有明 (初春型駆逐艦)

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Ariake II.jpg
艦歴
発注 マル1計画
起工 1933年1月14日
進水 1934年9月23日
就役 1935年3月25日
その後 1943年7月28日戦没
除籍 1943年10月15日
性能諸元(計画時)
排水量 基準:1,400t
公試:1,680t
全長 109.5m
全幅 10.6m
吃水 3.5m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 オール・ギアードタービン2基2軸 42,000hp
最大速 35.0ノット
兵員 205名
兵装 50口径12.7cm連装砲 2基4門
50口径12.7cm単装砲 1基1門
40mm単装機銃 2基
61cm3連装魚雷発射管 3基9門
(八年式魚雷18本)

有明(ありあけ)は、日本海軍駆逐艦[1][2]一等駆逐艦初春型の5番艦である[3]有明型駆逐艦に類別されていた時期もあった[4][5]

艦名[編集]

「有明」の艦名は、有明に由来し、既に春雨型駆逐艦「有明」に使用されていた(大正13年12月1日除籍)[6]。初春型駆逐艦「有明」は、日本海軍の艦船としては2代目となる。本艦喪失後、海上自衛隊ありあけ型護衛艦ありあけ」(旧フレッチャー級駆逐艦「ヘイウッド・L・エドワーズ」)が就役した[7]。3代目「ありあけ」がアメリカ軍に返還されたのち、4代目むらさめ型護衛艦ありあけ」が就役した。「有明」の艦名は帝国海軍・海上自衛隊を通じて四艦にわたり継承されたことになる[8]

1932年(昭和7年)12月10日、第六十三号逐艦[9]に「有明」の艦名が与えられる[1][2]。初春型4番艦(第六十二号駆逐艦)「初霜」、初春型6番艦(第六十四号駆逐艦)「夕暮」、千鳥型水雷艇「友鶴」「初雁」も同日附で命名されている[1][2]。3隻(初霜、有明、夕暮)は同日附で初春型駆逐艦に類別された[10]。 本艦は神戸川崎造船所1933年(昭和8年)1月14日に起工[11]。建造初期の段階で初春型1番艦「初春」の復元性能不良が判明し、設計を改めたため、本艦と姉妹艦「夕暮」は有明型駆逐艦(改初春型)とも呼ばれる[12][4]。 同年12月15日、2隻(有明、夕暮)は初春型よりのぞかれ『有明型駆逐艦』が新設、「有明」「夕暮」「白露」「時雨」「村雨」「夕立」「春雨」までが有明型に類別された(夕立、春雨は翌年10月、有明型に類別)[4][13]。 本艦は1934年(昭和9年)9月23日進水[11][14]。しかし「白露」以後の有明型は初春型から大幅に設計を改めており、厳密には同型艦といえなかった。一時期、『初春型』、『有明型』、『村雨型』、『海風型』という四種類が存在するに至ったものの[15]、11月19日をもって2隻(有明、夕暮)は初春型に戻され、あらたに白露型駆逐艦が新設された[12][5]。また村雨型・海風型も制式に使われる事はなかった[5]

艦歴[編集]

太平洋戦争まで[編集]

1934年(昭和9年)11月1日、神風型駆逐艦7番艦「疾風」駆逐艦長天野重隆少佐は有明艤装員長に任命される[16]。5日、艤装員事務所設置[17]1935年(昭和10年)3月25日に竣工した[11]。同日附で艤装員事務所を撤去[18]。天野も正式に本艦駆逐艦長(初代)となる[19]。 4月1日附で姉妹艦「夕暮」と共に第9駆逐隊を編制、初代駆逐隊司令は伊崎俊二中佐となる[20]。伊崎司令は司令駆逐艦を本艦に指定した[21]第二航空戦隊に編入され、同隊は3隻(空母《赤城》、第9駆逐隊《有明、夕暮》)となる[22]。 同年11月15日、第一艦隊・第一水雷戦隊(旗艦「阿武隈」、第9駆逐隊《有明、夕暮》、第21駆逐隊《初春子日若葉初霜》、第30駆逐隊《睦月如月弥生卯月》)を編制[22]

1936年(昭和11年)5月、烹炊室煙突からの排煙が艦橋に逆流して操艦や戦闘に支障をきたす問題に対処すべく[23]、烹炊所の煙突を一番煙突まで延長する事に決定する[24]。これを受けて初春型4隻の第21駆逐隊(初春、子日、若葉、初霜)も同改造を実施することになった[25]。 同時期、白露型駆逐艦1番艦「白露」、同型2番艦「時雨」も竣工と共に第9駆逐隊に編入(昭和11年11月1日)、4隻は横須賀鎮守府に所属する[26][27]。 12月1日の改編で第一水雷戦隊旗艦は「阿武隈」から川内型軽巡洋艦1番艦「川内」に変更[28]。第9駆逐隊司令駆逐艦も「時雨」になった[28]

1936年(昭和11年)12月1日、天野(有明艦長)は吹雪型駆逐艦「敷波」駆逐艦長[29]へ転任[注釈 1]。後任の有明駆逐艦長は、川内型軽巡洋艦3番艦「那珂」水雷長榎尾義男少佐となる[30]

1937年(昭和12年)12月1日、伊崎(第9駆逐隊司令)は第7駆逐隊司令に転任[31]。後任の9駆司令は第28駆逐隊司令森友一大佐となる[32]。 同日附で榎尾(有明艦長)は呉鎮守府参謀へ補職[33]。後任の有明駆逐艦長は、睦月型駆逐艦2隻(長月水無月)駆逐艦長を兼務していた磯久研磨少佐となる[34]

1938年(昭和13年)6月14日、有明駆逐艦長は神風型4番艦「松風」駆逐艦長の古閑孫太郎少佐[35]に交代する[注釈 2]。 12月15日、4隻(有明、夕暮、白露、時雨)が佐世保鎮守府へ転籍になると、第9駆逐隊は第27駆逐隊と改名された[36][37][38]。森(9駆司令)は敷設艦「厳島」艦長へ転任[39]。新たな第27駆逐隊司令は渋谷紫郎大佐となる[40]。 同日附で古閑(有明艦長)は吹雪型駆逐艦「叢雲」駆逐艦長へ転任[41][注釈 3]睦月型駆逐艦9番艦「菊月」水雷長の市原千代次少佐が「有明」および「夕暮」駆逐艦長を兼務することになった[42]

1939年(昭和14年)2月20日、市原は夕暮・有明駆逐艦長の職務を解かれ、後任の夕暮駆逐艦長は樅型駆逐艦「蓬」及び「菱」駆逐艦長の萩尾力少佐となる[43]。 3月10日、市原(有明艦長)は第13砲艇隊分隊長へ転任[44]。萩尾(夕暮艦長)が有明駆逐艦長を兼務することになった[44]。 3月20日、萩尾は有明駆逐艦長との兼務を解かれて夕暮駆逐艦長のみとなり、白露型2番艦「時雨」駆逐艦長の緒方友兄少佐が有明駆逐艦長に任命された[45]

11月15日、緒方(有明艦長)は吹雪型「磯波」駆逐艦長[46]へ転任[注釈 4]。後任の有明駆逐艦長は峯風型10番艦「夕風」駆逐艦長吉井五郎少佐となる[46]。 同日附で第27駆逐隊司令は渋谷から松原博大佐に交代[47]。渋谷は第一掃海隊司令となる。同日附で第一水雷戦隊旗艦は「川内」より長良型軽巡6番艦「阿武隈」に交代した[48]

1940年(昭和15年)10月15日、吉井(有明艦長)は初春型姉妹艦「若葉」駆逐艦長[49]に転任(翌年、朝潮型「朝潮」駆逐艦長[50]。同艦沈没時に戦死《ビスマルク海海戦》)。後任の有明駆逐艦長は、峯風型10番艦「太刀風」駆逐艦長吉田正一少佐となる[51]。 10月19日、松原(27駆司令)は第24駆逐隊(海風江風山風涼風)司令へ転任[52]。後任の第27駆逐隊司令は吉村真武大佐となる[52]

太平洋戦争緒戦[編集]

太平洋戦争開戦時、第一艦隊・第一水雷戦隊(司令官大森仙太郎少将:旗艦「阿武隈」)・第27駆逐隊(時雨、白露、夕暮、有明)に属し、柱島泊地に所在していた。第一水雷戦隊には27駆のほかに第6駆逐隊()・第21駆逐隊(初春子日初霜若葉)・第17駆逐隊(谷風浦風浜風磯風)が所属している。だが「阿武隈」と第17駆逐隊は南雲機動部隊(司令長官南雲忠一中将:旗艦「赤城」)に所属して真珠湾攻撃に参加しており、第27駆逐隊とは別行動であった。12月上旬、第27駆逐隊は山本五十六連合艦隊司令長官が指揮する主力部隊(長門、陸奥、伊勢、日向、扶桑、山城、鳳翔瑞鳳)等を護衛して小笠原近海を航海した。

1942年(昭和17年)1月下旬から、第27駆逐隊第2小隊(有明、夕暮)は南雲機動部隊の一艦として行動することになった。アンボン攻略作戦、ポートダーウィン攻撃に参加。2月10日、第4駆逐隊第2小隊(萩風舞風)と共に機動部隊警戒隊に編入された[53]。2月24日、機動部隊補給部隊の警戒艦としてスターリング湾を出発する[54]。27日に合流後、第15駆逐隊(黒潮親潮)と護衛任務を交代する[55]。警戒隊は、旗艦「阿武隈」・1番隊1小隊(谷風、浦風)2小隊(浜風、磯風)、2番隊1小隊(不知火)2小隊(有明、夕暮)・3番隊(萩風、舞風)という編制で機動部隊を護衛した[56]インド洋機動作戦中の3月1日、駆逐艦複数隻(磯風、不知火、霞、有明、夕暮)はオランダ商船「モッドヨカード」号を撃沈する[57]。この時、第八戦隊の重巡「筑摩」が砲撃に加わり、20㎝砲弾が旗艦「赤城」を飛び越えてゆく事態が起きたという[58]。 3月6日、27駆2小隊(有明、夕暮)は機動部隊本隊と分離、燃料補給部隊を護衛してスターリング湾へむかった[59]。3月11日、4隻(有明、夕暮、親潮、黒潮)は機動部隊警戒隊(一水戦司令官)の指揮下を離れた[60][61]。 続いて27駆2小隊(有明、夕暮)は第四戦隊の重巡洋艦2隻(高雄摩耶)と共にスターリング湾を出港[62]モルッカ海峡を通過して南太平洋に出たが、燃料の観点から2小隊(有明、夕暮)は重巡2隻(高雄、摩耶)と分離する[63]。その後、横須賀へ向かった。

4月18日附で、第27駆逐隊(時雨、白露、有明、夕暮)は第五航空戦隊翔鶴型航空母艦瑞鶴翔鶴)に編入された[64]。また五航戦もポートモレスビー攻略準備のため、空母「祥鳳」、第五戦隊、第7駆逐隊と共に南洋部隊(指揮官井上成美第四艦隊司令長官、旗艦「鹿島」)に編入された[65][66]。翌日、ドーリットル空襲をおこなった米軍機動部隊(ホーネット、エンタープライズ)捕捉のため台湾の馬公より出撃するが、すぐにトラック泊地への回航を命じられた[67]

5月上旬、第27駆逐隊は珊瑚海海戦を戦った。MO機動部隊(総指揮官高木武雄少将)は、本隊:第五戦隊(司令官高木武雄少将、妙高羽黒)・第7駆逐隊第1小隊()、航空部隊(指揮官原忠一少将):第五航空戦隊(司令官原忠一少将、瑞鶴翔鶴)・第27駆逐隊、補給部隊:(輸送艦東邦丸)及び第六戦隊第2小隊(衣笠古鷹 5月7日MO機動部隊編入)という戦力で編制されていた[68]。5月8日、27駆「有明」はインディスペンサブル礁に不時着した翔鶴偵察機(九七式艦上攻撃機2機)を救助するためMO機動部隊から分離しており、「翔鶴」が被弾した戦闘には参加していない[69]。この翔鶴索敵機は前日の戦闘で、米油槽船「ネオショー」を空母と誤認報告したペアである。戦闘後、「夕暮」「漣」及び第15駆逐隊(黒潮、親潮、早潮)は「翔鶴」を護衛して内地へ向かった[70]。5月17日、第27駆逐隊は南洋部隊・MO機動部隊の編制から外れ[71]、同時に第五戦隊の内地回航護衛を下令された[72]。27駆(時雨、白露、有明)は第五戦隊を護衛して日本へ帰投した。

6月のミッドウェー海戦で、空母「鳳翔」の護衛として参加[73]。 6月25日、第27駆逐隊司令は瀬戸山安秀大佐[74]に交代(吉村は7月19日より軽巡洋艦「龍田」艦長)[75]。 7月14日、第27駆逐隊は第2艦隊・第四水雷戦隊(司令官高間完少将:旗艦「由良」)に編入された。当時の四水戦には、27駆のほかに第2駆逐隊(村雨、五月雨、夕立、春雨)・第9駆逐隊(朝雲、峯雲、夏雲)が所属していた。

ガダルカナル島の戦い[編集]

8月20日、第27駆逐隊第2小隊(有明、夕暮)はトラック泊地を出撃、「有明」は22日21時よりナウル島を砲撃し、「夕暮」は22日20時30分よりオーシャン島を砲撃した[76]ヤルート環礁で補給したのち「有明」は25日再度ナウルへ出動し、同艦海軍陸戦隊を投入してナウル島を占領した[77]。同島に連合国軍兵力は駐屯していなかった[77]。航空基地調査を行うと、28日到着の駆逐艦「夕月」及び増援陸戦隊とナウル占領任務を交代し、ヤルートへ帰投した[77]。30日、ヤルートを出発してラバウルへ進出、外南洋部隊として行動する[77]

10月1日以降、「有明」はガダルカナル島輸送作戦に従事する。「有明」は第四水雷戦隊各艦および「由良」より四水戦旗艦を継承した秋月型駆逐艦秋月」等と行動を共にした。輸送作戦従事中の11月6日、「有明」は機関故障を起こし最大発揮速力27ノットに低下、27駆僚艦に護衛されてショートランド泊地へ戻った[78]。ただちに修理を命じられる[79]。7日、「有明」はトラック泊地へ回航され[80]、9日到着後は同泊地にあって修理・整備を実施した[81]。このため「夕立」以下第四水雷戦隊各艦が奮戦した11月12-15日の第三次ソロモン海戦に「有明」は参加できなかった。「有明」のラバウル進出は11月31日の事だった[82]

12月5日、駆逐艦2隻(有明、谷風)は同時に外南洋増援部隊(第二水雷戦隊基幹)に編入された[83]。当時の二水戦は陽炎型駆逐艦夕雲型駆逐艦で構成されており、二水戦司令官田中頼三少将から「夕暮と有明は他艦に比べて速度が出ないので特別の取り扱いを要した」と評価されている[84]。 12月7日午前11時、「有明」は駆逐艦11隻(指揮官/第15駆逐隊司令佐藤寅治郎大佐:第4駆逐隊《嵐、野分》、長波、第15駆逐隊《親潮、黒潮、陽炎》、第17駆逐隊《浦風、谷風》、第24駆逐隊《江風、涼風》、有明)から成る第三次ガダルカナル島輸送作戦(ドラム缶輸送)に参加してショートランド泊地発、だが午後4時以降の空襲で第4駆逐隊「野分」が被弾し航行不能となった[85]。「」も小破した[86]。「野分」は「長波」に曳航されて避退、水上機母艦「千歳」搭乗員2名を救助した「有明」は、「嵐」と共にショートランドへ避退した[87]

12月11日、山本五十六連合艦隊司令長官の激励を受けて、田中司令官率いる第四次ガダルカナル島輸送部隊はショートランド泊地を出撃する。その戦力は、秋月型駆逐艦2番艦「照月」(田中二水戦司令官座乗)以下、駆逐艦「長波」、第15駆逐隊(陽炎黒潮親潮)、第17駆逐隊(谷風浦風)、第24駆逐隊(江風涼風)、第4駆逐隊()、第27駆逐隊(有明)という陣容であった[88]。輸送隊は第15駆逐隊・第17駆逐隊・「有明」であり[89]、「有明」は単縦陣の最後尾に配置されている[90]。だが輸送部隊は揚陸中に米軍魚雷艇に襲撃されて旗艦「照月」を喪失、輸送作戦も失敗した。

12月19日より、2隻(有明、江風)はムンダ輸送作戦に従事した[91]。同日、「有明」は敵潜水艦撃沈を報告[92]。翌日には「江風」が敵潜水艦に爆雷攻撃を実施した[93]。この時、米潜水艦「アンバージャック」は攻撃を受けて損傷、輸送船団攻撃を諦めている[94]。 12月25日、ムンダに新飛行場を建設するため駆逐艦「卯月」と輸送船「南海丸」が出動[95]。だが「南海丸」は米潜水艦(シードラゴン)から雷撃されて損傷、さらに「卯月」の船体中央部と衝突[95]、「卯月」は航行不能となる[96][97]。 ラバウルに停泊していた各艦(長波、有明、谷風、浦風)は「卯月」救援のために出動する[98]。「有明」は「卯月」を曳航していたが、午前8時すぎB-24リベレーター爆撃機少数機に攻撃される[99][100]。至近弾6発を受けて小破[101]。 だが、破孔約230箇所、浸水15トン、砲塔内火災発生、電気回路故障のため人力操舵という深刻な被害を受けた[102][103]。戦死28名、重傷21名(重軽傷計60名)[104]。 「有明」はラバウルへ単独回航、「卯月」は第17駆逐隊「浦風」に曳航され[105]、「長波」護衛下でラバウルへ帰投した[106]宇垣纏連合艦隊参謀長は『ミイラ採りがミイラになる不利なる出来事と云ふべし』と述べている[95]。 29日、敷設艦「津軽」・第17駆逐隊(谷風、浦風)・第27駆逐隊(有明、夕暮)、「卯月」は増援部隊から除かれた[107]

昭和十八年の戦い[編集]

応急修理後の1943年(昭和18年)1月7日、駆逐艦6隻(有明、夕暮、磯波天霧朝潮)は大型艦3隻(戦艦《陸奥》、空母《瑞鶴》、重巡《鈴谷》)を護衛してトラックを出発、内地へ向かった[108]。呉に帰投後、本艦は佐世保へ回航されたのち(陸奥、朝潮、電、雷は横須賀帰投)[109]、同地で修理を行った[110]

1943年(昭和18年)2月14日に修理完成、21日にトラック泊地へ進出した[111]。以降、内地~トラック~ラバウル間の護衛任務を行った。 3月9日、第27駆逐隊司令は原為一中佐[112]に交代した(瀬戸山は5月7日より給油艦「鳴戸」特務艦長)[113]。 3月21日附で第27駆逐隊の編制がかわり、1番「時雨」-2番「有明」-3番「夕暮」-4番「白露」となる[114]。「有明」と「時雨」は幾度か大鷹型航空母艦大鷹雲鷹冲鷹)の護衛を行っている[115]

5月17日、第27駆逐隊(時雨、有明)及び第61駆逐隊(初月涼月)・第24駆逐隊(海風)は、連合艦隊旗艦:戦艦「武蔵」・第三戦隊(金剛榛名)・第八戦隊(利根筑摩)・第二航空戦隊(空母飛鷹)を護衛して17日にトラック発、22日に横須賀到着[116][117]。この時「武蔵」には古賀峯一連合艦隊司令長官が座乗しており、さらに海軍甲事件(4月19日)で戦死した山本五十六元帥の遺骨が安置されていた。横須賀到着後、第一航空戦隊(翔鶴、瑞鶴)、重巡洋艦「最上」、軽巡洋艦「大淀」の横須賀~西日本回航を護衛する[118]

6月2日、27駆(時雨、有明、夕暮)は鹿児島にて第一航空戦隊基地物件を揚陸すると、佐世保に向かった[119]。佐世保から横須賀への移動中、27駆(時雨、有明、夕暮)は米潜水艦らしきものを撃沈したと報告している[120]。 横須賀到着後、「時雨」は機関部の故障により第二航空戦隊・空母「飛鷹」の護衛艦から外れ、2隻(有明、夕暮)が選ばれた[121]。6月10日14時、「飛鷹」「有明」「夕暮」は横須賀を出港したが、同日18時53分(出港から約5時間後)、暗号解読により待ち伏せていた米潜水艦の雷撃を受けて「飛鷹」は大破、「五十鈴」に曳航され12日に横須賀へ戻った[122][123]。なお「夕暮」は「飛鷹」に誤射され、若干の損傷を受けた[124]。また「飛鷹」を雷撃した米潜水艦「トリガー」は「有明」「夕暮」の爆雷攻撃により損傷し、真珠湾へ帰投した[125]

6月16日、2隻(有明、夕暮)は修理を終えた「時雨」と合流。第三戦隊司令官栗田健男中将の指揮下、第三戦隊(金剛、榛名)、第七戦隊(熊野、鈴谷)、軽巡「五十鈴」、空母3隻(龍鳳大鷹冲鷹)、護衛駆逐艦(7駆《潮、曙、漣》、17駆《浜風、谷風》、第24駆逐隊《涼風》、第27駆逐隊《時雨、有明、夕暮》、夕雲型駆逐艦《清波》、秋月型駆逐艦《新月》)という編制で横須賀を出港[126]、21日トラック泊地に到着した[123][127]。 泊地到着と同時に、東方部隊指揮官は第四水雷戦隊「長良」と駆逐艦4隻(雪風、有明、浜風、谷風)に対し『第十四戦隊(那珂、五十鈴)と共にナウル島へ海軍陸戦隊を輸送せよ』と下令した[128]。だが22日附で「有明」と「時雨」は輸送任務を交代した[128]。23日、第七戦隊(鈴谷、熊野)、駆逐艦3隻(有明、涼風、新月)はトラックを出撃[129]。ラバウル到着後、「新月」は同地に残った[130]。「新月」は第三水雷戦隊旗艦となったのち、7月5-6日のクラ湾夜戦で撃沈され、第三水雷戦隊司令官秋山輝男少将以下三水戦司令部は全滅した[131]。7月中旬までの「有明」は四水戦各艦(長良、時雨)等と共に輸送任務に従事した。

7月12-13日、コロンバンガラ島沖海戦伊崎俊二少将以下第二水雷戦隊司令部は旗艦「神通」と共に全滅する。そこで解隊された第四水雷戦隊の司令官高間完少将・司令部並びに旗艦「長良」以下所属兵力をそのまま第二水雷戦隊に転用、第27駆逐隊(時雨/司令駆逐艦、有明、夕暮、白露)も7月20日をもって同水雷戦隊所属となる[132][133]。 だが二水戦編入の前日、第七戦隊(司令官西村祥治少将・旗艦熊野鈴谷)・第三水雷戦隊(川内雪風浜風等)と共にコロンバンガラ輸送作戦に従事していた27駆姉妹艦「夕暮」が米軍機の空襲により沈没[134][135]。当時、第27駆逐隊4番艦「白露」は内地で修理中のため、最前線の27駆は「時雨」「有明」のみであった。

沈没[編集]

7月15日、有明駆逐艦長は吉田中佐から川橋秋文少佐(6月20日まで吹雪型駆逐艦「敷波」駆逐艦長)[136][137]に交代する(吉田は8月20日より陽炎型駆逐艦12番艦「浦風」駆逐艦長)[138]。 7月23日、第27駆逐隊第1小隊1番艦「時雨」・2番艦「有明」はトラック泊地を出港、ラバウルに向う[139]。「有明」は機関部の故障により最大発揮速力28ノットであった[140]。25日ラバウル到着後、1番艦「時雨」はサンタイサベル島レカタ基地とブイン輸送任務従事のため第4駆逐隊(萩風)の指揮下に入り、3隻は同日中にラバウルを出港していった[141][142]

残された2番艦「有明」は、第30駆逐隊司令駆逐艦「三日月」指揮下に入り、ニューブリテン島ツルブへの輸送作戦に従事する[143]。2隻は陸兵約500名・物件50トンを搭載し、大発動艇1隻を曳航してツルブへ向かうことになった[143]。 27日午前10時、「三日月」「有明」はラバウルを出撃、ツルブへ向かうが、26ノットで航行中の同日午後11時にニューブリテン島グロスター岬近海でリーフに2隻とも坐礁する[143][144]。 「有明」は28日午前0時45分に離礁に成功するも、左舷推進軸は屈曲し、最大発揮速力6ノットという被害を受けていた[145]。 だが「三日月」の被害は更に深刻で、スクリュー破損のため完全に行動不能となっていた[145]。第30駆逐隊司令は「三日月」から「有明」に物資人員を移乗、「有明」は3時30分に単艦でツルブに向かい同地で陸兵510名、軍需品25トンを揚陸、その後10時30分「三日月」座礁現場に戻った[144][146]。しかし「有明」の最大発揮速力6ノットでは曳航不能であり、13時30分をもって作業を打ち切り、「有明」はラバウルに向かう[144][146]。だが間もなくB-25爆撃機複数機の空襲を受け、「有明」の一番主砲右舷・三番主砲後部、右舷缶室、左舷機械室水線附近に爆弾各1発が命中、左舷に傾斜して14時40分に沈没した[145]。損傷の激しい「三日月」も放棄命令が出され、自沈処理がとられる[146]。両艦乗組員(三日月170名、有明179名)は救援のため来着した駆逐艦「秋風」に移乗、「有明」駆逐艦長を含む63名が戦死或いは行方不明になったと記録されている[147]。沈没地点南緯5度21分 東経148度27.5分 / 南緯5.350度 東経148.4583度 / -5.350; 148.4583[148]。南東方面部隊は零式艦上戦闘機を多数投入して2隻の掩護にあたったが、護衛に失敗した[143]

8月2日深夜、駆逐艦2隻(江風松風)がツルブに到着[149]。ツルブ行の便では7月28日に座礁沈没した「三日月」を調査するため調査員4名(同艦駆逐艦長ふくむ)が便乗しており、有明生存者のうち56名はラバウルへ帰投する2隻に便乗してツルブを離れた[150]。 開戦以来太平洋を奔走してきた第27駆逐隊は一週間のうちに初春型2隻(夕暮、有明)を喪失して白露型2隻(時雨、白露)となり、のちに白露型2隻(五月雨春雨)を編入して定数4隻を回復した。旧有明型2隻(有明、夕暮)は10月15日附で初春型駆逐艦[151] 第27駆逐隊[152]、 帝国駆逐艦籍[153]、 それぞれから除籍された。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』299-300頁による。

艤装員長[編集]

  1. 天野重隆 少佐:1934年11月1日[16] - 1935年3月25日[19]

艦長[編集]

  1. 天野重隆 少佐:1935年3月25日[19] - 1936年12月1日[29]
  2. 榎尾義男 少佐:1936年12月1日[30] - 1937年12月1日[33]
  3. 磯久研磨 少佐:1937年12月1日[34] - 1938年6月14日[35]
  4. 古閑孫太郎 少佐:1938年6月14日[35] - 12月15日[41]
  5. 市原千代次 少佐:1938年12月15日[42] - 1939年3月10日[44]
  6. 萩尾力 少佐(兼夕暮駆逐艦長):1939年3月10日[44] - 3月20日[45]
  7. 緒方友兄 少佐:1939年3月20日[45] - 11月15日[46]
  8. 吉井五郎 少佐:1939年11月15日[46] - 1940年10月15日[49]
  9. 吉田正一 少佐/中佐:1940年10月15日[51] - 1943年7月15日[137]
  10. 川橋秋文 少佐:1943年7月15日[137] - 7月28日戦死(中佐に進級)[154]

注釈[編集]

  1. ^ 後日、第61駆逐隊司令として秋月型駆逐艦4番艦「初月」沈没時に戦死(レイテ沖海戦
  2. ^ 磯久は、吹雪型「狭霧」艦長、朝潮型「」艦長、陽炎型「磯風」艦長等を経て、第4駆逐隊司令として陽炎型18番艦「舞風」沈没時に戦死(トラック島空襲
  3. ^ 後日、古閑は「東雲」駆逐艦長、陽炎型15番艦「野分」初代駆逐艦長、第7駆逐隊司令等を歴任
  4. ^ 後日、朝潮型「」艦長、秋月型「秋月」艦長等を歴任

参考文献[編集]

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  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』 光人社NF文庫、1993年ISBN 47698-2009-7
    • 沈着冷静 <駆逐艦「有明」艦長・吉田正一大佐の証言>(昭和15年10月~昭和18年7月まで有明駆逐艦長、同年8月~昭和19年6月まで浦風駆逐艦長)
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 橋本廣 『機動部隊の栄光 艦隊司令部信号員の太平洋海戦記光人社2001年ISBN 4-7698-1028-8
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  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。
  • 国立国会図書館デジタルライブラリー - 国立国会図書館
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    • Ref.C08030115000 『昭和17年11月1日~昭和17年11月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(4)』。
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    • Ref.C08030117200 『昭和18年5月1日~昭和18年7月19日 第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030117300 『昭和18年5月1日~昭和18年7月19日 第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030101000 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030101100 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。

脚注[編集]

  1. ^ a b c #達昭和7年12月(5)pp.6『達第百七十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和七年十二月十日 海軍大臣岡田啓介|驅逐艦 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 初霜(ハツシモ)/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 有明(アリアケ)/舞鶴要港工作部ニ於テ建造 夕暮(ユフグレ)|潜水艦 株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第六潜水艦/佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十潜水艦/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第七十一潜水艦|水雷艇 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 友鶴(トモヅル)/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 初雁(ハツカリ)|掃海艇 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 第十五號掃海艇/三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第十六號掃海艇|敷設艇 横濱船渠株式會社ニ於テ建造 猿島(サルシマ)/株式會社播磨造船所ニ於テ検図 那沙美(ナサミ)』
  2. ^ a b c #海軍制度沿革(巻8、1940)p.210『◎驅逐艦初霜外二隻伊號第六潜水艦外二隻水雷艇友鶴外一隻命名ノ件』
  3. ^ #艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|初春型|初春、子日、若葉、初霜、有明、夕暮』
  4. ^ a b c #海軍制度沿革(巻8、1940)p.68『昭和八年十二月十五日(内令四一一)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦、一等ノ部初春型ノ項中「、有明、夕暮」ヲ削リ、同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |有明型|有明、夕暮、白露、時雨、村雨|(以下略)』
  5. ^ a b c #海軍制度沿革(巻8、1940)p.69『昭和九年十一月十九日(内令四八七)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 航空母艦ノ項中「龍驤」ノ下ニ「、蒼龍」ヲ加ヘ、水上機母艦ノ項中「神威」ノ下ニ「、千歳」ヲ加フ 驅逐艦、一等ノ部中初春型ノ項中「初霜」ノ下ニ「、有明、夕暮」ヲ加ヘ、有明型ノ項ヲ左ノ如ク改ム |白露型|白露、時雨、村雨、夕立、春雨、五月雨、海風』
  6. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.60『大正十三年十二月一日(達一三七)◎艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦ノ欄内「水雷母艦」ヲ「潜水母艦」ニ改ム|驅逐艦三等ノ欄内「有明、吹雪、潮、初霜、神風、彌生、子日、如月、朝風、夕暮、若葉、春風、追風、初雪、時雨、夕立、響、初春、疾風、夕凪、卯月、水無月、長月、菊月、浦波、磯波、綾波」ヲ削ル(以下略)』
  7. ^ 「ヘイウッド・L・エドワーズ (駆逐艦)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2013年10月18日(日)04:44UTC:[URL: http://ja.wikipedia.org]
  8. ^ 「ありあけ (護衛艦・2代)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2014年3月24日(日)21:57UTC:[URL: http://ja.wikipedia.org]
  9. ^ #有明用推進器製造の件p.2
  10. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.68『昭和七年十二月十日(内令四一二)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦、一等ノ部初春型ノ項中「若葉」ノ下ニ「、初霜、有明、夕暮」ヲ加フ(以下略)』
  11. ^ a b c #艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『有明|一等駆逐艦|(艦要目略)|神戸川崎造船所|8-1-14|9-9-23|10-3-25|(艦装備略)』
  12. ^ a b #駆逐艦戦隊103-106頁『艦艇類別等級とは』
  13. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.69『昭和九年十月十三日(内令四一一)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦、一等ノ部有明型ノ項中「村雨」ノ下二「、夕立、春雨」ヲ加フ 水雷艇ノ部中千鳥型ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |鴻型|鴻|』
  14. ^ 昭和9年9月25日(火)海軍公報第2281号 p.26』 アジア歴史資料センター Ref.C12070345100 『○驅逐艦進水 株式會社川崎造船所ニ於テ驅逐艦有明一昨二十三日午前七時進水セリ』
  15. ^ #S16年度海軍戦時編制案(昭和10年2月)p.2『GF|1F|1sd|特駆|川(旗艦) (特型) (現特型16)(村雨型 海風型)』-『GF|1F|3sd|特駆新駆|阿(旗艦) (特型)8(新駆)8 (初春型、有明型)』
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  23. ^ #有明夕暮烹炊室煙突改造p.4『(イ)烹炊室煙突ノ煤煙艦橋並射撃指揮所附近ニ逆流シ展望ヲ妨ゲ対勢観測、操艦等ニ支障ヲ来ス事大ナルヲ以テ別図ノ如ク前部煙突マデ延長スルモノトス』
  24. ^ #有明夕暮烹炊室煙突改造p.7『烹炊所煙突ヲ一番煙突迄延長ス』
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  53. ^ #S1701一水戦日誌(2)p.7『2月10日 第4駆逐隊2小隊第27駆逐隊2小隊ハ警戒隊ニ編入セラル』
  54. ^ #S1701一水戦日誌(2)p.8『2月24日 第27駆逐隊第2小隊ハ機動部隊第一補給部隊(旭東丸日本丸建洋丸)及東栄丸ノ警戒艦トシテ第二次機動作戦(印度洋機動戦)ノ為印度洋ニ向ケ「スターリング」湾発』
  55. ^ #S1701一水戦日誌(2)p.89『2月27日機動部隊指揮官|27日0805機動部隊|一.有明夕暮ハ警戒隊ニ復帰スベシ 二.補給隊ハ二航戦ノ後尾ニ続行黒潮親潮ハ夫々旭東丸ノ左右2粁ニ占位セヨ(略)』
  56. ^ #S1701一水戦日誌(4)pp.32-33『警戒隊命令 一.機動部隊命令作第27号ノ兵力部署ニ基ク當隊ノ隊番号及別動隊ニ随伴スベキ駆逐艦ヲ左ノ通定ム』
  57. ^ #S1703一戦日誌(1)p.5『3月1日第18駆逐隊1小隊、第27駆逐隊2小隊及磯風「ジャバ」南方海面ニ於テ蘭国武装商船(モッドヨカード號)ヲ砲撃撃沈ス』
  58. ^ #機動部隊の栄光(単行本)91頁
  59. ^ #S1703一戦日誌(1)p.6『3月6日(略)第27駆逐隊第2小隊第1補給隊(旭東丸日本丸建洋丸)ノ警戒艦トシテ主隊ト分離「スターリング」湾ニ先行ス』
  60. ^ #S1703一戦日誌(1)p.7『3月11日 警戒隊(第27駆逐隊第2小隊欠)「スターリング」湾着 第27駆逐隊2小隊・第15駆逐隊1小隊警戒隊指揮官ノ指揮下ヲ離ル』
  61. ^ #S1703一戦日誌(2)p.45『四.参考 麾下艦船部隊ノ行動』
  62. ^ #S1703一戦日誌(1)p.51『11日1130第二艦隊司令長官|南方部隊電令第131号 一.摩耶高雄及有明夕暮ハ摩耶艦長之ヲ指揮3月11日午後以後「スターリング」湾出港爾後南方部隊ヨリ除キGF長官所定ニ依リ行動スベシ』
  63. ^ #S1703高雄行動(1)p.3『3月14日1100燃料ノ関係上有明及夕暮ヲ解列セラル、天候一般ニ荒模様ナリ…』
  64. ^ #S1704五航戦日誌(1)経過p.4『4月10日附 秋雲、朧ハ五航戦ヨリ除カル/4月18日以降二十七駆五航戦司令官ノ指揮下ニ入ル』
  65. ^ #S1704五航戦日誌(1)経過p.8『18日以降機動部隊ヨリ除カレMO作戦参加ノ為南洋部隊ニ編入二十七駆本職ノ指揮下ニ入ル』
  66. ^ #S1703五戦隊日誌(3)pp.5,19『GF電令作第112号ヲ以テ4月18日附5S(那智欠)、5Sf、祥鳳、27dg、7dg 南洋部隊編入ヲ発令セラル』
  67. ^ #S1704五航戦日誌(1)経過p.9『19日1200補給完了直ニ五航戦二十七駆ヲ率ヒ馬公出撃機動部隊トノ会合点ニ向ケ急行ス…』
  68. ^ #MO機動部隊詳報(1)p.5『MO機動部隊ノ指揮官並ニ兵力』
  69. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)278頁
  70. ^ #S1705五航戦日誌(1)経過p.6『5月9日翔鶴ハ避退ノ途次主力部隊ニ編入呉回航ヲ命ゼラレ夕暮差漣及第15駆逐隊ノ警戒ノ下ニ5月17日1830呉着修理整備ニ従事ス』
  71. ^ #MO機動部隊詳報(1)p.25『17日5S、27dgハ南洋部隊ヨリ除カレMO機動部隊ノ編制ヲ解カル』
  72. ^ #MO機動部隊詳報(3)p.26『5月17日1515/5S(那智欠)27dgヲ南洋部隊ヨリ除カレ5S(那智欠)ハ前進部隊ニ27dgハ警戒部隊ニ編入セラレ27dgハ5S内地着迄5S司令官ノ指揮ヲ承クルコトニ発令セラル』
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  78. ^ #S1711四水戦日誌(1)p.14『第二回輸送 駆逐艦十隻ヲ率ヒ主トシテ弾薬糧食ヲ搭載シ4日2230RXE出撃途中5日0100朝雲附近ニ敵大型機ノ爆撃ヲ受ケタル外敵ノ妨害ヲ受クル事ナク同日2040「タサフアロング」入泊2156村雨敵魚雷艇1隻ト交戦之ヲ撃退シタル外作業順調ニ経過シ2220揚陸完了帰途ニ付ク途中有明三号缶故障ニテ出シ得ル最大速力27節トナリ27dg之ヲ護衛シ本隊ニ続行ス…』
  79. ^ #S1711四水戦日誌(1)p.43『6日外南洋部隊指揮官|(略)有明ハ便宜トラックニ回航機関ノ修理整備ニ任ズベシ』
  80. ^ #S1711四水戦日誌(4)p.49『11月7日|(略)二.有明0000トラックニ向ケKXE発(修理)』
  81. ^ #S1711四水戦日誌(4)pp.43-44『四参考(イ)麾下艦船部隊ノ行動』
  82. ^ #S1711四水戦日誌(4)pp.62-63『28日|(天候略)一.有明夕暮2200ラボールニ向ケトラック発(SNBニ編入)』-『31日(天候略)一.有明夕暮1400ラボール着/二.春雨1015ラボール出撃1735白露ト共ニラボール着』
  83. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(2)p.13『12月5日|一.有明増援部隊ニ編入 二.0900 17dg(谷風)ショートランド着増援部隊編入(略)』
  84. ^ #S1712外南洋部隊詳報(4)p.17『有明及夕暮ヲ一時當部隊ニ編入セラレタルモ速力出デザル為特別ノ取扱ヲ要セリ、同時ニ行動スベキ各艦ノ運動力ハ成可ク齋一ナルヲ可トス』
  85. ^ #S1712外南洋部隊詳報(2)p.6『第三次「ガ」島輸送|15dg司令|15dg(d×3)、長波、有明、24dg(d×2)、4dg(d×2)|七日|野分空爆ニ依リ大破魚雷艇ノ妨害ニ依リ揚陸セズ』
  86. ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(3)p.60『4dg(嵐、野分)長波、15dg(親潮黒潮陽炎)、17dg(浦風谷風)、24dg(江風涼風)有明|12-7|第三次「ドラム」罐輸送ヲ実施セントセシモ途中敵機ノ来襲及泊地ニ於ケル魚雷艇ノ為遂ニ揚陸ヲ断念ス、戦果艦爆5艦戦1魚雷艇1、被害野分航行不能、嵐小破』
  87. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(2)p.14『12月7日|(略)五.野分ハ長波之ヲ曳航 嵐及有明(千歳搭乗員2収容)護衛 ショートランドヘ引返ス(略)』
  88. ^ #外南洋増援部隊日誌(2)S1712p.6『第四次「ガ」島輸送/2sd司令官/15dg(d×3)、長波、17dg(谷風浦風)、24dg(d×2)、4dg(嵐)、照月、有明/11日/照月魚雷艇ノ雷撃ニ依リ沈没』
  89. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(3)p.1『三.軍隊区分』
  90. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(2)p.30『2月11日夜戦合戦図(十萬分ノ一)』
  91. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(2)p.6『第一回第三次「ムンダ」輸送|(将旗)17dg|江風、有明、宏山丸』
  92. ^ #外南洋増援部隊日誌(2)S1712p.21『12月19日|一.0530第一回第三次輸送隊〔24dg(江風)有明宏山丸〕ラバウル発/二.1700有明地点ケサテ42ニ於テ潜望鏡雷跡6発見爆雷攻撃々沈ス』
  93. ^ #外南洋増援部隊日誌(2)S1712p.21『12月20日|(略)0908江風地点ケチヌ29ニ於テ潜望鏡発見爆雷攻撃実施効果不明』
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  98. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(2)p.25『25日|(略)六.1755卯月南海丸ト衝突大破航行不能重軽傷7/七.2100長波2130有明2200谷風浦風右救護ノ為ラバウル発』
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  101. ^ #S1712四水戦日誌(2)p.73『26日|一.有明卯月曳航中0815敵機ト交戦至近弾6ニ依リ被害アリ』
  102. ^ #S1712四水戦日誌(2)pp.46-47『26日1737有明|損害状況報告 本艦26日0805地点ケケタ32ニ於テ卯月曳航「ラボール」ニ回航中敵機B-24ノ爆撃ヲ受ケ至近弾ノ為左ノ被害アリ (イ)左舷側外鈑並ニ上甲板構造物ニ計約228程度ノ小破孔(水線下ヲ含ム)ヲ生ジ浸水約15頓 (ロ)2.3番砲内装薬点火シ火災ノタメ使用不能及弾薬庫ニ豫メ注水 (ハ)二番連管左管発射不能爆雷14個投棄 (ニ)舵取機械電路故障ノ為人力操舵ヲ行フ (ホ)空中線切断ノタメ一時送信不能 (略)』
  103. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(5)p.13『三.我損害 有明中破(空爆至近弾) 船体各部小破孔多数、2.3番砲塔火災(半注水)テレモーター故障(人力操舵)戦死28戦傷40』
  104. ^ #S1712四水戦日誌(2)pp.47-48『27日0901有明|有明機密第261637番電中(ヘ)乗員ノ項ヲ左ノ通改ム 戦死 下士官12名 兵16名 計28名/重傷 准士官1名 下士官5名 兵15名 計21名』
  105. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(2)p.26『26日|(略)六.0940浦風卯月曳航開始』
  106. ^ #S1709第八艦隊(3)p.62『卯月、南海丸|12-25 26|第二回第四次「ムンダ」輸送ノ為出発ノ所「セントヂョウヂ」海峡ニ於テ南海丸敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ(一本)之ヲ護衛中ノ卯月ト衝突、卯月航行不能トナル。有明卯月ヲ曳航谷風護衛ノ下ニ帰投中敵機ノ爆撃ニ依リ有明中破、谷風代リテ曳航長波護衛ノ下ニRRヘ帰投ス、南海丸ハ浦風(1200以後鶴見W21護)ノ下ニRRニ帰投ス』
  107. ^ #S1712外南洋増援部隊日誌(2)p.28『29日|一.津軽、17dg(谷風浦風)有明夕暮卯月増援部隊ヨリ除カル』
  108. ^ #S1801七戦隊日誌(1)p.18『7日0800第三艦隊司令長官/瑞鶴、陸奥、鈴谷、有明、夕暮、磯波(天霧、電6日)「トラック」発』
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  110. ^ #S1712四水戦日誌(3)p.12『有明ハ3日「ラボール」発6日「トラック」着、両艦共AdB電令作第112号ニ依リ(将旗)KdBノ指揮下ニ入リ(内地回航中)内地回航部隊トシテ7日「トラック」発瑞鶴陸奥鈴谷等ノ直衛警戒ニ任ジツツ12日呉着13日同地発14日佐世保着修理整備ニ従事…』
  111. ^ #S1712四水戦日誌(3)p.10『有明ハ佐世保ニ於テ修理完成15日出港21日トラック着』-p.36『15日2015佐廠総務部長|有明2月14日全工事完成セリ』
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  114. ^ #S1712四水戦日誌(5)p.25『21日1605司令27dg|當隊艦船番号順序左ノ通改ム 時雨、有明、夕暮、白露』
  115. ^ #S1712四水戦日誌(6)p.7『有明(略)16日大鷹及冲鷹護衛ニ任ジ「トラック」出撃21日横須賀着25日雲鷹及冲鷹護衛ニ任ジ横須賀発30日「トラック」着任務ヲ終了ス』
  116. ^ #S1805四水戦日誌(1)pp.6,33『27dg(時雨、有明)ハ前記任務ノ後17日GF電令作第564号ニ依リGF主隊ニ編入セラレ内地回航部隊(1S(大和欠)、3S、8S、2sf(隼鷹欠))直衛任務ニ従事「トラック」発 22日横須賀着』
  117. ^ #S1805四水戦日誌(1)p.59『四参考(イ)麾下艦船部隊ノ行動 第四水雷戦隊』
  118. ^ #S1805四水戦日誌(1)p.6『27dg(白露欠)22日GF電令作第565号ニ依リKdBニ編入 横須賀及木更津方面ニ行動 31日 1sf最上大淀ト共ニ内海西部ニ向ケ横須賀発』
  119. ^ #S1805四水戦日誌(2)p.8『行動概要左ノ如シ。27dg(白露欠)ハ前月下旬引続キKdBニ編入前月31日1sf大淀最上直衛トナリ横須賀発内海西部ニ向ヒツツアリシガ引続キ1sf基地物件ノ輸送ニ任ジ2日0130 27dg(時雨、夕暮)ハ鹿児島ニ有明ハ0100古江ニ夫々入港右物件揚陸後佐世保ニ回航1500佐世保着同地ニ於テ艦橋前機銃増備其ノ他船体旗艦兵器整備ニ任ジタル後6日佐世保発8日横須賀着…』
  120. ^ #S1805四水戦日誌(2)p.23『8日1002 27dg→各隊/時雨7日1945潮岬ノ77度65浬ニ於テ敵潜ラシキモノヲ探知攻撃(投射爆雷30)セシニ異様ニ大ナル爆発状況ヲ呈シ(略)更ニ其ノ直上ニ爆雷4個投射セリ。爾後時雨、有明、夕暮ノ3隻ニテ附近一帯ヲ探信相当スルモ反響ナシ効果概ネ確実ト認ム(略)』
  121. ^ #S1805四水戦日誌(2)pp.24-25『8日1728将旗27dg→各隊/時雨左舷巡航タービン操縦弁内部漏洩、右舷巡航タービン車室蒸気漏洩部及蒸気安全弁漏洩部検査修理ノ為約四日間ヲ要スル現状ニ鑑ミGF電令作第587号ニ依ル駆逐艦2隻ヲ有明夕暮ニ指定致度』
  122. ^ #S1805四水戦日誌(2)p.85『有明、夕暮1400トラックニ向ケ横須賀発(2sf(隼鷹欠)護衛)途中、飛鷹遭難ノ為横須賀ニ引返ス』
  123. ^ a b #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)341頁『「飛鷹」の損傷と第二航空戦隊等のトラック進出』
  124. ^ #S1805四水戦日誌(2)pp.7-8『尚十日飛鷹遭難ノ際 夕暮敵潜水艦掃討中飛鷹ヨリ敵潜水艦ト誤認セラレ高角砲及機銃射撃ヲ受ケ軽微ナル被害ヲ受ケタリ』-p.85『有明、夕暮、1853飛鷹敵潜水艦ノ魚雷攻撃ヲ受ケ遭難之ガ掩護中夕暮1937飛鷹ヨリ敵潜水艦ト誤認サレ高角砲及機銃射撃ヲ受ケ軽微ナル損害ヲ受ク』
  125. ^ 「トリガー (SS-237)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2013年10月17日(日)06:36、UTC:[URL: http://ja.wikipedia.org]
  126. ^ #高松宮日記6巻360頁
  127. ^ #S1805四水戦日誌(2)p.9『15日27dg(時雨)GF電令作第590号AdB電令作第218号ニ依リAdBニ復帰、16日27dg(白露欠)ハGF電令作第593号ニ依リ将旗3Sノ指揮下ノ下ニ3S7S(最上欠)2sf(龍鳳)五十鈴雲鷹冲鷹7dg16dg(雪風)浜風谷風凉風清波新月等ト共ニ横須賀発、21日「トラック」着(将旗)2sfノ指揮ヲ解カル爾後27dg(時雨)ハ前記「ナウル」輸送任務ニ従事』
  128. ^ a b #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)369-370頁『横二特のナウル進出』
  129. ^ #S1805四水戦日誌(1)p.9『有明ハ(将旗)7S指揮ノ下ニ7S(最上欠)新月ト共ニAdB電令作第225号ニ依ル「ラボール」行輸送任務ニ従事23日「トラック」発25日「ラボール」着揚陸後同地発27日「トラック」帰着』-p.67『25日0832(将旗)7S|7S(最上欠)新月有明涼風「ラボール」着』
  130. ^ #S1805四水戦日誌(1)p.67『25日1802(将旗)7S|7S(最上欠)有明涼風「トラック」ニ向ケ「ラボール」発』
  131. ^ #高松宮日記6巻423頁
  132. ^ 昭和18年7月20日(発令7月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1174号 p.6』 アジア歴史資料センター Ref.C13072092200 
  133. ^ #S1806二水戦日誌(1)pp.26-27
  134. ^ #S1806二水戦日誌(1)p.31『(3)夕暮 NTBニ編入同方面作戦中7月19日夜「フロンバンガラ」沖ニ於テ敵有力部隊(水上艦艇及飛行機)ト交戦20日0115壮烈ナル最後ヲ遂グ(責任アル将校ノ生存者無ク且ツ記録等一切喪失セル為状況不詳)』
  135. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後248頁
  136. ^ 昭和18年6月21日(発令6月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1152号 p.6』 アジア歴史資料センター Ref.C13072091700 
  137. ^ a b c 昭和18年7月15日(発令7月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1171号 p.38』 アジア歴史資料センター Ref.C13072092100 
  138. ^ 昭和18年8月21日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1196号 p.3』 アジア歴史資料センター Ref.C13072092600 
  139. ^ #S1806二水戦日誌(1)p.30『23日両艦[時雨、有明]共魚雷準備其ノ他戦備ヲ完了 1600「トラック」発「ラボール」ニ回航ス』
  140. ^ #S1806二水戦日誌(1)p.30『但シ有明ハ2号重噴ポンプ破損ノタメ最大速力28節ナリ』
  141. ^ #S1806二水戦日誌(1)pp.79-80『25日二.27dg(時雨有明)「ラボール」着 三.27dg(時雨)「ラボール」発/27dg(時雨)「レカタ」ニ向ケ陸兵輸送』-『27日一.27dg(時雨)0010「レカタ」着 2330「ブイン」着 三.有明1000「ラボール」発』-『28日三.27dg(時雨)0030「ブイン」発1600「ラボール」着』
  142. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後254-255頁『外南洋部隊の作戦』
  143. ^ a b c d #戦史叢書96ガ島撤収後249-250頁『経過概要と南東方面部隊の作戦指導』
  144. ^ a b c #S1806二水戦日誌(1)pp.56-59『30日0927将旗30dg→各隊/30dg機密第29215番電 「ツルブ」作戦輸送戦闘概報 30dg(三日月)有明ヲ率ヰ1000「ラボール」発0030「ココボ」ニ於テ陸兵ヲ搭載ノ上「ツルブ」ニ輸送作戦中2300針路263度速力26節ニテ「グロスター」岬ノ49度5浬「リーフ」ニ両艦トモ坐礁セリ 一.予定ノ作戦困難ノ為揚搭点ヲ坐礁位ニ変更セントセシモ0045有明離礁セルヲ以テ三日月搭乗中ノ陸戦隊生存者ヲ同艦ニ移シ0330発「ツルブ」ニ向カハシム。0600着-0740揚搭(陸兵510名物件25頓)ヲ終了セリ。三日月ハ極力離洲ノ手段ヲ講ジタルモ成功セズ、有明1030三日月附近ニ来着同艦ニテ曳航離礁ヲ試ミタルモ低潮時スル迄坐礁ニ依ル損傷ニ依リ出シ得ル最大速力6節ノ為遂ニ功ヲ奏セズ、1330作業ヲ打切リ有明ニ「ラボール」ニ帰投ヲ命ゼリ。 二.1350敵B-25約20機来襲之ト交戦1410撃退セルモ両艦共ニ被害アリ。有明命中弾ニ依リ1440遂ニ沈没セリ。該位置南緯5度21分東経48度27.5分。三.戦果 撃墜5(内1不確実)』
  145. ^ a b c #S1806二水戦日誌(1)pp.56-59『四.被害 (イ)人員 三日月:戦死7(内准士官以上2)重傷者12(2)軽傷者25(1)未収容者85、有明:戦死?重傷者12(3)軽傷18未収容(戦死行方不明含)63(4)  (ロ)船体兵器機関(一)坐礁ニ依ルモノ|三日月:第2第3兵員室下諸倉庫浸水左舷推進軸屈曲使用不能 右舷推進器屈曲使用中0311脱落セリ|有明:左舷後部坐礁、左舷推進軸屈曲振動大、右舷後進不能最大速力6節  (二)交戦ニ依ルモノ|三日月:機械室右舷水線附近命中弾1、破孔1、横4.5米縦1.5米 浸水船体屈曲中小破孔各部ニ亘リ無数、通信不能|有明:一番砲右舷三番砲後部三缶室右舷及機械室左舷水線附近ニ爆弾各1命中航行通信不能左舷ニ傾斜沈没セリ』
  146. ^ a b c #高松宮日記6巻360-361頁
  147. ^ #S1806二水戦日誌(1)pp.56-59『五.処置|三日月坐礁後燃料糧食ノ大部等対空戦闘ニ関係ナキ重量物投棄、右舷機前後進一杯使用セルモ成功セズ、推進軸脱落後両舷トモ損ヒ離礁ノ見込ナク秋風ノ来着ヲ待チ離礁作業ヲ行フ事ニ準備シ居リタル処前記爆撃被害(以下13符字不明)搬出可能眼鏡、機銃々身ト共ニ総員退去秋風に移乗セリ「処分済」収容人数 三日月170名 有明179名』
  148. ^ #S1806二水戦日誌(1)p.30『25日両艦「ラボール」着爾後同方面作戦行動中ナリシガ有明ハ30dg(三日月)ト共ニ27日1000「ラボール」出撃「ツルブ」輸送作戦中同日2300「グロスター」岬ノ49度9浬ノ地点ニテ両艦共座礁 28日0045有明離礁 三日月搭載ノ陸兵ヲ移載0400「ツルブ」ニ同航 0600着0700発 三日月坐礁地点ニ向ヒ救難作業中1350敵B-25約30機来襲之ト交戦命中弾ニ依リ遂ニ沈没ス 沈没概位南緯5度21分東経148度27.5分戦果撃墜5機(内1不確実)』
  149. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.77-78『8月2日(天候略)|江風1000「ラバウル」発、2340「ツルブ」着/3日(天候略)江風 0030「ツルブ」発1230「ラバウル」着』
  150. ^ #S1806二水戦日誌(2)pp.19-20『3日2134ZOB(宛先略)一.江風、松風ヲ率ヰ2日1000「ラボール」発「ココボ」ニ於テ陸兵ヲ搭載1050同地発2340「ツルブ」泊地着敵機来襲吊光投弾投下及爆撃アリシモ強行揚陸シ0030作業終了同地発(略)「ツルブ」輸送物件陸兵508名及三日月駆逐艦長外4名(三日月調査員)弾薬糧秣・・約50頓時期ヲ得後送者陸兵330(内患者197名)有明乗員航海長以下56名三日月兵1 19fg整備員13名』
  151. ^ #内令昭和18年10月(3)p.46『内令第二千百四十四號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年十月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等卯月型ノ項中「、三日月」ヲ、同初雪型ノ項中「初雪、」ヲ、同初春型ノ項中「、有明、夕暮」ヲ、同白露型ノ項中「、江風」ヲ、同不知火型ノ項中「、嵐、萩風」ヲ、同夕雲型ノ項中「、清波」ヲ削ル|潜水艦、一等伊百六十八型ノ項中「伊號第百六十八、」ヲ削ル』
  152. ^ #内令昭和18年10月(4)p.8『内令第二千百五十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第四驅逐隊ノ項中「嵐、萩風、」ヲ、第十一驅逐隊ノ項中「初雪、」ヲ、第二十四驅逐隊ノ項中「江風、」ヲ、第二十七驅逐隊ノ項中「有明、夕暮」ヲ、第三十驅逐隊ノ項中「三日月、」ヲ、第三十一駆逐隊ノ項中「、清波」ヲ削ル』
  153. ^ #内令昭和18年10月(4)pp.9-10『内令第二千百六十一號 横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 嵐、驅逐艦 萩風|驅鎮守府隻 驅逐艦 初雪|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 三日月、驅逐艦 有明、驅逐艦 夕暮、驅逐艦 江風|舞鶴鎮守府籍 驅逐艦 清波|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|呉鎮守府籍 伊号第百六十八潜水艦 右帝國潜水艦籍ヨリ除カル|昭和十八年十月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  154. ^ 故陸軍中佐井上豊外二名位階追陞の件/故海軍中佐川橋秋文外一名』 アジア歴史資料センター Ref.A12090335800 

関連項目[編集]