野島 (給炭艦)

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野島
1935年頃の「野島」[1]
1935年頃の「野島」[1]
基本情報
建造所 三菱神戸造船所[2]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 運送船[2]
運送艦[3](給炭艦[4])
級名 室戸型[5]
建造費 約1,570,000円(試算額)[6]
母港 1924年時 呉[4]
最終時 佐世保[7]
艦歴
計画 大正6年[1](臨時軍事費による[8])
起工 1918年7月16日[9][10]
進水 1919年2月3日[11]
竣工 1919年3月31日[12][10]
最期 1943年3月3日沈没
除籍 1943年4月20日[7][注釈 1]
要目
軽荷排水量 2,449トン[4]
基準排水量 公表値 8,215トン[10]
常備排水量 公表値 8,751トン[10][注釈 2]
総トン数 3,969.68総トン[4]
全長 358 ft 1+1/2 in (109.16 m)[4]
垂線間長 345 ft 0 in (105.16 m)[4]
最大幅 50 ft 2 in (15.29 m)[4]
吃水 軽荷 7 ft 5+3/4 in (2.28 m)[4]
満載 23 ft 11+1/8 in (7.29 m)[4]
ボイラー 片面円缶2基[4]
1930年以降 宮原式缶3基[1]
主機 直立3気筒3段膨張レシプロ1基[13]
推進 1軸[4]
出力 計画 2,500馬力[14]
速力 計画 12.5ノット[10]
1938年時 14ノット[13]
経済速力 8ノット[4]
燃料 石炭満載639.6トン、缶前8トン[4]
航続距離 4,680カイリ / 8ノット[4]
乗員 竣工時定員 123名[15]
1920年8月1日以降定員、公表値 124名[10][16]
搭載能力 載貨重量トン 5,863.88トン[4]
石炭満載5,296トン[4]
缶水781.61トン、雑用清水3.3トン、飲水42.9トン[4]
獣肉、魚肉、野菜、氷の各冷蔵庫[4]
兵装 45口径三年式12cm砲 単装2門[4](平時は陸上保管)
40口径三年式8cm単装高角砲1932年以降)[1]
搭載艇 3隻[14] または内火艇1隻、カッター2隻、通船1隻[4]
その他 前部3トンデリック4本[4]
後部3トン4本、同2.5トン2本[4]
トンは英トン
計画要目は室戸型給炭艦の要目を参照
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野島(のしま)[2][17]日本海軍給炭艦で、室戸型給炭艦の2番艦[18]。 艦名は野島崎千葉県安房郡の白浜町)による[19][20]

概要[編集]

特務艦野島[20]、日本海軍が運用した運送艦[21]1919年(大正8年)3月末に、三菱神戸造船所で竣工した[22]。日本海軍が建造した最後の給炭艦となった[23]

1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争開戦時は海軍省附属だったが、12月20日より南遣艦隊附属となった[21]。南方へ向け進出中の12月27日、香港沖合で米潜水艦(パーチ)の雷撃で大破、擱座した[23]1942年(昭和17年)2月1日、予備艦となる[24]。12月まで、香港で修理をおこなった[21]。また12月15日附で連合艦隊附属となり[25]、外南洋部隊(指揮官三川軍一第八艦隊司令長官)に編入される[26]。内地に帰投した野島は、佐世保で修理をおこなった[21]

1943(昭和18年)1月中旬、野島はラバウルに進出して第八艦隊の輸送作戦に従事した[21]。同年3月3日、第八十一号作戦に従事中、連合軍航空機の攻撃により沈没した(ビスマルク海海戦[21][27]。本艦生存者を救助していた駆逐艦朝潮も、共に撃沈された[28]

艦歴[編集]

太平洋戦争以前[編集]

1917年(大正6年)度の臨時軍事費で、室戸と共に建造[23]。同年12月15日、「野島」と命名[29][2]1918年(大正7年)7月16日三菱神戸造船所で起工[20]1919年(大正8年)2月3日、進水[20][11]。3月31日、竣工[20][12]佐世保鎮守府籍となる[30]。 竣工当初は運送船に類別されたが1920年(大正9年)4月1日附で運送艦(給炭)に類別変更された[31][32]。 1922年(大正11年)8月26日、カムチャツカ半島で悪天候のため海防艦新高が転覆沈没すると、野島は装甲巡洋艦八雲等と共に遭難現場へ派遣された[33][34]

1926年(大正15年)11月29日附で艦艇類別等級表(特務艦)室戸型給炭艦が新設され、「野島」は室戸型2番艦に類別された[18]

1930年(昭和5年)にはボイラーが換装され 宮原缶3基を搭載、速力が14ノットに向上した。

1932年(昭和7年)の第一次上海事変に際し、12cm砲を8cm高角砲に換装して参加した[23]。また1937年(昭和12年)からの日華事変にも参加した[23]

太平洋戦争[編集]

1941年(昭和16年)5月1日、野島は海軍省附属となった[22]。12月20日、野島は南遣艦隊(司令長官小沢治三郎中将)付属となった[21]。12月22日に内地を出港、カムラン湾に向かう[22]。12月27日午前10時40分頃[35]香港の南西沖で米潜水艦(パーチ)の雷撃を受け、紅海湾に擱座した[21]。 翌1942年(昭和17年)1月19日、波浪により船体が切断した[22][36]。 1月29日、曳航されて香港に入港、同地で第2工作部により修理がおこなわれる[22]。 2月1日、第四予備特務艦に定められた[24][37]。 12月8日まで修理が行われた[21][38]

修理完了後、12月10日に香港を出発する[39]。航海中の12月15日付けで在役特務艦に指定され[40]連合艦隊付属に編入された[22][41]。同日附で外南洋部隊(指揮官三川軍一第八艦隊司令長官)に編入された[26]第八艦隊(司令長官三川軍一中将)附属[42]。 12月19日、野島は佐世保に到着する[22]。当時の佐世保海軍工廠は、巡洋艦最上や空母瑞鳳など多数の艦船の整備修理をおこなっていた[43]

1943年(昭和18年)1月6日、野島は佐世保港を出港した[22]。19日、ニューブリテン島ラバウルに到着した[22]。その後はコロンバンガラ島への輸送任務などに従事した。1月28日、ラバウルを出発し、2月3日にショートランド泊地に到着する[22]。2月12日から13日にかけて、3隻(駆逐艦〈皐月文月〉、特務艦〈野島〉)はショートランド~コロンバンガラ島輸送任務に従事する[44][45]。連合軍の重爆撃機と戦闘機による空襲があったが、対空戦闘および零式艦上戦闘機零式水上観測機の直衛により、輸送は成功した[45]。 2月15日、野島はショートランド泊地を出発する[22]。2月17日、ラバウルに到着した[22]

沈没[編集]

同年2月下旬、野島は南東方面艦隊(司令長官草鹿任一中将)による第八十一号作戦の1隻(船隊区分においては第二分隊7番艦)として、ラエニューギニア)への輸送任務に就いた[46]。船団の直接護衛を、第三水雷戦隊司令官木村昌福少将が担当する[47][48]。ラバウル出港前、松本(野島艦長、海兵45期)は佐藤康夫大佐(第8駆逐隊司令、海兵44期)に「今度の作戦は非常に危険で野島は沈むだろうから、骨だけは拾ってください」と頼むと、佐藤は「朝潮が護衛する限り見殺しにはしない。野島乗組員を救いにゆく」と約束したという[49]

日本時間2月28日2330、第三水雷戦隊司令官木村少将(旗艦「白雪」)[47]指揮下の日本軍輸送船団(駆逐艦8隻〈白雪敷波浦波朝雲時津風雪風朝潮荒潮〉、輸送船8隻〈神愛丸、帝洋丸、愛洋丸、健武丸、旭盛丸、大井川丸、太明丸、野島〉)[46]はラバウルを出発した[50][51]。 船団には3月1日から敵に接触された[50]。3月2日夕刻、B-17重爆による空襲を受け、野島は至近弾により戦死傷者18名を出した[52](他に輸送船旭盛丸沈没)[50]。 3月3日、船団はクレチン岬の沖で連合軍機の攻撃を受ける[53][54]。野島は8時00分ころに缶室、機械室に被爆し火災発生、航行不能となる[27]。野島の被弾と前後して、野島の左舷側を航行していた駆逐艦3隻(時津風、荒潮、雪風)のうち[54]、時津風(0809頃)[55]と荒潮(0810頃)[56]が被弾して大破した。舵故障・艦橋大破状態の荒潮(駆逐艦長久保木英雄中佐)は[57]、野島に衝突した[56][58]。 野島は12時30分に総員退去となる[27]。その後、午後の空襲で爆撃を受けて沈没した[27]

連合軍機離脱後の午前9時頃、健在艦(敷波〈木村少将移乗、旗艦〉[59]、浦波、朝雲、雪風、朝潮)は損傷艦や生存者の救援を開始した[60]。すると「一〇三五敵機二四機発進」との報告があり、木村少将は救助作業の中止と戦場離脱を命じた[60]。だが佐藤大佐(駆逐艦朝潮座乗)は敷波(三水戦司令官木村昌福少将)に「ワレ『野島』艦長トノ約束アリ、『野島』救援ノ後、避退ス」と発信し[60]、野島の救助に向かった[49][61]。4隻(敷波、浦波、朝雲、雪風)は朝潮を残して戦場を離れた[60]

遭難地点に残った朝潮は救助作業を続行し、松本ふくめ野島乗組員は朝潮に救助された[60][49]。また航行不能になった荒潮乗組員の一部も朝潮に移った[28][56]。だが朝潮(駆逐艦長吉井五郎中佐)も13時15分以降に二回に亘る空襲を受け、沈没する[60]。脱出した野島乗組員は、再び漂流することになった[61]。佐藤大佐は松本の懇願をことわり、「朝潮」と共に戦死した[60][62]。 本作戦において野島を含め輸送船8隻は全滅[63]、護衛艦艇も4隻(白雪[64]、時津風、朝潮、荒潮)が沈没、健在艦は4隻(敷波、浦波、朝雲、雪風)と救援艦(初雪)であった[60][65]

松本(野島艦長)以下生存者はボートや大発動艇に乗って漂流した[66]。3月7日、野島艦長以下44名は味方潜水艦(呂101[60]に救助された[61][67]。陸地にたどり着き、機銃掃射や敵兵と交戦しつつ、自力で現地日本陸軍に合流した者も少数いたという[68]

同年4月20日、除籍[7]

歴代艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。階級は就任時のもの。

艤装員長
  • (兼)土肥金在 中佐:1919年3月15日[69] -
指揮官
  • 土肥金在 中佐:1919年3月6日[70] -
特務艦長
  • 土肥金在 中佐:不詳 - 1920年8月12日[71]
  • 松坂茂 大佐:1920年8月12日[71] - 1920年12月1日[72]
  • 兼坂隆 大佐:1920年12月1日 - 1921年4月1日
  • 右田熊五郎 大佐:1921年4月1日 - 1921年11月1日
  • 蔵原惟皓 中佐:1921年11月1日[73] - 1922年6月10日[74]
  • 志和為於菟 中佐:1922年6月10日[74] - 1922年11月10日[75]
  • 秋山栄 中佐:1922年11月10日[75] - 1923年5月10日[76]
  • 今川眞金 中佐:1923年5月10日[76] - 1924年5月10日[77]
  • 御堀傳造 中佐:1924年5月10日 - 1924年11月10日
  • 井上肇治 中佐:1924年11月10日 - 1925年4月15日
  • 出光萬兵衛 大佐:1925年4月15日 - 1925年7月10日
  • 林李樹 中佐:1925年7月10日[78] - 1925年12月1日[79]
  • 上田秀男 大佐:1925年12月1日[79] - 1926年4月15日[80]、以後1929年4月10日まで特務艦長の発令無し。
  • (兼)小川重太郎 中佐:1929年4月10日[81] - 1929年7月10日[82] (本職:呉海軍港務部部員)
  • 柴田源一 中佐/大佐:1929年7月10日[82] - 1929年11月30日[83]
  • 堀江六郎 中佐:1929年11月30日 - 1930年4月1日
  • 小倉萬次郎 中佐/大佐:1930年4月1日[84] - 1930年12月1日[85]
  • 原清 大佐:1930年12月1日 - 1931年4月1日
  • 杉浦信平 中佐:1931年4月1日[86] - 1931年12月1日[87]
  • 外賀良三郎 中佐:1931年12月1日[87] - 1932年2月16日[88]
  • 藍原有孝 大佐:1932年2月16日 - 1932年12月1日
  • 後藤権造 大佐:1932年12月1日[89] - 1933年11月15日[90]
  • 佐藤源蔵 大佐:1933年11月15日 - 1934年11月1日
  • 岩越寒季 中佐:1934年11月1日 - 1935年7月10日
  • 中原達平 中佐/大佐:1935年7月10日[91] - 1935年11月15日[92]
  • 日野昇一 中佐:1935年11月15日[92] - 1936年11月2日[93]
  • 只木信行 中佐:1936年11月2日[93] - 1937年11月15日[94]
  • 宮本八十三 中佐/大佐:1937年11月15日[94] - 1938年11月15日[95]
  • 伊藤尉太郎 大佐:1938年11月15日 - 1939年11月15日
  • (兼)近藤為次郎 大佐:1939年11月15日[96] - 1940年1月10日[97] (本職:早鞆特務艦長)
  • (兼)難波祐之 大佐:1940年1月10日[97] - 1940年2月5日[98] (本職:衣笠艦長)
  • 澤正雄 大佐:1940年2月5日 - 1940年8月1日
  • 植田弘之介 大佐:1940年8月1日[99] - 1940年8月20日[100]
  • 長尾素夫 大佐:1940年8月20日 - 1940年11月6日
  • 大橋竜男 大佐:1940年11月6日 - 1941年8月11日
  • 加賀山外雄 中佐/大佐:1941年8月11日[101] - 1942年2月1日[102]、以後1942年11月15日まで特務艦長の発令無し。
  • 松本亀太郎 大佐:1942年11月15日[103] - 1943年4月20日[104]

同型艦[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ #日本海軍特務艦船史p.26、中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.31では1943年4月30日としている。
  2. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その三、大正9年3月調べの要目一覧では単に排水量8,750噸とある。また#T14公文備考42/特務艦要目画像5-18、特務艦要目表(大正13年11月調)海軍省軍務局では満載排水量を8,751噸としている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d #日本海軍特務艦船史p.26
  2. ^ a b c d #T06達12月(1)p.8『達第百四十七號 臨時軍事費ヲ以テ三菱長崎造船株式會社神戸造船所ニ於テ建造ノ六千噸積運送船(第二隻目)ヲシマト命名ス 大正六年十二月十五日 海軍大臣 加藤友三郎』
  3. ^ #海軍制度沿革巻八p.103『大正九年四月一日(達四〇) 特務艦類別等級別表ノ通定ム(別表略)』
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v #T14公文備考42/特務艦要目画像5-18、特務艦要目表(大正13年11月調)海軍省軍務局
  5. ^ #海軍制度沿革巻八p.105『大正十五年十一月二十九日(内令二三九) 特務艦類別等級別表ノ通定ム(別表略)』種別:運送艦、等級:(空白)、艦型:室戸型、特務艦名:室戸、野島。
  6. ^ #T7公文備考20/特務艦製造画像12、1917年11月17日提出の試算における運送船建造費
  7. ^ a b c #S18.1-4内令/昭和18年4月(5)画像22『内令第七百六十三號 佐世保鎮守府在籍 特務艦 野島 右帝國特務艦籍ヨリ除カル 昭和十八年四月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  8. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.255
  9. ^ #T7公文備考20/特務艦製造画像47『新舩第七八號七五 大正七年七月十六日 三菱造舩株式會社神戸造舩所長 三木正夫 海軍省艦政局長 中野直枝殿 野島起工完了ノ件 拝啓七月十六日午前十時豫定ノ通リ駐在監督官御立會ノ上野島起工式挙行仕候○○○○届申上候也 謹言 艦政船第六號ノ一五』
  10. ^ a b c d e f #海軍制度沿革巻十一の2pp.1057-1087、昭和3年2月14日附内令第43号、艦船要目公表範囲。うちpp.1084-1085。
  11. ^ a b #T8公文備考20/授受、引渡画像15、『八年二月三日午前九、一五 神戸○信 神戸三菱造舩所長 艦政局宛 野島前九時無事進水セリ 三月二十日受領○予定』
  12. ^ a b #T8公文備考20/授受、引渡画像16、『大正八年三月三十一日 加藤監督官 艦政局長 野島本日授受ヲ了セリ (了)』
  13. ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」
  14. ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その三「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務船」
  15. ^ #海軍制度沿革巻十の1p.576『大正八年三二月五日(内令五三) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 運送船定員表其二ヲ附表ノ通改ム | 第六十四表 | 運送船定員表 其二 | | 室戸 | 野島 |(詳細備考略)』計將校、機關將校、將校相當官9人、特務士官、准士官5人、下士23人、兵86人。
  16. ^ #海軍制度沿革巻十の2pp.608-645、『大正九年八月一日(内令二六七) 海軍定員令中左ノ通改正セラル(以下略)』。うちp.644『 | 第七十四表 | 運送艦定員表 其二 | | 室戸 | 野島 | 洲埼 | (詳細備考略) |』。士官10人、准士官5人、下士官23人、兵86人。
  17. ^ 『世界の艦船 増刊第47集 日本海軍特務艦船史』でも読みは「のしま」である。
  18. ^ a b #海軍制度沿革(巻8、1940)p.72『◎特務艦類別等級 大正十五年十一月二十九日(内令二三九)特務艦類別等級別表ノ通定ム(別表)|特務艦類別等級表|運送艦| |室戸型|室戸、野島』
  19. ^ #日本海軍艦船名考p.219
  20. ^ a b c d e 幕末以降帝国軍艦写真と史実p.191『野島(のじま) 艦種特務艦(運送艦) 艦名岬名に採る。野島崎は千葉縣安房郡白濱村の南岬なり。 ―要目― 長 105.16米/幅 15.24米/喫水 7.29米/排水量 /8,213噸/馬力 /速力 12.5/兵装 12糎砲2/起工 大正7-7-16/進水 同8-2-3/竣工 同8-3-31/建造所 三菱神戸造船所』
  21. ^ a b c d e f g h i 補助艦艇奮戦記、274-275頁「野島(のじま/運送艦)」
  22. ^ a b c d e f g h i j k l 写真日本の軍艦13巻、44-45頁「『特務艦』行動年表 ◆野島(運送艦)◆」
  23. ^ a b c d e 写真日本の軍艦13巻、23頁(野島写真解説)
  24. ^ a b #内令S1702(1)p.13「内令第百九十七號 佐世保鎭守府豫備特務艦 特務艦 野島 右第四豫備特務艦ト定ム 昭和十七年二月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎」
  25. ^ #S1712佐鎮日誌(1)p.9「十五日 野島ヲ在役特務艦トシ聯合艦隊ニ附属セシメラル」
  26. ^ a b #第8艦隊日誌(3)p.46「(3)軍隊區分ノ変更」「野島|一二-一五|GF電令作第四一五號ニ依リSNBニ編入」
  27. ^ a b c d 戦史叢書96巻、60頁「被害の状況/野島」
  28. ^ a b 戦史叢書96巻、60頁「被害の状況/朝潮」
  29. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.219『◎運送艦野島命名ノ件 大正六年十二月十五日(達一四七)臨時軍事費ヲ以テ三菱長崎造船株式會社神戸造船所ニ於テ建造ノ六千噸積運送船(第二隻目)ヲシマト命名ス』
  30. ^ 写真日本の軍艦13巻、22頁(野島写真解説)
  31. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.71-72『◎特務艦類別等級 大正九年四月一日(達四〇号)特務艦類別等級別表ノ通定ム(別表)』
  32. ^ #T09達4月p.3『達第四十號 特務艦類別等級別表ノ通定ム 大正九年四月一日 海軍大臣 加藤友三郎(別表)』
  33. ^ 大正11年9月4日(月)海軍公報 第2972号 p.10』 アジア歴史資料センター Ref.C12070283000 『○艦船所在○九月四日午前十時調【オゼルナヤ河口】新高、(司令)槇、野島』
  34. ^ 大正11年9月6日(木)海軍公報 第2974号 p.15』 アジア歴史資料センター Ref.C12070283000 『○艦船所在○九月六日午前十時調【オゼルナヤ河口】新高、八雲、(司令)槇、野島』
  35. ^ 高松宮日記3巻、411頁(1941年12月27日記事より)「○「野島」、1042/27、魚雷(一)攻撃ヲ受ケ、船体中部貫通、防水ニ努メツツ応戦中 22°-15′N 115°-10′E。」
  36. ^ 高松宮日記4巻、41頁(1942年1月21日記事より)「○香港、「野島」ハ遂ヒニ船体完全ニ切断セリ」
  37. ^ #S1702佐鎮日誌(6)p.22(昭和17年2月1日項)「七、野島ヲ第四豫備特務艦ト定メラル」
  38. ^ #S1712佐鎮日誌(2)p.48、#S1712佐鎮日誌(5)p.57(昭和17年12月8日項)「野島ニ對スル第二遣支艦隊司令長官ノ警備ニ關スル指揮ヲ解カル(大海指第一七三號)」
  39. ^ #S1712佐鎮日誌(5)pp.28-29「参考 一、部下艦船部隊(特設ヲ含ム)ノ行動」(昭和17年12月、野島)
  40. ^ #内令S1712(3)p.5「内令第二千二百九十四號 佐世保鎭守府第一豫備特務艦 特務艦 野島 右在役特務艦ト定ム 海軍大臣 嶋田繁太郎」
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参考文献[編集]

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関連項目[編集]