潜水母艦

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潜水艦救難母艦「ちよだ

潜水母艦(せんすいぼかん)は海軍における補助艦艇の一つである。 前進根拠地や泊地などにおいて潜水艦を接舷させ食料燃料魚雷その他物資の補給を行う[1]。 補給だけでなく修理・整備能力を持つものもある[1]。 また潜水艦乗組員用の休息施設もあり、乗員の休憩にも用いられる[2]

乗員数に余裕があり無線設備も充実しやすいことから、潜水母艦は潜水艦戦隊旗艦となったケースもある[1]

概要[編集]

潜水艦は、艦内が狭く食料等の消耗品を大量に積み込むことができないため、長期間の行動には潜水艦に付随し、補給などを行う艦船が必要となる[3]。 専用の艦を新造する場合の他、徴用した商船を改装したものもあり、これは「特設潜水母艦」と呼ばれる。大型水上艦に対する補給艦のように航行しながらの補給英語版を行うものではなく、あくまでも泊地内などでの停泊・接舷しての運用が主となる。オハイオ級原子力潜水艦など弾道ミサイル潜水艦を大量に保有していたアメリカ海軍では、潜水艦発射弾道ミサイルを積載する能力を持つものも存在した。類似のものとしては、駆逐艦母艦がある。

2018年時点においてアメリカ海軍は原子力潜水艦用のエモリー・S・ランド級英語版を運用している。海上自衛隊においては、潜水母艦機能に加えて潜水艦救難艦としての能力も持つ潜水艦救難母艦「ちよだ」を2018年まで運用していた。

日本の潜水母艦[編集]

日本海軍海軍艦艇類別標準において軍艦のうちに潜水母艦の類別が設けられたのは1924年(大正13年)12月1日であり、それまでは同種の任務の艦は水雷母艦とされていた。特務艇のうちの潜水艦母艇(1920年(大正9年)4月1日設置)も同様の任務に就いた。 当時の水雷母艦(潜水艦母艦)は、運送船として計画され建造中に改装された「駒橋」や拿捕商船を改装した「韓崎[2]、潜水艦母艇は旧式海防戦艦を改造した「見島」や、元防護巡洋艦の「千代田」などであった。 大正期の八八艦隊案において、ようやく本格的潜水母艦たる迅鯨型潜水母艦の「迅鯨」と「長鯨」の就役に至った[2]。しかし迅鯨型は呂号潜水艦に対応した能力であったため潜水艦の大型化・高速化が進むと能力不足が顕著になった。そこで他艦と戦隊を組まない軽巡洋艦長良型軽巡洋艦)や、商船を改装した特設艦が潜水戦隊旗艦兼母艦任務に充当された。

昭和期にはいると、「大鯨」と剣埼型潜水母艦(剣埼、高崎)といった本格的な潜水母艦が建造され[4]、迅鯨型は練習艦や工作艦になった。 しかし、新型3隻(大鯨、剣埼、高崎)は有事の際に短期間で航空母艦へ改装される予定の特殊艦であった。実際に太平洋戦争を前に「大鯨」は「龍鳳」(昭和16年12月より空母改造工事開始)、「剣崎」は「祥鳳」(昭和15年11月より工事開始)、「高崎」は「瑞鳳」へと、それぞれ予定通りに航空母艦へ改装されたため、迅鯨型は1940年(昭和15年)11月より再び潜水母艦として運用された。また予定どおり商船改造の特設潜水母艦を投入した。このほかに、潜水戦隊旗艦用の軽巡洋艦として大淀型軽巡洋艦を建造することになったが、1番艦大淀のみ完成し、2番艦仁淀は建造中止となった。

参考図書[編集]

  • 『歴史群像No.38潜水母艦 大鯨』学習研究社、1999年

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 日本軍艦集2600年版コマ86-87(原本付録11-12頁)「水上機母艦、潜水母艦の任務 水上機母艦とは、艦上に航空母艦のやうな飛行甲板を持たぬ艦で、搭載機は下駄ばきの水上機に限られてゐる。搭載する飛行機を飛ばすには主として射出機(カタパルト)を用ゐ、又歸つて來た飛行機を海面から海上に収容するには、テリツク(巻揚機)を用ゐる。又収容方法として、近年艦尾より特殊の布を後方に曳航し、附近に箸水した飛行機をその上に乗せ揚げて之を艦内に収容する方法も各國で實施せられ、好成績を擧げてゐるといふことである。商船や他の艦種を改造したものが多いが、我國の千歳や佛國のコマンダンテスト等は初めから水上機母艦として建造されたものである。
    潜水母艦は潜水艦の親船ともいふべきもので、捕鯨母船とキヤツチヤーボートとの關係によく似てゐる。潜水艦は、その構造上搭載量に制限があり、長期に亙つて獨力で航海することが困難である。又乗員の居住設備等も極めて不充分なので、潜水母艦という親船がどうしても必要となつてくる。この親船は、燃料、兵器、糧食等を擇山積み込んでゐるから、必要に應じて之を潜水艦に供給し、また潜水艦乗員のために好ましい休養の設備も施してある。潜水母艦はこのやうに潜水艦の親船となつて行動を共にすると共に、潜水戰隊の旗艦ともなつて潜水艦誘導の任務に當るものである。」
  2. ^ a b c ポケット海軍年鑑(1935年)コマ46(原本74-75頁)「潜水母艦 "迅鯨 じんげい" 主要目{排水量5,160噸 速力16節 備砲14糎砲6門 8糎高角砲2門 起工大正11年3月 竣工大正13年8月 建造所三菱長崎造船所} 迅鯨は長鯨と共に計畫された同型艦で要目はすべて同じであるが、長鯨より一ヶ年早く上記せる如く大正12年8月竣工してゐる。
    この種の艦は元来の任務が任務だけに攻撃力とが防禦力は比較的重視してない。寫眞に見る如く舷側に現れゐる舷窓によつてもその居住性に富んでゐることが窺はれるであらう。即ちこれは碇泊中その潜水戰隊麾下の各潜水艦の乗員を収容して英氣を養はすために居住甲板を廣くしてゐるのである。
    我が海軍では長鯨とこの迅鯨の外に潜水母艦は韓埼 からさき 駒橋 こまはし 大鯨 たいげいの計5隻があるが、第一線用として活躍すべきものは長鯨、迅鯨と最新鋭10,000噸の大鯨の3隻である。尚駒橋は1,125噸で沿岸用とでも云ふべきもの、韓埼は9,570噸であるが已に老齢に達し第四豫備艦として僅かにその餘命を止めてゐたが最近艦籍から除籍された。」
  3. ^ #軍艦写真大正13藤田コマ22-23「水雷母艦 凡そ驅逐艦潜水艦は一千噸内外の排水量を有するものに在りては軍需品日常の供給、一般の小修理竝に居住上一切の設備は自から之を有つてゐて、宛かも一の小軍艦であるから、それ以上の要求は之を他の供給機關若くは特務艦によりて充たすことを得べく、從つて特に母艦を置くに及ばぬが、小型の驅逐艦(排水量三四百噸のもの)とか海防用潜水艦なるに於ては右の如き日常の要求さへ之を充たすに不十分であるから、その根據地に母艦を置き、之が活動力の給源たらしむるのである。即ち母艦には其數の驅逐艦若くは潜水艦に對して、通常の修理一切を行ひ得べき機械工場を有し(潜水母艦には二次電池課電の爲發電機を要す)燃料清水その他總て必要なる軍需品を貯へ、潜水母艦に在りては待に該艦員の居住に適する設備がなくてはならぬ。/方今我海軍に有する水雷母艦は主として潜水隊用に供せられて居る。」
  4. ^ 日本軍艦集2600年版コマ60(原本90頁)「―潜水母艦― 大鯨(たいげい) 基準排水量10,000噸、長さ197.3米、幅18.04米、平均吃水5.2米、速力20節、備砲12.7糎高角砲4門、起工昭和8年4月12日、進水昭和8年11月16日、竣工昭和9年3月31日、建造所横須賀海軍工廠―同じ工廠で造られた劍埼、高崎(共に12,000噸―建造中)と共に昭和年代に出來た新しい潜水母艦である。」

関連項目[編集]