龍田 (軽巡洋艦)

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龍田
龍田
竣工年の「龍田」(1919年8月25日、佐世保軍港)[1]
基本情報
建造所 佐世保海軍工廠[2]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 二等巡洋艦[3](軽巡洋艦)[4]
艦級 天龍型[5]
建造費 成立予算 4,550,000円[6]
母港 佐世保[7] → 舞鶴[8]
艦歴
計画 1915年度成立予算(八四艦隊案の一部)[6]
発注 1916年5月12日製造訓令[9]
起工 1917年7月24日[2][10]
進水 1918年5月29日[2][11]
竣工 1919年3月31日[2]
除籍 1944年5月10日[8]
最後 1944年3月13日戦没
要目
基準排水量 公表値 3,230トン[2]
常備排水量 3,495トン[12]、または3,499.5トン[13][注釈 1]
公表値 3,500トン[2]
1934年 3,647.8トン[14]
公試排水量 4,168.5トン(1919年5月26日)[15]
満載排水量 1934年 4677.5トン[14]
全長 468 ft 0 in (142.65 m)[16]
水線長 456.923 ft 0 in (139.27 m)[13]
垂線間長 440 ft 0 in (134.11 m)[16]
全幅 40 ft 9 in (12.42 m)[13][17]
または40 ft 6 in (12.34 m)[16]
深さ 24 ft 6 in (7.47 m)[16]
吃水 常備平均13 ft 0 in (3.96 m)[16]
ボイラー ロ号艦本式重油専焼水管缶大6基、小2基[18]
同石炭・重油混焼水管缶2基[18]
主機 ブラウン・カーチスオール・ギヤード・タービン(高低圧)3基[19]
推進 3軸 x 400rpm[18]
直径10 ft 0 in (3.05 m)[18]、ピッチ3.137m[20]
出力 58,690SHP[21]
速力 32.765ノット[21]
燃料 重油:920トン[16]
石炭:150トン[16]
航続距離 5,000カイリ / 14ノット[16]
乗員 竣工時定員337名[22]
1919年公表値 332名[17]
兵装 竣工時
50口径三年式14cm砲4基4門[23]
40口径8cm高角砲1門[23]
三年式機砲2挺[23]
六年式(53cm)3連装発射管2基6門[24]
四四式二号魚雷12本[24]
八一式爆雷投下台2基、4個載2基、手動1個載2基[24]
中型防雷具2基[24]
機雷投下軌道2条[24]
九三式機雷56個[12]
須式90cm探照燈 2基[25]
装甲 舷側:上部51mm(25.4mmHT鋼2枚)、下部63mm(25mm+38mmHT鋼)[26]
甲板:16-25mmHT鋼[27][注釈 2]
司令塔:51mmHT鋼[27]
搭載艇 30ft(フィート)内火艇1隻、30ftカッター3隻、27ft通船1隻、20ft通船1隻[28]
その他 信号符字:GQJT(竣工時)[29]
(無線電信)略符号:JLP[30]
公試排水量(メートル・トン)を除いてトンは英トン
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龍田(たつた)は、日本海軍の二等巡洋艦[3]天龍型の2番艦で[5]、「天龍」と共に日本海軍初の軽巡洋艦になる[4]。艦名は奈良県竜田川から名づけられた[31]。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目にあたる[31]

艦型[編集]

竣工時[編集]

竣工時の艦型は天龍型軽巡洋艦#艦型も参照。

天龍との識別点として、

  • 艦首旗竿の支柱は後方に付く(天龍は前方)[27]
  • 天龍は1番煙突左右に蒸気管が巻き付く(龍田は巻き付いていない)[27]
  • 後部マストは1本で構成されている(天龍は2本を繋げている)[27]

などがある。

竣工後[編集]

1923年(大正12年)4月[32]、3番砲の前方に方位測定室を設けて(方位測定用の)空中線を装備した[27]。 空中線の形状は短冊形(長方形)になっている(天龍は菱形)[27]

1932年(昭和7年)から翌年、または1935年(昭和10年)頃に魚雷発射管は移動式からその場で旋回する形に改め、装備位置が高められた[27][33]

1933年(昭和8年)4月16日から5月25日まで佐世保海軍工廠で改装を行った[32]。羅針艦橋の側壁を鋼製の固定式に改め、窓ガラスが設置された(従来はキャンパスで覆う形)[34][32]。 前面の側壁は垂直であり、天龍(上方が前方に出ている)との識別点になる[33]。 なお、天蓋はキャンパスのままだった[35]。 また前部マストを三脚式に改め(従来は単マスト)、マスト・トップを若干短縮し、クロスツリーを設けて保持する形に改めた[34]

1936年(昭和11年)11月10日から18日に艦橋周囲に防弾板を設置し、中国方面へ進出した[32]1937年(昭和12年)7月に[32]九三式13mm機銃2挺[36]が1番煙突前部の左右に1挺ずつ装備された[37]

龍田は1938年(昭和13年)12月15日に予備艦となり1940年(昭和15年)11月15日に艦隊に復帰(第18戦隊を編成)した間に[38] 羅針艦橋天蓋を固定化した[37]。 また同じ時期に方位測定用の空中線はループ型に変更された[39] (1937年(昭和12年)頃とする文献もある[33])。 混焼缶(ボイラー)は最後まで混焼缶のままとする文献と[33]、重油専焼化されたとする文献がある[39]。 なお、艦橋上の探照灯台ブルワークは前方に延長され、天龍との識別点になっている[33]

昭和16年度(1941年)の第18戦隊時には2番艦として1番煙突に2本の白線を描いていた[40]が、 開戦時には消された。

太平洋戦争時[編集]

開戦時の兵装は以下と推定される[41]

  • 三年式14cm砲4門
  • 三年式8cm高角砲1門
  • 九三式13mm単装機銃2挺
  • 三年式機銃2挺
  • 山ノ内5cm礼砲2門
  • 53cm3連装魚雷発射管2基
  • 六年式改二魚雷12本
  • 八一式爆雷投射機1基(または2基[注釈 3])
  • 爆雷投下台4基
  • 爆雷投下軌道2条
  • 九五式爆雷18個
  • 須式90cm探照灯2基
  • 舷外電路装備

開戦以後の変遷は以下のとおり[41]

  • トラック停泊中の1942年(昭和17年)1月3日から13日に爆雷投下台4基を増備と推定。
  • 同年2月19日から28日にトラックで5cm礼砲2門と13mm単装機銃2挺を撤去し、13mm機銃跡に25mm連装機銃2基を装備。
  • 舞鶴海軍工廠で同年5月24日から6月15日に3番煙突直後に25mm連装機銃2基を増備し、短艇の位置を前方に移動。前部マスト短縮。艦橋上の探照灯を1番煙突と2番煙突の間に移設。後部マスト直後の須式探照灯を九三式探照灯に換装。魚雷頭部に防弾板を装備。
  • 舞鶴海軍工廠で1943年(昭和18年)1月19日から3月24日に6.5mm機銃2挺を7.7mm機銃2挺に換装し艦橋上に装備。舷窓閉塞。艦橋測距儀の改造。
  • 1944年(昭和19年)2月10日から20日に播磨造船所で九三式水中聴音機装備。
  • 1943年から1944年に逆探装備。

1944年3月の最終時の兵装は以下と推定される[41]

  • 50口径三年式14cm砲4門
  • 40口径三年式8cm高角砲1門
  • 25mm連装機銃4基
  • 7.7mm機銃2挺
  • 53cm3連装発射管2基
  • 六年式改二魚雷12本
  • 八一式爆雷投射機1基(または2基)
  • 爆雷投下台手動4基、水圧4基
  • 爆雷20個以上
  • 機雷敷設軌道2条
  • 九六式90cm探照灯1基、須式90cm探照灯1基
  • 逆探装備、電探無し
  • 九三式水中聴音機
  • 舷外電路

艦歴[編集]

建造[編集]

八四艦隊案の一部として「長門」「谷風」など共に予算が成立した[6]。仮称艦名は「第2号小型巡洋艦」[42]1916年(大正5年)5月13日龍田(たつた)と命名される[43]1917年(大正6年)7月24日佐世保海軍工廠で起工[10]1918年(大正7年)5月29日午前10時進水[11]1919年(大正8年)3月31日に竣工した[2]

太平洋戦争まで[編集]

1920年(大正9年)、シベリア出兵に参加、船団護衛に従事した。 1923年(大正12年)の関東大震災ではその高速を活かし、呉から災害援助物資を満載して東京に急行した。

1924年(大正13年)3月19日には佐世保港外で演習中に第43潜水艦と衝突事故を起こした[44]。 この事故で第43潜水艦は沈没[44]、乗り組みの45名全員が死亡した[45][46]

1937年(昭和12年)7月8日から1938年(昭和13年)12月15日まで日中戦争中国沿岸で行動した。

太平洋戦争[編集]

1941年(昭和16年)9月1日、舞鶴を出港しトラックに進出、12月8日太平洋戦争の開始によりウェーク島攻略のため援護部隊としてクェゼリン環礁を出撃した。12月11日に行われたウェーク島攻略戦では日本軍は如月疾風と2隻の駆逐艦を失い作戦は失敗に終わった。12月21日、2度目のウェーク島攻略作戦のため龍田を含む攻略部隊はクェゼリン環礁を出撃した。22日から23日にかけて行われた戦いで日本軍はウェーク島を占領した。

1942年(昭和17年)1月、日本軍はビスマルク諸島ラバウルカビエンの攻略を開始した。龍田はカビエン攻略部隊として同型艦の天龍等と共に1月20日にトラックを出港した。カビエン攻略は22日に行われ無血占領された。

その後、龍田は3月8日に行われたニューギニア島ラエサラモア攻略作戦などを支援した。

6月にはポートモレスビー攻略作戦のため出撃したが珊瑚海海戦の結果作戦は中止された。

その後はガダルカナル島ポナペ島への輸送任務に従事した。

1943年(昭和18年)4月1日、練成部隊として第一艦隊第十一水雷戦隊が結成され、龍田はこの部隊の旗艦となった(この頃には最早天龍型が旧式などという贅沢は言っていられない時期であった)。

1944年(昭和19年)3月12日、サイパン島への輸送作戦である東松2号船団の護衛部隊旗艦として横須賀を出港、翌13日八丈島沖で米潜水艦サンドランス (USS Sand Lance, SS-381) の雷撃で沈没した。

龍田は同年5月10日に除籍された[8]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』131-133頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

艤装員長[編集]

  1. 加々良乙比古 中佐:1918年5月1日 - 1918年9月20日[47]
  2. (兼)加々良乙比古 中佐:1918年9月20日[47] - 1919年3月31日

艦長[編集]

  1. 加々良乙比古 中佐:1918年9月20日[47] - 1920年10月2日[48] ※1918.12.1大佐
  2. 大寺量吉 大佐:1920年10月2日 - 1921年11月20日[49]
  3. (心得)河村達蔵 中佐:1921年11月20日 - 1921年12月1日
  4. 河村達蔵 大佐:1921年12月1日 - 1922年5月29日
  5. 高橋武次郎 大佐:1922年6月10日 - 1922年11月20日
  6. 館明次郎 大佐:1922年11月20日 - 1923年5月10日
  7. 竹内正 大佐:1923年5月10日 - 1923年12月1日
  8. 市村久雄 大佐:1923年12月1日 - 1924年3月6日[50]
  9. (兼)吉田茂明 大佐:1924年3月6日[50] - 1924年3月25日[51]
  10. 松崎直 大佐:1924年3月25日 - 1924年11月10日
  11. 柴山司馬 中佐:1924年11月10日[52] - 1925年12月1日
  12. 新山良幸 大佐:1925年12月1日 - 1926年5月20日
  13. 高木平次 大佐:1926年5月20日 - 1926年11月1日
  14. 岩村兼言 大佐:1926年11月1日 - 1927年12月1日
  15. 山本松四 大佐:1927年12月1日 - 1929年5月1日
  16. 川名彪雄 大佐:1929年5月1日 - 1929年11月30日
  17. 丹下薫二 大佐:1929年11月30日 - 1930年11月20日
  18. 作間応雄 大佐:1930年11月20日 - 1931年12月1日
  19. 松木益吉 大佐:1931年12月1日 - 1932年12月1日
  20. 藍原有孝 大佐:1932年12月1日 - 1933年11月15日
  21. 大島四郎 大佐:1933年11月15日 - 1934年11月1日
  22. 原忠一 大佐:1934年11月1日 - 1935年11月15日
  23. 八代祐吉 大佐:1935年11月15日 - 1936年6月1日
  24. 福田貞三郎 大佐:1936年6月1日 - 1937年4月1日
  25. 高柳儀八 大佐:1937年4月1日 - 1937年12月1日
  26. 山口次平 大佐:1937年12月1日 - 1938年8月20日
  27. 伊藤安之進 大佐:1938年8月20日 - 1939年5月25日[53]
  28. 松良祐宏(考行)大佐:1939年5月25日 - 1940年9月25日
  29. 沢正雄 大佐:1940年9月25日 - 1941年8月20日
  30. 馬場良文 大佐:1941年8月20日 -
  31. 吉武真武 大佐:1942年7月20日 -
  32. 船木守衛 大佐:1943年1月7日 -
  33. 小川莚喜 大佐:1943年4月5日 - 1943年12月22日
  34. 島居威美 大佐:1943年12月22日 -

その他[編集]

料理の「竜田揚げ」は、当艦の料理長発明したものだとする説がある[54][要検証 ]

参考文献[編集]

  • Eric Lacroix; Linton Wells II (1997). Japanese Cruisers of the Pacific War. Naval Institute Press. 
  • 浅井将秀/編 『日本海軍艦船名考』 東京水交社1928年12月
  • 海軍省/編 『海軍制度沿革 巻八』明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
  • 海軍省/編 『海軍制度沿革 巻十の1』明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
  • 海軍省/編 『海軍制度沿革 巻十一の2』明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 田村俊夫「日本海軍最初の軽巡「天龍」「龍田」の知られざる兵装変遷」、『帝国海軍 真実の艦艇史2』歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol.51、学習研究社、2005年8月、 92-104頁。 ISBN 4-05-604083-4
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • (社)日本造船学会/編 『昭和造船史(第1巻)』明治百年史叢書 第207巻、原書房、1981年(原著1977年10月)、第3版。ISBN 4-562-00302-2
  • 福井静夫 『海軍艦艇史 2 巡洋艦コルベット・スループ』 KKベストセラーズ、1980年6月
  • 福田啓二/編 『軍艦基本計画資料』 今日の話題社、1989年5月ISBN 4-87565-207-0
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』戦史叢書第31巻、朝雲新聞社1969年
  • 牧野茂福井静夫/編 『海軍造船技術概要』 今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4
  • 雑誌『』編集部/編 『写真日本の軍艦 第8巻 軽巡I』 光人社、1990年3月ISBN 4-7698-0458-X
    • 解説・東清二/作図・石橋孝夫 『図で見る軽巡『天龍・龍田』変遷史』、14-16頁。
  • 「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」。
  • 官報
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正8年 公文備考 巻18 艦船1/軍艦龍田、天竜製造一件(1)』。Ref.C08021311000。
    • 『大正8年 公文備考 巻18 艦船1/軍艦龍田、天竜製造一件(2)』。Ref.C08021311100。
    • 『大正13年 公文備考 巻34 艦船/一般(1)』。Ref.C08051122800。
    • 『大正13年 公文備考 巻34 艦船/一般(2)』。Ref.C08051122900。
    • 『大正13年 公文備考 巻34 艦船/救難引揚死体収容』。Ref.C08051123400。
    • 『自昭和19年1月 至昭和19年7月 内令/昭和19年5月(1)』。Ref.C12070195200。
    • 『大正7年 達 完/6月』。Ref.C12070074100。
    • 『昭和11年12月1日現在 10版 内令提要追録第1号原稿/巻3 追録/第13類 艦船』。Ref.C13071969000。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ #昭和造船史1pp.782-783、附表第2 艦艇要目表 4.巡洋艦要目表(1/2)では常備3,948トンとしている。
  2. ^ #JapaneseCruisers(1997)p.20,Drawing 1.6. Tenryu Class, Midship Section.によると上甲板の防御は40lb(25.4mm)HT鋼と35lb(22.2mm)HT鋼の2種類。
  3. ^ #田村2005天龍型pp.93-94によると龍田乗員の証言では左舷投射用の1基のみであり、「一般計画要領書」の現状では2基となっているという。

出典[編集]

  1. ^ #海軍艦艇史2p.220、写真No.2392とその説明
  2. ^ a b c d e f g #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1057-1087、昭和3年2月14日(内令43)艦船要目公表範囲、うちpp.1060-1061。
  3. ^ a b #海軍制度沿革8(1971)p.76、大正5年5月23日(達104)『艦艇類別等級別表中戰艦ノ欄「日向」ノ次ニ「長門」ヲ、二等巡洋艦ノ欄「音羽」ノ次ニ「、天龍、龍田」ヲ、一等驅逐艦ノ欄「濱風」ノ次ニ「、谷風」ヲ加フ』
  4. ^ a b #東・石橋(1990)天龍型p.14
  5. ^ a b #海軍制度沿革8(1971)pp.88-92、大正15年11月29日内令第238号
  6. ^ a b c #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.246-248
  7. ^ #S11.12.1内令提要原稿/艦船画像10「艦艇、特務艦本籍別一覧表(昭和11年12月1日調)」
  8. ^ a b c #自S19.1至19.7内令/昭和19年5月(1)画像44-46「内令第六百五十七號 横須賀鎮守府警備駆潜艇 第五十四號驅潜艇 横須賀鎮守府警備敷設艇 敷設艇 白神 呉鎮守府警備哨戒艇 第三十一號哨戒艇 右役務ヲ解カル 舞鶴鎮守府在籍 軍艦 龍田 右帝國軍艦籍ヨリ除カル 呉鎮守府在籍 驅逐艦若竹 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 横須賀鎮守府在籍 第五十四號驅潜艇 右帝國驅潜艇籍ヨリ除カル 横須賀鎮守府在籍 敷設艇 白神 右帝國敷設艇籍ヨリ除カル 呉鎮守府在籍 第三十一號哨戒艇 右帝國哨戒艇籍ヨリ除カル 呉鎮守府在籍 特務艦 石廊 特務艦 明石 佐世保鎮守府在籍 特務艦 佐多 舞鶴鎮守府在籍 特務艦 大瀬 右帝國特務艦籍ヨリ除カル 昭和十九年五月十日 海軍大臣嶋田繁太郎」
  9. ^ #T8公文備考巻18/軍艦龍田、天竜製造一件(1)画像11-12、官房機密第635号「大正五年五月十二日 海軍大臣 横鎮司令長官アテ 佐鎮司令長官アテ 二等(軽)巡洋艦製造ノ件 軍備補充費ヲ以テ製造スヘキ二等(軽)巡洋艦壱隻別紙要領書、図面並豫算書ニ依リ其ノ府工廠ヲシテ製造セシムヘシ 但し本艦ニ要スル甲鉄ハ呉海軍工廠ヲシテ製造供給セシム又船体部機関部製造方法書ハ追テ艦政局長ヲシテ送付セシム 右訓令ス (別紙船体部機関部図面目録各壱葉要領書弐通図面九葉並豫算書参葉添)(終) 」機関部図面目録壱葉、要領書壱通図面四葉技本五部保管
  10. ^ a b #T8公文備考巻18/軍艦龍田、天竜製造一件(1)画像34、艦政船第242号「佐鎮第三六号ノ四七ノ二 大正六年七月二十六日 佐世保鎮守府司令長官山下源太郎 海軍大臣加藤友三郎殿 龍田起工ノ件 軍艦龍田本月二十四日起工致候 右報告ス(終)」
  11. ^ a b #T8公文備考巻18/軍艦龍田、天竜製造一件(2)画像15電報「龍田午前十時無事進水セリ 右報告ス 五月二十九日 佐鎮長官」
  12. ^ a b #海軍造船技術概要(1987)上巻p.306
  13. ^ a b c #軍艦基本計画資料Sheet3
  14. ^ a b #軍艦基本計画資料Sheet38
  15. ^ #JapaneseCruisers(1997)p.21,TABLE 1.4,"Comparative Weight Distributions"
  16. ^ a b c d e f g h #一般計画要領書(二等巡洋艦)p.3、但しページ数が振っていないので戦後複写版と同じく表紙の次を1ページとして数えている(以下同様)。
  17. ^ a b #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1051-1052、建造中の艦船要目に関する件。大正8年9月5日(官房第3097号)。
  18. ^ a b c d #一般計画要領書(二等巡洋艦)p.19
  19. ^ #昭和造船史1pp.782-783、附表第2 艦艇要目表 4.巡洋艦要目表(1/2)
  20. ^ #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1689
  21. ^ a b #JapaneseCruisers(1997)p.23,TABLE 1.7,"Comparative Full Power(10/10) Trial Results"
  22. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.573、大正7年6月22日付内令第203号「第45表の2 二等巡洋艦定員表 其3」。將校、機關將校、將校相當官26人、特務士官准士官7人、下士77人、兵227人。
  23. ^ a b c #一般計画要領書(二等巡洋艦)p.5
  24. ^ a b c d e #一般計画要領書(二等巡洋艦)p.6
  25. ^ #一般計画要領書(二等巡洋艦)p.13
  26. ^ #JapaneseCruisers(1997)pp.19-20,Hull and Protection Particulars
  27. ^ a b c d e f g h #東・石橋(1990)天龍型p.15
  28. ^ #一般計画要領書(二等巡洋艦)p.25
  29. ^ #大正7年達/6月画像2『達第八十八號 軍艦天龍ニ左ノ通信號符字ヲ點付ス 大正七年六月四日 海軍大臣加藤友三郎 GQJT 龍田』
  30. ^ #大正7年達/6月画像11『達第九十五號 海軍無線電報取扱規約附表第一海軍艦(船)名及海軍無線電信所名略符號ノ欄中左ノ通改正ス 大正七年三月二十五日 海軍大臣加藤友三郎 二等巡洋艦ノ部中對馬ノ次ニ左ノ如ク加フ JLP 天龍 JLQ 龍田 一等驅逐艦ノ部中天津風ノ次ニ左ノ如ク加フ JZW 江風』
  31. ^ a b #日本海軍艦船名考pp.70-71、龍田(たつた)
  32. ^ a b c d e #JapaneseCruisers(1997)p.160
  33. ^ a b c d e #東・石橋(1990)天龍型p.16
  34. ^ a b #東・石橋(1990)天龍型pp.15-16
  35. ^ #写真日本の軍艦第8巻p.24上写真の解説。
  36. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その一「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦、駆逐艦」
  37. ^ a b #写真日本の軍艦第8巻p.13下、天龍の写真解説。
  38. ^ #JapaneseCruisers(1997)pp.160-161
  39. ^ a b #JapaneseCruisers(1997)p.161
  40. ^ #写真日本の軍艦第8巻p.13下、天龍の写真解説。同書p.24下の写真解説。
  41. ^ a b c #田村2005天龍型p.100、<図2>「龍田」の兵装変遷
  42. ^ #日本巡洋艦史(2011)p.78
  43. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.362、大正5年5月13日(達78)『軍備補充費ヲ以テ本年度建造ニ著手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル 呉海軍工廠ニ於テ建造 戰艦 (ナガ) () 横須賀海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 (テン) (リウ) 佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 (タツ) ()
  44. ^ a b #T13公文備考34/一般(1)画像3『大正十三年三月十九日午前一〇-一五佐世保発 一一-一〇海軍局着 佐世保鎮守府司令長官 海軍大臣 本府第一期基本演習中十九日午前八時五十三分佐世保郊外伏瀬ノ南八十度東三浬二十六尋ノ地点ニ於テ龍田、第四十三潜水艦ト衝突シ潜水艦沈没浮標ヲ出シ空気ヲ排出シ居レト油出テス救命浮標電話不通目下救難手続中』
  45. ^ #T13公文備考34/救難引揚死体収容画像60-63、別表1『第四十三潜水艦乗員潜航配置』。同画像62『合計員数四十五名』
  46. ^ #T13公文備考34/一般(2)画像33『大正十三年三月二十七日午后一-五五佐世保発 三-三〇海軍省着 佐世保鎮守府司令長官 海軍大臣 本月十九日伏瀬沖ニ於テ沈没セシ第四十三潜水艦乗員ハ本二十七日附本職ノ名ヲ以テ死亡ト認定セリ 右報告ス』
  47. ^ a b c 『官報』第1842号、大正7年9月21日。
  48. ^ 『官報』第2453号、大正9年10月5日。
  49. ^ 『官報』第2793号、大正10年11月22日。
  50. ^ a b 『官報』第3460号、大正13年3月8日。
  51. ^ 『官報』第3474号、大正13年3月26日。
  52. ^ 『官報』第3666号、大正13年11月11日。
  53. ^ 海軍辞令公報(部内限)第340号 昭和14年5月25日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072075800 
  54. ^ 飯塚孝一ほか執筆『提督の決断II 艦船ファイル』光栄、1994年、132ページ。ISBN 4877191186

関連項目[編集]