向山慎吉

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向山 慎吉(むこうやま しんきち、1856年10月12日安政3年9月14日) - 1910年12月18日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将男爵

経歴[編集]

幕臣一色半左衛門の三男として生まれ、幕臣向山黄村の養子となる。沼津兵学校を経て、1878年7月、海軍兵学校5期)を卒業し、1881年1月、海軍少尉任官。「筑波分隊長、「高千穂」回航委員、同砲術長、佐世保鎮守府建設委員などを経て、海軍大学校で乙号学生として学んだ。「海門」副長、海軍参謀部第1課員などを歴任し、日清戦争では「松島」副長として出征し、「龍田艦長となった。

さらに、「筑紫」艦長、「大和」艦長、「高雄」艦長、「秋津洲」艦長、イギリス公使館付、「浅間」艦長、「敷島」艦長、横須賀鎮守府参謀長などを経て、1902年5月、海軍少将に進級。日露戦争時は舞鶴工廠長、佐世保工廠長であった。1905年11月、海軍中将となり、竹敷要港部司令官を勤め、1910年12月、休職となり死去した。

1907年9月、男爵の爵位を授爵し華族となる。

逸話[編集]

  • 黄海海戦時には「松島」副長であったが、重傷を負った三浦虎次郎三等水兵が向山に「まだ定遠は沈みませんか」と訊ねた話が伝えられ、大きな反響を呼び軍歌「勇敢なる水兵」が作られた。

栄典[編集]

外国勲章佩用允許

親族[編集]

脚註[編集]

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  1. ^ 『官報』第2541号「叙任及辞令」1891年12月17日。
  2. ^ 『官報』第3676号「叙任及辞令」1895年9月28日。
  3. ^ 『官報』第3838号・付録「辞令」1896年4月18日。
  4. ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
  5. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  6. ^ 『官報』第6729号「叙任及辞令」1905年12月4日
  7. ^ 『官報』第7072号・号外「叙任及辞令」1907年1月28日。
  8. ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
  9. ^ 『官報』第8250号「叙任及辞令」1910年12月20日。
  10. ^ 『官報』第8037号「叙任及辞令」1910年4月11日。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。