神威 (水上機母艦)

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神威
大正末頃、運送艦(給油)時代の神威。後部の四角い枠状の構造物は燃料用石炭の揚搭設備[1]
大正末頃、運送艦(給油)時代の神威。後部の四角い枠状の構造物は燃料石炭揚搭設備[1]
基本情報
建造所 ニューヨークシップビルヂング会社[2]
運用者  大日本帝国海軍
種別 運送艦(1920年12月24日)[3]
水上機母艦(1934年6月1日)[4]
運送艦(1944年4月15日)[5]
母港 横須賀[6] → 舞鶴(1939年)[7]
経歴
計画 大正9年度(1920年)、八八艦隊計画[2]
発注 1921年5月17日契約[8][注釈 1]
起工 1921年9月14日[9]
進水 1922年6月8日[10]
竣工 1922年9月12日[11]給油艦として
1932年水上機母艦へ改造
除籍 1947年5月3日
その後 戦後イギリス軍が解体[12]
要目(特務艦時)
軽荷排水量 5,702英トン[6]
満載排水量 19,550英トン[6]
総トン数 10,222総トン[6]
全長 498 ft 0 in (151.79 m)[6]
垂線間長 496 ft 0 in (151.18 m)[8][6]
水線幅 67 ft 0 in (20.42 m)[8][6]
深さ 38 ft 0 in (11.58 m)[8]
吃水 満載平均 28 ft 0 in (8.53 m)[8][6]
機関 タービン電機推進式[13]
主発電機:GEカーチス式タービン1基、6,250kw交流発電機 1基[13]
起動、補機、緊急用[8]:GEカーチス式ギアード・タービン2基、400kw直流発電機 2基[13]
補助発電機:625kw交流発電機 1基(DC発電機とカップリングで直結)[13]
主電動機:4,000馬力GE電動機(スクリュー直結) 2基[8][13]
ボイラー バブコック&ウィルコックス缶(または過熱器附ヤーロー式缶[6]) 4基[8][注釈 2]
推進 2軸 x (約)120rpm[8][14]
直径4.877m、ピッチ4.267m[14]
出力 計画 8,000hp[13][15]
実際 8,977.5hp[6]
速力 計画 15ノット[14]
実際 15.328ノット[6]
燃料 重油満載 1446.8トン[6]
石炭満載 庫内2,542トン、庫外550トン[6]
航続距離 計画 8,000カイリ / 10ノット[8]
実際 17,140カイリ / 10ノット[6]
乗員 竣工時定員 181名[16][17]
搭載能力 重油:11,398.2トン[6]
重油約2,500トンに代わり石炭(2,042トン[6])を搭載可[8]
潤滑油15,000ガロン[8]
貨物庫容積 500トン[8]
獣肉、魚肉、野菜、氷の各冷蔵庫[6]、約7,000立方フィート[8]
缶用清水359.5トン、雑用清水368.78トン、飲用清水103.75トン[6]
兵装 50口径三年式14cm砲2門[6][注釈 3]
40口径三年式8cm高角砲2門[18][注釈 4]
搭載艇 内火艇1隻、カッター3隻、通船1隻[6]
その他 6トンデリック1本、1.5トンデリック3本[6]、載炭装置[19]
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神威[注釈 5](かもい/かもゐ)[20]は、日本海軍の運送艦[3][21](給油艦)[6]、のち水上機母艦[4][22]アメリカ合衆国で建造[23]太平洋戦争前における、日本海軍最後の海外発注艦となった[24][注釈 6]。 艦名は北海道後志国積丹半島の「神威岬」による[23][25]

概要[編集]

給油艦[編集]

神威アメリカ合衆国ニュージャージー州にあるニューヨーク・シップビルジング社[23][24]給油艦として建造された[24]電気推進[注釈 7]研究のため、アメリカに発注された[24]。 当時、アメリカ海軍はレキシントン級巡洋戦艦レキシントン級航空母艦)等の大型艦艇でも電気推進式を採用しており、日本海軍も米海軍の動向に注目していた経緯がある[26][27]

1921年(大正10年)9月、神威はニューヨーク造船所で起工[24]1922年(大正11年)9月に竣工後、早速重油を満載し、12月10日にアメリカからの航海を終えて徳山に到着[28][29]。 続いて横須賀に回航され[30]12月15日に到着[31][32]。 その後、給油艦(タンカー)として北米、東南アジア、北樺太方面からの重油還送任務に従事した[24]

水上機母艦[編集]

水上機母艦時の「神威」(1937年)[33]
水上機母艦時の「神威」(1937年)[33]
基本情報
経歴
要目(水上機母艦時)
基準排水量 公表値 17,000英トン[34][35]
常備排水量 1938年 15,381英トン[36][37]
吃水 公表値 8.43m[34]
乗員 1934年6月定員 335名[38]
1938年3月 324名[36]
搭載能力 航空機用燃料:タンク60トン、ドラム缶3,000個[39]
30kg爆弾約300個[40]
兵装 1938年[36]
50口径三年式14cm砲2門(砲台のみ[注釈 8])
40口径8cm単装高角砲2門
毘式12mm機銃6挺
搭載艇 4隻[36]
搭載機 九〇式三号水上偵察機 常用6機 補用6機、その他3機搭載可能[41]
#搭載機も参照
変更のあった主な要目のみ。その他は特務艦時の要目を参照
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日本海軍は、水上機母艦若宮(日本海軍の法令上、1920年より航空母艦)を第一次世界大戦に投入した[42][43]。 続いて給油艦能登呂を水上機母艦に改造、同艦は1932年(昭和7年)初旬の第一次上海事変に投入されて活躍した[44]。急遽、本艦も同年末から翌1933年(昭和8年)2月にかけて、浦賀船渠水上機母艦に改装された[24][45]。改装内容は能登呂とほぼ準じた形であるが、艦形が更に大きいため搭載機数は常用6機、補用6機となっている[45]。また給油艦としての機能もそのまま残されていた[45]。この時は特務艦籍のままだったが、1934年(昭和9年)6月1日に軍艦籍に編入、「軍艦 神威」と改名され、水上機母艦に類別された[23][4]

1933年(昭和8年)末に当時ドイツで実用化されたハイン式マットを装備し、航行しながら水上機を収容できるようにした(従来は艦を停止させて収容)[46]。しかしあまり実用的でなかったらしく[44]、1939年に撤去された[47]

1939年(昭和14年)、飛行艇母艦へ改装、搭載機を降ろす[46]大戦中は航空隊移動輸送などに従事。 1944年(昭和19年)4月15日、軍艦籍より除籍され[5]、水上機母艦から特務艦(運送艦)に類別変更[44]1945年(昭和20年)1月初旬、ヒ87船団の旗艦として、空母龍鳳(特攻兵器桜花輸送任務)や護衛の駆逐艦(浜風磯風時雨旗風)等と共にシンガポールへ向かう。だが香港停泊中の1月16日グラティテュード作戦にともなう米軍機動部隊艦載機の空襲を受けて大破。さらに4月5日、爆撃により損害を受けて着底[44]。放置されて終戦を迎えた。

戦後、イギリス軍により解体された。

艦型[編集]

給油艦として[編集]

艦型は3島型で[41]満載排水量19,550英トン[6]、載貨重量約13,000トンで[8]日本海軍の特務艦としては最大の艦だった[48]。補給用重油は約10,000トン[6]、うち重油約2,500トンに代わり石炭約2,000トン(福井静夫によれば石炭2,500トン)も搭載できた[24][6][8]。そのため、艦橋と煙突間には4本の支柱の上部を柱でつないだ直方体の形状の載炭装置を設置していた[19]

機関[編集]

主発電機としてはメイン・タービンに直結の6,250kw交流発電機を1基搭載、4,000馬力の発動機(モーター)2基をスクリュー軸に直結、速度調節はタービン・ガバナーで行った[13]。また補機や緊急などのために2基の補助タービンにそれぞれギアで連結した400kw直流発電機を2基搭載した[13]。その他に補助発電機として直流発電機にカップリングで直結した625kw交流発電機1基を搭載、これだけで経済速力7ノットが発揮可能だった[13]

実際に使用すると、重量、容積、燃料消費量に利点が無く、建造費も増大するため日本海軍の電気推進艦は本艦1隻(空母神鷹は、当初電気推進式機関)のみとなった[23][49]。 1944年(昭和19年)4月、本艦は飛行艇母艦から給油艦に改装されるが、その際も最大速力15ノット発揮可能だった[50]

水上機母艦として[編集]

上記の通り1932年(昭和7年)7月に水上機母艦へ改造が決定、予算約4,000万円以内とし[51]浦賀船渠で同年末から翌年2月末まで工事が行われた[24][41]

水上機母艦としては九〇式三号水上偵察機常用6機、補用6機の計12機を搭載する[52]。艦橋前後の上甲板上に3島を結ぶ鋼板製のフラットを設けて[41]格納所甲板とし[39]、前部には翼を広げた状態で2機、畳んだ状態で3機を搭載、後部にも広げて2機、畳んで2機を搭載し、その他船首楼甲板に揚収した後に解体して船艙に3機の計12機が搭載する計画だった[53]。「海軍造船技術概要」によると前部に6機、後部に5機、補用機格納庫に解体して1機の計12機、その他解体して3機という[41]。格納所甲板には木甲板とし[54]、その上に軌道を設けて[39]水上機は運搬車で移動した[54]。その甲板上には航空機運用に支障の無い範囲で天蓋を[54]、その前端には風除けのスクリーンを設けた[39]。計画は木製の予定だったが[54]実際は鉄骨鋼材張りとなった[39]

水上機揚収用のデリックについて前部は、前部マストを前方に移動し、その右舷側にデリックポストを新設して前部マストと結合して強化し、長さ約56フィート(約17m)の力量5トンの水平デリックを設ける[55][56]。後部は中央のキングポストのうち1本を補強してデリックポストとし、長さ約46フィート(約14m)の力量3.5トンの水平デリックを装備した[55][56]

射出機は両舷にそれぞれ呉式二号三型を1基ずつ装備する計画があったが[57]、当時の軍縮条約の制限で装備されなかった[58]

航空機燃料は中甲板の3番サンマータンクを60噸の軽質油タンクとし[39][59]、1番サンマータンク内に3000缶が入る軽質油庫を設けた[39][60]。また30kg爆弾約300個を搭載可能とし、必要に応じて500kg爆弾約100個も搭載出来る設備とする計画だった[40]

母艦として必要な通信施設や工作設備、工場などを新設、発動機格納所も設けた[39]。その他前部天蓋の前端に仮艦橋を設けた[39]

乗員は士官約11名、特務士官・准士官約8名、下士官約50名、兵約90名が増加する予定で[61]、上甲板と格納庫甲板の間に兵員居住区を設けるなどした[39]

給油設備などはサンマータンク以外はほぼそのままとし、必要ならば給油艦としても使用できる計画だった[62]

兵装は改造完成時、煙突の両側に砲台を設け8cm高角砲を1基ずつ装備した[46][63]。1937年(昭和12年)の写真では毘式12mm単装機銃が天蓋上に装備されており[64]、1938年(昭和13年)の出撃時には前後の砲台にも12mm機銃が装備されている[46]。福井静夫が戦後まとめた資料によると水上機母艦時は8cm高角砲4門、12mm機銃7挺となっている[65]

ハイン式マット[編集]

航行中でも水上機を揚収できる装置としてハイン式マットが1933年(昭和8年)にドイツから輸入、本艦に装備された[66]。これは艦尾に装備した大型リールに長さ約30mの帆布幕(着水幕)が巻いてあり、揚収時には艦尾に流して展張させ、水上機が幕に乗ったらウィンチなどで幕ごと引き寄せ、艦尾のデリックで揚収するものだった[66]。続いて波浪同調式揚収クレーンも到着し、同年12月には8ノットで実験が行われている[66]。ただ、あまり効果が無かったようで1938年(昭和13年)3月までにはデリックポストを残し撤去[46]。1940年(昭和15年)頃に、新型の水上機母艦瑞穂に移された[66]

飛行艇母艦として[編集]

1939年(昭和14年)に横須賀海軍工廠で特定修理が行われた際、搭載機を十試水上観測機常用8機+補用3機、十二試三座水上偵察機常用2機+補用1機の計常用10機、補用4機の14機として改装が行われていたが、完成直前に飛行艇母艦に役務が変更となった[39]。このため運搬軌道と天蓋を撤去、格納所前部に約200名を収容する木製の仮設居住区を設けた[24][39]。飛行艇への補給設備なども装備し[39]、後部マストが前方に移動しているのが確認される[67]。兵装はこの時14cm砲2門と8cm高角砲1門に変更した[19]。この状態で太平洋戦争を迎えた[39]

大戦中[編集]

太平洋戦争時は1944年(昭和19年)2月の損傷を第101工作部で修理の際に母艦設備を撤去[19]、給油艦に改装された[68]。神威には横曳給油装置設置の訓令が出される[69]。 8月31日に一応修理が完成し[70]、 最大速力15ノット、常用速力13ノットが報告されている[71]。 この時点での兵装は以下の通り[72]

  • 50口径三年式14cm砲2門
  • 40口径三年式8cm高角砲2門
  • 25mm機銃15挺(3連装5基をこの修理で装備[73])
  • 毘式7.7mm機銃2挺
  • 須式手動75cm探照灯1基
  • (九五式[74])爆雷6個搭載(定数は不明)
  • 九三式水中聴音機[75][76][74]

艦長は25mm単装機銃12挺の装備も要求している[77]が、今年度は準備出来ないと断られている[78]

同年9月27日に雷撃の被害を受ける[79]など損傷し、11月9日に横須賀港に入港[80]、 この時に撮影された艦前部の写真では、前部天蓋と仮設居住区は完全に撤去されており、またデリックポスト1本を残して前部マストも無く、艦橋後部に横桁1本の単マストが装備されている[81]。この時の兵装は艦橋左右の機銃台に25mm3連装機銃1基ずつ、艦橋前に機銃台を設置し同機銃1基、前部砲台には14cm砲が装備が確認される[81]

横須賀での修理の際に25mm単装機銃6挺装備[82]、破損した九三式水中聴音機は零式水中聴音機に換装[83]、 九二式従動90cm探照灯二型改一管制器付を装備、中防雷具一型を修理した[83]。 また二式爆雷18個を搭載した[84]。 翌1945年(昭和20年)1月の時点でE-27逆探の搭載も確認出来る[85]。 その他に搭載艇は内火艇2隻[86](1隻は12m)、12m内火ランチ1隻、9mカッター1隻が確認される[87]

搭載機[編集]

搭載機は九〇式三号水上偵察機 常用6機 補用6機とされる[41]。艦前部に6機、後部に5機、補用機格納庫に1機を解体して格納する[41]。その他に他艦の水上機を船尾楼空所に収容し分解して格納庫に収容できた[41]。福井静夫によると九〇式二号水上偵察機を22機搭載できたという[65][88]

内令兵に記載の1935年までの機種、機数は以下の通り

  • 1932年(昭和7年)12月8日(内令兵76):一四式三号水上偵察機、九〇式三号水上偵察機 常用3機、補用1機[89]
  • 1933年(昭和8年)1月31日(内令兵12):一四式三号水上偵察機、九〇式二号水上偵察機 常用3機、補用1機(うち2機は九〇式二号水上偵察機)[90]
  • 1933年(昭和8年)10月15日(内令兵59):九〇式二号偵察機二型 常用6機、補用2機[91]
  • 1934年(昭和9年)6月26日(内令兵24):九〇式二号偵察機二型 常用6機、補用2機、一四式三号水上偵察機 常用2機[92]
  • 1934年(昭和9年)12月3日(内令兵54):九〇式二号偵察機二型 常用8機、補用3機[93]
  • 1935年(昭和10年)5月7日(内令兵16):九〇式二号偵察機二型(一部「一四式三号水上偵察機」) 常用8機、補用3機[94]

1938年(昭和13年)の南支方面出撃時には九四式水上偵察機九五式水上偵察機が合わせて8機から9機搭載された[46][95]

マーキングは飛行機の呼称番号として「モ」が1936年に制定された[96]

艦歴[編集]

太平洋戦争以前[編集]

1920年(大正8年)12月7日、日本海軍は大正9年度建造予定の特務艦を「神威(カモヰ)」と命名する[20]。同月24日、運送艦に類別される[3]1921年(大正9年)9月14日、神威はニューヨークシップビルヂング会社アメリカ合衆国カムデン市)で起工[9]。当時のニューヨーク造船所では、レキシントン級巡洋戦艦2番艦サラトガを建造していた(1920年9月25日、起工。建造中に空母へ改造)[97]1922年(大正10年)6月8日、神威は進水[10]。 同年9月12日、竣工して日本側に引き渡される[11][98]。9月27日、神威はニューヨークに到着[99][100]。10月2日、ニューヨークを出発[101]。翌日、ノーフォーク[102]。10月5日、出発[103]。太平洋を横断し、12月10日に徳山(瀬戸内海)到着[29][104]。13日に徳山を出発[105]。12月15日、神威は長門金剛三笠等、日本海軍の主力艦艇が多数停泊する横須賀に到着した[31][32]

1932年(昭和7年)秋より、神威は浦賀船渠で水上機母艦に改造された[24]1933年(昭和8年)2月に改造完成後、ただちに中国大陸方面に出動した[24]1934年(昭和9年)6月1日、軍艦籍に編入[23]。水上機母艦に類別される[4]。横須賀鎮守府籍[98]。連合艦隊附属に編入[98]。艦首には菊花御紋章も装着された[24]1935年(昭和10年)11月15日、予備艦となる[98]

1936年(昭和11年)6月1日[98]、日本海軍は、神威および第28駆逐隊(夕凪朝凪)により第三航空戦隊を編成する[106][107]。中部太平洋諸島への調査航海に向かった。 同年12月1日、第三航空戦隊は第十二戦隊(連合艦隊麾下)[98]に改編される形で解隊[108][109]。第十二戦隊の所属艦は軍艦2隻(敷設艦《沖島[110][108]、水上機母艦《神威》)[98]と第28駆逐隊(夕凪、朝凪)である[109]

1937年(昭和12年)7月28日、第十二戦隊は第三艦隊所属となる[98]。同時期、支那事変勃発により情勢は緊迫[24]。 同年8月27日、日本海軍は神威と第28駆逐隊(朝凪、夕凪)により、再び第三航空戦隊を編制[111]。神威は中国大陸に進出した[24]。 9月18日、水上機母艦香久丸が第三航空戦隊に加わる[112]。 10月20日、第28駆逐隊は佐世保警備戦隊に編入され、第三航空戦隊から外れた[113]。また水上機母艦(元知床型給油艦能登呂が第三航空戦隊に編入[114]。三航戦は水上機母艦3隻(神威、能登呂、香久丸)となり、第四艦隊に所属した。

同年12月1日、能登呂は新編の第四航空戦隊(司令官鮫島具重少将)[115]に編入され[114][116]、三航戦から除かれた。同時に、貨客船を改造した水上機母艦神川丸が第三航空戦隊に編入[117]。水上機母艦3隻(神威、香久丸、神川丸)を揃えた[117]。旗艦は神威や香久丸に置かれた[118][119][120]

1938年(昭和13年)7月1日、神川丸は第三艦隊附属となる[117]。8月1日、第四航空戦隊が解隊され[121]、同航空戦隊所属だった能登呂は第三航空戦隊に復帰[114][122]。3隻編制(神威、能登呂、香久丸)となる[123]。 12月上旬、神威は横須賀に帰投する[24]。 12月15日、第三航空戦隊は解隊[124]。神威と能登呂は予備艦となった[98][114]。香久丸は解傭された[112]

1939年(昭和14年)上旬、神威は飛行艇母艦に改造された[24]。11月15日、第十七戦隊(第四艦隊)に編入[98]。同年12月1日、舞鶴鎮守府籍[98]1940年(昭和15年)11月15日、連合艦隊附属の第4連合航空隊に編入[98]1941年(昭和16年)1月15日、第二十四航空戦隊(第十一航空艦隊麾下)に編入される[98]

太平洋戦争前半[編集]

1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争開戦時、神威は引続き第二十四航空戦隊に所属しており、マーシャル諸島方面で行動した[98][125]1942年(昭和17年)1月中旬よりラバウルニューブリテン島)攻略作戦に参加[98][125]。 4月、マーシャル諸島方面で行動[98]。5月下旬、ウォッゼでK作戦二式飛行艇による真珠湾偵察作戦)に協力[98]。この後、一旦内地に帰投する。6月27日、豊後水道を通過[126]。6月29日に舞鶴入港[127][128]。 舞鶴所在の損傷各艦(名取那珂薄雲大潮)等と共に、舞鶴海軍工廠で修理と整備をおこなった[129][130]。 爆雷兵装[131][132]、 航空機[133][134]、 通信機[135][136]等の改修工事を実施。 7月18日、舞鶴海軍工廠では駆逐艦島風が進水[130][137]。翌日、神威は石炭を補給[138]。 7月24日、舞鶴を出撃、ルオットに向かった[125][136]。 8月上旬より、マーシャル諸島方面で行動[98]。12月下旬からは、第二十四航空戦隊のルオットより木更津への輸送作戦に従事した[98][125]

1943年(昭和18年)1月19日、神威は深島大分県)に到着[139][140]。 1月25日、呉を出港[98]。豊後水道を通過して南西方面へ進出[141][142]、輸送作戦に従事する[125]。 8月25日から9月3日までシンガポールで整備を行う[98]。その後も南西方面での輸送任務に従事した[98]

太平洋戦争後半[編集]

1944年(昭和19年)1月28日、神威はマカッサル海峡で米潜水艦(ボーフィン)の雷撃を受け、大破[125][143]。 2月1日、シンガポール入港[98]。第101工作部により修理を実施した[143]。この修理期間中に、水上機母艦施設を撤去[98]。4月15日、軍艦籍より除籍、水上機母艦から特務艦(給油艦)に類別変更される[5][144]。連合艦隊附属となる[144][145]。8月25日より、南西方面艦隊に再編入[146]。8月31日、応急修理完成[143]

9月6日[147][148]、 神威艦長清水他喜雄大佐指揮下の神威船団[149](神威[150]旭東丸[151]興川丸[150]、駆逐艦皐月《第30駆逐隊》、駆潜艇《第30号、第33号》)はシンガポールを出撃する[150][152]。 ミリ泊地[147][153]、 ブルネイ[147][148]パラワン島のボアヤン[148][154](同地で皐月に燃料補給)[155][156]等を経由。 9月20日[147][149]、神威船団はマニラに到着した[157][158]

当時、フィリピン東方では米軍機動部隊が行動中だった[159][160]9月21日、米軍機動部隊艦載機はマニラへ空襲を敢行[161]。神威と行動を共にしてきた旭東丸や皐月が沈没[151][162]。他に、マニラ停泊中や近海行動中の艦艇は大損害を受けた[161][163]。神威も至近弾と機銃掃射を受けて小破した(戦死1名、負傷1名)[164][165]。 日本軍上級司令部は、マニラ在泊の艦艇にコロン湾(コロン島)への退避を下令[166][167]。 神威艦長指揮下、各艦はマニラからコロン湾に移動する[168][169]。9月22日にコロン湾着後[170]、神威工作科は興川丸の修理に着手した[169]9月24日、米軍機動部隊艦載機はフィリピン各地を襲撃する[166]。コロン島に来襲した米軍機は水上機母艦秋津洲[171][172](艦長藤牧美徳大佐)[173]、給糧艦伊良湖[174]、興川丸[175]等を撃沈した[166]。神威は退避に成功したが、爆弾1発が命中[172][176]。戦死十数名、重軽傷者多数を出した[177][178]

9月25日、洋上退避中の神威は、マニラ帰投を命じられた[179]。 9月27日早朝、北緯13度52分 東経119度32分 / 北緯13.867度 東経119.533度 / 13.867; 119.533地点を航行中の神威は、米潜水艦(ボーンフィッシュ)に雷撃される[180]。魚雷2本が命中して大火災となり、再び大破した[181][182]。被雷時点の戦死者11名、行方不明1名、重軽傷26名[183][184]。 同日夕刻、3隻(神威、駆潜30、駆潜31)はマニラに到着した[185][186]

10月3日、3隻(神威、駆潜30、33号)はマニラを出撃する[187]。途中でマタ28船団と合流[188][189]。 10月11日、神威およびマタ28船団は香港に到着[190][191]。香港停泊中も対空戦闘に参加した[192]。 10月21日、神威はホモ01船団に加わり、香港を出発(護衛艦、駆逐艦朝顔他)[193][194]。 11月1日、神威はホモ01船団より分離する[195] 11月2日、神威は神戸港に到着[196][197]。大阪湾や伊勢湾を経由して、11月9日に横須賀港へ帰投した[198][199]。損傷部分の修理を実施する[200]

12月5日附で、清水他喜雄大佐(神威特務艦長)は横須賀鎮守府附となる(12月8日、退艦)[201][202]。秋津洲沈没時の同艦艦長だった藤牧美徳大佐が[173]、神威特務艦長として着任する(12月8日、着任)[202][203]。 12月22日、修理を終えた神威は横須賀を出港[200][204]。空母信濃(前月28日、横須賀出港)[205]のように沖合航路を取らず、清水港や伊勢湾等を経由して、12月26日に呉へ入港した[206]。続いて門司(北九州)に回航された[200]

ヒ87船団[編集]

1944年(昭和19年)12月31日、神威はヒ87船団旗艦として内地を出撃[207]、南方に向かった[200][208]。ヒ87船団は、指揮官駒沢克己少将(旗艦神威)、タンカー(天栄丸、さらわく丸、松島丸、光島丸、黒潮丸、宗像丸、海邦丸)、貨物船(辰和丸)、空母龍鳳(特攻兵器桜花輸送任務)、駆逐艦4隻(旗風時雨浜風〔第17駆逐隊司令新谷喜一大佐〕、磯風)、海防艦(御蔵屋代倉橋第十三号海防艦)で編成されていた[209]

1945年(昭和20年)1月5日、米潜水艦ピクーダの雷撃で宗像丸が大破、船団から離脱した(倉橋も護衛のため離脱)[209][210]。つづいて濃霧により2隻(海邦丸、浜風)が衝突事故を起こし、2隻とも船団から離脱した(海邦丸は機関故障による)[211]。桜花輸送任務を終えた龍鳳と護衛の磯風も、内地に帰投した。

1月8日、ヒ87船団は高雄港(台湾)に避退[207]。1月9日に米軍機動部隊艦載機の空襲を受け、海防艦複数隻が損傷[212][213]。続いて神威も直撃弾を受け炎上[214][215]。戦死者3名、重軽傷3名を出すが、この時点では戦闘航海可能だった[216]。 ヒ87船団は旗艦を神威[217]から干珠に変更。護衛部隊に海防艦三宅第二〇五号海防艦等を加えるなど[218][219]、船団編成を若干変更した[220][221]

1月13日、ヒ87船団は香港に入港[219][222]。1月15日と16日、米軍機動部隊艦載機は香港を襲撃する[144][223]。15日の空襲で神威は被害を受けなかったが、16日の空襲で直撃弾4発を受け大破[224][225]。戦死者多数(神威41名、便乗者79名)を出した[225]。ヒ87船団各船は大損害を受け、無傷のタンカーはさらわく丸のみとなる[226]。同日、残弾不足となった三宅は炎上中の神威に乗組員を派遣、25mm機銃の弾薬を調達した[226]。 損傷した3隻(神威、天栄丸[227]、松島丸[228])や、別船団護衛の各海防艦は、ヒ87船団から除かれる[221][229]。時雨以下のヒ87船団は、シンガポールに向かった(時雨は1月24日に沈没)[221][230]

2月と3月、神威は香港で修理を実施[231]。 4月、神威は空襲を受けて損傷、大破した。4月25日、藤牧大佐(神威特務艦長)は職務を解かれる[232]。 その状態で香港に放置され、終戦を迎えた[144]

年表[編集]

  • 1922年9月12日 - ニューヨーク・シップビルジング社にて竣工[98]
    • 12月15日 - 横須賀到着[31]
  • 1932年8月 - 翌年2月 浦賀船渠にて水上機母艦への改装工事
  • 1934年6月1日 - 軍艦籍に編入され水上機母艦に類別[4]
  • 1937年7日 - 南太平洋において遭難したアメリア・イアハート機の捜索に協力
  • 1939年 - 飛行艇母艦へ改装、搭載機を降ろす
  • 1944年 - 1月28日 アメリカ潜水艦ボーフィン(SS-287)の雷撃を受け大破[143]
    • 2月1日 - シンガポール入港、修理と同時に母艦設備を撤去
    • 4月15日 - 特務艦に編入され運送艦に類別[5]
    • 9月6日 - シンガポール発[233]
    • 9月20日 - マニラ着[234]
    • 9月21日 - マニラ湾で空襲を受け損傷(同戦闘で皐月他沈没)[165]
    • 9月24日 - コロン湾で爆撃を受け損傷(同湾で秋津洲沈没)[172]
    • 9月27日 - マニラ湾外で米潜水艦ボーンフィッシュ(SS-223)の雷撃を受け大破[181]
    • 10月11日 - 香港着[235]
    • 11月2日 - 神戸着[197]。9日、横須賀着[199]
    • 12月22日 - 横須賀出発[200]。12月31日、門司出撃[200]
  • 1945年1月1日 - ヒ87船団旗艦として行動。
    • 1月9日 - 高雄港(台湾)で空襲を受け小破[216]
    • 1月16日 - 香港在泊中に爆弾4発を受け大破[224]
    • 4月5日 香港で修理中に爆撃を受け大破[24]
    • 4月13日 浸水により着底
    • 5月10日 舞鶴鎮守府第四予備特務艦に定められる[236]
  • 1947年5月3日 除籍[98]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』187-189頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

艤装員長[編集]

  1. 村瀬貞次郎 大佐:1921年12月1日 - 1922年9月12日

艦長[編集]

特務艦長
  1. 村瀬貞次郎 大佐:特務艦長 1922年9月12日 - 1923年1月20日
  2. 中山鞆信 大佐:1923年1月20日 - 1923年10月20日[237]
  3. (心得)平山栄 中佐:1923年10月20日[237] - 1924年5月1日[238]
  4. (心得)広田穣 中佐:1924年5月1日 - 不祥
  5. 広田穣 中佐:不詳 - 1924年10月25日[239]
  6. 武久完 中佐:1924年10月25日 - 1925年5月9日[240]
  7. 阿武清 大佐:1925年5月9日 - 1925年10月20日[241]
  8. 高木平次 大佐:1925年10月20日[241] - 1926年5月20日[242]
  9. 松井利三郎 大佐:1926年5月20日 - 1926年11月1日
  10. 石川真吾 大佐:1926年11月1日 - 1927年6月25日[243]
  11. 小檜山真二 大佐:1927年6月25日 - 1927年12月1日
  12. 藤岡晴次 大佐:1927年12月1日 - 1928年12月4日[244]
  13. 柴山昌生 中佐:1928年12月4日[244] - 1929年12月7日[245]
  14. 村田章一 大佐:1929年12月7日[245] - 1930年12月1日[246]
  15. 杉浦信平 中佐:1930年12月1日 - 1931年4月1日
  16. 本田源三 中佐:1931年4月1日 - 1932年1月25日[247]
  17. 北條釐三郎 大佐:1932年1月25日 - 1932年11月15日
  18. 竹田六吉 大佐:1932年11月15日 - 1933年10月20日
  19. 寺田幸吉 大佐:1933年10月20日 - 1934年6月1日[248]
艦長
  1. 寺田幸吉 大佐:1934年6月1日[248] - 1934年11月15日
  2. 丹羽正躬 大佐:1934年11月15日 - 1935年11月15日
  3. 奥田喜久司 大佐:1935年11月15日 - 1936年11月2日[249]
  4. 上阪香苗 大佐:1936年11月2日 - 1938年3月22日[250]
  5. 岩淵三次 大佐:1938年3月22日 - 1938年8月25日
  6. 松田千秋 大佐:1938年8月25日 - 1939年1月14日
  7. (兼)森友一 大佐:1939年1月14日 - 1939年7月20日
  8. (兼)橋本愛次 大佐:1939年7月20日 - 1939年11月15日[251]
  9. 服部勝二 大佐:1939年11月15日 - 1940年11月15日
  10. 古川保 大佐:1940年11月15日 - 1941年7月1日
  11. 伊藤徳堯 大佐:1941年7月1日 - 1941年8月20日[252]
  12. 長谷部喜蔵 大佐:1941年8月20日 -
  13. 山崎助一 大佐:1942年8月7日 - 1943年5月3日
  14. 清水他喜雄 大佐:1943年5月3日 - 1944年4月15日[253]
特務艦長
  1. 清水他喜雄 大佐:1944年4月15日[253] - 1944年12月5日[202]
  2. 藤牧美徳 大佐:1944年12月5日[202] - 1945年4月25日[232]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ #特務艦神威製造一件画像10-11では18日に契約とある。
  2. ^ #帝国海軍機関史では「バブコツクウヰルコツクス罐4臺」と明記しているのに対し、#昭和11年12月1日内令提要原稿/機密保護画像1、艦船要目公表範囲では「ヤーロー式4」、#戦史叢書31海軍軍戦備1付表では「ヤロー型混焼四」とする。また#特務艦要目(大正十三年十一月調)では「ロ號艦本式四」としている。#終戦時の日本海軍艦艇p.96ではボイラー2基とだけしている
  3. ^ #日本航空母艦史p.112など、当時の写真から砲の搭載は確認できない。
  4. ^ #特務艦要目画像5-18「特務艦要目表(大正十三年十一月調) 海軍省軍務局」では『四十口径八年式高角砲』となっているが『四十口径八糎高角砲』の間違いと思われる。
  5. ^ 当時の文献では「神」は異体字の「示」に「申」の『神』を使っている。ここでは現在一般的な『神』を使用する。
  6. ^ 魚雷艇をのぞく。また太平洋戦争中の日本海軍は、ドイツで建造された空母神鷹《改造当初は電気推進式艦》や、鹵獲艦艇の第102号哨戒艇《元アメリカ駆逐艦スチュアート》等の海外建造艦艇を保有した。
  7. ^ 蒸気タービン発電機を回し、発生した電力スクリューに繋いだモーターを回す仕組み。
  8. ^ 写真では14cm砲の搭載は確認できず、#海軍艦艇史3p.229右下の1941年夏の写真に搭載が確認される。

出典[編集]

  1. ^ #海軍艦艇史3p.224
  2. ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.265-272
  3. ^ a b c 大正9年12月24日付 達第243号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070077900  『特務艦類別等級別表中「鶴見」ノ次ニ「、神威」ヲ加フ』
  4. ^ a b c d e #海軍制度沿革巻八p.96『昭和九年六月一日(内令二一八) 艦艇艦類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦、航空母艦ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ | 水上機母艦 | | | 能登呂、神威 |』
  5. ^ a b c d 昭和19年4月15日付 内令第548号および同第549号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070196500  『内令第五百四十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年四月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎  軍艦、水上機母艦ノ項中「、神威」ヲ削ル(以下略)』『内令第五百四十九號 特務艦類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年四月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎  運送艦ノ部中穏戸型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ | | 神威 |』
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y #特務艦要目画像5-18「特務艦要目表(大正十三年十一月調) 海軍省軍務局」
  7. ^ #昭和14年12月25日内令提要原稿/艦船(1)画像12『艦艇、特務艦本籍別一覧表 昭和十四年十二月二十五日調』
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p #帝国海軍機関史下巻pp.654-658(五三六-五四〇頁)
  9. ^ a b #大正10年公文備考巻26/試験(2)画像32
  10. ^ a b #大正11年公文備考巻33の2/附回船一件(2)画像14
  11. ^ a b #大正11年公文備考巻33の2/附回船一件(3)画像11
  12. ^ 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.7
  13. ^ a b c d e f g h i #大正11年公文備考巻33の2/附回船一件(6)画像9『特務艦神威及仝艦(タルビン)電機式推進機關主要目(神威觀覧者ヘ配布ノモノ)』
  14. ^ a b c #海軍造船技術概要p.1726
  15. ^ #帝国海軍機関史別冊、22表
  16. ^ #海軍制度沿革巻十の2p.622『大正十一年九月十二日(内令三〇六) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 附表ノ通運送艦定員表其五ヲ加フ(表省略)』士官12人、特務士官2人、准士官2人、下士官32人、兵133人
  17. ^ #帝国海軍機関史下巻p.656(五三八頁)。計182名の記載があるが、内訳『艦長1、航海長1、機関長1、士官及特務士官9、軍医長1、主計長1、准士官3、下士官32、兵132』を合計すると181名、傭人などの記載は特にない。
  18. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第二その三「大正十二年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務艦」
  19. ^ a b c d #日本航空母艦史p.112
  20. ^ a b 大正9年12月7日付 達第235号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070077900  『軍備補充費ヲ以テ大正九年度ニ於テ建造ニ著手スヘキ特務艦一隻ニ左ノ通命名ス 神威 カモヰ』
  21. ^ 海軍協会編、「運送艦 神威」 『軍艦写真帖』 海軍協会、1930年5月http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1218085/115 
  22. ^ 日本軍艦集2600年版コマ62(原本94頁)『―水上機母艦―神威(かもゐ) 基準排水量17,000噸、長さ151.18米、幅20.42米、平均吃水8.43米、速力15節、備砲14糎砲2門、8糎高射砲2門、起工大正10年9月14日、進水大正11年6月8日、竣工大正11年9月12日、建造所紐育造船會社 ― 新鋭艦に昭和13年7月25日呉海軍工廠で竣工した千歳(9,000噸、12.7糎高角砲4門)がある。』
  23. ^ a b c d e f 幕末以降帝国海軍軍艦写真と史実コマ118(原本190頁)『神威(かもゐ) 艦種 水上機母艦  艦名考 岬名なり、後志國神威岬に採る、神威岬は方俗古來オカムイと云ふ。  艦歴 此艦は所謂米國式の實費計算に據り米國へ註文したるものにして、我海軍に於て目下電氣推進による唯一の船なり。大正11年12月15日横須賀着。元特務艦(運送船)なりしも、昭和9年6月1日軍艦に編入、水上機母艦となる。昭和6・7年事變(日支)從軍:同8年2月熱河方面作戰に協力(艦長大佐竹田六吉)  ―要目― 長さ 151.18米/幅 20.42米/吃水 8.43米/排水量 17,000噸/機關 電氣推進2軸/馬力 8,000/速力 15節/兵装 14糎砲2門 8糎高角砲2門/起工 大正10-9-14/進水 同11-6-8/竣工 同11-9-12/建造所 紐育シップビルヂング社』
  24. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 日本空母物語358-361頁『かも
  25. ^ #日本海軍艦船名考pp.258-259
  26. ^ 児童百科大事典、国防篇コマ171-172(原本303-304頁)『(中略)アメリカ海軍の電氣推進法に、常に注意を拂ひ研究を進めてゐたわが海軍は、大正十一年九月に海軍給油船「神威」をアメリカで建造したのが電氣推進艦の最初である。(以下略)』
  27. ^ 軍艦帖 海と船の写真帖コマ65『神威 本艦は米國から最近に買った艦で、米國の得意とする電氣推進器を備へて居ります。別表の如く我が國には運送艦が二十隻もありますが、之が重油を運搬する爲に用ゐるのであります。我が國に重油の少い事は諸君が考ふ可きで、物資の節約は心懸く可き事です。』
  28. ^ 大正121年12月9日(土)海軍公報第3051号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070284000 pp.16-18『○艦船所在○十二月九日午前十時調【航海中】神威(十一月二十三日「ホノルル」發徳山へ)』
  29. ^ a b #T11.12艦船行動簿p.11『十二月十日|神威|徳山|』
  30. ^ #T11.12艦船行動簿p.14『十二月十三日|神威| |徳山|横ス賀|』
  31. ^ a b c #T11.12艦船行動簿p.14『十二月十五日|神威|着:横ス賀|記事:前一〇-二〇|』
  32. ^ a b 大正12年12月16日(土)海軍公報第3057号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070284100 pp.1-2『○艦船所在○十二月十六日午前十時調【横須賀】(長官)長門、(旗艦)筑摩満州、(長官)金剛▲、(旗艦)北上山城阿蘇加賀安藝薩摩榛名鳳翔若宮朝日三笠八雲▲、春日千早、(司令)野風沼風波風、(司令)峯風澤風沖風矢風、(司令)太刀風帆風▲、夕風▲、汐風、(司令)灘風秋風▲、羽風島風▲、(司令)夕立白露三日月▲、夕暮▲、(司令)春風初春初雪、(司令)如月神風初霜吹雪有明浦風夕凪時雨、(司令)潜九、潜八、(司令)潜一四、潜一五、(司令)潜二九▲、潜二八▲、潜三〇▲、(司令)潜四〇、潜三八、潜三九、(司令)潜四七、潜四六、潜四一、潜五八、(司令)関東武藏松江富士神威
  33. ^ #海軍艦艇史3p.227上の写真及び解説
  34. ^ a b #昭和11年12月1日内令提要原稿/機密保護画像1、艦船要目公表範囲
  35. ^ #昭和造船史1pp.794-795
  36. ^ a b c d #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その一「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦、駆逐艦」
  37. ^ 写真日本の軍艦第4巻p.162
  38. ^ #海軍制度沿革巻十の2p.730『昭和九年六月一日(内令二二二) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 水上機母艦定員表ヲ別表ノ如ク定ム(以下略)』士官19人、特務士官4人、准士官11人、下士官74人、兵227人
  39. ^ a b c d e f g h i j k l m n #海軍造船技術概要p.744
  40. ^ a b #特務艦神威の改造に関する件画像2
  41. ^ a b c d e f g h #海軍造船技術概要p.743
  42. ^ #達大正9年4月p.1『達第三十八號 艦艇類別標準中左ノ通改正ス 大正九年四月一日 海軍大臣 加藤友三郎  巡洋艦一等ノ欄内「阿蘇、」同二等ノ欄内「津輕、」ヲ削ル 海防艦二等ノ欄内「韓崎、駒橋、若宮」ヲ削ル 巡洋艦ノ欄ノ次ニ左ノ如ク加フ |航空母艦| |若宮|/水雷母艦| |韓崎、駒橋|/敷設艦| |阿蘇、津輕、勝力|』
  43. ^ 日本空母物語339-340頁『水上機母艦の発足』
  44. ^ a b c d 日本空母物語341-342頁『空母時代の水上機母艦 」
  45. ^ a b c 写真日本の軍艦第4巻p.160
  46. ^ a b c d e f 写真日本の軍艦第4巻p.161
  47. ^ #海軍造船技術概要p.745
  48. ^ #海軍造船技術概要p.742
  49. ^ 写真日本の軍艦第4巻p.185下の写真解説
  50. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(2)p.12『三〇日二〇三五 神威特務艦長|GKF長官(1KF長官 一〇一工作部長)|神威機密第三〇二〇三五番電 一、二十九日諸公試終了/二、彈藥庫、重油タンク同隣接諸倉庫竝ニ外鈑隔壁等ニ漏洩尠カラズ工事完了迄尚数日ヲ要ス/最大速力一五節、常用速力一三節/四、工事完了後行動開始前彈燃料搭載ノ爲少クモ三日間ヲ要ス|無電』
  51. ^ #特務艦神威の改造に関する件画像1『軍務機密第二一四號 昭和七年七月五日 軍務局長 横鎮参謀長宛 特務艦神威ノ改造ニ関スル件内報 (本文略)』
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  58. ^ #特務艦神威の改造に関する件画像5、『「ロンドン」條約 第八條(八)、(九)』
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  69. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(1)画像14、昭和19年4月28日発、艦本機密第282019番電、101工作部長宛「神威ニ関シ給油装置ハ横曳ノミトシ出来得ル限リ工事ノ促進ヲ計ラレ度」
  70. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(2)画像12、(一)船体の損傷の処置欄「第百一工作部ニテ修理八月三十一日完成(但シ若干漏洩部有リ)」
  71. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(2)画像11-12、昭和19年8月30日発、神威機密第302035番電「一.二十九日諸公試終了 二.弾薬庫、重油タンク同隣接諸倉庫並ニ外板隔壁等ニ漏洩甚少カラズ工事完了迄尚数日ヲ要ス 三.最大速力一五節、常用速力一三節 四.工事完了後行動開始前弾薬燃料搭載ノ為少クモ三日間ヲ要ス」
  72. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(2)画像61、特務艦神威戦闘詳報第6号、5.我が兵力の現状。
  73. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(1)画像11-12、昭和19年4月6日発、101工機密第061855番電、艦本総務部長宛「貴機密第二七二〇四三番電関連 神威工事完成期六月末日ニ繰上ノ豫定ニ付二十五粍三連装機銃五基及簡単式探照燈管制器二個急送ノコトニ取計ハレ度 発送期返」。同画像13、昭和19年4月16日発、神威機密第101759番電、艦本総務部長宛「二十五粍三連装機銃五基装備ニ伴ヒ六糎高角双眼望遠鏡五個装備方御取計ヲ得度」。
  74. ^ a b #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(3)画像21、戦闘詳報第8号、4.戦果及被害、(2)被害、(ハ)兵器、(3)機雷兵器「九三式水中聴音機並ニ電路破損使用不能 九五式爆雷三個投棄処分」
  75. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(1)画像10-11、昭和19年4月2日発、舞廠機密第021642番電、101工作部長宛「貴機密第一六一九〇一番電関連 左ノ装備工事施工方委託装備兵器(大鳳便予定)図面(航空便)発送済 一.官房機密第九二五號二号無線電話機(兵器ハ呉需ヨリ直送) 二.官房機密第五一四一號応急燈(兵器ハ舞需ヨリ発送済) 尚官房機密第五二八六號九三式水中聴音機ハ訓令ニ依リ貴部ニテ施行サレ度(装備兵器発送済)」
  76. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(2)画像3、昭和19年8月の神威戦時日誌、一.作戦経過の概要、29日の経過概要欄「重心公試 砲熕公試 水中聴音機公試 配置教育」
  77. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(1)画像48、昭和19年7月19日発、神威機密第191745番電「戦訓ニ鑑ミ今次船体改修期ニ更ニ二十五粍単装機銃(十二基)増備方御取計ヲ得度」
  78. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(1)画像48、昭和19年7月29日発、艦本機密第291627番電「神威機密第一九一七四五番電返 兵器準備上今期ハ三連装五基ノミトセラル」
  79. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(3)画像13-23、特務艦神威戦闘詳報第8号
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  81. ^ a b #海軍艦艇史3p.230の写真4枚および右下写真への書き込み
  82. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(4)画像12、昭和19年12月神威戦時日誌、(ハ)主要兵器改造修理新設 1.砲術科
  83. ^ a b #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(4)画像13、(ハ)主要兵器改造修理新設 1.砲術科、2.機雷科
  84. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(4)画像14、昭和19年12月神威戦時日誌、(二)主要兵器の消耗及補給、2.内務科
  85. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(5)画像36、昭和20年2月神威戦時日誌、(二)兵器、(ハ)主要兵器の改造修理新設 通信科「E-27電波探知機用高周波ケーブル1個」
  86. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(4)画像15、昭和19年12月神威戦時日誌、(三)機関(ロ)主要機関の整備及使用(四)補機部の項目「第二内火艇機械」
  87. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(4)画像11、昭和19年12月神威戦時日誌、(イ)船体の損傷
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  97. ^ #ポケット海軍年鑑(1935)コマ119(原本220-221頁)『航空母艦"サラトガ Saratoga" 全要目{排水量33,000噸 速力33.25節 備砲20糎砲8門 12.7糎高角砲12門 搭載飛行機各種計79 起工1920年9月 竣工1927年11月 建造所ニューヨーク造船會社} 全長270.65米、幅32.30米、平均喫水7.35米。速力33節の軸馬力180,000馬力。以上の如く殆どが"レキシントン"と同要目である。尚この同型艦は共に備砲として上記の外に小砲12門を有してゐる。又共に水上機用のカタパルト(これは碇泊中發艦させるためのものである)1基を備へてゐる。 現代海戰に於て先づその緒を切るものは兩軍艦隊の最前線に於ける空中戰闘であり、これによつて制空權を握るものが戰勝の鍵を握るとさへ云はれてゐるから航空母艦の重要性は将來益々増大するであらう。』
  98. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 写真日本の軍艦第4巻pp.150-151『水上機母艦(能登呂・神威・千歳・千代田・瑞穂・日進・秋津洲)行動年表 ◆神威◆』
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  105. ^ 大正121年12月14日(木)海軍公報第3055号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070284000 pp.39-41『○艦船所在○十二月十四日午前十時調【航海中】神威(十三日徳山發横須賀へ)』
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  107. ^ #官房第3733号郵便p.3『昭和十一年八月五日 省副官 神奈川郵便局宛 艦船宛郵便物ニ関スル件依頼 第三航空戦隊司令部、軍隊神威及第二十八駆逐隊(夕凪、朝凪)南洋方面行動中該艦宛郵便物ハ貴局気付トシテ発送可致候ニ付テハ左記ニ依リ処理方可然御取計相成度 追テ同隊行郵便物ノ最終締切月日御通知ヲ得度 記 九月二日迄ニ到達見込ノモノハ ポナペ/九月二十八日 〃トラツク/十月十日 〃サイパン』
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  109. ^ a b #S11.11朝凪日誌(1)p.31『摘要 昭和十一年十二月一日付ヲ以テ昭和十一年度聯合艦隊編制ニ依リ第十二戰隊ニ編入セラル』
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  116. ^ 昭和12年12月7日(火)海軍公報(部内限)第2783号 p.10』 アジア歴史資料センター Ref.C12070369000 『○将旗掲揚 第四航空戰隊司令官ハ十二月五日将旗ヲ能登呂ニ掲揚セリ|第一根拠地隊指揮官ハ十二月五日将旗ヲ朝日ニ掲揚セリ』
  117. ^ a b c 写真日本の軍艦第4巻p.192『特設水上機母艦行動年表◆神川丸◆』
  118. ^ 昭和13年3月7日(月)海軍公報(部内限)第2854号 p.32』 アジア歴史資料センター Ref.C12070372000 『○旗艦變更 第三航空戰隊司令官ハ三月五日旗艦ヲ神威ヨリ香久丸ニ變更セリ』
  119. ^ 昭和13年5月3日(火)海軍公報(部内限)第2899号 p.10』 アジア歴史資料センター Ref.C12070373200 『○旗艦變更 第三航空戰隊司令官ハ四月三十日旗艦ヲ香久丸ヨリ神威ニ變更セリ』
  120. ^ 昭和13年12月14日(水)海軍公報(部内限)第3086号 p.21』 アジア歴史資料センター Ref.C12070376100 『○旗艦變更 第八戰隊司令官ハ十二月十二日旗艦ヲ那珂ヨリ由良ニ變更セリ|第三航空戰隊司令官ハ十二月十二日旗艦ヲ香久丸ヨリ神威ニ變更セリ』
  121. ^ 昭和13年8月3日(水)海軍公報(部内限)第2977号 pp.11-12』 アジア歴史資料センター Ref.C12070374400 『○将旗掲揚 第十三戰隊司令官ハ八月一日将旗ヲ球磨ニ掲揚セリ|○将旗撤去 第四航空戰隊司令官ハ八月一日将旗ヲ球磨ヨリ撤去セリ(略)第十三戰隊司令部、軍艦球磨、第十一掃海隊、第二砲艦隊宛 自今 佐世保郵便局氣付』
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  123. ^ 昭和13年12月5日(月)海軍公報(部内限)第3078号 p.16』 アジア歴史資料センター Ref.C12070376000 『○郵便物發送先 第三航空戰隊司令部、特設水上機母艦香久丸、軍艦神威、能登呂宛 自今 各所属軍港(以下略)』
  124. ^ 昭和13年12月19日(月)海軍公報(部内限)第3090号 p.46』 アジア歴史資料センター Ref.C12070376100 『○将旗撤去 第三航空戰隊司令官ハ十二月十五日将旗ヲ撤去セリ』
  125. ^ a b c d e f 補助艦艇奮戦記165頁『神威(かもい)』
  126. ^ #S16.12呉防戦日誌(2)p.71『二七(天候略)一.2Sd(15dg 18dg 初風欠)11Sf 15dg 豊後水道出撃掩護/二.呉防潜第二回對空教練射撃実施/三.神威 豊後水道入泊掩護』
  127. ^ #S17.06舞鎮日誌pp.10-11〔(b)艦隊 艦艇整備工事〕『名取工事=本月十七日入港整備工事中/三十一驅潜隊工事=本月二十七日入港直ニ工事着手セリ/神威工事=本月二十九日入港 〃』
  128. ^ #S17.06舞鎮日誌p.68『二九(天候略)神威 白山丸 球磨川丸}入港(以下略)』
  129. ^ #S17.06舞鎮日誌p.9〔(2)其ノ他ノ工事〕『(a)損傷復舊工事 薄雲工事=豫定通進捗中ニシテ七月末完成ノ豫定/大潮工事=目下現場調査作業豫定按畫中/那珂工事=損傷復舊竝ニ改装工事ノ爲本月二十一日入港セリ』
  130. ^ a b #S17.07舞鎮日誌(1)pp.7-8〔(3)其ノ他ノ工事〕『(a)損傷復舊工事 薄雲損傷復舊及特定修理工事ハ三十一日完成セリ 大潮工事ハ豫定表ニ基キ那珂工事ハ十八年四月末完成豫定ヲ一ヶ月繰上完成ノコトト豫定シ極力工事進捗中ナリ』『(b)艦船整備工事 名取(十日)神威(十八日)三十一驅潜隊(三十一日)呂六三潜(十七日)ノ整備工事ハ何レモ概ネ順調ニ進捗各附記ノ通完成作戰地ニ向ケ進出セリ 利根、筑摩ニ對スル整備工事ハ十六日入港以來極力進捗中』
  131. ^ #S17.07舞鎮日誌(2)p.15『八(天候略)工廠工事 神威爆雷兵装一部移装送信器増備各工事ニ着手外(以下略)』
  132. ^ #S17.07舞鎮日誌(2)p.17『一二(天候略)工廠工事 神威爆雷兵器一部移装測深儀換装各工事竣工』
  133. ^ #S17.07舞鎮日誌(2)p.16『一〇(天候略)工廠工事 二、神威航空機搭乗員酸素補給装置装備、無線兵器一部移装各工事着手外(以下略)』
  134. ^ #S17.07舞鎮日誌(2)p.24『二一(天候略)工廠工事(略)二、神威航空機搭乗員用酸素補給装置装備工事竣工(以下略)』
  135. ^ #S17.07舞鎮日誌(2)p.26『二三(天候略)工廠工事(略)二、神威送信機増備工事竣工』
  136. ^ a b #S17.07舞鎮日誌(2)p.26『二四(天候略)一三〇〇神威ルオットニ向ケ出港(略)|工廠工事(略)三、神威無線兵器一部移装工事竣工』
  137. ^ #S17.07舞鎮日誌(2)p.21『一八(天候略)(略)工廠工事 一、驅逐艦島風(一二五號艦)進水 二、神威主錨一部換装工事竣工|〇六〇八島風進水(舞廠) 軍務局高田大佐海軍制度改正ニ關スル講話』
  138. ^ #S17.07舞鎮日誌(2)p.22『一九(天候略)軍需品 一七、七、一八請求ニヨリ神威外一ヶ所ヘ石炭一,八〇〇噸供給 外供給件數二件(以下略)』
  139. ^ #S17.12呉防戦日誌(3)p.15〔(チ)一月中ニ於ケル重要船舶豊後水道出入竝ニ當防備戰隊ニテ護衛セル状況左ノ通〕『一九|神威|三七駆潜|土佐沖→深島|』
  140. ^ #S18.01佐防戦(2)p.28『一月十九日一二二〇 呉防戰司令官|驅潜三七艇長〔伯防司令 由利島艇長 伯空司令 呉鎭長官 神威艦長〕|電令作第十二號 一、神威一九日一二〇〇ノ位置潮岬灯台ノ一三五度三九浬 針路三五四度速力一〇.五節 二十日〇六〇〇足摺岬灯台ノ一八一度三四浬ヨリ針路三〇八度ノ予定(以下略)』
  141. ^ #S17.12呉防戦日誌(3)p.16〔(チ)一月中ニ於ケル重要船舶豊後水道出入竝ニ當防備戰隊ニテ護衛セル状況左ノ通〕『二六|神威|夏島|深島→都井埼90°線|』
  142. ^ #S17.12呉防戦日誌(3)p.68『二十五日二〇三五 呉防戰司令官|二十五日二三一五 伯防司令 夏島艇長 駆潜三七艇長 外連名|呉防戰機密第二五二〇三五八三番電 電令作第二〇號 一、神威二十六日一七一五深島ヲ南下台湾ニ向フ速力一一節/二、佐伯防司令ハ夏島ヲシテ深島ヨリ都井岬ノ九〇度線迄右直接護衛ニ任ゼシムベシ』
  143. ^ a b c d #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(2)p.12〔(一)船体ノ損傷〕『損傷部位:二十三番「ビーム」ヨリ前方(但シ二番「ビーム」ヨリ前方ヲ除ク)|情況:上甲板竝ニ「タンク」隔壁破壊/右舷十六番「ビーム」ヨリ二十番「ビーム」ニ至ル上下 八米前後 二十米 左舷四番「ビーム」ヨリ十二番「ビーム」ニ至ル上下 八米前後二十米ノ破孔ヲ生ズ|外鈑破壊浸水 } 原因:昭和十九年一月二十八 九日ノ敵潜ト交戰ニ依ル被害 } 處置:第百一工作部ニテ修理八月三十一日完成(但シ若干漏洩部有リ)』
  144. ^ a b c d 補助艦艇奮戦記286頁『神威(かもい/給油艦)』
  145. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(1)pp.5-6『一五|昭南軍港|(天候略)|南西方面艦隊附属ヲ解カル』
  146. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(2)p.11『二五日二〇二五 GF長官(宛略)GF機密第二五二〇二五番電 GF電令作第二八三號 八月二十五日附神威ヲGKFニ編入ス』
  147. ^ a b c d #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(2)p.52『(一)任務行動 第二南遣艦隊機密第〇四〇九四五番電(九月四日)ニ依リ一號重油及托送品飛行機用器材(發動機 一式陸攻輪体「プロペラ」其ノ他)ノ輸送ニ從事 九月六日武勲島発 九月八日「ミリ」假泊 九日同地発 同日「ブルネイ」假泊 十日同発 十一日「マバンカル岬沖」假泊 十二日同地発 同日「ボアヤン」着 菲島部隊機密第一八一四〇三番電ニ依リ待機ス 南西方面艦隊機密第一八四〇三番電ニ依リ(九月十八日)九月十八日「ボアヤン」発 同日「タランプラン」假泊 二十日同地発 同日二一二〇「マニラ」入港 「マニラ」南防波堤南灯台ノ二六三度三.二浬ニ錨泊地一一日二一一五 香港特根司令官(宛略)香港特根機密第一一二一一五番電 タ〇二船団四隻 護衛艦二隻 マタ二八船団四隻護衛艦五隻 神威 駆潜艇二隻香港着』
  148. ^ a b c #S19.06旭東丸(5)pp.16-17『一、計畫 GF電令作第三六九號及NSB電令作第五八〇〇號ニ依リ昭南ニ於テ重油搭載ノ上「マニラ」進出ノ豫定ニテ九月六日昭南ヲ出撃ス 當時ノ敵潜出現状況ニ鑑ミ「ボルネオ」北西岸「パラワン」西岸接航航路ヲ選定シ途中「ブルネイ」湾「ミリ」「パラワン」「ボァヤン」島泊地「コロン」湾假泊ノ上「マニラ」ニ進出セントス 途中敵機動部隊ノ出現ニ鑑ミ豫定ヲ変更シ九月十二日「ボァヤン」島泊地ニ警戒碇泊待機中ノ処 命ニ依リ九月十九日〇六五二同泊地発「コロン」湾ニ假泊九月二十日「マニラ」港外着翌二十一日〇七〇〇外港ニ転錨セリ』
  149. ^ a b #S19.06第30駆日誌(1)p.17『(一)任務企図 九月二十日二二〇〇「マニラ」湾ニ到着ヲ以テ神威船團護衛任務終了三十駆機密第 番電ニ依リ本艦特別任務ノ有無ニ關シ南西方面艦隊司令部ト連絡ノ上至急燃料補給後同月二十一日午後同地發二十一日早朝「マニラ」發ノ第三十駆逐隊ニ合同セントス』
  150. ^ a b c #S19.04-10興川丸p.45『二、計畫 興川丸ハ南西方面艦隊ノ命ニ依リ昭南ニ於テ左記物件搭載特務艦神威艦長輸送指揮ノ下ニ特務艦神威 旭東丸ト合同 皐月 三十、三十三駆潜艇護衛九月六日昭南出撃 敵潜避退ノ爲ボルネオ島及パラワン島切岸航行九月二十日二一三〇「マニラ」着荷役終了後昭南ニ囘航ヲ計畫シオレリ』
  151. ^ a b #S19.06旭東丸(4)p.4『一、経過 九月一日昭南着同月三日軍需部五十二號岸壁ニ横付重油及人員、托送品搭載ノ上同月六日マニラニ向ケ昭南發同月二十日マニラ着同月二十一日マニラ地区来襲ノ敵機ト交戰中、至近彈数発ヲ受ケ前部三分ノ一ヲ残シ沈坐、人員及托送品陸揚完了』
  152. ^ #S19.06旭東丸(4)p.10『水六|昭南/航海中|(天候略)|〇七四九 神威、旭東、興川丸船團ヲ編成 駆逐艦皐月、駆潜艇三〇號、三三號ノ護衛ヲ受ケ マニラ ニ向ケ昭南発|マニラ向』
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  221. ^ a b c #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(5)pp.15-16『1EF機密第一七二〇〇五番電 ヒ87船団ハ左ニ依リ行動スベシ 一.橋立丸、サワラク丸、倉橋、干珠、時雨、三宅ハ準備出来次第先任指揮官所定ニ依リ楡林経由昭南ニ向ケ発航セヨ/二.屋久、新南、能美、海六〇ハ應急修理ノ上第七護衛船団司令官指揮 高雄ニ囘航セヨ(船団ヨリ除ク)/三.海一三、海一四、海二〇五ハ先任艦長指揮 昭南ニ囘航セヨ(船団ヨリ除ク)/四.神威、天栄丸、松島丸ハ船団ヨリ除ク|無電』
  222. ^ #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(5)p.3『(一)任務行動 聨合艦隊電令第五七〇號ニ依リヒ八七船団ニ加入 昭南ニ向ケ回航中1EF機密第一二一三〇五番電ニ依リ一月十三日香港ニ避泊、A九番浮標ニ繋留』
  223. ^ 海防艦第205号戦記90-91頁『香港の対空戦闘』
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  225. ^ a b #S19.4.1-S20.3.31神威日誌詳報(5)pp.18-20『四 戰果及被害(十五日ハ戰果及被害ナシ)』
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参考文献[編集]

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    • 『大正11年7月25日~11年12月31日 艦船行動簿/艦船行動簿大正11年11月分』。Ref.C10100090300。
    • 『大正11年7月25日~11年12月31日 艦船行動簿/艦船行動簿大正11年12月分』。Ref.C10100090400。
    • 『大正14年 公文備考 巻42 艦船止/特務艦要目』。Ref.C08051419000。
    • 『昭和7年 公文備考 F 艦船 巻1の2/軍務1機密第214号 昭和7.7.5 特務艦神威の改造に関する件』。Ref.C05022081200。
    • 『昭和11年12月1日現在 10版 内令提要追録第1号原稿/巻1 追録/第6類 機密保護』。Ref.C13071968200。
    • 『昭和14年12月25日現在 10版 内令提要追録第6号原稿/巻2 追録/第13類 艦船(1)』。Ref.C13071987300。
    • 『大正9年 達 完/4月』。Ref.C12070077000。
    • 『昭和16年1月~4月 内令1巻/内令昭和16年4月(3)』。Ref.C12070150300。
    • 『第394番電 11.6.26機密第287番電神威委員会を一時転勤の件(1)』。Ref.C05034663900。
    • 『軍務2第183号 11.7.9郵便物発送先に関する件』。Ref.C05035344300。
    • 『官房第3733号 11.8.5艦船宛郵便物に関する件』。Ref.C05035344500。
    • 『三航戦機密第1号 11.6.11郵便物発送先の件』。Ref.C05035344800。
    • 『駆逐艦朝凪 昭和11年6月1日~8月31日(1)』。Ref.C11084304400。
    • 『駆逐艦朝凪 昭和11年6月1日~8月31日(2)』。Ref.C11084304500。
    • 『駆逐艦朝凪 昭和11年11月1日~昭和12年1月31日(1)』。Ref.C11084305400。
    • 『駆逐艦朝凪 昭和11年11月1日~昭和12年1月31日(2)』。Ref.C11084305500。
    • 『駆逐艦朝凪 昭和12年8月1日~8月31日』。Ref.C11084306600。
    • 『駆逐艦朝凪 昭和12年10月1日~10月31日』。Ref.C11084307200。
    • 『南支第5次作戦 軍艦加賀戦闘詳報 自昭和13年1月12日至昭和13年1月21日』。Ref.C14120556200。
    • 『揚子江空襲部隊戦闘詳報 其の2 第3航空戦隊司令部 自昭和13年8月1日至昭和13年8月31日』。Ref.C14120378600。
    • 『昭和16年12月1日~昭和17年6月31日 呉防備戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030366100。
    • 『昭和17年6月1日~昭和17年6月30日』。Ref.C08030354300。
    • 『昭和17年7月1日~昭和17年7月31日(1)』。Ref.C08030354400。
    • 『昭和17年7月1日~昭和17年7月31日(2)』。Ref.C08030354500。
    • 『昭和17年12月1日~昭和18年5月31日(3)』。Ref.C08030367300。
    • 『昭和18年1月1日~昭和18年1月25日 佐伯防備隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030402400。
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年12月13日 第30駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030149600。
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年12月13日 第30駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030149700。
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年9月30日 特設運送艦旭東丸戦時日誌(4)』。Ref.C08030644900。
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年9月30日 特設運送艦旭東丸戦時日誌(5)』。Ref.C08030645000。
    • 『昭和19年4月~昭和19年10月 特設給油船興川丸戦時日誌・特設給油船興川丸戦闘詳報第1号第2号』。Ref.C08030673900。
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030141600。
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030141700。
    • 『昭和18年3月8日~昭和18年5月30日』。Ref.C08030587200。
    • 『昭和19年4月1日~昭和20年3月31日 特務艦神威戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030587600。
    • 『昭和19年4月1日~昭和20年3月31日 特務艦神威戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030587700。
    • 『昭和19年4月1日~昭和20年3月31日 特務艦神威戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030587800。
    • 『昭和19年4月1日~昭和20年3月31日 特務艦神威戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030587900。
    • 『昭和19年4月1日~昭和20年3月31日 特務艦神威戦時日誌戦闘詳報(5)』。Ref.C08030588000。
    • 『昭和20年1月1日~昭和20年3月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030142000。
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年1月24日 第27駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。Ref.C08030148700。
    • 『昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030147100。
    • 『昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030147200。
  • 浅井将秀/編 『日本海軍艦船名考』 東京水交社1928年12月
  • 浅田博 「第五章 南号作戦」『海防艦三宅戦記 輸送船団を護衛せよ』 潮書房光人社〈光人社NF文庫〉、2013年9月(原著1985年)。ISBN 978-4-7698-2799-3
  • 江口晋 「第二部 命を削る護衛戦」『海防艦第二〇五号海戦記 知られざる船団護衛の死闘』 潮書房光人社〈光人社NF文庫〉、2014年9月(原著1994年)。ISBN 978-4-7698-2521-0
  • 『海軍制度沿革 巻八』明治百年史叢書 第180巻、海軍省/編、原書房、1971年10月(原著1941年)。
  • 『海軍制度沿革 巻九』明治百年史叢書 第181巻、海軍省/編、原書房、1972年3月(原著1941年)。
  • 『海軍制度沿革 巻十の2』明治百年史叢書 第183巻、海軍省/編、原書房、1972年4月(原著1940年)。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 『日本航空母艦史』世界の艦船 2011年1月号増刊 第736集(増刊第95集)、海人社、2010年12月
  • 手塚正己 「第二十八章 海上特攻」『軍艦武藏 下巻』 新潮社〈新潮文庫〉、2009年8月。ISBN 978-4-10-127772-1
  • 寺崎隆治ほか 『補助艦艇奮戦記 縁の下の力持ち支援艦艇の全貌と戦場の実情』 潮書房光人社、2016年6月。ISBN 978-4-7698-1620-1
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍補助艦艇戦歴一覧 水上機母艦、潜水母艦、敷設艦、一等輸送艦、二等輸送艦、敷設艇、電纜敷設艇、哨戒艇、駆潜艇、水雷艇、海防艦、砲艦、特務艦、全三三二隻の太平洋戦争/水上機母艦(七隻)/特務艦(四十二隻)
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • 『帝国海軍機関史』明治百年史叢書 第245巻、日本舶用機関史編集委員会/編、原書房、1975年11月
  • COMPILED BY SHIZUO FUKUI (1947-04-25). JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR. ADMINISTRATIVE DIVISION, SECOND DEMOBILIZATION BUREAU. (COMPILED BY 福井静夫『終戦時の日本海軍艦艇』第二復員局、1947年04月25日)
  • 福井静夫 『海軍艦艇史 3 航空母艦、水上機母艦、水雷・潜水母艦』 KKベストセラーズ、1982年4月ISBN 4-584-17023-1
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』 ベストセラーズ、1994年ISBN 4-584-17054-1
  • 福井静夫福井静夫著作集-軍艦七十五年回想記第七巻 日本空母物語』 光人社、1996年8月。ISBN 4-7698-0655-8
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』戦史叢書第31巻、朝雲新聞社1969年
  • 『海軍造船技術概要』 牧野茂福井静夫/編、今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4
  • 写真日本の軍艦 第4巻 空母II』 雑誌『』編集部/編、光人社、1989年10月ISBN 4-7698-0454-7
  • 官報

関連項目[編集]

  • 神鷹 (空母) - 元ドイツ商船シャルンホルスト。電気推進式機関を搭載していた。
  • 秋津洲 (水上機母艦) - 飛行艇母艦。同艦沈没時の藤牧美徳大佐は、神威最後の特務艦長。