龍田 (通報艦)

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龍田
艦級概観
艦種 通報艦
艦名 河川名
前級 千島
次級 宮古
艦歴
計画 1891年度計画
起工 1893年4月7日
進水 1894年4月6日
就役 1894年7月31日
除籍(軍艦籍) 1916年4月1日
特務艇編入 1920年7月1日
再除籍 1926年3月12日
性能諸元(新造時)
排水量 常備:650t
全長 垂線間長:77.1m
全幅 8.38m
吃水 2.9m
機関 レシプロ蒸気機関2基2軸、円缶
5,069馬力
燃料 石炭200t
最大速 21.0kt
兵員 100名
兵装 12cm砲2基
47mm速射砲4基
魚雷発射管5門

龍田(たつた)は、日本海軍通報艦。艦名は、奈良県を流れる竜田川から名づけられた。さらに艦名は「長浦丸」(潜水艇母船)、「長浦」(潜水艦母艇)と変遷した。

艦歴[編集]

1893年、イギリスニューカッスルアームストロング社エルジック工場で起工、1894年に竣工し、当初は水雷砲艦と称した。7月31日、英国から出港し、日本に向かう途中に寄航した英領アデンで、日清戦争勃発のため8月28日に中立国であるイギリスによって抑留された。交渉の結果、翌1895年に解放され1月20日に出港し、3月19日に横須賀に到着したが、戦闘には間に合わなかった。

1898年3月21日、通報艦に類別。1900年義和団の乱に参加した。1902年から翌年にかけて呉造船廠で主缶を円缶から水管缶に換装。

日露戦争に際しては第1艦隊第1戦隊所属艦として旅順攻略作戦日本海海戦等に参加。1904年5月15日、触雷した戦艦「初瀬」「八島」の救援作業の帰途、濃霧により旅順港外の光禄島南東岸に座礁し、7月16日から8月31日にかけて横須賀工廠で修理を行った。このため8月10日の黄海海戦には参加していない(八重山が代理を務めている)。

1912年8月28日、一等砲艦に類別を変更。1916年4月1日に除籍、12月9日、雑役船に編入され潜水艇母船に指定、「長浦丸」と改名した。1920年7月1日、特務艇に編入され潜水艦母艇に類別、「長浦」と改名した。1926年3月12日に再除籍され、4月6日に売却された。

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

回航委員長
艦長
  • 出羽重遠 少佐:1894年6月5日 -
  • 向山慎吉 少佐:1894年11月2日 - 1895年5月25日
  • 富岡定恭 少佐:1895年5月25日 - 1896年4月1日
  • 藤田幸右衛門 少佐:1896年4月1日 - 9月21日
  • 丹治寛雄 少佐:1896年9月21日 - 1897年2月4日
  • 小倉鋲一郎 少佐:1897年2月4日 - 6月1日
  • 大久保保喜造 少佐:1897年6月1日 - 1899年9月29日
  • 伊地知彦次郎 中佐:1899年9月29日 - 1900年5月20日
  • 志賀直蔵 中佐:1900年5月20日 - 12月6日
  • 中村貞邦 中佐:1901年2月18日 - 3月29日
  • 松居銓太郎 中佐:1901年3月29日 - 1902年4月22日
  • 釜屋忠道 中佐:1903年11月11日 - 1905年3月15日 *大佐昇進
  • 山縣文蔵 中佐:1905年3月15日 - 12月20日
  • 佐藤鉄太郎 中佐:1905年12月20日 - 1906年1月25日
  • 山本竹三郎 中佐:1906年1月25日 - 11月22日
  • 大沢喜七郎 中佐:1906年11月22日 - 1907年5月17日
  • 竹内次郎 中佐:1907年11月22日 - 1908年9月25日
  • 志津田定一郎 中佐:1908年9月25日 - 1909年3月4日
  • 兼子昱 中佐:1909年3月4日 - 1912年3月1日
  • 原篤慶 中佐:1912年3月1日 - 12月1日
  • 有馬純位 中佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
  • 井手篤行 中佐:1913年12月1日 - 1914年4月1日
  • 四元賢助 中佐:1914年9月9日 - 12月1日
  • 渡辺真吾 中佐:不詳 - 1915年8月16日

参考資料[編集]

  • 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報

関連項目[編集]