雲鷹 (空母)

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雲鷹
艦歴
起工 1938年12月14日
進水 1939年10月31日
就役 1940年7月31日「八幡丸」として竣工
1942年5月31日空母に改装完了
その後 1944年9月17日戦没
除籍 1944年11月10日
性能諸元
排水量 基準:17,830t 公試:20,000t
全長 180.24m
水線幅 22.5m
全幅
吃水 8.00m(公試状態)
飛行甲板 長さ:162.0m x 幅:23.5m
後に長さ172.0mに延長
主缶 三菱式水管缶4基
主機 三菱ツェリー式タービン2基2軸 25,200hp
速力 21.0ノット
航続距離 18ktで8,500浬
乗員 747名
兵装
(竣工時)
12cm単装高角砲4基
25mm3連装機銃2基
25mm連装機銃4基
搭載機
(常用+補用)
艦戦9機 艦攻14+4機
合計23+4機

雲鷹(うんよう)は、日本海軍航空母艦[1]大鷹型航空母艦の2番艦[2]

本艦は日本郵船所有の新田丸級客船「八幡丸(やわたまる)」を改装し、航空母艦としたもの。「八幡丸」の建造費用は政府の優秀船舶建造助成施設の適用を受けており、有事には徴用・改装されることがあらかじめ決められていた。

概要[編集]

建造経緯[編集]

「雲鷹」の前身である「八幡丸」は、昭和初期に好況を博していた欧州航路の老齢船を置き換える目的で、またドイツの新型貨客船3隻(シャルンホルストグナイゼナウポツダム)に対抗しつつ1940年(昭和15年)開催予定の東京オリンピックを見込んで、日本郵船が建造した豪華客船「新田丸」級三姉妹船の第3船であった[3]。新田丸級三姉妹船(新田丸、八幡丸、春日丸)は、日本郵船を象徴する客船であり、日本郵船株式会社のイニシャル“NYK”に因んでそれぞれNittamaru, Yawatamaru, Kasugamaruと命名されている。建造費用は優秀船舶建造助成施設による補助を受けていた。また3隻とも三菱長崎造船所で建造され、「新田丸」、「八幡丸」、「春日丸」の順番で建造された。「新田丸」、「八幡丸」は短期間ながら客船として活動した。「春日丸」は客船として就役することなく最初から空母として竣工したため、本型は最初に完成した「春日丸」をネームシップとして『春日丸級特設航空母艦』と呼称されている[4]

第二船「八幡丸」は「新田丸」から4か月遅れた1940年(昭和15年)7月31日に竣工[5]。シアトル航路で一航海ののちサンフランシスコ航路に就航した。1941年(昭和16年)6月15日、呉海軍工廠で空母への改造工事に着手した。予想される日米の艦隊決戦に際して、大鷹型航空母艦(春日丸級航空母艦)は艦隊用補助空母としての役割を期待されていた[6]。しかし本型は小型で速度も遅く、さらに日本海軍が終戦まで空母用カタパルトを実用化できなかった事は、運用に大きな制約をあたえた[7]。空母用カタパルトを装備した連合国軍の軽空母護衛空母と比較して、本型の航空機運用能力は非常に見劣りするものとなり、本格的な海戦に投入される事は一度もなかった[7]。1941年(昭和16年)11月25日、特設航空母艦「八幡丸」として呉鎮守府所管となる[8]。1942年(昭和17年)5月31日に改造完成[5][9]

太平洋戦争[編集]

空母に改造され春日丸級特設航空母艦となった「八幡丸」の最初の任務は、1942年(昭和17年)7月の航空機輸送任務だった[9]。7月29日、「八幡丸」は艦戦16・艦爆16を搭載、第7駆逐隊()に護衛されて横須賀を出発、サイパンを経由して8月9日にウルシー環礁へ到着、航空隊を進出させると8月13日に呉へ戻った[10][11]

航海中の8月31日、特設航空母艦「八幡丸」と「春日丸」は、それぞれ軍艦「雲鷹(ウンヨウ)」および「大鷹(タイヨウ)」と改名される[1][9]。2隻は同日附で正規の航空母艦となった[12]。「大鷹」は佐世保鎮守府籍、「雲鷹」は呉鎮守府籍となる[13]。艦容に変化はなく、引き続き内地と前線を往復して航空機輸送任務に従事した。 9月4日、「雲鷹」は駆逐艦「雪風」と共に横須賀を出発、トラック泊地へ向かう[9]。9月9日朝、駆逐艦「秋風」はトラック泊地北方に潜望鏡を発見し対潜警戒警報を発令、連合艦隊は戦艦「大和」「陸奥」、巡洋艦「香取」以下トラック在泊艦艇に転錨を命じた[14][15]。哨戒機と駆逐艦は爆雷を投下[15]。戦艦・機動部隊・重巡部隊の各隊各艦はただちに停泊地を変更し、宇垣纏連合艦隊参謀長が『最も難物』と心配していた工作艦「明石」も、横抱きした損傷艦3隻を自力航行させたのち移動した[15]。午後3時、トラック泊地北水道を通過して到着した「雲鷹」も警戒機を発進せたが敵潜を発見できず、結局「秋風」がとトラック泊地へ接近中の「雲鷹」のマストを潜望鏡と誤認したものであったという[14][15]。9月18日、呉に帰投した[9]

南東方面での戦闘が激しくなるにつれて航空機の消耗は甚大となり、大鷹型空母は航空機輸送任務に奔走することになった[16]南太平洋海戦の前には、第一航空戦隊(翔鶴、瑞鶴、瑞鳳)に航空機を補充している[9]。だが、航空機輸送任務中の航空母艦は、暗号解読により待ち伏せている米潜水艦に幾度も襲撃された。11月10日、パラオよりフィリピンへの輸送任務に従事していた本艦は、暗号解読により待ち伏せていた米潜水艦シーウルフ(USS Seawolf, SS-197)に狙われる[17]。「雲鷹」を翔鶴型航空母艦と誤認したシーウルフは追跡をおこなうが、12日に機関故障をおこして襲撃を断念、各方面に情報を発信して真珠湾へ帰投した[17]。同海域には潜水艦シール (USS Seal, SS-183)も行動していたが、「雲鷹」を襲うことはなかった[17]

1943年(昭和18年)5月8日、大和型戦艦1番艦「大和」、第五戦隊(妙高羽黒)、空母2隻(雲鷹、冲鷹)、駆逐艦4隻(夕暮長波五月雨)はトラック発[18][19][20]。5月13日、横須賀着[18][21]。「大和、妙高、羽黒」は呉と佐世保へ帰投した[18]

6月10日、横須賀を出港した空母「飛鷹」と駆逐艦2隻(有明夕暮)は米潜トリガー (USS Trigger, SS-237) に襲撃される[22]。被雷して航行不能となった「飛鷹」は軽巡「五十鈴」に曳航されて横須賀へ帰投した[23]。 6月16日、第三戦隊司令官栗田健男中将の指揮下[24]、戦艦2隻(金剛榛名)、巡洋艦3隻(熊野鈴谷五十鈴)、空母3隻(龍鳳、雲鷹、冲鷹)、駆逐艦部隊(第27駆逐隊《時雨、有明、夕暮》、第7駆逐隊《潮、漣、曙》[22]、第16駆逐隊《雪風》、第17駆逐隊《浜風谷風》、第24駆逐隊《涼風》、秋月型新月》、夕雲型清波》は横須賀を出発[25]。6月20日、暗号解読により待ち伏せていた米潜水艦スピアーフィッシュ (USS Spearfish, SS-190)は空母(個艦不明)に対し魚雷4本を発射するが、速力を見誤っていたので命中しなかった[26]。日本艦隊は6月21日にトラックへ到着した[27]。「雲鷹、冲鷹」は7月2日に横須賀へ戻った。

7月上旬、本艦はマーシャル諸島への航空機輸送任務に従事する[28]。第二〇一海軍航空隊の零式艦上戦闘機45機と、第五五二海軍航空隊の九九式艦上爆撃機27機、計82機を搭載[28]。7月6日、特設巡洋艦「愛国丸」と共に横須賀を出発する[28]。7月10日、米潜水艦ハリバット(USS Halibut, SS-232)が「愛国丸」に魚雷6本を発射、1本命中により同艦は小破した[28]。翌日、雲鷹隊はトラック泊地に到着[28]。19日、「雲鷹」は「龍鳳」と共にトラック泊地を出発、24日横須賀に到着した[28]

7月31日、本艦は第二水雷戦隊司令官高間完少将の指揮下に入り、3隻(軽巡長良、雲鷹、駆逐艦)で横須賀を出発[29][30]。8月1日、呉からトラックへむかう大和型戦艦2番艦「武蔵」(連合艦隊旗艦、古賀峯一司令長官座乗)、第五戦隊(妙高、羽黒)、駆逐艦3隻(陽炎白露、初風)と合流する[31][32]。8月4日、暗号解読により待ち伏せていた米潜水艦スティールヘッド (USS Steelhead, SS-280)に発見される[30]。翌日未明、スティールヘッドは「雲鷹」に対し魚雷6本、戦艦に対し魚雷4本を発射したが、早爆に終わった[30]。トラック泊地の九七式艦上攻撃機(対潜哨戒機、レーダー未搭載)は夜間のため基地で休息しており、敵潜の雷撃を防ぐことができなかった[30]。8月5日、艦隊はトラックに到着[33]。本艦は一旦内地へ戻る。

10月上旬、マーシャル諸島ギルバート諸島へ配備される日本陸軍の輸送作戦(丁三号輸送部隊)が実施されることになり、本艦は輸送部隊指揮官木村進第十一水雷戦隊司令官の指揮下に入った[34]。13-14日、丁三号輸送部隊(扶桑型戦艦山城、航空戦艦伊勢、空母2隻《隼鷹、雲鷹》、天龍型軽巡龍田、第32駆逐隊《早波涼波藤波玉波》)は内海西部を出発[35]。19日にトラック泊地到着。本艦は帰路も第十一水雷戦隊に同行することになった。10月31日、戦艦2隻(伊勢、山城)、空母2隻(隼鷹、雲鷹)、巡洋艦2隻(利根龍田)、駆逐艦4隻(海風涼風谷風)と共にトラック泊地を出発する[36][37]。11月5日午前5時、暗号解読により豊後水道近海で日本艦隊を待ち伏せていた米潜水艦ハリバット (USS Halibut, SS-232) は「雲鷹」以下輸送艦隊を襲撃[34]。午前5時35分、魚雷1本を艦尾に被雷した「隼鷹」は直進不能となり、同艦は「利根」に曳航されて日本本土に向かった[38][39]

1943年(昭和18年)11月上旬のろ号作戦ブーゲンビル島沖航空戦)で第一航空戦隊の母艦航空隊は大幅に消耗し、補充のため「瑞鳳」がトラック泊地より横須賀に帰投[40]。11月16日、空母3隻(瑞鳳、冲鷹、雲鷹)は駆逐艦(秋雲、曙、潮、漣)に護衛されて横須賀を出発、21日にトラック泊地に到着した[41]。 11月30日、「雲鷹」と姉妹艦「冲鷹」は、空母「瑞鳳」艦長の指揮下、空母3隻(瑞鳳、雲鷹、冲鷹)、重巡洋艦「摩耶」(ラバウル空襲で損傷・修理回航)、第7駆逐隊、第17駆逐隊「浦風」という編成でトラック泊地を出発した[42][40]。暗号を解読したアメリカ軍は、複数の潜水艦(スケートガンネル、セイルフィッシュ)に輸送船団の襲撃を命じた[40]。12月4日、「冲鷹」は米潜セイルフィッシュ(USS Sailfish, SS-192)の雷撃で撃沈され、駆逐艦2隻(浦風、漣)が生存者救助にむかうも生存者は約160名、約1250名が戦死した[42]。戦死者3000名に達するという資料もある[40]。「曙」等に護衛された空母2隻(瑞鳳、雲鷹)は横須賀に帰投した。

雲鷹救援作業[編集]

1944年(昭和19年)1月4日、空母2隻(瑞鳳、雲鷹)は駆逐艦2隻()に護衛されて横須賀を出発、9日に到着した[43][44]。空母2隻は零式水上偵察機4機、零式観測機8機、二式水上戦闘機6機、天山艦上攻撃機7機、合計25機を輸送した[45]1月18日、本艦は第二水雷戦隊司令官早川幹夫少将の指揮下に入り、軽巡洋艦(二水戦旗艦)「能代」、空母2隻(瑞鳳、雲鷹)、駆逐艦3隻(早波若葉初霜)という編制でトラック泊地を出発、先行隊(五十鈴、初春)を追って横須賀へ向かう[46]。日本空母出撃の情報を得た米海軍は、サイパン島東方で行動中の潜水艦3隻(ハリバット、タリビー、ハダック)に迎撃を命じた[45]1月19日10時37分、「雲鷹」は米潜ハダック(USS Haddock, SS-231)の魚雷攻撃を受けた。ハダックは魚雷6本を発射、艦長は翔鶴型航空母艦を撃破したと報告した[45]。 被雷位置北緯12度52分 東経146度26分 / 北緯12.867度 東経146.433度 / 12.867; 146.433[47]。魚雷は艦首左舷附近に命中し速力は4ノットに低下、瑞鳳隊(瑞鳳、若葉)は先行して横須賀へ帰投、本艦は3隻(能代、早波、初霜)に護衛されてサイパンへ避退、同地では「能代」に繋留された[48][49]。20日、工作艦「明石」工員と排水ポンプを乗せた第24駆逐隊の白露型駆逐艦「海風」がサイパンに到着[50][51]。また損傷状況調査のため、連合艦隊司令部附の塩山策一技術大佐もサイパンへ派遣されて対応を協議している[52]。21日、二水戦(能代、早波)は「海風」と哨戒護衛任務を交代し、横須賀へ向かった[53][54]。22日朝、駆逐艦「皐月」がサイパンに到着する[55]

1月24日、連合艦隊は雲鷹護衛隊(海風、皐月)の編成と、駆逐艦「初霜」のトラック帰投を発令[56]。だが24駆司令の要請により「海風」と「初霜」を入れ替えることになり、護衛駆逐艦は4隻護衛艦は駆逐艦4隻(皐月、潮、曙、初霜)に変更された[57]。 25日、潜水艦ハリバットは泊地に侵入して「雲鷹」を雷撃しようとしたが、警戒が厳しく、「皐月」にも攻撃されたため、諦めて去った[58][45]。 26日、駆逐艦2隻(潮、曙)がサイパンに到着、「雲鷹」護衛を開始する[59]。 27日、雲鷹隊(雲鷹、初霜皐月)はサイパンを出発[60]。 「海風」はトラック泊地へ戻る途中、2月1日に米潜ガードフィッシュ (USS Guardfish, SS-217) の雷撃によって撃沈された[61]

一方「瑞鳳」と「若葉」は横須賀へ帰投したのち、空母2隻(瑞鳳千代田)、重巡「高雄」、駆逐艦3隻(初春若葉玉波)という戦力で1月29日に横須賀を出港した[62]。すると連合艦隊より重巡「高雄」に対し雲鷹救援命令が発せられ、2隻(高雄、玉波)は瑞鳳隊から分離[63]。 2月1日午前11時に「高雄」「玉波」は、サイパンより内地へむかう雲鷹隊(雲鷹、潮、曙、初霜、皐月)と合同[64]。「玉波」は瑞鳳隊の護衛に戻った[65]。雲鷹隊は米潜2隻(ガジョンソーリー)に狙われて幾度も雷撃されており[45]、これに悪天候も加わって「高雄」による「雲鷹」曳航の試みは全て失敗した[66]。幾度も襲撃を行う米潜水艦に対し、「高雄」は戦闘詳報の中で『敵潜ハ盲目蛇ニ怖ジザル呆氣者カ或ハ人ヲ舐メテ懸ッタ勇敢ナル者カ』と前置きし、「おそらく後者であろう」と推測している[67]。「雲鷹」も悪天候下では前進することさえできず、ほとんど漂流状態であった[68]。 このような状況下、敷設艇「猿島」や駆逐艦「白雲」等の支援艦艇が漸次「雲鷹」隊に合流するが[69]、当初の護衛部隊(初霜、皐月、潮、曙)は燃料不足に陥り、また爆雷や食料品補給のため、次々に横須賀へ回航される[70][71]。5日、「白雲」は北方部隊(第五艦隊)の命令により大湊へ回航[72]。 6日、「高雄」も燃料不足になり、先行していた「初霜」と合流して横須賀へ戻った[73]。護衛は5日に合流した駆逐艦2隻(沖波岸波)が引き継ぎ[74]、横須賀からも第7駆逐隊(潮、曙)が再出撃する[75]。横須賀で補給を終えた2隻(高雄、初霜)は横須賀工廠の救難部隊をのせて7日早朝に雲鷹隊と合同[76]。同日夜、「雲鷹」と「高雄」以下11隻の護衛艦隊は横須賀に到着した[77][78][79]。 「高雄」は「雲鷹」護衛時の経験から、大型囮艦(損傷艦に偽装)・精鋭護衛艦・利根型重巡洋艦の連繋により「潜水艦狩り」を行ってはどうかと提言している[80]

沈没[編集]

その後、「雲鷹」は横須賀で修理を受けるが、その際に新型機用に着艦装置が更新されている。1944年(昭和19年)8月12日、横須賀を出港して呉へ回航[81]。8月15日、第一海上護衛部隊に編入される[82]。搭載機は第九三一海軍航空隊九七式艦上攻撃機10機を主力とする[83]。ほかに九三式中間練習機(通称赤トンボ)6機を搭載[84]。雲鷹搭載機のうち、一部は三式一号磁気探知機を装備していたとみられる[84]。 8月24日より練習巡洋艦「香椎」(旗艦)、補給艦「伊良湖」以下ヒ73船団に同行し、船団護衛任務に従事する[85][84]。8月31日(もしくは9月1日)、雲鷹搭載機と海防艦が米潜水艦タニー(USS Tunny, SS/SSG/APSS/LPSS-282)を攻撃して損害を与えた可能性があるが[84]、実際とは異なっている。9月5日、ヒ73船団はシンガポールに到着[84]

9月11日、ヒ74船団を護衛してシンガポールを出発して台湾へむかった[86]。ヒ74船団は第一護衛隊(巡洋艦「香椎」、海防艦《13号、19号、21号、27号》)、第二護衛隊(雲鷹、千振)、船団部隊(播磨丸、御室山丸、八紘丸、吾羽山丸、あづさ丸)という戦力である[87][84]。 9月16日、ルソン島方面には米潜水艦2隻(バーブ、クイーンフィッシュ)が行動しており、米軍機動部隊艦載機の不時着救助任務に従事していた[84]。雲鷹側では台湾高雄市への入港を目前に控え、その準備に追われていた[88]。夜、旗艦「香椎」より敵潜発見の信号があり警戒するが、その時点での襲撃はなかった[89]9月17日日付変更直後、ヒ74船団は米潜バーブ(USS Barb, SS-220)に襲撃された[84]。まず「雲鷹」の右舷やや後方を航行していた「あづさ丸」が被雷(0050沈没)、「雲鷹」は「あづさ丸」の炎上を確認して取り舵をとった[90]。そこへバーブが艦尾発射管より発射した魚雷が右舷後方からせまり、「雲鷹」に魚雷2本(艦中央部、艦後部)が命中する[91]。機関科当直員の大部分は戦死、電源も断たれたが火災は起きなかった[92]。艦橋傍の作戦室にガソリン式発電機をもちこんで通信機能は一部回復したが、艦橋要員達は発電機の悪臭に苦労したという[93]。 4時30分には防水作業が一段落し、艦長は警戒員を残し作業を中止させた[94]。ところが被雷した艦後部や格納庫に打ち付ける波浪により、艦尾の沈下が止まらなくなる[95]。7時30分に沈没は確定的となり、7時45分御真影カッターボートへ移動し、7時52分軍艦旗降下[96]。3分後の7時55分、「雲鷹」は沈没し、生存者約760名は護衛艦に救助された[97]。雲鷹乗組員約750名、便乗者約1000名のうち、推定900名が戦死した[84]。艦橋にいた艦長や副長は沈没時に脱出したが、艦長は行方不明となった[98]。被雷位置北緯19度8分 東経116度33分 / 北緯19.133度 東経116.550度 / 19.133; 116.550[99]。米軍記録北緯19度18分 東経116度26分 / 北緯19.300度 東経116.433度 / 19.300; 116.433[100]。戦闘詳報では『空母ガ船団ト同速力ニテ運動スルハ最モ不可ナリ』として、低速の輸送船団に空母を同行させる事を見直すよう提言している[101]

本艦の沈没により、大鷹型航空母艦3隻(大鷹、雲鷹、冲鷹)はすべて喪失した[84]。11月10日、軍艦「雲鷹」は 大鷹型航空母艦[102]、 帝国軍艦籍[103]より除籍された。

艦歴[編集]

  • 1938年(昭和13年)12月14日 - 三菱重工業長崎造船所で起工。
  • 1939年(昭和14年)10月31日 - 進水。
  • 1940年(昭和15年)7月31日 - 客船「八幡丸」として竣工
  • 1941年(昭和16年)
    • 11月5日 - 徴用決定。
    • 11月25日 - 春日丸級特設航空母艦「八幡丸」として呉鎮守府所管。
  • 1942年(昭和17年)
    • 1月21日 - 呉海軍工廠にて改装工事開始。
    • 5月31日 - 特設航空母艦「八幡丸」として竣工。
    • 7月29日 -「潮」「漣」と横須賀発、8月9日ウルシー環礁着[10]。8月13日横須賀着[10]
    • 8月31日 -「八幡丸」を「雲鷹」に改名、帝国軍艦籍に加入。呉鎮守府籍。これ以降、南方方面への航空機輸送任務に就く。
    • 9月25日 - 呉発。10月1日トラック着[104]
    • 10月11日 - 横須賀発。16日トラック着[104]
    • 10月28日 - 横須賀発。2日トラック着[105]。。
    • 11月3日 - トラック発、8日パラオ着[105]。11日パラオ発、13日ダバオ着[105]
    • 11月13日 - ダバオ発、14日パラオ着[105]。15日パラオ発、21日トラック着[105]
    • 11月24日 - トラック発。12月2日スラバヤ着[105]
    • 12月5日 - スラバヤ発、6日パリクパパン着、7日パリクパパン発、13日トラック着[105]
    • 12月17日 - トラック発、陸軍機50機(一式戦闘機「隼」等をラバウルへ輸送、24日スラバヤ着[105]
    • 12月26日 - スラバヤ発。28日バリクパパン着、29日バリクパパン発、翌年1月3日トラック着[105]
  • 1943年(昭和18年)
    • 1月5日 -トラック発。1月10日横須賀着[105]
    • 2月1日 -「大鷹」と横須賀発。2月7日トラック着[105]
    • 2月11日 -「大鷹」とトラック発。2月17日横須賀着[105][16]
    • 2月24日 -「大鷹」と横須賀発、3月2日トラック着[16]
    • 3月6日 -「大鷹」とトラック発、3月12日横須賀着[16]
    • 3月20日 - 横須賀発。3月25日トラック着[16]
    • 4月5日 - トラック発。4月10日横須賀着[16]
    • 4月25日 -「冲鷹」・軽巡「那珂」・駆逐艦(時雨、有明長波)と横須賀発[106]、4月30日トラック着[107]。「那珂」の第十四戦隊旗艦としての初任務[107]
    • 5月8日 -「冲鷹」・戦艦「大和」・第五戦隊(妙高、羽黒)・駆逐艦(潮、夕暮、長波、五月雨)とトラック発、5月13日横須賀着[18]。「大和」は呉へ帰投[18]
    • 5月24日 -「冲鷹」「筑紫」「鹿島」「海風」「潮」と横須賀発[108]。5月29日トラック着[16][109]
    • 6月5日 -「冲鷹」とトラック発、6月9日横須賀着[16]
    • 6月16日 - 戦艦2隻(金剛榛名)、重巡2隻(熊野鈴谷)、空母3隻(龍鳳、冲鷹、雲鷹)、軽巡「五十鈴」、第27駆逐隊(時雨)、第7駆逐隊、駆逐艦(雪風、浜風、谷風、涼風、清波、新月)という戦力で横須賀発[110]。21日トラック着[23]
    • 6月28日 - トラック発、7月2日横須賀着[16]
    • 7月6日 - 横須賀発、7月11日トラック着[16]
    • 7月19日 -トラック発、7月24日横須賀着[16]
    • 7月31日 -「雲鷹」・第7駆逐隊・「漣」は主隊に編入される[111]
    • 8月1日 - 軽巡「長良」・駆逐艦「曙」と横須賀発後、呉発の戦艦「武蔵」(連合艦隊旗艦、古賀峯一司令長官座乗)・第五戦隊(妙高、羽黒)、駆逐艦(野分、白露、初風)等と合流[111]。8月5日トラック着[16]。同日附で「雲鷹」「曙」は連合艦隊附属[111]
    • 8月12日 - 重巡2隻(熊野、鳥海)・駆逐艦(野分、白露)とトラック発[112]。8月16日横須賀着[113]
    • 8月27日 - 補給艦「伊良湖」・駆逐艦2隻(野分、白露)と横須賀発[114]。9月2日トラック着[115]。(以後も輸送任務に従事)
    • 10月14日 - 丁三号輸送部隊として内地出港。
    • 10月31日 - 戦艦2隻(伊勢、山城)・空母2隻(隼鷹、雲鷹)・巡洋艦2隻(利根、龍田)・駆逐艦4隻(海風、涼風、谷風、曙)トラック発。11月6日、米潜水艦「ハリバット」の雷撃で「隼鷹」航行不能。
    • 11月16日 - 「瑞鳳」「冲鷹」等と横須賀発、11月21日トラック着[116]
    • 11月30日 - 「瑞鳳」「冲鷹」・重巡「摩耶」・駆逐艦(曙、漣、浦風)とトラック発[42]。12月4日、「冲鷹」は米潜水艦「セイルフィッシュ」に撃沈される[42]。12月4-5日横須賀着。
  • 1944年(昭和19年)
    • 1月4日 - 「瑞鳳」と横須賀発、9日トラック着[116]
    • 1月18日 - 「瑞鳳」・第二水雷戦隊とトラック発[116]
    • 1月19日 - サイパン島近海で米潜ハダックの雷撃により二本が被雷。「雲鷹」「能代」「初霜」「早波」は20日サイパン到着[117]。「瑞鳳」「若葉」は23日横須賀着。駆逐艦(初霜、皐月、潮、曙)に護衛されサイパン発。
    • 2月8日 - 「高雄」に曳航され横須賀に帰投後ドック入り[116]。船体の修理及び高角機銃の増備を行う。
    • 8月12日 - 修理完了。横須賀出港、呉へ回航。
    • 8月24日 - ヒ73船団を護衛して六連泊地発。
    • 9月17日 - ヒ74船団の護衛任務中に米潜バーブの雷撃に遭い二本が被雷、沈没した。
    • 11月10日 - 除籍。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』76-78頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。

艤装員長[編集]

  1. (兼)駒沢克己 大佐:1941年11月25日 -
  2. 湊慶譲 大佐:1941年12月10日 -

艦長[編集]

  1. 湊慶譲 大佐:1942年5月31日 -
  2. 相徳一郎 大佐:1943年1月28日 -
  3. 関郁乎 大佐:1943年4月14日 -
  4. 平塚四郎 大佐:1944年3月1日 -
  5. 木村行蔵 大佐:1944年7月1日 - 9月17日戦死

同型艦[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b #達昭和17年8月p.39『達第二百四十四號 特設航空母艦春日丸及八幡丸ヲ帝國艦艇籍ニ編入シ左ノ通命名セラル|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦 大鷹(タイヨウ) (特設航空母艦 春日丸)|軍艦 雲鷹(ウンヨウ) (特設航空母艦 八幡丸)』
  2. ^ #編制(昭和19年1月31日現在)p.4『艦艇類別等級別表|軍艦|航空母艦|大鷹型|大鷹、雲鷹、冲鷹、神鷹、海鷹』
  3. ^ #日本空母物語105、298頁
  4. ^ #内令昭和16年4月(5)pp.39-40『内令第四百四十號 特設艦船部隊特修兵配置表中左ノ通改正ス|昭和十六年四月二十六日 海軍大臣 及川古志郎|特設航空母艦ノ欄ヲ左ノ如ク改ム |特設航空母艦||飛鷹、隼鷹|春日丸級|(略)』
  5. ^ a b #日本空母物語310頁『(3)雲鷹(旧八幡丸)と沖鷹(旧新田丸)』
  6. ^ #日本空母物語299頁
  7. ^ a b #日本空母物語312頁『(4)わが商船改造空母の問題点』
  8. ^ #内令昭和16年11月(5)p.26『内令第千五百三十六號 汽船 八幡丸 右特設航空母艦トシ呉鎮守府所管ト定メラル|昭和十六年十一月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  9. ^ a b c d e f #木俣空母345-347頁『雲鷹の行動(七~十月)』
  10. ^ a b c #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)103頁『その他の航路の護衛』
  11. ^ #木俣空母346頁では九七艦攻搭載としている)
  12. ^ #内令昭和16年10月(3)p.37『内令第千二百八十四號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年十月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦、航空母艦ノ項中「飛鷹」ノ下ニ「、大鷹、雲鷹」ヲ加フ』
  13. ^ #内令昭和17年8月(4)pp.12-13『内令第千六百二十四號 汽船 八幡丸 右特設航空母艦トシ呉鎮守府所管ト定メラレタル處之ヲ解カレル|汽船 春日丸 右特設航空母艦トシ佐世保鎮守府所管ト定メラレタル處之ヲ解カレル|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』~『内令第千六百二十五號 軍艦 雲鷹 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|軍艦 大鷹 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|驅逐艦 照月 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|驅逐艦 高波 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル(中略)|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  14. ^ a b #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)180頁『米潜と誤認された「雲鷹」』
  15. ^ a b c d #戦藻録(1968)186頁
  16. ^ a b c d e f g h i j k l #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)294頁『航空母艦による航空機の輸送』
  17. ^ a b c #木俣空母425-427頁『大鷹、雲鷹の飛行機輸送(十一月)』
  18. ^ a b c d e #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)328頁『「大和」等の内地回航』
  19. ^ #S1712五戦隊日誌(2)p.4『(一)第五戰隊ハ引續キ前進部隊本隊ニ属シ「トラツク」ニ在リテ警戒待機シ鋭意戰力向上充實ニ努メアリシ處北方作戰参加ノ豫定ヲ以テ急速整備修理ヲ命ゼラレ五月八日大和雲鷹冲鷹2dg(五月雨)潮夕暮ト共ニ「トラツク」發佐世保ニ向ヘリ』
  20. ^ #S1801二水戦日誌(6)pp.11-12『八(天候略)一.一三〇〇5S大和冲鷹雲鷹長波潮五月雨夕暮内地ニ向ケ「トラツク」發/二.15dg(親潮黒潮陽炎)「コロンバンガラ」輸送ノ皈途「ブラツケツトストレイト」ニテ触雷(推定)沈没』
  21. ^ #木俣空母494頁
  22. ^ a b #木俣空母485-486頁『飛鷹の曳航(六月十一日)』
  23. ^ a b #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)341-342頁『「飛鷹」の損傷と第二航空戦隊等のトラック進出』
  24. ^ #S1709三戦隊日誌(3)p.26『(3)十六日3S司令官指揮ノ下ニ7S 2sf其ノ他ト共ニ横須賀発二十一日「トラツク」ニ進出回航及輸送ノ任務ヲ完了セリ』
  25. ^ #S1805四水戦日誌(2)p.9『16日、27dg(白露欠)ハGF電令作第593号ニ依リ3S(指揮官)ノ指揮下ノ下ニ3S 7S(最上欠)2sf(龍鳳)五十鈴雲鷹冲鷹7dg16dg(雪風)浜風谷風涼風清波新月等ト共ニ横須賀発、21日「トラック」着』
  26. ^ #木俣空母496-497頁(横須賀より江風が同行と記載するが、同艦はスピアーフィッシュと交戦して損傷、トラック泊地で修理中)
  27. ^ #S1704七戦隊日誌(7)p.5『(五)六月十五日前進部隊ニ編入セラレ六月十六日第三戰隊司令官指揮ノ下ニ第三戰隊第七戰隊(最上欠)第二航空戰隊(龍鳳)五十鈴雲鷹沖鷹第七駆逐隊第十六駆逐隊(雪風)第二十七駆逐隊(白露欠)浜風谷風涼風新月清波ト横須賀發二十一日「トラック」着』
  28. ^ a b c d e f #木俣空母497-498頁『雲鷹の艦爆輸送(七月)』
  29. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.3『(一)2sd司令官ハ雲鷹7dg(曙)ヲ指揮、千鳥眞鶴ヲ區處シ七月三十一日横須賀發八月一日GF主隊ニ合同警戒隊指揮官トナリ同五日「トラツク」着同日附2sd(長良白露)KdB本隊ニ編入セラル』
  30. ^ a b c d #木俣空母500-502頁『トラック島での対潜警戒(七~八月)』
  31. ^ #S1712五戦隊日誌(2)p.31『…七月三十日呉發長濱沖ニ假泊ノ上翌三十一日假泊地發「トラツク」ニ向フ「トラツク」進出中ノ軍隊區分左ノ通』
  32. ^ #S1806二水戦日誌(1)p.81『三一(天候略)一.2sd(長良)雲鷹7dg(曙)〇七三〇「トラツク」ニ向ケ横須賀発(略)一.2sd司令官ハ長良雲鷹7dg(曙)ヲ指揮シGf電令作第六四八號ノ任務ニ従事横須賀発』
  33. ^ #S1712五戦隊日誌(2)p.39『(一)第五戰隊ハ主隊前衛トシテ七月三十日呉發「トラツク」ニ進出 八月五日着同日機動部隊ニ編入セラレ第三艦隊長官ノ指揮下ニ入ル』
  34. ^ a b #木俣空母527-528頁
  35. ^ #S1806二水戦日誌(4)p.8『(4)第三十二驅逐隊(早波涼波藤波)内海西部ニ在リテ待機整備(出撃準備)十二日宇品ニ回航丁三號輸送部隊ニ編入十三日佐伯ニ回航十五日回航十五日同發二十日「トラツク」着陸軍甲支隊ヲ移載(以下略)/玉波(略)十四日隼鷹雲鷹ヲ護衛同發十九日「トラツク」着爾後「トラツク」ニ在リテ待機』
  36. ^ #S1804十一水戦日誌(5)p.4『28日連合艦隊電令作第778號ニ依リ本職内地回航部隊(龍田山城伊勢隼鷹雲鷹利根第24駆逐隊(海風涼風)谷風第7駆逐隊(曙))ヲ指揮シ31日「トラック」発内地ニ回航セリ』
  37. ^ #S1806二水戦日誌(4)pp.84-85『三一(天候略)大波〇四〇〇「トラツク」発/24dg(海風涼風)〇四四〇「トラツク」発/五月雨一四三〇「ラバウル」発|24dg(海風涼風)伊勢山城龍田隼鷹利根ヲ護衛シ呉ニ向ケ「トラツク」発/31dg(大波)2sf基地員物件輸送ノ爲「カビエン」ニ向ケ「トラツク」発/島風〇八〇〇東亜丸日本丸護衛ヲ止メ一四一五日章丸日榮丸ニ合同護衛任務ニ付キ「トラック」ニ向フ/五月雨一四三〇敵輸送船団及護衛艦隊撃滅ノタメ「ラバウル」発|GF電令作第七八一号31dgヲNTBニ編入ス/三十一日附24dgノ項中ニ満潮ヲ加フ』
  38. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)429頁
  39. ^ #S1701八戦隊日誌(7)p.45『利根ハ(略)途中5日ヨリ被雷艦隼鷹ヲ曳航11月6日呉入港…』
  40. ^ a b c d #木俣空母531-536頁『沖鷹沈没(十二月四日)』
  41. ^ #木俣空母532頁(同行艦に「」と記載されているが、同艦は1942年に沈没している)
  42. ^ a b c d #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)529頁『米潜水艦の跳梁と「冲鷹」の被雷沈没』
  43. ^ #木俣空母574頁(同行艦に薄雲を加えているが、同艦は日本近海で行動中)
  44. ^ #s1809一水戦日誌(4)p.15『六日薄雲駆逐艦長|六日一一〇五(宛略)本艦GF電令作第八七〇號ニ依ル行動豫定左ノ通 一月八日〇八三〇佐伯湾出撃十三日一二三〇「マニラ」着補給(四〇〇)十四日出港十八日一三〇〇昭南着』
  45. ^ a b c d e #木俣空母575-577頁
  46. ^ #S1812二水戦日誌(3)p.5『能代明石ニ横付応急修理完成18日本職能代瑞鳳雲鷹五十鈴32dg(早波)21dg(若葉初霜初春)ヲ率ヰ横須賀ニ向ケ「トラック」発(五十鈴初春16日発先行)』
  47. ^ #S1806二水戦日誌(3)p.54『19日1100(将旗)2sd司令官|北緯12度52分東経146度26分ニテ雲鷹雷撃ヲ受ク前部ニ魚雷3命中(略)』
  48. ^ #S1812二水戦日誌(3)p.5『19日雲鷹雷撃ヲ受ケ瑞鳳若葉ハ分離横須賀ニ先行セシメ能代32dg(早波)初霜ニテ雲鷹警戒シ「テニアン」航空隊及五特根哨戒艇ノ警戒協力ヲ得翌20日「サイパン」着能代ニ繋留、初霜早波ハ湾外移動哨戒セシム翌21日海風来援ス』
  49. ^ #空母瑞鳳生涯181頁
  50. ^ #S1806二水戦戦日誌(3)p.9『海風(略)19日雲鷹救難ノ為救難隊搭載ノ上「トラック」発翌20日「サイパン」着21日以後27日迄五特根司令官ノ命ヲ受ケ雲鷹警戒対潜哨戒隊指揮官トシテ「サイパン」港外ノ哨戒ニ従事セリ』
  51. ^ #S1812二水戦日誌(3)p.58『二〇日(司令)24dg(宛略)一.一七〇〇「サイパン」着ノ予定/二.救難隊兵曹長以下八名、六三〇噸排水ポンプ一(重量三噸)搭載中』
  52. ^ #S1812二水戦日誌(3)p.56『19日2142サチGF|雲鷹損傷状況調査ノ為GF司令部附塩山技術大佐ヲ「サイパン」ニ派遣セラル(1月20日「トラック」発航空便)』
  53. ^ #S1812二水戦日誌(3)p.5『21日命ニ依リ警戒及処理ヲ五特根ニ引継ギ2sd(能代)32dg(早波)横須賀ニ向ケ「サイパン」発』
  54. ^ #S1812二水戦日誌(3)pp.10-11『(3)32dg(早波)…十八日2sd(能代)外五隻ト共ニ横須賀ニ向ケ「トラツク」発/十九日雲鷹雷撃ヲ受ケ早波ハ初霜ト協力敵潜攻撃附近油ノ浮上セルヲ認ムルモ効果不明引続キ攻撃掃蕩ニ従事/二十日制圧ヲ止メ「サイパン」着初霜ト共ニ移動哨戒ニ従事/二十一日哨戒ヲ海風ト交代能代ト共ニ横須賀ニ向ケ発/二十四一横須賀着入渠修理整備ニ従事』
  55. ^ #S1812三水戦日誌(6)p.12『一月二十二日〇七一五皐月駆逐艦長(宛略)發皐月駆逐艦長「サイパン」着』
  56. ^ #S1809一水戦日誌(4)p.32『二十四日(長官)GF(宛略)GF機密第二四一八〇二番電 GF電令作第九一六號 一.HPB、NTB、UNB各指揮官ハ24dg(海風)7dg(潮曙)皐月ヲシテ雲鷹艦長ノ指揮ヲ受ケ内地着迄同艦ノ警戒ニ任ゼシムベシ(略)三.UNB指揮官ハ初霜ヲシテ雲鷹「サイパン」出港後適宜護衛ニ協力シ「トラツク」ニ歸投セシムベシ』
  57. ^ #S1812三水戦日誌(6)pp.34-36『一月二十六日 雲鷹艦長(宛略)機密第261345番電 發雲鷹艦長 一.二十六日應急補強工作概ネ完了二十七日早朝 潮曙初霜皐月ヲ率ヰPS発NAA回航ニ回航実速九節ヲ得ラルヽ見込但シ天候敵潜出現状況ニ依リテハ回航地ヲ変更スルコトアルベシ 二.予定航路(別電) 三.途中対潜飛行警戒依頼ス(以下略)』
  58. ^ #S1812三水戦日誌(6)pp.33-34『一月二十六日〇九三〇皐月駆逐艦長(宛略)機密第二六〇九三〇番電發皐月駆逐艦長 皐月戦斗概報二四日(中略)左記ニ依リ敵潜水艦ノ轟沈概ネ確実ト認ム(以下略)』
  59. ^ #S1809一水戦日誌(4)p.33『二十六日潮駆逐艦長(宛略)機密第二六〇八五八番電 潮曙「サイパン」着雲鷹ニ合同セリ』
  60. ^ #S1812三水戦日誌(6)p.71『二七(天候略)一.秋風文月一七二〇「ラバウル」帰着/二.皐月「サイパン」発(雲鷹護衛)』
  61. ^ #S1812二水戦日誌(4)p.8『(2)24dg(海風)三一一三船団ヲ護衛「サイパン」ヨリ「トラツク」ニ向ケ航行中一日一一二二「トラツク」南水道外(南島ノ二二四度一〇〇〇米)ニ於テ雷撃ヲ受ケ一本後部機械室ニテ艦底起爆一一三〇沈没セリ生存(行方不明)者准士官以上一五(一)下士官兵二〇〇(四九)船団無事入港セリ/満潮 船団護衛一日「トラツク」着同日司令駆逐艦ヲ海風ヨリ変更(以下略)』
  62. ^ #S1812高雄日誌(1)p.38『27日瑞鳳|瑞鳳千代田高雄21駆(初春、若葉)玉波ハ本職之ヲ率ヒ1月29日横須賀発左ニ依リ「トラック」ニ回航ス』
  63. ^ #S1812高雄日誌(1)p.30『30日|0900玉波ヲ率ヒ雲鷹ノ警戒ノ為分離行動』-p.39『30日瑞鳳|一.高雄ハ今ヨリ連合艦隊電令作第930号ニ応ズル如ク行動スベシ 二.玉波ハ高雄艦長ノ指揮ヲ受ケ行動シ雲鷹ニ合同後「トラック」ニ進出スベシ』
  64. ^ #S1812高雄日誌(2)p.2『2月1日0953雲鷹(潮曙初霜皐月護衛)ニ合同ス』
  65. ^ #S1812二水戦日誌(4)p.9『玉波 瑞鳳千代田ヲ護衛三日「トラツク」着…』
  66. ^ #S1812高雄日誌(2)p.2『爾後之ヲ警戒シツツ北上ソノ間雲鷹ノ航行危険ニ瀕スル毎ニ曳航ヲ試ミルコト三度ニ及ビタルモ敵潜ノ攻撃ニ加フルニ荒天ノ為成功スルニ至ラズ』
  67. ^ #S1812高雄日誌(2)p.37『(二)戦訓』
  68. ^ #S1812高雄日誌(2)p.33『当時雲鷹ハ艦首ニ雷撃ヲ受ケ平水ニテ最大實速七節荒天時保針不能漂白ノ已ムナキ状態ニシテ…』
  69. ^ #S1809一水戦日誌(4)pp.56-57『二日雲鷹艦長(宛略)機密第〇二〇七三〇番電 護衛艦代艦派遣依頼ノ件』-『二日(長官)HPB(宛略)機密〇二二三一六番電 北方部隊電令作第三號 貴機密第〇二一五二七番電關聯白雲ハ横須賀ニテ補給ノ上雲鷹ノ護衛ニ任ズベシ』
  70. ^ #S1812高雄日誌(1)p.56『5日0112高雄艦長|(略)針路40度速力3節、夕刻迄ニ白雲猿島第33号掃海艇及鳩来着セルモ皐月、潮、曙ハ補給ノ為横須賀ニ回航中、高雄及初霜モ明日中ニ燃料限度トナル見込』-p.57『5日1145高雄艦長|雲鷹隊ノ状況(略)5日午前白雲及初霜去リ沖波岸波駆潜44成生合同現在ノ警戒艦右ノ外高雄鳩猿島掃33(略)』
  71. ^ #S1809一水戦日誌(4)p.58『四日潮九t区間長(宛略)機密第〇四一六〇〇番電 一.潮曙命ニ依リ一時雲鷹ト分離休息補給ノ爲横須賀ニ向フ五日〇七三〇頃着ノ豫定燃料各艦約三五〇噸爆雷曙三〇個!?各十日分曙貯糧品(米麥醤油)十五日分(以上何レモ船側渡)急速搭載方御手配ヲ得度/二.以下畧』
  72. ^ #S1809一水戦日誌(4)pp.61-62『五日高雄艦長|六日〇三一五鳩白雲|機密第〇五〇四一二番電 白雲ハ五艦隊ヨリノ指令ニ依リ速ニ大湊ニ回航セヨ(以下省略)』-『五日白雲駆逐艦長(宛略)機密第〇五〇七四三番電 雲鷹ノ護衛ヲ止メ大湊ニ向ケ發七日〇二〇〇着ノ豫定』
  73. ^ #S1812高雄日誌(1)p.59『6日1430|高雄及初霜本日1500横須賀発明7日0600頃雲鷹ト合同ノ予定』
  74. ^ #S1812高雄日誌(1)p.17『(5日)沖波、岸波合同』
  75. ^ #S1809一水戦日誌(4)p.62『六日(司令)7dg(宛略)機密第〇六〇六〇〇番電 雲鷹護衛ノ爲七駆ヲ率ヰ横須賀發』
  76. ^ #S1812高雄日誌(1)pp.43-44『(高雄)1日|1052雲鷹ニ合同』-『5日|2045重油補給ノタメ雲鷹ト分離』-『6日|0910横須賀入港/2249出港』-『7日0440雲鷹ニ合同/2003横須賀入港』
  77. ^ #S1812高雄日誌(2)p.33『爾後漸次増援アリテ横須賀入港時11隻、高雄搭載機零水1他ニ内地航空隊ノ対潜哨戒機延5機ノ協力ヲ得タリ』
  78. ^ #S1806二水戦日誌(4)p.19『7日高雄→2420(将旗2sd司令官)能代|雲鷹ハ東京湾ニ入港任務終了』
  79. ^ #S1809一水戦日誌(4)pp.52-53『(二)水雷部隊ノ行動』
  80. ^ #S1812高雄日誌(2)pp.39-40『(ハ)潜水艦狩リノ一着想 空母其ノ他大型艦船(損傷艦ノ如ク偽装)ニ精鋭ナル警戒艦三乃至四隻ヲ附シ之ヲ囮船トシテ敵潜伏在海面ヲ昼間低速ニテ行動セシメ別ニ囮船ヨリ30浬附近ニ利根型(搭載機多キモノ)ヲ機動セシメ…』
  81. ^ #S1904雲鷹日誌(3)p.3『12日横須賀出港|13日呉入港』
  82. ^ #S1904雲鷹日誌(3)p.3『15日第一海上護衛隊ニ編入』
  83. ^ #日本海防艦戦史68頁『護送空母と海防艦』
  84. ^ a b c d e f g h i j #木俣空母698-703頁『雲鷹も沈没(九月)』
  85. ^ #S1904雲鷹日誌(3)p.4『24日ヒ73船団六連沖ニ集合』
  86. ^ #S1904雲鷹日誌(3)p.24『9日|ヒ74船団ヲ編成ス/11日|1100出撃』
  87. ^ #S1904雲鷹日誌(3)p.48『五.我兵力ノ現状』
  88. ^ #終わりなき海軍99-100頁
  89. ^ #終わりなき海軍100頁
  90. ^ #S1904雲鷹日誌(3)p.35『0034|右100度1000米ノ「あづさ丸」ニ水柱ヲ認メ被雷ト判断シ取舵一杯両舷第二戦速トナス再度ノ被雷ニ因リ「あづさ丸」大火災トナル』
  91. ^ #S1904雲鷹日誌(3)pp.47-48『四.被害 舵取機室下部及主機械室ニ魚雷命中 七時間二十分後遂ニ沈没セリ』
  92. ^ #終わりなき海軍101頁
  93. ^ #終わりなき海軍102頁
  94. ^ #S1904雲鷹日誌(3)p.42『0430|各被害場所ノ浸水遮防補強浸水排除作業完了(後部配電盤室前通路ノ排水作業継続)沈下停止シ沈没ノ虞ナキモノノ如ク思考サレ警戒員ヲ残シ作業ヲ中止ス』
  95. ^ #S1904雲鷹日誌(3)p.42『0455(略)風浪大トナリ中間甲板後部ヨリ激浪打込ミ浸水次第ニ増加シ艦尾漸次沈下シ始ム』
  96. ^ #S1904雲鷹日誌(3)p.44『0745(略)御写真ヲ「カッター」ニ移ス 0748「総員上レ」ヲ令ス 後部応急作業打切リ応急員退避 0752軍艦旗降下総員退去ヲ始ム』
  97. ^ #S1904雲鷹日誌(3)p.45『0755沈没ス(北緯19度8分東経116度33分)|1230生存者総員27号海防艦、千振ニ救助サル 准士官以上仝待遇者55名 下士官兵706名(便乗者含)』
  98. ^ #終わりなき海軍107頁
  99. ^ #S1904雲鷹日誌(3)pp.47-48『0215|0035右舷後部ニ雷撃2本受ク 今ノ處沈没ノ虞ナシ 曳航可能、我位置N19度8分、E116度33分17 025』
  100. ^ #終わりなき海軍109頁
  101. ^ #S1904雲鷹日誌(3)pp.49-51『七.(一)戦訓』
  102. ^ #内令(秘)昭和19年11月(2)pp.21-22『内令第一二四七號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十九年十一月十日 海軍大臣|軍艦、航空母艦大鷹型ノ項中「雲鷹、」ヲ、同水上機母艦ノ項中「、秋津洲」ヲ、同潜水母艦ノ項中「迅鯨、」ヲ、敷設艦ノ項中「、八重山」「、蒼鷹」ヲ削ル 驅逐艦、一等卯月型ノ項中「、皐月」ヲ削ル(略)』
  103. ^ #内令(秘)昭和19年11月(2)pp.21-22『内令第一二五四號 横須賀鎮守府在籍 軍艦 秋津洲 軍艦 迅鯨|呉鎮守府在籍 軍艦 雲鷹|佐世保鎮守府在籍 軍艦 八重山|舞鶴鎮守府在籍 軍艦 蒼鷹 右帝國軍艦籍ヨリ除カル|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 皐月 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(略)|昭和十九年十一月十日 海軍大臣』
  104. ^ a b #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)180頁『第二航空戦隊のトラック進出と米軍と誤認された「瑞鳳」』
  105. ^ a b c d e f g h i j k l #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)215-217頁『航空母艦による航空機輸送』
  106. ^ #S1801二水戦日誌(5)p.31『AdB指揮官|4月15日1340AdB司令官27dg司令駆逐艦長雲鷹艦長|27dg(時雨有明)長波ハ左ニ依リ行動後23日横須賀発予定ノ雲鷹冲鷹ヲ「トラック」迄警戒ニ任ズベシ右回航中雲鷹艦長ノ指揮ヲ受クベシ 一.27dg(時雨有明)ハAdB電令作第177号ニ依リ行動 二.長波ハ修理完了後速ニ横須賀ニ回航』
  107. ^ a b #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)310頁『第十四戦隊の内南洋部隊への進出』
  108. ^ #S1801二水戦日誌(6)p.15『二四(天候略)一.一〇〇〇海風(司令24dg)潮 雲鷹冲鷹鹿島筑紫ヲ護衛「トラック」ニ向ケ横須賀發』
  109. ^ #S1801二水戦日誌(6)p.6『五月二四日 五月二九日|海風|冲鷹雲鷹鹿島筑紫|横須賀→「トラック」』
  110. ^ #S1805四水戦日誌(2)p.9『16日、27dg(白露欠)ハGF電令作第593号ニ依リ3S(指揮官)ノ指揮下ノ下ニ3S、7S(最上欠)2sf(龍鳳)五十鈴雲鷹冲鷹7dg16dg(雪風)浜風谷風涼風清波新月等ト共ニ横須賀発、21日「トラック」着』
  111. ^ a b c #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)360-361頁『聯合艦隊長官のトラック進出と東方激撃任務の解除』
  112. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.40『12日0616熊野|熊野鳥海雲鷹野分白露内地ニ向ケ「トラック」発』
  113. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.6『白露 5日GF主隊ト共ニ「トラック」着12日熊野鳥海雲鷹野分ト共ニ「トラック」出撃横須賀迄野分ト共ニ雲鷹ノ警戒ニ任ジ16日横須賀着後同地ニテ船体兵器等ノ修理ニ従事…』
  114. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.6『白露(略)27日野分ト共ニ雲鷹、伊良湖ヲ護衛横須賀発「トラック」ニ回航ス』
  115. ^ #S1806二水戦日誌(3)p.87『9月2日|0640白露「トラック」着
  116. ^ a b c d #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)528頁『輸送経過』
  117. ^ #S1812二水戦日誌(3)p.58『20日1532(将旗)2sd|2sd(能代)雲鷹初霜1130「サイパン」着』

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C13072024200 『昭和19年1月31日現在10版 内令提要追録第14号原稿(防衛省防衛研究所)巻3/第13類艦船(1)』。
    • Ref.C08051772000 『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。
    • Ref.C12070115300 『昭和17年1月~12月達/達昭和17年8月』。
    • Ref.C12070150500 『昭和16年1月~4月内令1巻/昭和16年4月(5)』。
    • Ref.C12070154500 『昭和16年11月~12月内令4巻止/昭和16年11月(5)』。
    • Ref.C12070164700 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年8月(4)』。
    • Ref.C12070497800 『昭和19年9~12月秘海軍公報号外/11月(2)』。
    • Ref.C08030100600 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030100700 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030117000 『昭和18年5月1日~昭和18年7月19日 第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030101000 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030101100 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030101200 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
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    • Ref.C08030101400 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030101500 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。
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    • Ref.C08030047800 『昭和17年4月1日~昭和18年8月31日 第7戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。
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    • Ref.C08030048800 『昭和17年1月12日~昭和19年1月1日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌 第8戦隊(7)』。
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    • Ref.C08030101900 『昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
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    • Ref.C08030569700 『昭和18年12月1日~昭和19年11月30日 軍艦高雄戦時日誌(1)』。
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  • 宇垣纏著、成瀬恭発行人 『戦藻録 明治百年史叢書』 原書房、1968年1月。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 桂理平 『空母瑞鳳の生涯 われ等かく戦えり』 霞出版社、1999年10月。ISBN 4-87602-213-5
  • 木俣滋郎 『日本空母戦史』 図書出版社、1977年
  • 木俣滋郎 『日本海防艦戦史』 図書出版社、1994年9月。ISBN 4-8099-0192-0
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 長谷川藤一『軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦』グランプリ出版、1997年 ISBN 4-87687-184-1
  • 福井静夫福井静夫著作集-軍艦七十五年回想記第七巻 日本空母物語』 光人社、1996年8月。ISBN 4-7698-0655-8
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』 朝雲新聞社、1973年2月。
  • 松浦敬紀編著 「元警視総監土田國保(海軍主計大尉)”空母「雲鷹」被雷之記”」『若い世代へ伝えたい残したい 終りなき海軍』 文化社、1978年6月。
  • モデルアート臨時増刊、艦船模型スペシャルNo.18-商船改造空母、モデルアート社、2005年
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第4巻 空母II』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0454-7
  • 雑誌「歴史群像」太平洋戦史シリーズ Vol.45 『帝国海軍 真実の艦艇史』、学習研究社 2004年、ISBN 405-603412-5

関連項目[編集]