疾風 (2代神風型駆逐艦)

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Japanese destroyer Hayate Taisho 14.jpg
艦歴
発注 大正12年度艦艇補充計画
起工 1922年11月11日
進水 1925年3月23日
就役 1925年12月21日
その後 1941年12月11日戦没
除籍 1942年1月15日
性能諸元
排水量 基準:1,270t 公試:1,400t
全長 102.57メートル
全幅 9.16メートル
吃水 2.92メートル
機関 ロ号艦本式缶4基
艦本式タービン2基2軸
38,500 SHP
速力 37.25ノット
航続距離 14ノット/3,600カイリ
燃料 重油:420トン
乗員 154名
兵装 45口径12cm単装砲4門
一〇年式53cm連装魚雷発射管3基
(魚雷10本)
留式7.7mm機銃2挺
爆雷18個

疾風(はやて)は、日本海軍駆逐艦[1]一等駆逐艦神風型(2代目)の7番艦であり、この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「疾風」に続いて2隻目[2]。 最初の艦名は「第十三駆逐艦[3]。 続いて「第十三号駆逐艦[4]、最終的に「疾風」と改名された[1]

艦歴[編集]

1921年(大正10年)10月12日、神風型駆逐艦7隻(第一駆逐艦《神風》第三駆逐艦《朝風》第五駆逐艦《春風》第七駆逐艦《松風》第九駆逐艦《旗風》第十一駆逐艦《追風》第十三駆逐艦《疾風》)、若竹型駆逐艦10隻(第二駆逐艦《若竹》第四駆逐艦《呉竹》第六駆逐艦《早苗》第八駆逐艦《早蕨》第十駆逐艦《朝顔》第十二駆逐艦《夕顔》、第十四駆逐艦《建造中止》、第十六駆逐艦《芙蓉》第十八駆逐艦《刈萱》、第二十駆逐艦《建造中止》)および掃海艇4隻に、それぞれ艦名が与えられる[3]

1922年(大正11年)8月24日、本艦は、姉妹艦や軽巡洋艦「夕張」および給油艦2隻(鳴戸早鞆)と共に艦艇類別等級表に登録された[5][6]9月11日、「第十一駆逐艦(追風)」は浦賀船渠で、「第十三駆逐艦」は石川島造船所で建造される事が決まる[7]。 同日附で神風型8番艦「第十五駆逐艦(朝凪)」も命名された[8]1924年(大正13年)4月24日、艦名を「第十三号駆逐艦」に改正[4][9]1925年(大正14年)3月23日午後4時、「第十三号駆逐艦」は進水[10]12月21日に竣工した。その後、1928年(昭和3年)8月1日附で「第十三号駆逐艦」は「疾風」と改名された[1]

沈没[編集]

第29駆逐隊第1小隊(追風、疾風)は南洋部隊指揮官井上成美第四艦隊司令長官(旗艦「鹿島」)の指揮下で太平洋戦争開戦初頭のウェーク島攻略戦に参加した。1941年(昭和16年)12月11日、「疾風」はウェーク島近海で上陸作戦を実行中、ウェーク島海岸砲台による砲撃を受け沈没し、太平洋戦争における日本軍最初の戦没艦(水上艦艇)となった[11]。経過は以下の通り。

真珠湾攻撃と共にウェーク島の米軍基地はマーシャル諸島から発進した日本海軍の九六式陸上攻撃機の反復攻撃を受け損害を受けたが、完全に戦力を喪失したわけではなかった[12]。これに対し、日本軍(第四艦隊)はウェーク島の攻略は容易であると見ており、特にピーコック岬砲台(A砲台)とウィルクス島砲台(L砲台)は壊滅したと判断している[13][14]。第一次攻略部隊のおもな戦力は、攻略部隊司令官梶岡定道第六水雷戦隊司令官、攻略部隊本隊/第六水雷戦隊(旗艦:軽巡洋艦夕張」、第29駆逐隊第1小隊《駆逐隊司令瀬戸山安秀大佐:追風、疾風》、第30駆逐隊《睦月如月弥生望月》)、旧式駆逐艦改造哨戒艇2隻(32号、33号)、第十八戦隊(司令官丸茂邦則少将:天龍龍田)、輸送船2隻(金剛丸金龍丸)等である[15]。第29駆逐隊第2小隊(夕凪朝凪)はギルバート諸島マキン島攻略作戦のため、第1小隊(疾風、追風)とは別行動であった[16][17]

12月11日午前3時、アメリカ軍ウェーク島守備隊は南の水平線上に船影を発見、一部の者は米軍の救援艦隊と錯覚して海岸に降りた[18]。しかし指揮官ウィンフィールド・カニンガム英語版中佐、ジェームズ・デベル英語版海兵隊少佐も船影を日本艦隊と判断する[18]。2人はウェーク島砲台の射程外から巡洋艦にアウトレンジ砲撃されることをおそれ、日本艦隊が十分接近するまで砲撃を控えるよう命令した[18]。攻略部隊は自分達が待ち伏せされている事に全く気が付いていなかった[19][20]

戦闘は軽巡3隻(夕張、天龍、龍田)の艦砲射撃ではじまった[21]。約1時間の砲撃ののち、日本軍輸送船団は上陸部隊の展開をはじめる[19]。午前6時15分(日本時間と約2時間違う)、ウェーク島南東ピーコック岬のA砲台は距離5100mで「夕張」に発砲、同艦は南へ避退した[19]。ウェーク島西側のウィルクス島に秘匿されていたL砲台(指揮官ジョン・A・マカリスター中尉)は「天龍」「龍田」の砲撃に耐え、距離6300で単縦陣の駆逐艦3隻に発砲する[19]。日本側の戦闘詳報によれば、「疾風」は「睦月」の後方を航行していた[22]。米軍によれば、「疾風」は砲台の斉射に対し左に舵を切り、片舷斉射を行った[23]。この運動によって被弾面積が大きくなり、絶好の目標になる[24]。砲撃は艦中央部に命中。艦尾から艦全体に黒煙が広がったかと思えば[25]、200メートルぐらいの水柱を上げ[26]、これらが姿を消した頃には「疾風」の姿はなかった。地上砲台からは真っ二つになった「疾風」が見え、すぐに沈んでゆく光景が見られた[24]。日本時間午前4時過ぎであった。168名総員戦死[24]。なお12月14日の第四艦隊報告によれば、「疾風」乗組員1名と「如月」乗組員3名が救助されている[27]。また米軍はウェーク島近海で沈没した本艦より暗号書を入手したという[28]

米軍の予期せぬ反撃と「疾風」の轟沈により、攻略部隊の駆逐隊は大混乱に陥った[29]。「疾風」を撃沈して意気が上がるL砲台は、退避中の数隻に命中弾を与えたと記録している[24]。のちにカニンガム中佐は『この日の朝、何者もL砲台を悩ますことは出来なかった』『L砲台は熱く燃えていた』と回想した[24]。 またビール島のB砲台は「睦月」「弥生」と交戦し、2隻を撃退した[24]。日本艦隊はクェゼリンへの退却を開始したが、爆弾を搭載したF4Fワイルドキャット戦闘機3機の追撃と反復攻撃を受けた[30]。なお、この戦闘で「如月」が沈没している[31][32]。「天龍」「龍田」「金剛丸」も損傷[30]。ウェーク島第一次攻略作戦は、海岸砲台が上陸侵攻部隊を撃退した第二次世界大戦中唯一の事例となった[30]。米軍の戦死者1名、負傷者4名[30]。「疾風」を撃沈したL砲台は「まるで戦争に勝ったみたいな騒ぎ」であったという[30]。アメリカ側は巡洋艦1隻・駆逐艦1隻を撃沈と認識していた[33]

1942年(昭和17年)1月15日、「疾風」は 神風型駆逐艦[34]、 第29駆逐隊[35]、 帝国駆逐艦籍[36] のそれぞれから除籍された。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』245-246頁による。階級は就任時のもの。

艤装員長[編集]

  1. 神山忠 中佐:1925年8月25日[37] - 12月1日[38]
  2. 三木太市 中佐:1925年12月1日 - 1925年12月21日

駆逐艦長[編集]

  1. 三木太市 中佐:1925年12月21日 -
  2. 中円尾義三 少佐:1926年12月1日 - 1928年12月10日
  3. (兼)園二郎 少佐:1928年12月10日[39] - 1929年11月1日[40]
  4. 津田源助 少佐:1929年11月1日 - 1930年12月1日
  5. 江口松郎 少佐:1930年12月1日 - 1932年1月11日
  6. 中津成基 少佐:1932年1月11日 - 1932年4月1日
  7. (兼)上田光治 少佐:1932年4月1日[41] - 7月11日[42]
  8. (兼)小田操 少佐:1932年8月5日[43] - 11月15日[44]
  9. (兼)佐藤寅治郎 少佐:1932年11月15日 -
  10. 天野重隆 少佐:1933年5月17日 - 1934年11月1日
  11. 中原義一郎 少佐:1934年11月1日 - 1936年6月20日
  12. 田口正一 少佐:1936年6月20日 - 1937年1月15日[45]
  13. (兼)北野亘 少佐:1937年1月15日[45] -
  14. 山田盛重 少佐:1937年7月13日 -
  15. 飛田健二郎 少佐:1937年11月15日 -
  16. 中杉清治 少佐:1938年12月15日 -
  17. 松枝司蔵 少佐:1939年12月1日 -
  18. 中川実 少佐:1940年10月15日 -
  19. 高塚実 少佐:1941年7月25日 - 12月11日(戦死)

脚注[編集]

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  1. ^ a b c #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第十三號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 疾風(ハヤテ)トス』
  2. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.159『神風型(九隻)』
  3. ^ a b #達大正10年10月pp.11-12『達第百九十號 軍備補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦七隻二等驅逐艦十隻及一等掃海艇六隻ニ左ノ通命名ス 大正十年十月十二日 海軍大臣男爵 加藤友三郎|一等驅逐艦七隻 第一驅逐艦 第三驅逐艦 第五驅逐艦 第七驅逐艦 第九驅逐艦 第十一驅逐艦 第十三驅逐艦|二等驅逐艦十隻 第二驅逐艦 第四驅逐艦 第六驅逐艦 第八驅逐艦 第十驅逐艦 第十二驅逐艦 第十四驅逐艦 第十六驅逐艦 第十八驅逐艦 第二十驅逐艦|一等掃海艇六隻 第一掃海艇 第二掃海艇 第三掃海艇 第四掃海艇 第五掃海艇 第六掃海艇』
  4. ^ a b #達大正13年4月p.17『達第四十九號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦及掃海艇ノ欄中「第一、第二」等トアルヲ「第一號、第二號」等ニ改ム/備考第二號中「第一驅逐艦」「第二驅逐艦」ヲ「第一號驅逐艦」「第二號驅逐艦」ニ改ム/同三號中「第一掃海艇」「第二掃海艇」ヲ「第一號掃海艇」「第二號掃海艇」ニ改ム 大正十三年四月二十四日 海軍大臣 村上格一』
  5. ^ #達大正11年8月p.12『達第百五十四號 艦艇類別等級別表中巡洋艦二等ノ欄「神通」ノ次ニ「、夕張」ヲ、驅逐艦一等ノ欄「波風」ノ次ニ「、第一」「、第五」「、第七」「、第九」「、第十一」「、第十三」ヲ、同二等ノ欄「蓼」ノ次ニ「、第二」「、第四」「、第六」「、第八」「、第十」「、第十二」「、第十六」「、第十八」ヲ加フ 大正十一年八月二十四日 海軍大臣男爵 加藤友三郎』
  6. ^ #達大正11年8月p.12『達第百五十五號 特務艦類別等級別表中運送艦ノ欄「神威」ノ次ニ「、鳴戸」「、早鞆」ヲ加フ 大正十一年八月二十四日 海軍大臣男爵 加藤友三郎』
  7. ^ #達大正11年9月p.10『達第百六十六號 大正十年達第百九十號ヲ以テ命名セル一等驅逐艦中第十一、第十三驅逐艦ノ建造着手年度ヲ大正十一年度ニ變更シ左記造船所ニ於テ建造セシム 大正十一年九月十一日 海軍大臣男爵 加藤共三郎|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第十一驅逐艦|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第十三驅逐艦』
  8. ^ #達大正11年9月p.10『達第百六十五號 軍備補充費ヲ以テ大正十一年達ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス 大正十一年九月十一日 海軍大臣男爵 加藤友三郎 藤永田造船所ニ於テ建造 第十五驅逐艦』
  9. ^ #達大正13年4月p.17『達第五十號 今般艦艇類別等級改正ノ結果海軍諸令達中「第一驅逐艦、第二驅逐艦」等トアルハ「第一號驅逐艦、第二號驅逐艦」等ニ、「第一掃海艇、第二掃海艇」等トアルハ「第一號掃海艇、第二號掃海艇」等ト改マリタル儀ト心得ヘシ 大正十三年四月二十四日 海軍大臣 村上格一』
  10. ^ 大正14年3月24日 海軍公報 第3714号 p.27』 アジア歴史資料センター Ref.C12070296800 『○驅逐艦進水 石川島造船所ニ於テ建造ノ第十三驅逐艦三月二十三日午後四時進水セリ』
  11. ^ #S1612六水戦日誌(1)p.5『第一次「ウェーキ」攻略作戦ニ従事ス同作戦ハ11日未明「ウェーキ」上陸結構ヲ企図セル處天候不良ノ為上陸スル能ハズ再挙ヲ期シ一先ヅ「クエゼリン」(ルオット)ニ引返セリ本作戦ニ於テ疾風及如月ハ敵爆弾又ハ砲弾ニ依リ爆沈シ追風弥生ハ敵戦斗機ノ銃撃ニ依リ若干ノ損害ヲ蒙リタリ』
  12. ^ #太平洋の試練(上)224頁
  13. ^ #S1612六水戦日誌(1)p.3『(四)上陸前日迄ノ航空戦隊ノ総合情報左ノ如シ (1)戦闘機尚1、2機程度残存ス (2)陸上防空砲火ハ熾烈ナルモ「ピーコック」岬「ウイルクス」島砲台ハ概ネ壊滅セリ』
  14. ^ #青春の棺19頁
  15. ^ #青春の棺33頁『第一次攻略作戦行動図』
  16. ^ #S1612六水戦日誌(1)pp.32-33『(一)麾下艦船部隊ノ行動』
  17. ^ #青春の棺18頁
  18. ^ a b c #太平洋の試練(上)225頁
  19. ^ a b c d #太平洋の試練(上)226頁
  20. ^ #S1612六水戦日誌(2)p.50『本上陸不成功ノ主因左ノ如シ(略) (三)予期以上協力ナル敵戦斗機及陸上砲台ノ妨害アリシコト』
  21. ^ #太平洋の試練(上)227頁
  22. ^ #S1612六水戦日誌(2)p.57『疾風自沈時ノ対勢(0403)』
  23. ^ #太平洋の試練(上)227頁
  24. ^ a b c d e f #太平洋の試練(上)228頁
  25. ^ 佐藤、208ページ
  26. ^ 田村、104ページ
  27. ^ #高松宮日記3巻351頁『○第四艦隊長官 一四-二三三〇(中略)四、「疾風」機関兵一、「如月」水兵一、機関兵二救助サル。』
  28. ^ #青春の棺31-32頁『人智の外にあるもの』
  29. ^ #S1612十八戦隊日誌(2)p.10『(チ)概ネ九粁内外ノ巨離ヨリ0410陸上要点ニ砲撃下令西航中0410陸上要点ニ砲撃下令西航中駆逐隊ノ混乱セルヲ認メ反転砲撃ヲ続行セシモ攻略部隊ガ陸戦隊ヲ揚陸セシヤ否ヤ不明ニシテ大ナル不安アリシヲ以テ夕張ニ対シ「陸戦隊揚陸センヤ」ト照会センモ応答ナク、夕張ヨリ避退セヨトノ令ヲ傍受シ且ツ至近ニ敵弾着スルニ至リタルヲ以テ0425砲撃ヲ止メ南方ニ変針セリ』
  30. ^ a b c d e #太平洋の試練(上)229-230頁
  31. ^ #S1612六水戦日誌(2)p.46『(イ)疾風及如月爆沈 疾風0430敵砲弾又ハ爆弾ニ依リ誘爆々沈 如月0537 0542爆弾ニ依リ誘爆々沈』
  32. ^ #青春の棺24-25頁
  33. ^ #高松宮日記3巻343頁『○十二日夜、桑港放送「ウェーキ」ニテ巡洋艦一隻、駆逐艦一隻ヲ撃沈。「ウ」ハ未ダ占領サレズ。』
  34. ^ #内令昭和17年1月(2)p.2『内令第五十號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年一月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦一等ノ部中神風型ノ項中「疾風、」ヲ、睦月型ノ項中「如月、」ヲ、吹雪型ノ項中「東雲、」「狭霧、」ヲ削ル|潜水艦二等ノ部中「呂六十型」ヲ「呂六十一型」ニ改メ、同項中「呂號第六十、」「呂號第六十六、」ヲ削ル|掃海艇ノ部中第一號型ノ項中「、第六號」ヲ、第七號型ノ項中「第十號、」ヲ削ル』
  35. ^ #内令昭和17年1月(2)pp.15-19『内令第七十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年一月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十二驅逐隊ノ項中「東雲、」ヲ削ル|第二十驅逐隊ノ項中「、狭霧」ヲ削ル|第二十九驅逐隊ノ項中「疾風、」ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「如月、」ヲ削ル』
  36. ^ #内令昭和17年1月(2)pp.21-22『内令第七十九號|呉鎮守府在籍 驅逐艦 東雲 驅逐艦 狭霧|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 疾風 驅逐艦 如月|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|佐世保鎮守府在籍 呂號第六十潜水艦 呂號第六十一潜水艦|右帝國潜水艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 第六號掃海艇|佐世保鎮守府在籍 第十號掃海艇|右帝國掃海艇籍ヨリ除カル|昭和十七年一月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  37. ^ 『官報』第3903号、大正14年8月26日。
  38. ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  39. ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  40. ^ 『官報』第854号、昭和4年11月2日。
  41. ^ 『官報』第1575号、昭和7年4月2日。
  42. ^ 『官報』第1659号、昭和7年7月12日。
  43. ^ 『官報』第1682号、昭和7年8月8日。
  44. ^ 『官報』第1765号、昭和7年11月16日。
  45. ^ a b 『官報』第3009号、昭和12年1月16日。

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正10年達完/10月』。Ref.C12070079300。
    • 『大正11年達完/8月』。Ref.C12070080800。
    • 『大正11年達完/9月』。Ref.C12070080900。
    • 『大正13年達完/4月』。Ref.C12070083400。
    • 『昭和3年達完/6月』。Ref.C12070089800。
    • 『昭和17年1月3月 内令1巻/昭和17年1月(2)』。Ref.C12070160500。
    • 『昭和16年12月1日~昭和16年12月23日 第6水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030120000。
    • 『昭和16年12月1日~昭和16年12月23日 第6水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030120100。
    • 『昭和16年12月1日~昭和16年12月23日 第6水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030120200。
    • 『昭和16年12月1日~昭和16年12月23日 第6水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030120300。
    • 『昭和16年12月1日~昭和17年1月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報 AA攻略作戦(1)』。Ref.C08030057600。
    • 『昭和16年12月1日~昭和17年1月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報 AA攻略作戦(2)』。Ref.C08030057700。
  • 岡村治信 「第一章 かがやく珊瑚礁」『青春の棺 生と死の航跡』 光人社、1979年12月。(岡村は第29駆逐隊主計科士官。「追風」に乗艦してウェーク島攻略戦に参加。)
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第三巻 昭和十五年五月一日~昭和十六年十二月三十一日』 中央公論社、1995年11月。ISBN 4-12-403393-1
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • イアン・トール著、村上和久 「第四章 ニミッツ着任」『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで』 文藝春秋、2013年6月。ISBN 978-4-16-376420-7

関連項目[編集]