加古 (重巡洋艦)

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加古
H48204 Kako.jpg
基本情報
建造所 川崎造船所
運用者  大日本帝国海軍
級名 古鷹型重巡洋艦
艦歴
発注 1922年6月
起工 1922年11月17日 [1]
進水 1925年4月10日 [1]
就役 1926年7月20日 [1]
最期 1942年8月10日、米潜水艦の雷撃により沈没
南緯02度28分 東経152度11分 / 南緯2.467度 東経152.183度 / -2.467; 152.183
除籍 1942年9月15日
要目(新造時 → 改装後)
基準排水量 7,950トン → 8,700トン
公試排水量 9,544トン → 10,507トン
全長 185.166m
最大幅 16.55m → 16.926m
吃水 5.56m → 5.61m
ボイラー 艦本式重油専焼缶10基、同混焼缶2基 → 艦本式重油専焼缶10基
主機 オールギアードタービン4基4軸
102,000hp → 103,390hp(公試成績)
速力 34.6ノット(公試成績)
→ 32.95ノット(公試成績)
燃料 重油:1,400トン、石炭:400トン
→ 重油:1,858トン
航続距離 6,000海里/14ノット時(公試成績)
→ 7,900海里/14ノット時(公試成績)
乗員 627名 → 639名
兵装

竣工時:
50口径20cm単装砲6門
40口径8cm単装高角砲4門
61cm連装魚雷発射管6基12門
八年式魚雷24本

改装後:
50口径20.3cm連装砲3基6門
45口径12cm単装高角砲4門
61cm4連装魚雷発射管2基8門
九三式魚雷16本
装甲 舷側76mm
水平32-35mm
主砲25mm
搭載機 1機 → 2機
(カタパルト0 → 1基)
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加古かこ)は、大日本帝国海軍古鷹型重巡洋艦2番艦[2]である。1926年(大正15年)7月に竣工し、古鷹に続いて世界に先駆けて20cm砲を採用した巡洋艦となった[3][4]1942年(昭和17年)8月8日の第一次ソロモン海戦で活躍した帰路、寄港地に向かう途中に米潜水艦の雷撃により沈没した。

艦歴[編集]

建造と艦名の経緯[編集]

艦名は兵庫県を流れる加古川に由来する[5][6]1921年(大正10年)3月19日、5500トン型軽巡洋艦として加古、那珂神通川内の4隻(後の川内型軽巡洋艦)の建造が計画された[7][8]。加古は佐世保工廠で建造を予定していたが[9]1922年(大正11年)の ワシントン軍縮会議の結果、 3月17日に加古の建造が中止された[10]。10月9日、排水量7100トンの新造一等巡洋艦(当時の日本海軍の区分で7000トン以上の巡洋艦[11])1番艦に、中止された軽巡の建造費目を転用できる加古の艦名が当てられ[12]川崎重工業神戸造船所で建造する事が決まった[13]。2番艦は計画通り古鷹、3番艦以降に1番艦に予定していた衣笠の艦名が先送りされた[14][15]。この結果、重巡洋艦(一等巡洋艦、甲巡)に山の名前をつけるのが慣例の日本海軍で、例外的に河川名が付いた艦となった[5][16]

  • 最上型重巡洋艦利根型重巡洋艦は日本海軍の内規上は軽巡洋艦(二等巡洋艦、乙巡)に区分されたため、河川名で新規竣工した重巡洋艦は加古が唯一である。
  • 艦艇研究家の福井静夫は加古の艦名が変更されなかった点について、加古の計画常備排水量は7100トンだが、ワシントン軍縮会議における基準排水量では6700トン超となり、7000トンを下回って軽巡洋艦に区分される可能性に留意したのではないかと指摘している。実際の古鷹型は計画より大幅に排水量が超過し、軽巡になる可能性はなくなった[17]

加古は1922年(大正11年)11月17日、古鷹より18日早く川崎造船所で起工した[18][1]。進水は古鷹より約1か月半遅れて1925年(大正14年)4月10日[19] [1]、竣工は古鷹より約4か月遅い1926年(大正15年)7月20日にずれ込んだ[20][1]。竣工の遅れは、竣工直前にクレーン事故で船体を損傷したのが原因とされる[21][16][22]。この結果、加古は11月29日の艦艇類別等級表の改訂で正式に古鷹型2番艦となった[23]が、計画段階から「加古型」(加古級)の呼称が日本海軍内で定着していたため、改訂後も広く使われていた[24][25][26]

古鷹と加古は軽巡夕張 に続いて平賀譲造船官が設計を行い、コンパクトな船体で高い戦闘力を備えた夕張の設計思想を引き継いでいた[27]。建造当初は古鷹同様、主砲に20センチ単装砲6門を備えた。重巡青葉衣笠は古鷹型の基本設計を踏襲したが、建造当初から主砲が20センチ連装砲3基6門に変更された。古鷹と加古は日本海軍で建造時に単装砲の主砲を採用した唯一の重巡洋艦となり、後日の近代化改装で連装砲に換装するまで、古鷹型と青葉型重巡洋艦の外観上の大きな差異になった[28](詳細は古鷹型重巡洋艦参照)。

太平洋戦争前[編集]

就役2年後 主砲が単装砲
1937年撮影 第1・2主砲
1941年撮影 カタパルト搭載は九四式水上偵察機
1939-1942年 12cm単装高角砲 後方は古鷹と衣笠

加古は竣工した1926年7月20日、横須賀鎮守府籍となった[29]。8月1日に第五戦隊(古鷹川内、軽巡由良)に編入され[30][31]、8月5日に古鷹から旗艦を継承した[32]。加古は太平洋戦争開戦まで日本近海や中国沿岸で訓練や作戦支援に従事し、交代で戦隊の旗艦もたびたび務めた。

1927年(昭和2年)8月24日、加古は島根県美保関沖で行われた演習に参加し、僚艦が衝突する美保関事件に遭遇した。同じ第五戦隊に所属していた神通、那珂が大破したが、加古と古鷹に損傷はなく、加古は沈没した駆逐艦と損傷艦の救援に従事した[33]。その後、戦艦金剛および同艦に曳航される神通を護衛し、舞鶴へ向かった[34]。12月1日、第五戦隊から神通那珂が外れて青葉衣笠が編入し、古鷹型青葉型重巡洋艦4隻が初めて同一の戦隊を組んだ。

大正~昭和初期の日本では、海軍力を増強するため軍艦に搭載する兵装や機関の改良が急速に進んだ。加古は 1931年(昭和6年)5月15日から9月29日まで横須賀海軍工廠に入渠[29]、10月1日附で呉鎮守府籍となり11月10日から1932年(昭和7年)5月31日まで呉海軍工廠に入渠した[29]。ほぼ1年間の改装で飛行機滑走台をカタパルトに、8cm単装高角砲4門を12cm単装高角砲4門に換装した。呉入渠中の4月4日には駆逐艦江風谷風の残務処理事務所を艦内に設置している[35]1934年(昭和9年)11月10日から1935年(昭和10年)2月25日まで佐世保海軍工廠[29]、5月20日に呉工廠に入渠[29]し、整備を行った。

日本がワシントン海軍軍縮条約の破棄を通告し、1936年 (昭和11年)12月の条約失効とロンドン海軍軍縮会議からの脱退が確実になると、重巡洋艦としては兵装の遅れが目立っていた古鷹型は、条約失効を前提とした大規模な近代化改装工事に着手した。加古は1936年7月から佐世保工廠で工事に入り、船殻工事は大阪鉄工所(日立造船)[36]で行った。1937年 (昭和12年)12月27日、工事は完了した。主砲6門は同数ながら人力給弾・装填式の単装砲6基を20.3cmの連装砲3基に換装し、射程、貫通力、速射性能を大幅に向上させた。機関は重油石炭混焼式2基を廃止して重油専燃缶の出力を向上させ、艦橋上部や煙突の形状も変更された。排水量の増加に伴い浮力を向上させるバルジを追加した。魚雷発射装置は連装6基12門から4連装2基8門となり九三式酸素魚雷の使用が可能になった(改装の詳細は古鷹型重巡洋艦参照)。

1940年(昭和15年)10月11日、紀元二千六百年特別観艦式で古鷹と共に供奉艦として参列した[37]1941年(昭和16年)3月1日、第六戦隊に古鷹、加古、青葉、衣笠の4隻がそろい、9月15日に五藤存知少将が戦隊司令官に就任して、太平洋戦争の開戦を迎えた。

太平洋戦争[編集]

開戦時、第六戦隊は第一艦隊に所属していたが、第四艦隊を主体とする南洋部隊の支援に当たった[38]。12月8日の開戦と共に、第六戦隊グアム島攻略に参加。12月21日から25日にかけて空母蒼龍飛龍、重巡利根筑摩、駆逐艦谷風浦風と共にウェーク島第二次攻略戦に参加する[39] が、この戦いで第六戦隊が発砲することはなかった[40]

1942年(昭和17年)1月-2月上旬にラバウル攻略、3月上旬はラエ・サラモア方面攻略作戦、4月上旬はブーゲンビル島方面およびアドミラルティー攻略作戦等、南方・ソロモン諸島を転戦した[41]

5月上旬、珊瑚海海戦に参加した。第六戦隊と駆逐艦、空母祥鳳でポートモレスビー(MO)攻略部隊が編成され、五藤少将が指揮官となった[42]。5月7日に祥鳳が撃沈され、5月8日に第2小隊の衣笠、古鷹はMO機動部隊に編入された。加古の水上偵察機1機が行方不明になったが、特設水上機母艦神川丸に救助され、後日母艦に戻った[43]。5月11日、米潜水艦に雷撃された敷設艦沖島の救援におもむくが[43]、沖島は沈没した[44]

珊瑚海海戦の結果、 ポートモレスビー作戦は当面中止となった。第六戦隊は整備のため日本に回航し[45]、加古と青葉は5月22日、呉に入港した[29][46]ミッドウェー海戦後、第四艦隊はポートモレスビーの攻略とソロモン諸島航空基地の強化に当たることになり[47][48]、第六戦隊と第十八戦隊(天龍龍田)、第六水雷戦隊(夕張、駆逐艦追風夕月睦月望月卯月)等が投入された[49]

加古と青葉は6月16日に呉を出港して天龍、龍田と合流し、6月23日にトラック泊地に到着した[50]。到着直前、対潜哨戒に出撃した水上偵察機1号機(乗員3名)が不時着し[51]、開戦以来初の戦死者を出した[52]

6月30日、加古、青葉、天龍、龍田はトラックを出撃し[53]、ソロモン諸島方面で行動した[54]。7月10日、青葉と衣笠が合流した[55]。第六戦隊は7月11日-17日まで、ガダルカナル島の基地設営輸送船団を護衛する第六水雷戦隊を支援した[56][57]。7月14日、第六戦隊は第八艦隊(司令長官三川軍一中将)を基幹とする外南洋部隊に編入された[58]

沈没[編集]

1942年(昭和17年)8月7日、米軍がツラギ島ガダルカナル島に上陸し、ソロモン諸島での反攻を開始した。ラバウルに向かって行動中だった第六戦隊は急きょ重巡鳥海と天龍、夕張、駆逐艦夕凪と合流した。8月8-9日の夜間を衝いてガダルカナル島とサボ島の海域に突入、輸送船団を護衛する米豪連合軍艦隊と交戦し、第一次ソロモン海戦が勃発した。加古は米重巡アストリア、米重巡ヴィンセンス、米重巡クインシー、豪重巡キャンベラの撃沈に貢献した。加古の砲弾消費は主砲192発、高角砲124発、25mm機銃149発、魚雷10本だった[59]。偵察のため発進させた水上偵察機は未帰還となった[60]

この戦闘で加古に損害はなかったが、第六戦隊4隻でニューギニア島カビエンに帰投中[61]、8月10日早朝に米潜水艦S-44に発見された[62][63][64]。到着まで数時間程の行程で、戦闘航海3日目のため各艦とも疲労の頂点に達していたという[65]。 午前7時、海上は視界40kmで平穏、第六戦隊は第1小隊(青葉、加古)と第2小隊(衣笠古鷹)の小隊並陣・各艦距離800mで速力16ノットを発揮、青葉水上偵察機1が前路哨戒を行っていたが、之字運動(対潜警戒運動)は実施していなかった[61]。S-44は約650m(700ヤード)の距離から4本の魚雷を発射した[66]。外二軸運転のため舵の効きが悪く、回避は難しかった[67]。7時9-10分、1本目が加古の一番砲塔右舷に、2本目と3本目は弾薬庫及び缶室の近くに命中した。7時15分、加古は右舷に傾いて転覆し、沈没した[68]。沈没地点南緯02度28分 東経152度11分 / 南緯2.467度 東経152.183度 / -2.467; 152.183[69]。乗員の准士官以上54名・下士官兵660名・傭人4名のうち准士官以上6名・下士官兵61名、傭人1名の計68名が戦死した[66][70]。青葉、古鷹、衣笠は爆雷を投射した後、装載艇を残してカビエンへ避退した[71]

艦長の高橋雄次大佐ら生存者650名は装載艇に分乗し、一旦シンブリ島へ上陸した[72]。8月11日、 卯月と大発動艇3隻に分乗してカビエンへ向かい、第六戦隊の各艦に収容された[73]後、特務艦石廊でラバウルへ向かった[74]。9月15日、加古は軍艦籍より除籍[75]。古鷹は10月12日にサボ島沖海戦で、衣笠は11月14日に第三次ソロモン海戦で沈没し、青葉が呉で大破した状態で終戦を迎えた。

エピソード[編集]

  • 建造当時の古鷹型は日本海軍期待の巡洋艦であり、皇族が関係した機会が多い。加古は1925年4月の進水時、梨本宮守正王が列席した[76]。1926年9月25日[46]、長崎造船所で行われた青葉の進水式には高松宮宣仁親王が海軍少尉として古鷹に乗艦しており[77]、御召艦任務のため加古も参加した[78]。1927年に昭和天皇が戦艦山城を御召艦に小笠原諸島奄美大島方面を航海した後、加古、古鷹のいずれかを御召艦として八丈島へ行幸する計画が立案された[26]が、実現しなかった。
  • 1929年5月2日、イギリス王室グロスター公爵ヘンリー王子が乗艦するケント級重巡洋艦サフォークが来日した際、加古と古鷹が出迎えた[79]。3隻の乗員は互いの艦を見学するなどして交流した[80]。あるイギリス士官の感想は「斯うした窮屈な艦を日本が造り得るのはせいぜいあと十年だらう。今に国民の生活程度が向上してこんな住居(すまゐ)には堪えられなくなる時が日本にもやがて来るに違ひない。」だった[81]
  • 横須賀に入渠中の1931年6月下旬、ドイツの軽巡エムデンが来日し[82]、エムデンと同時期に完成した加古との交換見学会が開かれた[83]。当時の日本の軍艦はリベット構造が主体で、電気溶接を多用したドイツの建艦技術に見学者は興味を抱いた[84]
  • 加古の沈没の一報をうけて宇垣纏連合艦隊参謀長は戦藻録に『道は九十九里を以て半すとの格言に相當するに非ざるか』と記録した[85]チェスター・ニミッツ太平洋艦隊司令長官は潜水艦による加古喪失の効果について『アメリカ軍の惨敗をとにかく埋め合わせた』、『後日、日本海軍が東京急行に水上兵力を投入するにあたり、ずっと慎重で消極的な方法をとらせることになった』と指摘している[62]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』85-87頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。

艤装員長[編集]

  1. 後藤章 大佐:1925年9月18日[86] - 1926年7月20日[87]

艦長[編集]

  1. 後藤章 大佐:1926年7月20日[87] - 1927年11月15日[88]
  2. 吉武純蔵 大佐:1927年11月15日[88] - 1928年12月10日[89]
  3. 秋山虎六 大佐:1928年12月10日[89] - 1929年11月30日[90]
  4. 近藤信竹 大佐:1929年11月30日[90] - 1930年6月18日[91]
  5. 中村亀三郎 大佐:1930年6月18日[91] - 1930年12月1日[92]
  6. 井上勝純 大佐:1930年12月1日[92] - 1931年12月1日[93]
  7. 古賀七三郎 大佐:1931年12月1日[93] - 1932年12月1日[94]
  8. 水戸春造 大佐:1932年12月1日[94] - 1933年11月15日[95]
  9. 横山徳治郎 大佐:1933年11月15日[95] - 1934年11月15日[96]
  10. 柏木英 大佐:1934年11月15日[96] - 1935年11月15日[97]
  11. 藍原有孝 大佐:1935年11月15日[97] - 1936年7月1日[98]
  12. 大島乾四郎 大佐:1936年7月1日[98] - 1936年12月1日[99]
  13. 岡村政夫 大佐:1936年12月1日[99] - 1937年12月1日[100]
  14. 鎌田道章 大佐:1937年12月1日[100] - 1938年10月20日[101]
  15. 緒方真記 大佐:1938年10月20日[101] - 1939年5月1日[102]
  16. (兼)伊藤皎 大佐:1939年5月1日[102] - 1939年7月1日[103]
  17. 江戸兵太郎 大佐:1939年7月1日[103] - 1939年11月15日[104]
  18. 堀江義一郎 大佐:1939年11月15日[104] - 1940年10月15日[105]
  19. 木下三雄 大佐:1940年10月15日[105] - 1941年9月15日[106]
  20. 高橋雄次 大佐:1941年9月15日[106] - 1942年9月1日[107]

主な乗員[編集]

※階級は発令日当時

  • 1926年 7月20日 [87] 香椎哲二郎中佐(副長)。澤田実少佐(砲術長)。鈴木義尾少佐(航海長)。 仲村保造少佐(水雷長)、古村啓蔵中尉(乗員)。中川清海機関中佐(機関長)
    • 12月1日 [108] 井沢春馬中佐(副長)
  • 1927年 11月15日[109] 後藤輝道中佐(副長)。丸茂邦則少佐(砲術長)。池内正方少佐(水雷長)
  • 1929年11月30日 [90] 副長・太田泰治中佐 → 中村一夫中佐。三好輝彦少佐(水雷長)。航海長・有賀武夫少佐→土井高少佐
  • 1930年12月1日 [92] 砲術長・中尾八郎少佐 → 市村茂松少佐。市来正雄大尉(水雷長)
  • 1939年11月15日 [111] 梶本顗大尉(水雷長)
  • 1941年 8月20日 [112] 砲術長・樋口貞治中佐 → 西村春芳少佐。米井恒雄大尉(水雷長)

同型艦[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f #艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.3『加古|一等巡洋艦|(艦要目略)|神戸川崎造船所|大正11-11-17|大正14-4-10|大正15-7-20|(艦装備略)』
  2. ^ #艦艇類別等級(昭和16年12月31日)p.2『軍艦|巡洋艦|一等|古鷹型|古鷹、加古』
  3. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.238『一、所謂八吋砲巡洋艦出現 - 大正十一年(一九二二)、巡洋艦「加古」同年十一月神戸川崎造船所にて起工、八吋砲(二十糎砲)六門を装備す、所謂「八吋巡洋艦」の嚆矢なり』
  4. ^ #ポケット海軍年鑑(1937)p.33『一等巡洋艦加古は20糎砲巡洋艦の最初の艦で、國産日本海軍がやうやく世界に怖れられて來た頃の待望を一身に擔つて生れたのである。列強の20糎砲巡洋艦の第一艦と較べて、優れたりとも決して劣つてはゐない。』
  5. ^ a b #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.121『加古(かこ)|艦種 一等巡洋艦 姉妹艦に古鷹・青葉・衣笠あり|艦名考 川名に採る、加古川は又印南川、氷河(ヒノカハ)とも云ふ、丹波国氷上(ヒノカミ)郡ニ發源し上流を佐治川と云ひ、多紀郡の大雲川を併せ播磨国に入り海に注ぐ。|艦歴 此艦は元球磨型の第十五艦の筈なりしも、後に至り古鷹型に変更、従って他の姉妹艦三隻の名何れも山名なるも此艦のみは球磨級と共に川名に採る。』
  6. ^ #ハンディ判艦艇写真集11p.2『艦名の由来』-『加古(かこ)―河川名』
  7. ^ #達大正10年3月p.14『達第四十三號 軍備補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ二等巡洋艦四隻ニ左ノ通命名セラル|大正十年三月十九日 海軍大臣男爵加藤友三郎|加古カコ 那珂ナカ 川内センダイ 神通ジンツウ』
  8. ^ #達大正10年6月p.17『達第百十八號 艦艇類別等級別表中巡洋艦二等ノ欄「鬼怒」ノ下ニ「、加古、那珂、川内、神通」ヲ加フ|大正十年六月九日 海軍大臣男爵 加藤友三郎』
  9. ^ #大正10年5月20日新艦起工予定及同造船所名の件p.1『巡洋艦 加古 大正十一年以後 佐世保海軍工廠』
  10. ^ #軍艦加古工事に関する件p.3『大正十一年三月十七日 佐鎮司令長官宛 二等巡洋艦一隻建造ノ件取止メ』
  11. ^ #達大正1年8月p.32『達第十一號 艦艇類別標準別表ノ通改正セラル 大正元年八月二十六日 海軍大臣男爵斎藤實 |艦艇類別標準|軍艦|巡洋艦|一等|七千頓以上|二等|七千頓未満』
  12. ^ #達大正11年10月p.2『達第百七十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|大正十一年十月九日 海軍大臣男爵 加藤友三郎|巡洋艦一等ノ欄ニ加古、衣笠、古鷹ヲ加ヘ同二等ノ欄加古、ヲ削ル』
  13. ^ #達大正11年10月p.2『達第百七十六號 軍備補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ二等巡洋艦四隻ノ内加古ノ艦型ヲ一等巡洋艦ニ變更シ大正十一年度ニ於テ川崎造船所ニ於テ建造セシム|大正十一年十月九日 海軍大臣男爵 加藤友三郎』
  14. ^ #我海軍軽巡に関する問合せの件p.3『衣笠加古|7.100|未起工(契約済)|古鷹|7.100|未起工(契約済)|III衣笠|7.100|仝右未起工』
  15. ^ #達大正11年10月p.2『達第百七十七號 軍備補充費ヲ以テ大正十一年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等巡洋艦二隻ノ内衣笠ノ建造年度ヲ大正十二年度ニ繰下ゲ建造所ハ未定トス|大正十一年十月九日 海軍大臣男爵 加藤友三郎』
  16. ^ a b #日本巡洋艦物語92-94頁
  17. ^ #日本巡洋艦物語 p.94
  18. ^ 「1等巡洋艦工事予定概括表の件」pp.3
  19. ^ 大正14年4月11日(土)海軍公報第3729号 p.40』 アジア歴史資料センター Ref.C12070297000 『○軍艦進水 神戸川崎造船所ニ於テ建造ノ軍艦加古四月十日午前八時進水セリ』
  20. ^ #軍艦加古工事予定概括表改正の件pp.3-5
  21. ^ #巡洋艦加古引渡期日延期pp.3-4
  22. ^ #ハンディ判艦艇写真集11p.45(竣工直後写真)
  23. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.64『◎艦艇類別等級 大正十五年十一月二十九日(内令二三八)艦艇類別等級別表ノ通定ム(別表) 艦艇類別等級|軍艦|巡洋艦|一等|古鷹型|古鷹、加古』
  24. ^ #神通.蕨.那珂 葦衝突事件報告(1)p.2『…甲軍ノ後衛タル第三戦隊及竜田ヲ加古型ト仮想スルコトニ改メ23日午後三時信號發令セリ…』
  25. ^ #観艦式場計画要領の件p.3『六.各艦ノ距離ヲ左ノ通トス (イ)戦艦巡洋戦艦加古型各艦及赤城 六百米』
  26. ^ a b #天皇海軍兵学校卒業式行幸及八丈島大島御立寄の件取止めp.4『聖上陛下ニハ過般山城ニテ小笠原及奄美大島方面ニ行幸アラセラレ至極御満足ノ処更ニ「八丈島ヲ見ル機会アラバ此方面モオヨソ見聞サレタルコトトナル」トノ御意ヲ漏ラセラレタリ又平素ヨリ加古級御展覧ノ御意モアラセラルル様拝察スルニ付明年好季ニ加古級ニテ八丈島行幸ノ議アルモノトシテ内々海軍ニテ研究ヲ希望ス本件ハ宮内省高官トモ打合セアリ』
  27. ^ #ポケット海軍年鑑(1935)p.38、夕張の項『今後はこれだと人々に思はせたが果たせるかな後年になつて計畫されたのがあの7,100頓の加古級である。即ちこの夕張は現在の一等巡洋艦完成の手引であつたとも見られるものである。』
  28. ^ #ポケット海軍年鑑(1935)p.28『一等巡洋艦"加古 かこ" 加古は艦型要目共に古鷹と同様で全長176.78米、幅15.47米、平均吃水4.50米。備砲20糎砲6門は何れも單装砲塔式であるから、この點すぐ後に出來た衣笠、青葉の2艦をして一日の長たらしめてはゐるが、従来の巡洋艦が採り來つた形式と比較したならばその斬新振りに満足すべきであらう。』
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  34. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(1)p.14『神通ハ損傷最甚シク二十五日午前八時其ノ防水補強作業終了シ金剛ハ之ヲ艦尾曳ニテ舞鶴ニ回航加古之ヲ護衛シ二十六日午前九時無事舞鶴着』
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  50. ^ #S1706加古日誌(1)p.3『十六日六戦隊一小隊(青葉、加古)呉出港(略)十八日假泊地發十八戦隊ト合同ノ後豊後水道ヲ出撃諸訓練ヲ實施シツヽ二十三日「トラツク」着』
  51. ^ #S1706加古日誌(1)p.3『同日入港ノ際本艦一号機対潜警戒ニ従事中不時着シ搭乗員三名戦死ノ事故ヲ発生セリ』
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  53. ^ #S1706加古日誌(1)p.3『三十日SN作戦支援部隊トシテ「トラツク」ヲ出撃「ソロモン」群島方面ニ向かヒ南下セリ』
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  80. ^ #グロスター公奉迎(1)pp.21-23『(ロ)訪問交換 (略) (ニ)招待関係』
  81. ^ #増補 軍艦物語p.28『…がいつだったか観艦式の時に日本の新しい巡洋艦の加古だとかイギリスの一萬噸巡洋艦のサフォークとをお互に見せっこした時にイギリスの士官が斯う言った事がある』
  82. ^ #エムデン見学交換(1)p.13『二.資料募集ノ件 「エムデン」ハ大戦ノ経験ニ鑑ミ獨独特ノ造船技術ニヨリ建造セルモノニシテ兵器等ニ於テハ学ブ所尠ナカラシモ一般艤装電気通信器及大戦ノ教訓ヲ活用セル諸点等参考トスベキ点多カラルベシト認メラル依ッテ構内関係各部職員ニテ仝艦ヲ見学スルヲ有利ト認ム此ノ際我海軍ヨリハ加古ヲ交換的ニ見学セシメ可然、ソノ範囲ハ追テ各部ト 協議決定ノコトト致シ度』
  83. ^ #エムデン見学交換(2)p.3『エムデン見学ノ件覚 六-六-三〇 (略) (イ)艤装一般特ニ居住施設(加古級ト比較)』
  84. ^ #エムデン見学交換(4)p.2『船殻 (略)工作法に関しては外観上特に注意を惹きたるものなし。唯本級の進水は1925年の一月にして我古鷹級と建造の期を同じくせるが当時我海軍に於て電気溶接を実際に応用することの未だ行はれざりしに反し彼に於ては後に述ぶるが如き要領にして相当広範囲に溶接を使用し居る点は独逸に於ける溶接技術の進歩と云ふ点に於て相当注目に値するものと思考す。』
  85. ^ #戦藻録(1968)165頁
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参考文献[編集]

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  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第6巻 重巡II』(光人社、1989年(平成元年)) ISBN 4-7698-0456-3
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  • 丸編集部編 『重巡洋艦戦記 私は決定的瞬間をこの目で見た!』 光人社、2010年11月。ISBN 978-4-7698-1485-6
    • 元第八艦隊司令長官・海軍中将三川軍一『第一次ソロモン海戦の思い出』
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    • Ref.C08030060600 『昭和17年5月1日~昭和17年7月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030060700 『昭和17年5月1日~昭和17年7月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030060800 『昭和17年5月1日~昭和17年7月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030571400 『昭和17年7月1日~昭和17年7月31日 軍艦加古戦時日誌』。
    • Ref.C08030571500 『昭和17年8月7日~昭和17年8月10日 軍艦加古戦闘詳報』。
    • Ref.C08030748100 『昭和17年8月8日 軍艦加古戦闘概報(ソロモン海域6S戦闘経過図)』。
    • Ref.C08030325500 『昭和17年9月1日~昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030325900 『昭和17年9月1日~昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08050116900 『艦船艦齢線表 昭和17年8月』。
    • Ref.C12070064400 『大正1年達完/達大正1年8月』。
    • Ref.C12070078400 『大正10年 達完/達大正10年3月』。
    • Ref.C12070078900 『大正10年 達完/達大正10年6月』。
    • Ref.C12070081000 『大正11年 達完/達大正11年10月』。

関連項目[編集]