間宮 (給糧艦)

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間宮
IJN supply ship MAMIYA around 1930.jpg
1930年頃の間宮[1]
経歴
運用者  大日本帝国海軍
建造所 川崎造船所[2]
種別 給糧艦[2]
計画 大正12年度艦艇補充計画
起工 1922年10月25日[3]
進水 1923年10月26日[3]
竣工 1924年7月15日[3]
除籍 1945年2月10日
最後 1944年12月20日沈没
要目
基準排水量 公表値 15,820トン[3]
常備排水量 12,176トン[2](11,099トン[4])
満載排水量 15,666トン[2](15,065.7トン[4])
総トン数 登簿総噸数 9,500トン[2]
全長 495 ft 2+1/4 in (150.93 m)[2]
垂線間長 475 ft 0 in (144.78 m)[3][4]
全幅 公表値 18.59m[3]
水線幅 61 ft 3 in (18.67 m)[2]
吃水 常備状態 18 ft 0+7/8 in (5.51 m)[2]
満載状態 24 ft 10+1/4 in (7.58 m)[2]
公表値 8.43m[3]
ボイラー ロ号艦本式缶 8基[5]
主機 直立式3気筒3段式レシプロエンジン 2基[5]
推進 2軸[2][5]
出力 10,000hp[5]
速力 満載状態 14ノット[2]
軽貨状態 16.5ノット[2]
16.991ノット(1923年7月)[4]
17ノット(1938年調)[5]
燃料 石炭1,700トン[2]
航続距離 冷却機を使用する時 9,000カイリ[2]
冷却機を使用しない時 12,000カイリ[2]
乗員 1923年7月 283名[4]
1925年度定員 211名[2]
平時201名、戦時284名(1938年)[5]
兵装 14cm砲2門[5]
8cm高角砲2門[5]
(平時は陸上保管)
25mm機銃3連装2基、連装2基、単装4挺、13mm単装機銃2挺[6]
(機銃は1944年時)
搭載艇 30ft内火艇 1、30ftカッター 3、通船 2(1926年)[2]
その他 補給物件 重油2,100トン、石炭1,500トン、清水830トン[2]
18,000人の3週間分の食料補給、艦内での加工食品の製造など
トンの単位は全て英トン(ロング・トン、約1,016kg)
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呉海軍工廠で最終艤装中の戦艦大和1941年9月20日)。画面中央やや上に、三番砲塔越しに見えるのが間宮

間宮(まみや)は、日本海軍の給糧艦。その艦名は、間宮海峡から採られた[7]。給糧艦とは艦艇に食糧を供給する補給艦のこと[8]

概要[編集]

八八艦隊計画内で能登呂型給油艦の1艦として予算が成立したが、海軍の強い要望で連合艦隊随伴用の給糧艦が1隻、その予算で建造された[9]。それが本艦(間宮)である。船体は商船構造とし、設計は川崎造船所に委託。設計は同社がかつて手がけた大阪商船の北米航路向け貨客船はわい丸の設計を手直ししたものであり、就役当時は世界最大の給糧艦であった。戦時、平時問わず日本海軍の補給の要として活動。太平洋戦争末期、米軍潜水艦の雷撃により沈没した。

性能[編集]

食料供給能力[編集]

本艦は純商船式の船体に、各種の倉庫・食料貯蔵および製造設備を持ち、平時には艦隊への、戦時には戦地への食料補給が期待された[10]

艦内の最新式の巨大な冷蔵庫冷凍庫設備で肉、魚、野菜など18,000人の3週間分の食料を貯蔵できた。寄港先現地での調達も行い、屠殺製肉設備もあったため、牛馬を生きたまま積み込んだのちに食肉加工し、保存しておくことも可能だった。またパンなどの一般的な食料だけではなく、アイスクリームラムネ最中饅頭などの嗜好品からこんにゃく豆腐油揚げなどの日本固有の食品まで多くの加工食品を製造できた[10]。これらの製造のために間宮艦内には部屋ごとに分かれたキッチンが多数あり、それぞれに腕の立つ専門職人が乗船し、軍属として働いていた[10]。軍属としての職人らの待遇は良かったとされている。

「間宮」が入港すると新鮮な食料が各艦に補給されるため、艦隊の酒保として非常に人気が高く、帝国海軍の中では最も有名な艦だったという[10]。艦内で製造される羊羹は「間宮羊羹」として人気が高く[10]、老舗羊羹店が海軍に納入した羊羹をさばくのに苦労した、などの話が伝わる。

運用[編集]

運送艦「間宮」はその性質上、巡航速度が非常に低速であったため、艦隊に随伴せず単独に近い航行が多かったが、本艦の沈没は前線の将兵の士気に多大な影響を与えることから、駆逐艦も厳重に護衛を行ったとされる[11]。武装がささやかながら備わっていたが、平時は砲台のみが設置されており、砲本体は取り外し、陸上に保管することで食料等の搭載量を増やす運用を行っていった。

食糧補給以外にも、訓練時に曳航標的船を搭載したり、分解した水上偵察機などの軍事物資の輸送に従事した[12]。本艦固有の糧食配給艇も数隻搭載[12]。これらの小型艇や物資積込み作業を行うため、上甲板前部に15トン重デリック、後部に20トン重デリックを装備している[12]。医療施設のない小型艦艇の傷病者を受け入れる病院船としての役割も担った[12]。また強力な無線通信設備を搭載し、艦隊の無線検知艦(無線監査艦)としても行動したため、本艦の艦長は通信のベテラン将校が多かったという[12]

泊地に停泊中、当艦の食料供給能力を利用し、士官室を使用して海軍兵学校同窓会の会場として使用されたこともある[12]

艦歴[編集]

1921年(大正10年)10月17日神戸川崎造船所加賀型戦艦1番艦「加賀」が進水[13]。川崎造船所は直ちに次の船の建造にとりかかる。だが同時期に開催されたワシントン海軍軍縮会議およびワシントン海軍軍縮条約により、1922年(大正11年)2月5日に「加賀」および天城型巡洋戦艦4番艦「愛宕」の建造中止が通達される[14]。 「加賀」建造中止命令より5日後の2月15日、建造予定の水雷母艦に「長鯨」、特務艦2隻に隠戸型給油艦1番艦「隠戸」と「間宮」の艦名が与えられる[15]。9月15日、艦艇類別等級表に登録[16]。特務艦2隻(隠戸、間宮)はいずれも神戸川崎造船所で建造することになった[17]。また各艦は建造中止の新造艦より機械や部品を流用することになっており、大正11年3月19日の段階で「間宮」搭載予定ボイラー八缶のうち四缶は「愛宕」から、四缶は「加賀」からのものを搭載予定だった[18][19]

同年(大正11年)10月25日午前10時、本艦は神戸川崎造船所で起工[7][20]。当初、1923年(大正12年)10月31日の竣工を予定[21]。前述のように、廃艦解体予定の「加賀」よりボイラー四缶を転用する計画だったが、そのボイラーが届かず、1923年(大正12年)6月上旬進水の見込みが立たなくなった[22]。「加賀」は1922年(大正11年)7月に特務艦富士」によって横須賀に曳航され、そのまま同地で廃艦処分を待っていたのである[23]1923年(大正12年)9月1日関東大震災により横須賀海軍工廠航空母艦へ改造予定の天城型巡洋戦艦1番艦「天城」が大破する[23]。修理不能となった「天城」廃艦処分にともない、横須賀で処分保留状態だった「加賀」の空母改造が決定[23]。そこで天城搭載用ボイラーが浮いたため、同艦機関部を「間宮」に転用することになった[24][25]

本艦は1923年(大正12年)10月26日に進水[7][26]1924年(大正13年)7月15日に竣工[7]呉鎮守府籍となり、翌年より連合艦隊に編入されて行動した[10]

戦前では日本海軍内でほぼ唯一の給糧艦[27]だったため、修理、整備以外の全ての期間で連合艦隊の付属として食糧の補給任務に従事した[28]。大戦中も各地への食糧輸送に活躍したが、幾度か被害も受けた。 1943年(昭和18年)10月11日に横須賀を出港、南方へ向かっていたが、12日父島北緯28度30分 東経137度28分 / 北緯28.500度 東経137.467度 / 28.500; 137.467で米潜から雷撃に遭った[29]。この米潜はセロ (USS Cero, SS-225)であった。10月15日、連合艦隊司令長官古賀峯一大将の命令を受けた第十四戦隊司令官伊藤賢三少将は、丁四号輸送部隊第二隊(軽巡洋艦2隻《那珂五十鈴》、駆逐艦《山雲》、輸送船2隻《護国丸清澄丸》)より軽巡「五十鈴」を派遣、間宮隊に合流した「五十鈴」は1日だけ「間宮」を護衛した[29]。本艦は「朝風丸」(17日より潜水母艦迅鯨)に曳航され[30]、呉に帰投した[29][31]1944年(昭和19年)5月5日、本艦は東シナ海でアメリカの潜水艦スピアフィッシュ (USS Spearfish, SS-190) の雷撃で損傷しているが、沈没は免れた。

1944年(昭和19年)12月20日、「間宮」はサイゴンからマニラ方面へ糧食輸送に従事中、海南島東方の南シナ海においてアメリカの潜水艦シーライオンⅡ (USS Sealion, SS/SSP/ASSP/APSS/LPSS-315)の雷撃により沈没した。 1945年(昭和20年)2月10日、運送艦籍より削除[32]。また駆逐艦「清霜」等と共に除籍された[33]

戦後、「間宮」の慰霊碑呉市長迫公園に建てられた。

艦長[編集]

軍都・呉市の長迫公園(旧海軍墓地)にある、間宮の慰霊碑

※脚注なき限り『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。

艤装員長
  1. 大谷四郎 大佐:1923年12月1日 - 1924年7月15日
特務艦長
  1. 大谷四郎 大佐:1924年7月15日 - 10月25日
  2. 片山登 中佐:1924年10月25日 - 1925年12月1日
  3. 山口清七 大佐:1925年12月1日 - 1926年11月1日
  4. 藤沢宅雄 中佐:1926年11月1日[34] - 1927年11月15日[35]
  5. 入江淵平 中佐:1927年11月15日[35] - 1928年12月10日[36]
  6. 合葉庄司 大佐:1928年12月10日[36] - 1929年11月30日[37]
  7. 小島謙太郎 大佐:1929年11月30日 - 1930年11月15日
  8. 藤森清一朗 中佐:1930年11月15日 - 1931年12月1日
  9. 富田貴一 大佐:1931年12月1日[38] - 1932年12月1日[39]
  10. 加藤正 大佐:1932年12月1日[39] - 1933年11月15日[40]
  11. 鈴木義尾 大佐:1933年11月15日 - 1934年5月25日
  12. 佐々木清恭 大佐:1934年5月25日 - 1934年11月15日
  13. 青柳宗重 大佐:1934年11月15日 - 1936年3月2日
  14. 柿本権一郎 大佐:1936年3月2日 - 12月1日
  15. 星野応韶 大佐:1936年12月1日 - 1937年11月15日
  16. 秋山門造 中佐[41]/大佐:1937年11月15日 - 1938年12月15日
  17. 三坂直廉 大佐:1938年12月15日[42] - 1939年11月15日[43]
  18. 野村留吉 大佐:1939年11月15日 - 1940年10月15日
  19. 野村保郎 中佐/大佐:1940年10月15日[44] - 1941年7月1日[45]
  20. 福吉保夫 大佐:1941年7月1日 - 11月5日
  21. 萬膳三雄 大佐:1941年11月5日[46] - 1942年10月3日[47]
  22. 大藤正直 大佐:1942年10月3日[47] - 1944年6月10日[48]
  23. (兼)清水正心 大佐:1944年6月10日[48] - 1944年8月29日[49] (本職:佐世保海軍港務部長)
  24. 加瀬三郎 大佐:1944年8月29日 - 1944年12月21日 戦死、同日付任海軍少将[50]

脚注[編集]

  1. ^ 『写真日本の軍艦第13巻』34頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 「給糧艦間宮現状 附冷凍魚の還元及取扱法」画像5,8,9,10。
  3. ^ a b c d e f g C13071993000「巻1/第6類 機密保護」画像7、艦船要目公表範囲。
  4. ^ a b c d e 『軍艦基本計画資料』Sheet27。
  5. ^ a b c d e f g h 「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二」
  6. ^ 「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」『日本補助艦艇物語』366頁、369頁。
  7. ^ a b c d #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.192『間宮(まみや) 艦種特務艦(運送艦) 艦名考岬名に採る。間宮海峡は樺太韃靼海峡の最狭部なり。 ―要目― 長114.78米/幅18.59米/吃水8.43米/排水量15,820噸/機關 直立三聯機2軸/馬力10,000/速力14/兵装 14糎砲2 8糎高角砲2/起工 大正11-10-25/進水 同12-10-26/竣工 13-7-15/建造所 神戸川崎造船所』
  8. ^ #ポケット海軍年鑑(1935)p.70『特務艦"間宮 まみや" 全要目{排水量15,820噸 速力14.0節 備砲14糎砲12門 8糎高角砲2門 起工大正11年10月 竣工大正13年7月 建造所神戸川崎造船所} 特務艦と云ふのは戰闘を行ふ艦ではなく云はゞ艦船中の非戰闘員である。しかしこれが又艦隊にとつては非常に大切なのである。燃料、糧食、軍需品を輸送するのがその本業で、これが圓滑迅速に行はれなかつたら到底艦隊は活潑な行動を續けることは出來ないからである。 間宮は特務艦の中でも運送艦で、又その中の給糧艦である。米麥の倉庫は元より生糧品の大貯蔵庫を始め凡ゆる給糧装置は遺憾なく設備されてゐる。全長144.78米、幅18.59米、平均吃水8.43米。 尚特務艦には"青島せいたう" "洲崎すのさき" "室戸むろと" "野島のじま" "知床しれとこ" "襟裳えりも" "佐多さた" "鶴見つるみ" "尻矢しりや" "石廊いらう" "隠戸おんど" "早鞆はやとも" "鳴戸なると"以上計14隻の運送艦の外に"朝日あさひ" "敷島しきしま" "富士ふじ"以上3隻の練習特務艦、"摂津せつつ"標的艦、"膠州こうしう"測量艦、"大泊おほとまり"砕氷艦などがありその合計20隻、排水量合計は227,477噸である。』
  9. ^ #日本補助艦艇物語226頁『(8)給糧艦 間宮』
  10. ^ a b c d e f #日本補助艦艇物語227頁
  11. ^ #リバイバル戦記コレクション6163頁
  12. ^ a b c d e f #日本補助艦艇物語228頁
  13. ^ #川崎造船所四十年史p.81『大正十年十一月十七日、この日は當時世界列強注視の的であつた戰艦加賀の進水式を擧行せられた日である。當日は、御名代として伏見宮博恭王殿下の御台臨あらせられたる外徳に東宮武官の御差遣をも添うし、尚當日この盛儀を拜観せんと早朝より式場へ詰めかけた人々は實に無慮十萬と称せられた。』
  14. ^ #川崎造船所四十年史pp.81-82『斯くて、ワシントン會議に於ける軍備制限協約は成立し、其結果我海軍の既定計畫たる八八艦隊に属する主力艦の建造は、遂にこれを中止するの已むなきに至った。即ち我社に於て既に進水を了し、當時艤装中であつて竣工も間近き戰艦加賀、幷に當時起工後着々工事進捗中であつた巡洋戰艦愛宕の建造は何れも大正十年二月五日遂に中止を命ぜられ…』(中止令は大正11年2月5日)
  15. ^ #達大正11年2月p.6『達第二十二號 大正十年度軍備補充費ヲ以テ建造ニ着手スヘキ水雷母艦一隻及特務艦二隻ニ左ノ通命名ス 大正十一年二月十五日 臨時海軍大臣事務管理 内閣總理大臣 子爵 高橋是清 水雷母艦 長鯨チャウゲイ 特務艦 隠戸オンド 特務艦 間宮マミヤ』
  16. ^ #達大正11年9月p.11『達第百六十八號 特務艦類別等級別表中運送艦ノ欄「、早鞆」ノ次ニ「、隠戸」「、間宮」ヲ加フ 大正十一年九月十五日 海軍大臣 男爵 加藤友三郎』
  17. ^ #川崎造船所四十年史p.82『ワシントン軍縮會議以後、軍艦の建造は一時中止の状態であつたが、大正十一年に入り特務艦間宮及隠戸の二隻、大型潜水艦三隻及一等巡洋艦加古建造の命を受け、又軽巡洋艦鬼怒は好成績を以て進水した』
  18. ^ #造機部長会議1(2)pp.7-9『新造中止艦ヨリ利用シ得ベキモノ(大正一一.三.一九調)|加賀(略)混燃罐|四|四缶川崎給糧船用/油専燃罐|八|六缶榛名用 二缶霧島用』
  19. ^ #造機部長会議1(2)pp.7-9『愛宕(略)混燃罐|八|四缶川崎給油船用 四缶川崎給糧船用/油専燃罐|十一|四缶霧島用 六缶金剛用 一缶余分』
  20. ^ #間宮製造一件p.9『大正十一年十月廿五日午前十時三十五分神戸局發 午前十一時海軍省箸 發信者 川崎造船所長 受信者 艦政本部長 電報譯 特務艦 間宮 十時起工シマシタ。』
  21. ^ #間宮製造一件p.5『特務艦間宮工事進捗豫定概括表(略)九 引渡|仝十二年十月三十一日』
  22. ^ #間宮製造一件p.12『給糧第七號 大正十二年五月三日(略)特務艦間宮進水延期ノ件 特務艦間宮進水ハ大正十一年七月十四日附給糧第三號ヲ以テ拜提大正十一年九月二日官房機密第一二六三號ノ二ヲ以テ御認許相蒙リ候更進捗豫概括表ノ通リ來ル六月上旬擧行ノ豫定ニ有之候處目下軍艦加賀ニ装備中ノ本艦用汽罐未タ御下附無之爲進水期日決定致兼候間右何卒御認許被成下度此段奉願上候也(以下略)』
  23. ^ a b c #日本空母物語236-237頁『加賀』
  24. ^ #大正12流用pp.2-3『十月三十日大臣 横鎮長官宛 旧航空母艦天城用混焼罐流用ノ件 其ノ府工廠ヲシテ旧航空母艦天城用混燃罐四個完成ノ上給糧舩間宮用トシテ株式會社川崎造船所ヘ送附セシムヘシ(以下略)』
  25. ^ #間宮製造一件pp.21-22『給糧第一三號 大正十二年十一月廿一日(略)特務艦間宮改訂工事進捗概括表拜提ノ件 大正十一年九月六日附官房機密第一二六三號ノ二ヲ以テ御認許ヲ蒙リ候特務艦間宮工事進捗概括表ハ其後官ノ御都合ニ依リ本艦用混燃罐御官給延引相成候爲メ實施不可能ト相成居候處今回天城混燃罐御下附被下候ニ就テハ別紙改定概括表作戦拜提仕候間何卒御認許被下度此段奉願上候也 追テ增設冷藏庫用冷却機ハ未ダ御下附無之右御下附期日ノ如何ニ依ツテハ本概括表ニ變更ヲ生スルヤモ不知候間何卒左様御諒承被成下度此段申添候(以下略)』
  26. ^ #日本軍艦集2600年版p.69『運送艦 間宮(まみや) 基準排水量15,820噸、長さ144.78米、幅18.59米、平均吃水8.43米、速力14節、備砲14糎砲2門、起工大正11年10月25日、進水大正12年10月26日、竣工大正13年7月15日、建造處神戸川崎造船所―運送艦は合計13隻、知床、襟裳、佐多、鶴見、尻矢、石廊、隠戸、早鞆、鳴戸、洲崎、室戸、野島の諸艦がある。』
  27. ^ 本艦の次に建造された糧食艦伊良湖の竣工は開戦3日前の1941年(昭和16年)12月5日だった。
  28. ^ #日本補助艦艇物語229頁
  29. ^ a b c #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)417頁
  30. ^ #S1806呉防戦日誌(7)p.45『十五日一六四七呉鎮(長官)|(宛略)電令作第三六號 朝凪丸〔間宮ヲ曳航〕ニ對シ速ニ護衛ヲ開始セヨ』
  31. ^ #S1806呉防戦日誌(7)p.14『一八|間宮|壱岐 鷺|大井丸 七玉丸 多摩丸|入泊航路上|敵潜ノ雷撃ヲ受ケ朝凪曳航』
  32. ^ #内令昭和20年2月(2)p.20『内令第一〇九號 特務艦類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和二十年二月十日 海軍大臣 運送艦ノ部中「間宮、」ヲ削ル』
  33. ^ #内令昭和20年2月(2)pp.21-22『内令第一一五號|横須賀鎮守在籍 驅逐艦 清霜|呉鎮守府在籍 驅逐艦 桑 驅逐艦 呉竹|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 桃 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|佐世保鎮守府在籍 第五十四號海防艦 第六十四號海防艦|舞鶴鎮守府在籍 第二十八號海防艦 右帝國海防艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 第八號輸送艦 第百六號輸送艦|呉鎮守府在籍 第百四號輸送艦 第百四十九號輸送艦 第百五十九號輸送艦|佐世保鎮守府在籍 第十二號輸送艦 第百三十一號輸送艦 右帝國輸送艦籍ヨリ除カル|舞鶴鎮守府在籍 水雷艇 千鳥 右帝國水雷艇籍ヨリ除カル|呉鎮守府在在籍 特務艦 間宮 右帝國特務艦籍ヨリ除カル 昭和二十年二月十日 海軍大臣』
  34. ^ 『官報』第4258号、大正15年11月2日。
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  49. ^ 昭和19年9月2日付 秘海軍辞令公報 甲 第1582号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100800 
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参考文献[編集]

  • 近代デジタルライブラリー - 国立国会図書館
    • 海軍有終会編 『幕末以降帝国軍艦写真と史実』 海軍有終会、1935年11月。
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    • 川崎造船所 編 『川崎造船所四十年史』 川崎造船所、1936年11月。
    • 海軍研究社編輯部 編 『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊独軍艦集. 1937,1940年版』 海軍研究社、1937年2月。
    • 海軍研究社編輯部 編 『日本軍艦集 2600年版』 海軍研究社、1940年7月。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C12070079900 『大正11年達完/2月』。
    • Ref.C12070080900 『大正11年達完/9月』。
    • Ref.C12070503900 『自昭和20年1月.至昭和20年8月 秘海軍公報/2月(2)』。
    • Ref.C04016181600 『加賀回航の件』。
    • Ref.C08050393300 『造機部長会議1(1)』。
    • Ref.C08050393400 『造機部長会議1(2)』。
    • Ref.C08051092000 『特務艦間宮製造一件』。
    • Ref.C08050715800 『大正12年 公文備考 巻22 艦船/流用』。
    • Ref.C08050889700 『大正12年 公文備考 巻109 物件』。
    • Ref.C08051096500 『大正13年 公文備考 巻23 試験(9)』。
    • Ref.C04015127000 『特務艦間宮糧食配給艇新造搭載の件(1)』。
    • Ref.C04015127100 『特務艦間宮糧食配給艇新造搭載の件(2)』。
    • C04015180200「給糧艦間宮現状 附冷凍魚の還元及取扱法」
    • C13071993000「巻1/第6類 機密保護」
    • Ref.C08030368700 『昭和18年6月1日~昭和18年11月30日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。
    • Ref.C08030368800 『昭和18年6月1日~昭和18年11月30日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(8)』。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 福井静夫福井静夫著作集-軍艦七十五年回想記第七巻 日本空母物語』 光人社、1996年8月。ISBN 4-7698-0655-8
  • 福井静夫福井静夫著作集-軍艦七十五年回想記第十巻 日本補助艦艇物語』 光人社、1993month=12。ISBN 4-7698-0658-2
  • 福田啓二編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年。 ISBN 4-87565-207-0
  • 藤田千代吉ほか 『証言 昭和の戦争*リバイバル戦記コレクション6 ミッドウェーの海に鋼鉄の浮城が燃えている』 光人社、1990年7月。ISBN 4-7698-0504-7
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』朝雲新聞社、1969年。
    • 付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、掃海艇、特務艦、特務艇、新造艦船」(軍極秘「昭和十二年度海軍省年表」より)。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』 朝雲新聞社、1973年2月。
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0463-6

関連項目[編集]