神威 (水上機母艦)

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神威
Japanese oiler Kamoi in 1926.jpg
大正末頃、運送艦(給油)時代の神威。後部の四角い枠状の構造物は燃料石炭揚搭設備[1]
経歴
運用者  大日本帝国海軍
建造所 ニューヨークシップビルヂング会社[2]
種別 運送艦(1920年12月24日)[3]
水上機母艦(1934年6月1日)[4]
運送艦(1944年4月15日)[5]
計画 大正9年度(1920年)、八八艦隊計画[2]
発注 1921年5月17日契約[6][注釈 1]
起工 1921年9月14日[7]
進水 1922年6月8日[8]
竣工 1922年9月12日[9]給油艦として
1932年水上機母艦へ改造
除籍 1947年5月3日
その後 戦後イギリス軍が解体[10]
母港 横須賀[11] → 舞鶴(1939年)[12]
要目 (特務艦時)
軽荷排水量 5,702英トン[11]
満載排水量 19,550英トン[11]
総トン数 10,222総トン[11]
全長 498 ft 0 in (151.79 m)[11]
垂線間長 496 ft 0 in (151.18 m)[6][11]
水線幅 67 ft 0 in (20.42 m)[6][11]
深さ 38 ft 0 in (11.58 m)[6]
吃水 満載平均 28 ft 0 in (8.53 m)[6][11]
機関 タービン電機推進式[13]
主発電機:GEカーチス式タービン1基、6,250kw交流発電機 1基[13]
起動、補機、緊急用[6]:GEカーチス式ギアード・タービン2基、400kw直流発電機 2基[13]
補助発電機:625kw交流発電機 1基(DC発電機とカップリングで直結)[13]
主電動機:4,000馬力GE電動機(スクリュー直結) 2基[6][13]
ボイラー バブコック&ウィルコックス缶(または過熱器附ヤーロー式缶[11]) 4基[6][注釈 2]
推進 2軸 x (約)120rpm[6][14]
直径4.877m、ピッチ4.267m[14]
出力 計画 8,000hp[13][15]
実際 8,977.5hp[11]
速力 計画 15ノット[14]
実際 15.328ノット[11]
燃料 重油満載 1446.8トン[11]
石炭満載 庫内2,542トン、庫外550トン[11]
航続距離 計画 8,000カイリ / 10ノット[6]
実際 17,140カイリ / 10ノット[11]
乗員 竣工時定員 181名[16][17]
搭載能力 重油:11,398.2トン[11]
重油約2,500トンに代わり石炭(2,042トン[11])を搭載可[6]
潤滑油15,000ガロン[6]
貨物庫容積 500トン[6]
獣肉、魚肉、野菜、氷の各冷蔵庫[11]、約7,000立方フィート[6]
缶用清水359.5トン、雑用清水368.78トン、飲用清水103.75トン[11]
兵装 50口径三年式14cm砲2門[11][注釈 3]
40口径三年式8cm高角砲2門[18][注釈 4]
搭載艇 内火艇1隻、カッター3隻、通船1隻[11]
その他 6トンデリック1本、1.5トンデリック3本[11]、載炭装置[19]
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神威[注釈 5](かもい/かもゐ[20])は、日本海軍の運送艦[3](給油艦[11])、のち水上機母艦[4]

艦名は北海道積丹半島の「神威岬」による[21]

概要[編集]

給油艦[編集]

神威ニューヨーク・シップビルジング社給油艦として建造された。建造は電気推進[注釈 6]研究のためアメリカに発注された。本艦が戦前最後の海外建造艦となった。

水上機母艦[編集]

Japanese seaplane tender Kamoi 1937.jpg
水上機母艦時の「神威」(1937年)[22]
経歴
要目 (水上機母艦時)
基準排水量 公表値 17,000英トン[23][24]
常備排水量 1938年 15,381英トン[25][26]
吃水 公表値 8.43m[23]
乗員 1934年6月定員 335名[27]
1938年3月 324名[25]
搭載能力 航空機用燃料:タンク60トン、ドラム缶3,000個[28]
30kg爆弾約300個[29]
兵装 1938年[25]
50口径三年式14cm砲2門(砲台のみ[注釈 7])
40口径8cm単装高角砲2門
毘式12mm機銃6挺
搭載艇 4隻[25]
搭載機 九〇式三号水上偵察機 常用6機 補用6機、その他3機搭載可能[30]
#搭載機も参照
変更のあった主な要目のみ。その他は特務艦時の要目を参照
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能登呂」が第一次上海事変で活躍したため、急遽本艦も1932年(昭和7年)末から翌年2月にかけて水上機母艦に改装された[31]。改装内容は能登呂とほぼ準じた形であるが、艦形が更に大きいため搭載機数は常用6機、補用6機となっている[31]。また給油艦としての機能もそのまま残されていた[31]。この時は特務艦籍のままだったが、1934年(昭和9年)6月1日に水上機母艦とされた[4]

1933年(昭和8年)末に当時ドイツで実用化されたハイン式マットを装備し、航行しながら水上機を収容できるようにした(従来は艦を停止させて収容)[32]。しかしあまり実用的でなかったらしく、1939年に撤去された[33]

1939年(昭和14年)、飛行艇母艦へ改装、搭載機を降ろす[32]大戦中は航空隊移動輸送などに従事、終戦時は香港にあり、大破状態であった。

戦後、イギリス軍により解体された。

艦型[編集]

給油艦として[編集]

艦型は3島型で[30]満載排水量19,550英トン[11]、載貨重量約13,000トンで[6]日本海軍の特務艦としては最大の艦だった[34]。補給用重油は約10,000トン[11]、うち重油約2,500トンに代わり石炭約2000トンも搭載できた[11][6]。そのため、艦橋と煙突間には4本の支柱の上部を柱でつないだ直方体の形状の載炭装置を設置していた[19]

機関[編集]

主発電機としてはメイン・タービンに直結の6,250kw交流発電機を1基搭載、4,000馬力の発動機(モーター)2基をスクリュー軸に直結、速度調節はタービン・ガバナーで行った[13]。また補機や緊急などのために2基の補助タービンにそれぞれギアで連結した400kw直流発電機を2基搭載した[13]。その他に補助発電機として直流発電機にカップリングで直結した625kw交流発電機1基を搭載、これだけで経済速力7ノットが発揮可能だった[13]

実際に使用すると、重量、容積、燃料消費量に利点が無く、建造費も増大するため日本海軍の電気推進艦は本艦1隻のみとなった[35]

水上機母艦として[編集]

上記の通り1932年(昭和7年)7月に水上機母艦へ改造が決定、予算約4,000万円以内とし[36]浦賀船渠で同年末から翌年2月末まで工事が行われた[30]

水上機母艦としては九〇式三号水上偵察機常用6機、補用6機の計12機を搭載する[37]。艦橋前後の上甲板上に3島を結ぶ鋼板製のフラットを設けて[30]格納所甲板とし[28]、前部には翼を広げた状態で2機、畳んだ状態で3機を搭載、後部にも広げて2機、畳んで2機を搭載し、その他船首楼甲板に揚収した後に解体して船艙に3機の計12機が搭載する計画だった[38]。「海軍造船技術概要」によると前部に6機、後部に5機、補用機格納庫に解体して1機の計12機、その他解体して3機という[30]。格納所甲板には木甲板とし[39]、その上に軌道を設けて[28]水上機は運搬車で移動した[39]。その甲板上には航空機運用に支障の無い範囲で天蓋を[39]、その前端には風除けのスクリーンを設けた[28]。計画は木製の予定だったが[39]実際は鉄骨鋼材張りとなった[28]

水上機揚収用のデリックについて前部は、前部マストを前方に移動し、その右舷側にデリックポストを新設して前部マストと結合して強化し、長さ約56フィート(約17m)の力量5トンの水平デリックを設ける[40][41]。後部は中央のキングポストのうち1本を補強してデリックポストとし、長さ約46フィート(約14m)の力量3.5トンの水平デリックを装備した[40][41]

射出機は両舷にそれぞれ呉式二号三型を1基ずつ装備する計画があったが[42]、当時の軍縮条約の制限で装備されなかった[43]

航空機燃料は中甲板の3番サンマータンクを60噸の軽質油タンクとし[28][44]、1番サンマータンク内に3000缶が入る軽質油庫を設けた[28][45]。また30kg爆弾約300個を搭載可能とし、必要に応じて500kg爆弾約100個も搭載出来る設備とする計画だった[29]

母艦として必要な通信施設や工作設備、工場などを新設、発動機格納所も設けた[28]。その他前部天蓋の前端に仮艦橋を設けた[28]

乗員は士官約11名、特務士官・准士官約8名、下士官約50名、兵約90名が増加する予定で[46]、上甲板と格納庫甲板の間に兵員居住区を設けるなどした[28]

給油設備などはサンマータンク以外はほぼそのままとし、必要ならば給油艦としても使用できる計画だった[47]

兵装は改造完成時、煙突の両側に砲台を設け8cm高角砲を1基ずつ装備した[32][48]。1937年(昭和12年)の写真では毘式12mm単装機銃が天蓋上に装備されており[49]、1938年(昭和13年)の出撃時には前後の砲台にも12mm機銃が装備されている[32]。福井静夫が戦後まとめた資料によると水上機母艦時は8cm高角砲4門、12mm機銃7挺となっている[50]

ハイン式マット[編集]

航行中でも水上機を揚収できる装置としてハイン式マットが1933年(昭和8年)にドイツから輸入、本艦に装備された[51]。これは艦尾に装備した大型リールに長さ約30mの帆布幕(着水幕)が巻いてあり、揚収時には艦尾に流して展張させ、水上機が幕に乗ったらウィンチなどで幕ごと引き寄せ、艦尾のデリックで揚収するものだった[51]。続いて波浪同調式揚収クレーンも到着し、同年12月には8ノットで実験が行われている[51]。ただ、あまり効果が無かったようで1938年(昭和13年)3月までにはデリックポストを残し撤去[32]、1940年(昭和15年)ころに「瑞穂」に移された[51]

飛行艇母艦として[編集]

1939年(昭和14年)に横須賀海軍工廠で特定修理が行われた際、搭載機を十試水上観測機常用8機+補用3機、十二試三座水上偵察機常用2機+補用1機の計常用10機、補用4機の14機として改装が行われていたが、完成直前に飛行艇母艦に役務が変更となった[28]。このため運搬軌道と天蓋を撤去、格納所前部に約200名を収容する木製の仮設居住区を設けた[28]。飛行艇への補給設備なども装備し[28]、後部マストが前方に移動しているのが確認される[52]。兵装はこの時14cm砲2門と8cm高角砲1門に変更した[19]。この状態で太平洋戦争を迎えた[28]

大戦中は1944年(昭和19年)2月に第101工作部で損傷修理の際に母艦設備を撤去した[19]。同年11月に横須賀で撮影された艦前部の写真では、前部天蓋と仮設居住区は完全に撤去されており、またデリックポスト1本を残して前部マストも無く、艦橋後部に横桁1本の単マストが装備されている[53]。この時の兵装は艦橋左右の機銃台に25mm3連装機銃1基ずつ、艦橋前に機銃台を設置し同機銃1基、前部砲台には14cm砲が装備が確認される[53]

搭載機[編集]

搭載機は九〇式三号水上偵察機 常用6機 補用6機とされる[30]。艦前部に6機、後部に5機、補用機格納庫に1機を解体して格納する[30]。その他に他艦の水上機を船尾楼空所に収容し分解して格納庫に収容できた[30]。福井静夫によると九〇式二号水上偵察機を22機搭載できたという[50][54]

内令兵に記載の1935年までの機種、機数は以下の通り

  • 1932年(昭和7年)12月8日(内令兵76):一四式三号水上偵察機、九〇式三号水上偵察機 常用3機、補用1機[55]
  • 1933年(昭和8年)1月31日(内令兵12):一四式三号水上偵察機、九〇式二号水上偵察機 常用3機、補用1機(うち2機は九〇式二号水上偵察機)[56]
  • 1933年(昭和8年)10月15日(内令兵59):九〇式二号偵察機二型 常用6機、補用2機[57]
  • 1934年(昭和9年)6月26日(内令兵24):九〇式二号偵察機二型 常用6機、補用2機、一四式三号水上偵察機 常用2機[58]
  • 1934年(昭和9年)12月3日(内令兵54):九〇式二号偵察機二型 常用8機、補用3機[59]
  • 1935年(昭和10年)5月7日(内令兵16):九〇式二号偵察機二型(一部「一四式三号水上偵察機」) 常用8機、補用3機[60]

1938年(昭和13年)の南支方面出撃時には九四式水上偵察機九五式水上偵察機が合わせて8機から9機搭載された[32][61]

マーキングは飛行機の呼称番号として「モ」が1936年に制定された[62]

艦歴[編集]

  • 1920年12月7日 特務艦「神威(カモヰ)」と命名[20]、同月24日 運送艦に類別[3]
  • 1922年9月12日 ニューヨーク・シップビルジング社にて竣工
  • 1932年8月 - 翌年2月 浦賀船渠にて水上機母艦への改装工事
  • 1934年6月1日 軍艦に編入され水上機母艦に類別[4]
  • 1937年7月 南太平洋において遭難したアメリア・イアハート機の捜索に協力
  • 1939年 飛行艇母艦へ改装、搭載機を降ろす
  • 1944年1月28日 アメリカ潜水艦「ボーフィン」(SS-287)の雷撃を受け損傷
    • 2月1日 シンガポール入港、修理と同時に母艦設備を撤去
    • 4月15日 特務艦に編入され運送艦に類別[5]
  • 1945年1月16日 ヒ87船団に加入して香港在泊中に爆弾4発を受け大破
    • 4月5日 香港で修理中に爆撃を受け大破
    • 4月13日 浸水により着底
    • 5月10日 舞鶴鎮守府第四予備特務艦に定められる[63]
  • 1947年5月3日 除籍

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』187-189頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

艤装員長[編集]

  1. 村瀬貞次郎 大佐:1921年12月1日 -

艦長[編集]

特務艦長/艦長
  1. 村瀬貞次郎 大佐:特務艦長 1922年9月12日 - 1923年1月20日
  2. 中山鞆信 大佐:1923年1月20日 - 10月20日[64]
  3. (心得)平山栄 中佐:1923年10月20日[64] - 1924年5月1日[65]
  4. (心得)広田穣 中佐:1924年5月1日 - 不祥
  5. 広田穣 中佐:不詳 - 1924年10月25日[66]
  6. 武久完 中佐:1924年10月25日 -
  7. 阿武清 大佐:1925年5月9日 - 10月20日[67]
  8. 高木平次 大佐:1925年10月20日[67] - 1926年5月20日[68]
  9. 松井利三郎 大佐:1926年5月20日 - 1926年11月1日
  10. 石川真吾 大佐:1926年11月1日 -
  11. 小檜山真二 大佐:1927年6月25日 - 12月1日
  12. 藤岡晴次 大佐:1927年12月1日 - 1928年12月4日[69]
  13. 柴山昌生 中佐:1928年12月4日[69] -
  14. 村田章一 大佐:不詳 - 1930年12月1日[70]
  15. 杉浦信平 中佐:1930年12月1日 - 1931年4月1日
  16. 本田源三 中佐:1931年4月1日 - 1932年1月25日[71]
  17. 北條釐三郎 大佐:1932年1月25日 - 11月15日
  18. 竹田六吉 大佐:1932年11月15日 - 1933年10月20日
  19. 寺田幸吉 大佐:1933年10月20日 - 艦長 1934年6月1日[72] - 1934年11月15日
  20. 丹羽正躬 大佐:1934年11月15日 - 1935年11月15日
  21. 奥田喜久司 大佐:1935年11月15日 -
  22. 上阪香苗 大佐:1936年11月2日 -
  23. 岩淵三次 大佐:1938年3月22日 -
  24. 松田千秋 大佐:1938年8月25日 -
  25. (兼)森友一 大佐:1939年1月14日 -
  26. (兼)橋本愛次 大佐:1939年7月20日 -
  27. 服部勝二 大佐:1939年11月15日 -
  28. 古川保 大佐:1940年11月15日 -
  29. 伊藤徳堯 大佐:1941年7月1日 -
  30. 長谷部喜蔵 大佐:1941年8月20日 -
  31. 山崎助一 大佐:1942年8月7日 -
  32. 清水他喜雄 大佐:1943年5月3日 - 特務艦長 1944年4月15日[73] - 1944年12月5日[74]
  33. 藤牧美徳 大佐:1944年12月5日 - 1945年4月25日[75]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ #特務艦神威製造一件画像10-11では18日に契約とある。
  2. ^ #帝国海軍機関史では「バブコツクウヰルコツクス罐4臺」と明記しているのに対し、#昭和11年12月1日内令提要原稿/機密保護画像1、艦船要目公表範囲では「ヤーロー式4」、#戦史叢書31海軍軍戦備1付表では「ヤロー型混焼四」とする。また#特務艦要目(大正十三年十一月調)では「ロ號艦本式四」としている。#終戦時の日本海軍艦艇p.96ではボイラー2基とだけしている
  3. ^ #日本航空母艦史p.112など、当時の写真から砲の搭載は確認できない。
  4. ^ #特務艦要目画像5-18「特務艦要目表(大正十三年十一月調) 海軍省軍務局」では『四十口径八年式高角砲』となっているが『四十口径八糎高角砲』の間違いと思われる。
  5. ^ 当時の文献では「神」は異体字の「示」に「申」の『神』を使っている。ここでは現在一般的な『神』を使用する。
  6. ^ 蒸気タービン発電機を回し、発生した電力スクリューに繋いだモーターを回す仕組み。
  7. ^ 写真では14cm砲の搭載は確認できず、#海軍艦艇史3p.229右下の1941年夏の写真に搭載が確認される。

出典[編集]

  1. ^ #海軍艦艇史3p.224
  2. ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.265-272
  3. ^ a b c 大正9年12月24日付 達第243号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070077900  『特務艦類別等級別表中「鶴見」ノ次ニ「、神威」ヲ加フ』
  4. ^ a b c d #海軍制度沿革巻八p.96『昭和九年六月一日(内令二一八) 艦艇艦類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦、航空母艦ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ | 水上機母艦 | | | 能登呂、神威 |』
  5. ^ a b 昭和19年4月15日付 内令第548号および同第549号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070196500  『内令第五百四十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年四月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 軍艦、水上機母艦ノ項中「、神威」ヲ削ル(以下略)』『内令第五百四十九號 特務艦類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年四月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 運送艦ノ部中穏戸型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ | | 神威 |』
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p #帝国海軍機関史下巻pp.654-658(五三六-五四〇頁)
  7. ^ #大正10年公文備考巻26/試験(2)画像32
  8. ^ #大正11年公文備考巻33の2/附回船一件(2)画像14
  9. ^ #大正11年公文備考巻33の2/附回船一件(3)画像11
  10. ^ 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.7
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y #特務艦要目画像5-18「特務艦要目表(大正十三年十一月調) 海軍省軍務局」
  12. ^ #昭和14年12月25日内令提要原稿/艦船(1)画像12『艦艇、特務艦本籍別一覧表 昭和十四年十二月二十五日調』
  13. ^ a b c d e f g h i #大正11年公文備考巻33の2/附回船一件(6)画像9『特務艦神威及仝艦(タルビン)電機式推進機關主要目(神威觀覧者ヘ配布ノモノ)』
  14. ^ a b c #海軍造船技術概要p.1726
  15. ^ #帝国海軍機関史別冊、22表
  16. ^ #海軍制度沿革巻十の2p.622『大正十一年九月十二日(内令三〇六) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 附表ノ通運送艦定員表其五ヲ加フ(表省略)』士官12人、特務士官2人、准士官2人、下士官32人、兵133人
  17. ^ #帝国海軍機関史下巻p.656(五三八頁)。計182名の記載があるが、内訳『艦長1、航海長1、機関長1、士官及特務士官9、軍医長1、主計長1、准士官3、下士官32、兵132』を合計すると181名、傭人などの記載は特にない。
  18. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第二その三「大正十二年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務艦」
  19. ^ a b c d #日本航空母艦史p.112
  20. ^ a b 大正9年12月7日付 達第235号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070077900  『軍備補充費ヲ以テ大正九年度ニ於テ建造ニ著手スヘキ特務艦一隻ニ左ノ通命名ス 神威 カモヰ』
  21. ^ #日本海軍艦船名考pp.258-259
  22. ^ #海軍艦艇史3p.227上の写真及び解説
  23. ^ a b #昭和11年12月1日内令提要原稿/機密保護画像1、艦船要目公表範囲
  24. ^ #昭和造船史1pp.794-795
  25. ^ a b c d #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その一「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦、駆逐艦」
  26. ^ #写真日本の軍艦第4巻p.162
  27. ^ #海軍制度沿革巻十の2p.730『昭和九年六月一日(内令二二二) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 水上機母艦定員表ヲ別表ノ如ク定ム(以下略)』士官19人、特務士官4人、准士官11人、下士官74人、兵227人
  28. ^ a b c d e f g h i j k l m n #海軍造船技術概要p.744
  29. ^ a b #特務艦神威の改造に関する件画像2
  30. ^ a b c d e f g h #海軍造船技術概要p.743
  31. ^ a b c #写真日本の軍艦第4巻p.160
  32. ^ a b c d e f #写真日本の軍艦第4巻p.161
  33. ^ #海軍造船技術概要p.745
  34. ^ #海軍造船技術概要p.742
  35. ^ #写真日本の軍艦第4巻p.185下の写真解説
  36. ^ #特務艦神威の改造に関する件画像1『軍務機密第二一四號 昭和七年七月五日 軍務局長 横鎮参謀長宛 特務艦神威ノ改造ニ関スル件内報 (本文略)』
  37. ^ #特務艦神威の改造に関する件画像7、項目「二、イ」
  38. ^ #特務艦神威の改造に関する件画像7-8、項目「三、飛行機搭載位置」
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参考文献[編集]

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  • COMPILED BY SHIZUO FUKUI (1947-04-25). JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR. ADMINISTRATIVE DIVISION, SECOND DEMOBILIZATION BUREAU. (COMPILED BY 福井静夫『終戦時の日本海軍艦艇』第二復員局、1947年04月25日)
  • 福井静夫 『海軍艦艇史 3 航空母艦、水上機母艦、水雷・潜水母艦』 KKベストセラーズ、1982年4月ISBN 4-584-17023-1
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』 ベストセラーズ、1994年ISBN 4-584-17054-1
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』戦史叢書第31巻、朝雲新聞社1969年
  • 『海軍造船技術概要』 牧野茂福井静夫/編、今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4
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  • 官報