閲
電流丸』、『萬里丸』、『千歳丸』、『三邦丸』、『華陽丸』、『萬年丸』
他に仏軍艦『デュプレクス
海軍観兵式
1890年(明治23年)4月18日、神戸沖。
参加:軍艦18隻(3万2,854トン)、その他12隻(1,528トン)
御召艦
高千穂
内列-常備艦隊
『高千穂』(旗艦兼御召艦)、『扶桑』、『大和』、『葛城』、『武蔵』、『日進』、『八重山』、『高雄』、『浪速
外列-演習艦隊
金剛』(旗艦)、『比叡』、『天龍』、『海門』、『磐城』、『鳳翔』、『愛宕』、『摩耶』、『筑紫
その他
『第一震天』、『第二震天』、『第四震天』、
小鷹』、『第一号』、『第二号』、『第三号』
『第一横須賀丸』、『第二横須賀丸』、他運送船3隻
赤城[4]
大演習観艦式
1900年(明治33年)4月30日、神戸沖。
御召艦:『浅間』
参加:軍艦23隻、水雷駆逐艇(駆逐艦)8隻、水雷艇18隻、計49隻(12万9,601トン)
御召艦
『浅間』
供奉艦
明石』、『宮古』、『八重山』、
陽炎
第一列
敷島』、『八島』、『富士』、『常磐』、『鎮遠』、『扶桑』、『松島』、『厳島』、『橋立
第二列
笠置』、『千歳』、『高砂』、『吉野』、『高千穂』、『秋津洲』、『和泉』、『千代田』、『龍田
第三列
豊橋』、
』、『』、『
』、『福龍』、『第二十四号』、『第二十九号』、『第三十一号』、『第三十三号』、『第三十五号』、『第十二号』、『第十七号』
第四列
東雲』、『叢雲』、『夕霧』、『不知火
『小鷹』、『第二十一号』、『第二十五号』、『第三十号』、『第三十二号』、『第三十四号』、『第三十六号』、『第十三号』、『第二十六号』
大演習観艦式
1903年(明治36年)4月10日、神戸沖。
参加:軍艦32隻、駆逐艦13隻、水雷艇23隻、その他1隻、計69隻(21万7,176トン)
御召艦
『浅間』
供奉艦
『宮古』、『千早』、『金剛』
『夕霧』、
『呉丸』
参加軍艦
三笠』、『初瀬』、『敷島』、『朝日』、『富士』、『八島』
『常磐』、『磐手』、『出雲』、『八雲』、『吾妻
『笠置』、『千歳』、『高砂』、『吉野』、『浪速』、『高千穂』、『秋津洲』、『須磨』、『明石』、『和泉』、『千代田』
『鎮遠』、『扶桑』
平遠』、『高雄』、『筑紫』、
駆逐艦
『雷』、『電』、『曙』、『叢雲』、『不知火』、『陽炎』、『薄雲』、『』、『』、『白雲』、『朝潮』、『
水雷艇
『隼』、『白鷹』、『』、『真鶴』、『千鳥』、『第三十九号』、『第四十号』、『第四十一号』、『第四十二号』、『第四十三号』、『第六十二号』、『第六十三号』、『第六十四号』、『第六十五号』、『第六十六号』、『第三十一号』、『第三十二号』、『第三十三号』、『第三十四号』、『第三十五号』、『福龍』、『第二十一号』、『第二十四号』
東京湾凱旋観艦式(日露戦争凱旋観艦式)
1905年(明治38年)10月23日、横浜沖。日露戦争終結
参加:軍艦38隻、仮装巡洋艦12隻、駆逐艦28隻、水雷艇77隻、潜水艇5隻、計165隻(32万4,159トン)
御召艦
『浅間』
供奉艦
『龍田』、『千早』、『八重山』
満州丸
参加軍艦
『敷島』、『富士』、『朝日』、『相模』、『丹後』、『扶桑』、『鎮遠』、『壱岐
『出雲』、『常磐』、『八雲』、『吾妻』、『磐手』、『春日』、『日進
『浪速』、『高千穂』、『厳島』、『橋立』、『笠置』、『千歳』、『和泉』、『千代田』、『秋津洲』、『須磨』、『明石』、『新高』、『対馬』、『音羽』、『沖島』、『見島
『高雄』、『筑紫』、『磐城』、『摩耶』、『鳥海』、『赤城』、『宇治
仮装巡洋艦
『姉川丸』、『松江丸』、『日本丸』、『香港丸』、『八幡丸』、『臺中丸』、『臺南丸』、『豊橋』、『春日丸』、『日光丸』、『熊野丸』、『韓崎丸
駆逐艦
『東雲』、『叢雲』、『夕霧』、『不知火』、『陽炎』、『薄雲』、『雷』、『電』、『曙』、『漣』、『』、『白雲』、『朝潮』、『霞』、『春雨』、『村雨』、『朝霧』、『有明』、『吹雪』、『』、『皐月』、『』、『初霜』、『神風』、『弥生』、『子日』、『如月』、『山彦
水雷艇
『小鷹』以下七七隻
潜水艇
第一』、『第二』、『第三』、『第四』、『第五
大演習観艦式
1908年(明治41年)11月18日、神戸沖。
参加:軍艦50隻、駆逐艦53隻、水雷艇12隻、潜水艇7隻、その他1隻、計124隻(40万4,460トン)
御召艦
『浅間』
供奉艦
満州』、『浦波』、『豊橋』、『韓崎
第一列
『三笠』、『富士』、『朝日』、『相模』、『敷島』、『肥前』、『石見』、『周防』、『吾妻』、『八雲』、『日進』、『春日』、『宗谷』、『音羽』、『新高』、『対馬』
第二列
筑波』、『生駒』、『香取』、『鹿島』、『出雲』、『磐手』、『常磐』、『阿蘇』、『笠置』、『千歳』、『浪速』、『高千穂』、『秋津洲』、『千代田』
第三列
『壱岐』、『鎮遠』、『沖島』、『見島』、『厳島』、『橋立』、『八重山』、『須磨』、『最上』、『龍田』、『和泉』、『千早』、『鈴谷』、『明石』
第四列
駆逐艦・水雷艇14隻
第五列
駆逐艦・水雷艇・その他22隻
第六列
駆逐艦・水雷艇20隻、潜水艇7隻
列外
外国陪観艦船
大演習観艦式
1912年(大正元年)11月12日、横浜沖。
参加:軍艦45隻、駆逐艦53隻、水雷艇11隻、潜水艇3隻、その他3隻、計115隻(46万0,825トン)、水上機2機
御召艦
筑摩
先導艦
海風
供奉艦
平戸』、『矢矧』、『満州』
恒例観艦式
1913年(大正2年)11月10日、横須賀沖。
参加:軍艦29隻、駆逐艦28隻、計57隻(35万3,965トン)、水上機4機
御召艦
『香取』
供奉艦
『朝日』、『
御大礼特別観艦式
1915年(大正4年)12月4日、横浜沖。
参加:軍艦53隻、駆逐艦52隻、潜水艇6隻、水雷艇3隻、その他10隻、計124隻(59万8,848トン)、水上機9機
御召艦
『筑波』
供奉艦
『常磐』、『矢矧』、『満州』
指揮官乗艦
扶桑
第一艦隊
第一戦隊『摂津』、『河内』、『安芸』、『薩摩
第三戦隊:『比叡』、『金剛』、『榛名』、『霧島
第五戦隊:『鞍馬』、『伊吹』、『生駒』、『筑波』
第一水雷戦隊:『八雲』、第十六、第十一、第十、第七駆逐隊
第三水雷戦隊:『春日』、第五、第六、第八、第十四駆逐隊
第二艦隊
第二戦隊:『鹿島』、『三笠』、『敷島』、『肥前』、『朝日』、『周防』、『相模』、『石見』、『富士』
第四戦隊:『日進』、『常磐』、『阿蘇』、『宗谷』
第六戦隊:『磐手』、『出雲』、『吾妻』
第二水雷戦隊:『利根』、第一、第二、第三、第九駆逐隊
第四水雷戦隊:『韓崎』、『駒橋』、第二、第三潜水艇隊、第一、第二、第九艇隊
第三艦隊
第七戦隊:『津軽』、『平戸』、『筑摩』、『矢矧』、『笠置』、『千歳』
第八戦隊:『対馬』、『新高』、『音羽』、『最上』
第九戦隊:『橋立』、『大和』、『武蔵』、『千早』、『嵯峨』、『宇治』
列外
『満州』、『熊野丸』、『高崎』、『若宮』、『松江
恒例観艦式
1916年(大正5年)10月25日、横浜沖。
参加:軍艦26隻、駆逐艦43隻、潜水艇6隻、その他9隻、計84隻(47万2,254トン)、水上機4機
御召艦
『筑波』
供奉艦
『伊吹』
御親閲式
1919年(大正8年)7月29日、横須賀沖。第一次世界大戦地中海へ派遣された第一、第二特務艦隊工作艦関東ドイツからの戦利潜水艦7隻を親閲。
参加:計26隻(8万6,013トン)
御召艦
『出雲』
供奉艦
『磐手』、『浦風
第一特務艦隊:『磐手』、『千歳』
第二特務艦隊:『出雲』、『日進』
第二十二駆逐隊:『』、『』、『』、『
第二十三駆逐隊:『』、『』、『』、『
第二十四駆逐隊:『』、『』、『』、『
工作船『関東』
ドイツ戦利潜水艦7隻
大演習観艦式
1919年(大正8年)10月28日、横浜沖。
参加:計111隻(62万4,180トン)、飛行機12機
御召艦
『摂津』
供奉艦
『平戸』、『香取』、『筑摩』、『満州』
大演習観艦式
1927年(昭和2年)10月30日、横浜沖。
参加:計158隻(66万4,292トン)、飛行機82機、飛行船3隻
御召艦
陸奥
先導艦
鬼怒
供奉艦
阿武隈』、『由良』、『球磨』、『長良
第一列
長門』、『伊勢』、『日向』、『山城』、『扶桑』、『赤城』、『鳳翔』、『川内』、『名取』、『那珂』、『平戸』、『五十鈴』、『島風』、『灘風』、『夕風』、『汐風
第二列
『金剛』、『比叡』、『加古』、『古鷹』、『青葉』、『衣笠』、『大井』、『矢風』以下駆逐艦14隻
第三列
龍田』、『梅』以下駆逐艦13隻、『多摩』、『三二号駆逐艦』以下駆逐艦11隻
第四列
夕張』、『二八号駆逐艦』以下駆逐艦25隻
第五列
迅鯨』、『呂六七』以下9隻、『長鯨』、『伊二』以下10隻、駆逐艦5隻
第六列
木曾』、潜水艦9隻、『北上』、潜水艦10隻、掃海艇4隻
第一番列外
大泊』以下特務艦艇12隻
第二番列外
『大成丸』以下各種艦艇12隻
御大礼特別観艦式
1928年(昭和3年)12月4日、横浜沖。
参加:計186隻(77万8,891トン)、飛行機130機、飛行船2隻
御召艦
『榛名』
先導艦
『金剛』
供奉艦
『比叡』、『磐手』
第一列
『長門』、『陸奥』、『扶桑』、『日向』、『山城』他巡洋艦15隻
第二列
『春日』、『』以下駆逐艦31隻
第三列
天龍』、『芙蓉』以下駆逐艦31隻
第四列
加賀』、『赤城』、『鳳翔』、『那智』、『衣笠』、『青葉』、『加古』、『古鷹』、『長良』以下巡洋艦4隻、『東雲』以下駆逐艦8隻
第五列
『長鯨』、『迅鯨』、『吹雪』以下駆逐艦5隻、潜水艦19隻、掃海艇5隻、『朝日』、『大泊』
第六列
』、『駒橋』、『海風』以下駆逐艦4隻、潜水艦20隻、掃海艇5隻、特務艦3隻
第一番列外
米:『ピッツバーグ』、英:『ケント』、『サフォーク』、『ベルウィック』、仏:『ジュール・ミシュレ』、伊:『リビア』、蘭:『ジャワ』、各国特務艦11隻
第二番列外
『大成丸』以下拝観船15隻
特別大演習観艦式
1930年(昭和5年)10月26日、神戸沖。
参加:計165隻(70万3,295トン)、飛行機72機
御召艦
『霧島』
先導艦
足柄
供奉艦
妙高』、『那智』、『羽黒
第一列
『陸奥』、『榛名』、『山城』、『伊勢』、『長門』、『日向』、『青葉』、『衣笠』、『加古』、『古鷹』、『北上』、『多摩』、『厳島』、『白鷹』以下14隻
第二列
『赤城』、『加賀』、『鳳翔』、『由良』、『長良』、『川内』、『名取』、『神通』、『大井』、『龍田』、『野風』以下18隻
第三列
『夕張』、『太刀風』以下駆逐艦23隻、掃海艇
第四列
『那珂』、『早蕨』以下駆逐艦22隻、掃海艇
第五列
『鬼怒』、『深雪』以下駆逐艦13隻、掃海艇
第六列
『天龍』、『五十鈴』、海防艦、特務艦、敷設艦、潜水艦23隻
番外第一列
早鞆』以下16隻
番外第二列
『べるふあすと丸』以下18隻
大演習観艦式
1933年(昭和8年)8月25日、横浜沖。
参加:計161隻(84万7,766トン)、飛行機200機
御召艦
『比叡』
先導艦
鳥海
供奉艦
愛宕』、『高雄』、『摩耶
第一列
『春日』、掃海艇6隻、駆逐艦8隻、特務艦艇9隻
第二列
『加賀』、『鳳翔』、『青葉』、『衣笠』、『加古』、『神通』、駆逐艦12隻、特務艦2隻
第三列
『陸奥』、『日向』、『榛名』、『金剛』、『阿武隈』、『名取』、『由良』、『夕張』、駆逐艦12隻、『白鷹』
第四列
『迅鯨』、『球磨』、『多摩』、潜水艦21隻、『厳島』
第五列
『長門』、『扶桑』、『霧島』、『伊勢』、『足柄』、『那智』、『羽黒』、『妙高』、『古鷹』、『大井』、『那珂』、『川内』、『木曾』、『北上』、駆逐艦3隻
第六列
『赤城』、『龍驤』、『鬼怒』、駆逐艦16隻、潜水艦3隻
第七列
『龍田』、駆逐艦12隻、『長鯨』、潜水艦11隻
列外
『野島』以下15隻
特別大演習観艦式
1936年(昭和11年)10月29日、神戸沖。
参加:計100隻(58万0,133トン)、飛行機100機
紀元二千六百年特別観艦式
1940年(昭和15年)10月11日、横浜沖。日本海軍最後の観艦式
参加:計98隻、飛行機527機
御召艦
比叡
先導艦
高雄
供奉艦
加古』、『古鷹
第一列
赤城』、『飛龍』、『蒼龍』、『瑞穂』、『五十鈴』、『伊六十八』、『伊七十一』、『伊七十四』、『伊七十五』、『伊七』、『伊八』、『伊五十三』、『伊五十五』、『伊六十六』、『沖風』、『峯風』、『矢風
第二列
長門』、『陸奥』、『伊勢』、『山城』、『摂津』、『涼風』、『江風』、『村雨』、『春雨』、『夕立』、『五月雨』、『』、『綾波』、『浦波』、『初雪』、『白雪』、『吹雪
第三列
金剛』、『榛名』、『熊野』、『鈴谷』、『最上』、『利根』、『筑摩』、『陽炎』、『大潮』、『朝潮』、『荒潮』、『満潮』、『』、『不知火』、『黒潮』、『雪風』、『初風
第四列
千歳』、『神威』、『千代田』、『多摩』、『常磐』、『伊十六』、『伊百二十一』、『伊百二十三』、『伊百二十四』、『呂三十三』、『呂三十四』、『如月』、『弥生』、『望月』、『睦月
第五列
日向』、『沖島』、『蒼鷹』、『八重山』、『天龍』、『神風』、『沼風』、『波風』、『野風』、『伊十五』、『呂五十七』、『呂五十八』、『一号掃海艇』、『二号掃海艇』、『三号掃海艇』、『四号掃海艇』、『五号掃海艇』、『六号掃海艇
番外
長鯨』、『迅鯨』、『駒橋』、『勝力』、『明石』、『間宮』、『早鞆』、『尻矢』、『宗谷』、『朝光丸』、『金龍丸』、『大成丸』、『凌風丸』
大日本帝国海軍の特別観艦式(紀元二千六百年記念)として有名な写真。但し、画像中の戦艦・空母が近代化改装前であり、艦列などから見て、実際には昭和8年の大演習観艦式のものだと思われる。

海上自衛隊[編集]

太平洋戦争後は海軍解体に伴い途絶えていたが、1957年昭和32年)10月2日海上自衛隊により東京湾において再開された。その後、1973年昭和48年)まではほぼ毎年実施されていたが、オイルショックのためこの年を最後に中止された。1981年昭和56年)に復活し、それ以後はほぼ3年おきに行なわれている。

水上艦艇部隊、潜水艦部隊、航空部隊が参加する。当初は停泊方式であったが、1961年(昭和36年)の第3回から観閲部隊、受閲部隊ともに航走しながら実施する移動方式となった。非常に難易度が高く、世界的にも珍しい方式である。

1996年平成8年)以降は、自衛隊記念日の行事の一環として陸上自衛隊の「中央観閲式」、航空自衛隊の「航空観閲式」と持ち回りで行われる。観艦式の付帯行事として、平日に二度の予行が実施されるほか、青少年体験航海、艦艇の一般公開や音楽隊の演奏なども行われる。また、第3回から一般市民も公募で乗艦できるようになった。

内閣総理大臣を観閲官とし、自衛艦隊司令官が執行官を務める。

自衛隊観艦式一覧[編集]

回次 年 月 日 場所 形式  観閲官 観閲艦 艦艇 航空機 記 事
01 1957年(昭和32年)10月2日 東京湾 停泊式 内閣総理大臣 岸信介 ゆきかぜ 32隻 49機
02 1960年(昭和35年)11月2日 東京湾 停泊式 防衛庁長官 江崎真澄 あきづき 43隻 - 天候不良により49機の参加が予定されていた航空機はキャンセル
03 1961年(昭和36年)11月2日 東京湾 停泊式 防衛庁長官 藤枝泉介 「あきづき」 32隻 29機 初の移動観艦式
04 1962年(昭和37年)11月3日 大阪湾 停泊及び
移動
防衛政務次官 生田宏一 「あきづき」 48隻 - 天候不良により航空機31機の参加はキャンセル
政務次官が観閲したのはこの回のみ
05 1964年(昭和39年)11月2日 東京湾 停泊及び
移動
防衛庁長官 小泉純也 てるづき 52隻 - 天候不良により航空機31機の参加はキャンセル。
潜水艦がドルフィン運動を初披露
06 1965年(昭和40年)11月3日 大阪湾 移動式 防衛庁長官 松野頼三 あまつかぜ 49隻 51機
07 1966年(昭和41年)11月3日 博多湾 停泊及び
移動
防衛庁長官 上林山栄吉 「あまつかぜ」 37隻 56機 航空自衛隊機が14機飛来
08 1967年(昭和42年)11月5日 伊勢湾 移動式 防衛庁長官 増田甲子七 たかつき 43隻 数機 天候不良により航空機75機のうちほとんどがキャンセル
09 1968年(昭和43年)11月3日 東京湾 停泊式 内閣総理大臣 佐藤栄作 「たかつき」 44隻 47機
10 1969年(昭和44年)11月3日 大阪湾 移動式 防衛庁長官 有田喜一 きくづき 50隻 51機
11 1970年(昭和45年)11月3日 相模湾 移動式 防衛庁長官 中曽根康弘 もちづき 45隻 48機  
12 1971年(昭和46年)11月3日 佐世保 移動式 防衛庁長官 西村直己 「きくづき」 50隻 65機
13 1972年(昭和47年)11月5日 相模湾 移動式 防衛庁長官 増原惠吉 ながつき 51隻 61機 参加艦艇がすべて国産艦となる
14 1973年(昭和48年)9月16日 若狭湾 移動式 防衛庁長官 山中貞則 「たかつき」 39隻 48機 航空自衛隊機が39機参加
15 1981年(昭和56年)11月3日 相模湾 移動式 内閣総理大臣 鈴木善幸 しらね 45隻 55機 ヘリコプター搭載護衛艦が初参加
この回から観閲官はヘリで来艦、退艦し観閲・訓練展示のみ座乗[5]
16 1984年(昭和59年)11月4日 相模湾 移動式 防衛庁長官 加藤紘一 「しらね」 53隻 51機 自衛隊創設30周年記念観艦式
17 1987年(昭和62年)11月3日 相模湾 移動式 内閣総理大臣 中曽根康弘 「しらね」 54隻 49機
18 1989年(平成元年)11月5日 相模湾 移動式 内閣総理大臣 海部俊樹 「しらね」 55隻 51機
19 1992年(平成04年)10月11日 相模湾 移動式 内閣総理大臣 宮澤喜一 「しらね」 52隻 54機 海上自衛隊創設40周年記念観艦式
20 1994年(平成06年)10月16日 相模湾 移動式 内閣総理大臣 村山富市 「しらね」 45隻 52機 防衛庁創設40周年記念観艦式
21 1997年(平成09年)10月26日 相模湾 移動式 内閣総理大臣 橋本龍太郎 「しらね」 46隻 48機
22 2000年(平成12年)10月29日 相模湾 移動式 内閣総理大臣 森喜朗 「しらね」 63隻 38機 天候不良により航空機61機のうち半数がキャンセル
23 2002年(平成14年)10月13日 東京湾 停泊式 内閣総理大臣 小泉純一郎 「しらね」 65隻 11機 海上自衛隊創設50周年記念国際観艦式
アジア・太平洋地域の国を中心に11ヶ国から計17隻の艦艇が参加
24 2003年(平成15年)10月26日 相模湾 移動式 内閣総理大臣 小泉純一郎 「しらね」 52隻 53機
25 2006年(平成18年)10月29日 相模湾 移動式 内閣総理大臣 安倍晋三 くらま 48隻 50機
26 2009年(平成21年)10月25日 相模湾 移動式 首相代理副総理 菅直人 「くらま」 40隻 31機
27 2012年(平成24年)10月14日 相模湾 移動式 内閣総理大臣 野田佳彦 「くらま」 48隻 32機 海上自衛隊創設60周年記念観艦式
28 2015年(平成27年)10月18日 相模湾 移動式 内閣総理大臣 安倍晋三 「くらま」 42隻 37機

脚注[編集]

  1. ^ a b 澤鑑之丞 (1942年). 海軍七十年史談. 文政同志社. p. 21. 
  2. ^ 明治2年の凱旋整列式を含めると全部で19回。
  3. ^ この一覧は海軍歴史保存会『日本海軍史 第11巻』(第一法規出版、1995年)p32-33による。
  4. ^ 当時艤装中であったが拝観及び搭乗用として参加。
  5. ^ 14回までは全航程乗艦

参考文献[編集]

  • 「観艦式一覧」-『世界の艦船』2002年5月増刊号 海上自衛隊の50年(海人社)180-181頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]