神通 (軽巡洋艦)

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神通
Sendai class light cruiser.jpg
基本情報
建造所 川崎造船所[1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 二等巡洋艦(軽巡洋艦)
級名 川内型
艦歴
発注 1920年計画
起工 1922年8月4日[1]
進水 1923年12月8日[1]
竣工 1925年7月31日[1]
最期 1943年7月13日沈没
除籍 1943年9月10日
要目(竣工時計画)
基準排水量 5,195英トン
常備排水量 5,595英トン
全長 162.15 m (竣工時)
162.46 m (損傷復旧後)
最大幅 14.2 m
吃水 4.8 m (常備)
主機 川崎ブラウン・カーチス式オールギアードタービン(高低圧)4基4軸
出力 90,000馬力
最大速力 35.3ノット
乗員 竣工時定員446名[2]
兵装 竣工時
50口径14cm単装砲7門
61cm連装魚雷発射管4基8門
40口径8cm単装高角砲2門
6.5mm単装機銃2挺
九三式機雷56個
飛行機1機
1941年12月
50口径14cm単装砲7門
61cm四連装魚雷発射管2基8門(酸素魚雷16本)
九六式25mm連装機銃2基4門
保式13mm四連装機銃1基4門
7.7mm単装機銃2挺
呉式二号三型改一射出機1基
水上機1機
装甲 水線64mm、甲板29mm
搭載機 1機
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神通(じんつう)[注釈 1][3]は、大日本帝国海軍(日本海軍)の軽巡洋艦(二等巡洋艦)[4]

5500トン型軽巡洋艦川内型軽巡洋艦の2番艦[5]。その艦名は、岐阜県富山県を流れる神通川から因んで命名された[6]

艦歴[編集]

建造経緯[編集]

大正時代の日本海軍は、7000トン以上の巡洋艦を「一等巡洋艦」、7000トン未満の巡洋艦を「二等巡洋艦」と類別していた(大日本帝国海軍艦艇類別変遷[7]

1921年(大正10年)3月19日、建造予定の軽巡洋艦(二等巡洋艦)4隻に、それぞれ加古那珂川内神通の艦名が与えられる[3]。6月9日、4隻(加古、那珂、川内、神通)は二等巡洋艦として艦艇類別等級別表に登録された[8]1922年(大正11年)3月17日、軽巡加古(佐世保海軍工廠)の建造は中止された[9]

神通は、1922年(大正11年)8月4日に神戸川崎造船所で起工[10]。同年10月9日加古の艦名を一等巡洋艦に流用する事が決まり、加古は一等巡洋艦類別と共に二等巡洋艦から抹消された[11]。2隻(神通、加古)は共に神戸造船所で建造されることになった[12]

1923年(大正12年)11月下旬に進水台の付近で汽船が沈没し、神通の進水は延期された[13]。翌月12月8日、神通は進水した[10]艦内神社は、神通川が流れる富山県の射水神社[14]

1925年(大正14年)4月10日、神戸造船所で建造中の古鷹型重巡洋艦加古が進水式を迎え[15]、式典には神通艤装員も参加した[16]。同年7月31日、本艦は竣工、就役した[10][17]

一般に軽巡洋艦は、戦時・平時を問わず様々な役割を求められる[18]。その中に、来るべき艦隊決戦に於いては水雷戦隊の旗艦として先頭に立ち、敵警戒艦艇の排除を行って味方駆逐艦の雷撃を援護することも含まれていた[19]。神通は水雷戦隊の旗艦としてこの任をよく果たした。

美保関事件[編集]

1927年(昭和2年)8月24日、島根県美保関沖で行われた第八回基本演習(夜間無灯火演習)において、第五戦隊(司令官清河純一中将:第1小隊《加古、古鷹》、第2小隊《神通、那珂》)および第二水雷戦隊(旗艦夕張、第22駆逐隊、第二十六駆逐隊、第二十七駆逐隊、第二十九駆逐隊、第三十駆逐隊《駆逐艦20隻》)は乙軍を編制し、夜間雷撃訓練を実施する[20][21]。この時、本来第一水雷戦隊(龍田)に所属する第二十六駆逐隊・第二十七駆逐隊(駆逐艦8隻)は第二水雷戦隊に臨時編入され、乙軍として行動することになった[22]。那珂には観戦武官として伏見宮博義王が乗艦している[23]

対する甲軍は加藤寛治連合艦隊司令長官率いる第一艦隊の戦艦(長門陸奥伊勢日向)、第二艦隊(司令長官吉川安平中将:戦艦《金剛比叡)等と軽巡4隻(鬼怒阿武隈龍田由良)で編制されていた[22]

午後11時過ぎ、第五戦隊第2小隊(神通、那珂)は戦艦部隊を仮想敵(甲軍)にみたてて接近中、戦艦伊勢・日向・第六戦隊(由良、龍田)等から照射を受けた[24]。特に龍田の探照燈に捉えられた神通は攻撃の機会を失ったと判定され、那珂と共に右へ旋回する[25]。すると第五戦隊第2小隊(神通、那珂)は後続していた第1小隊(加古、古鷹)および第二十六駆逐隊、第二十七駆逐隊(司令倉田弘保中佐:、蕨、葦、)の一群に突っ込んだ[26]。神通と第二十七駆逐隊2番艦が衝突、ボイラーを粉砕された同艦は爆発を起こし真っ二つに分断されて沈没した[27]

それを避けようとして左に転舵した那珂は第二十七駆逐隊3番艦と衝突、那珂は艦首を、葦は艦尾を大破した[28]。現場に居合わせた各艦(加古、古鷹、伊勢、鬼怒、阿武隈、由良、龍田)等は協力して沈没艦と損傷艦の救援に従事した[29]。陸奥艦載機や能登呂鳳翔艦載機も捜索に従事した[30]。蕨は92名、葦は27名の殉職者を出した[31]

その後、自力航行可能だった那珂は2隻(戦艦《比叡》、重巡《古鷹》)に護衛されて舞鶴へと向かった[32]。神通は戦艦金剛に曳航され[31]、加古の護衛下で同港へ向かった[33]。葦は阿武隈に曳航され同港へ向かった[31]。当時の舞鶴工作部は吹雪型駆逐艦複数隻(第35号駆逐艦《吹雪》第37号駆逐艦《初雪》)の建造に追われており、その中で最初に那珂を修理した[34]。次に神通を修理する事になったが、その際に姉妹艦の那珂に準じた改正が施された[35]。スプーンバウから凌波性に優れたダブルカーブドバウへの変更であり、神通(及び那珂)の外見上の特徴となっている。艦首改正に関して神通は応急修理を施したうえで呉に回航され、翌年3月まで修理に従事した[34]

12月26日、事故当時の神通艦長水城圭次大佐は軍法会議の判決が下される前日に自宅で自決した[36][37]。これを美保関事件と称する。

1931年(昭和6年)10月に鬼怒での実験を終えた呉式二号二型射出機(試作機)が神通の滑走台に移設され、後部に制式射出機が装備されるまでの間、射出実験が継続された。

1933年(昭和8年)から翌年にかけて司令部設備の拡充、射出機・揚収デリックの装備などの近代化改装を受けた。6月5日、神通副長は辻栄作中佐から大西新蔵中佐に交代(当時、第二水雷戦隊司令官井上継松少将)[38]。8月25日の横浜沖観艦式に参加後、翌日に横須賀入港[39]。9月11日、神通は樺型駆逐艦(廃駆逐艦)を曳航して館山湾外に出動し、第七駆逐隊による砲撃演習を実施、松は沈没した[39]。ところが神通艦内で赤痢が蔓延、9月15日には第二水雷戦隊司令部が駆逐艦に移乗する[40]。他艦との交通禁止、当時乗組員約500名中、入院患者262名という事態になった[40]。10月4日、第二水雷戦隊司令部は神通に移乗[40]。10月10日、横須賀を出発して呉に向かった[40]

1941年(昭和16年)には後部魚雷発射管を四連装2基に換装する工事を行い、九三式魚雷の発射能力を得た。前部発射管は撤去され、廃止されたウェルデッキは兵員室に充てられている。神通のこの魚雷発射管換装工事を否定する説もあるが、神通を旗艦とする水雷戦隊への兵装補給記録において九三式魚雷のみが補給されていることから、換装工事が行われていることが確認できる。

1941年9月12日内示の『昭和17年度帝国海軍戦時編制』における第二水雷戦隊は、旗艦神通以下第十五駆逐隊(親潮黒潮夏潮早潮)、第十六駆逐隊(初風雪風天津風時津風)、第十七駆逐隊(浦風磯風浜風谷風)、第十八駆逐隊(陽炎不知火)という編制で、朝潮型2隻(霞、霰)以外は陽炎型駆逐艦で統一される予定であった[41]。しかし第二水雷戦隊は第八駆逐隊(第四水雷戦隊へ転出予定)と第十七駆逐隊(第一水雷戦隊より編入予定)を入れ替える前に真珠湾攻撃を迎えた。

太平洋戦争[編集]

1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争開戦時、第二水雷戦隊司令官田中頼三少将は引き続き神通に座乗。第二水雷戦隊(第十六駆逐隊、第十八駆逐隊を除く)は白鷹などと共に比島部隊の第五急襲隊を編成[42]。第五急襲隊は11月26日に寺島水道を出発し、12月2日にパラオに到着[43]。計画変更に伴い第五急襲隊の編制はとかれ、第二水雷戦隊(神通、第十五駆逐隊、第十六駆逐隊第二小隊)は第五戦隊の重巡洋艦3隻、第四航空戦隊の空母龍驤、駆逐艦1隻および第十一航空戦隊の水上機母艦2隻と共に比島部隊の南比支援隊(指揮官は第五戦隊司令官高木武雄少将)となり[44]フィリピンの戦いに参加した。南比支援隊の第二水雷戦隊や龍驤などは12月6日にパラオより出撃し、12月8日に「龍驤」搭載機がダバオを空襲した際に神通と第十六駆逐隊第二小隊は飛行機帰投線形成して練度不十分な搭乗員を支援した[45]。なお、開戦時の第二水雷戦隊は第八駆逐隊(大潮《司令艦》、朝潮満潮荒潮)、第十六駆逐隊(雪風《司令艦》、時津風、天津風、初風)、第十八駆逐隊(不知火《司令艦》、霞、陽炎、霰)で構成されていたが、第八駆逐隊(第十八駆逐隊)は南方部隊本隊(南雲機動部隊)指揮下に行動して神通達とは別行動だった[46]。第二水雷戦隊は12月9日にレガスピー攻略船団と合流[47]。12月11日に神通と第十五駆逐隊第二小隊はスリガオ海峡へ向かい、敷設艦八重山による機雷敷設を支援した[48]。神通と第十五駆逐隊は12月14日にパラオに帰投した[49]

次は神通などは第五急襲隊(指揮官は第二水雷戦隊司令官)を編成し、ダバオ、ホロ攻略に参加[50]。ダバオ攻略部隊は12月16日にパラオから出撃し、神通も出撃した[51]。上陸は12月20日に行われた[52]。第五急襲隊は監禁されていた日本人の救出を行い、神通陸戦隊は他艦の部隊と共に435名を救出した[53]。ホロ攻略部隊は12月22日からダバオより出撃し、神通も12月23日に出撃した[54]。ホロの攻略は12月25日に行われた[55]。12月27日、神通は第十五駆逐隊とともにホロを離れ、ダバオへ向かった[56]

続いて蘭印作戦が開始される。蘭印攻略部隊はダバオに集結し、神通は12月29日に到着した[57]。神通は第十五駆逐隊、第十六駆逐隊などとともに東方攻略部隊の第二護衛隊(指揮官は第二水雷戦隊司令官)を編成し、最初はメナドの攻略に参加した[58]。1942年1月9日に攻略部隊はマグナガ湾から出撃[59]。1月11日にメナドケマへの上陸が行われた[60]。同日、神通はメナド沖で爆撃を受けたが被害はなかった[60]。次のアンボン攻略作戦準備のため神通は1月15日にメナドを離れ、ダバオへ向かった[61]

1月26日、神通と駆逐艦朝潮はバンカ泊地に向け出撃した[62]。アンボン攻略船団は二つあり、第一梯団は1月27日にダバオから出撃[63]。第二梯団は1月29日にバンカ泊地から出撃し、同日神通もこれに合流[63]。神通と第十六駆逐隊第一小隊は1月30日に船団からはなれ、以後ブル島の西で行動した[64]。上陸は1月31日に行われた[65]。2月10日、神通はアンボン港に到着した[66]

2月17日、第二護衛隊はクーパン攻略船団を護衛してアンボンから出撃した[67]。このとき第二護衛隊は神通、第十六駆逐隊、第十五駆逐隊(駆逐艦1隻を除く)、第七駆逐隊第一小隊、水上機母艦瑞穂などからなっていたが、瑞穂は別行動であった[68]。また、第七駆逐隊はデリー攻略船団を護衛した[69]。クーパン上陸は2月20日に行われた[67]。神通は第十六駆逐隊と共に2月24日にマカッサルへ向け出発[70]。同日、第二護衛隊は解散された[70]

1942年2月27日、神通以下第二水雷戦隊はスラバヤ沖海戦に参加、酸素魚雷の早爆や遠距離発射命中率の低さという問題も露見したが連合軍艦隊相手に勝利をおさめた。

4月10日、戦時編制の改編により、第8駆逐隊朝潮満潮大潮荒潮)は第四水雷戦隊(司令官西村祥治少将:旗艦那珂/夏雲由良)に編入され、神通麾下を離れた[71]

4月18日、日本はアメリカ軍機動部隊(空母ホーネット、エンタープライズ)及び艦載機(陸軍航空隊B-25)によるドーリットル空襲を受けた。この時、第二水雷戦隊指揮下駆逐隊は南雲機動部隊や南方部隊に組み込まれて各方面で活動しており[72]、神通は単艦で呉に停泊し整備待機を続けていた[73]。神通は4月19日午前中に桂島泊地を出撃[74]、20日には前進部隊本隊(指揮官近藤信竹中将:旗艦愛宕)に編入された[75]。さらに三宅島及び八丈島東方海域に進出しアメリカ軍機動部隊を捜索したが会敵せず[76]、22日夕刻呉に戻った[77]

6月上旬のミッドウェー作戦における第二水雷戦隊は、一木清直大佐率いる陸軍一木支隊及び太田実[要曖昧さ回避]海軍少将率いる海軍陸戦隊を載せた輸送船団の護衛を担当した[78][79]。6月13日、二水戦(神通、初風、雪風、天津風、時津風)はトラックを発ち、21日横須賀へ帰投した[80]

7月上旬、水上機母艦千代田あるぜんちな丸の護衛として第五艦隊(司令長官細萱戊子郎中将)指揮下のもと北方へ進出した第十八駆逐隊は[81]、7月5日キスカ島の沖合でアメリカの潜水艦グロウラーの襲撃に遭いが沈没、不知火も大破航行不能という大損害を被った[82]。長期修理を余儀なくされた第十八駆駆逐隊は第五艦隊所属(翌月8月15日附で解隊)[83]、陽炎は第十五駆逐隊(親潮、黒潮、早潮)に編入されて同隊4番艦となった[84]

7月14日、第十六駆逐隊(第1小隊《雪風時津風》、第2小隊《初風天津風》)は第十戦隊(司令官木村進少将:旗艦長良)に編入され、神通指揮下を離れた[85]。そのかわりに同日附をもって 白露型駆逐艦3隻で構成された第二十四駆逐隊(第一小隊《海風江風》、第二小隊《涼風》、〔山風6月23日沈没〕)が第二水雷戦隊に編入される[86]

ガダルカナル島の戦い[編集]

1942年(昭和17年)8月7日、アメリカ軍はウォッチタワー作戦を発動しガダルカナル島フロリダ諸島に上陸を開始、ガダルカナル島の戦いが始まった。第二水雷戦隊旗艦神通も第十五駆逐隊・第二十四駆逐隊計7隻の駆逐艦を率いており、横須賀で整備改修工事を受けていた[87]。8月5日には木更津沖にて天津風・初風・江風・涼風等と停泊していたが、アメリカ軍襲来の急報により木更津から横須賀へ戻った[88]

その後出撃準備を行い8月11日に横須賀を出港、15日にトラック泊地着[89][90]。神通は外南洋部隊増援部隊旗艦となり、陸軍一木部隊と横須賀鎮守府第五特別陸戦隊(海軍陸戦隊)をガダルカナル島へ輸送する任務をまかされた[91]。だが第十五駆逐隊3隻(親潮、黒潮、早潮)は前進部隊本隊(指揮官近藤信竹中将:旗艦愛宕)に編入され、神通とは別行動をとった。

8月16日、同月13日より外南洋増援部隊指揮官(二水戦司令官田中頼三少将)指揮下にあった陽炎型駆逐艦6隻(第四駆逐隊《萩風》、第十五駆逐隊《陽炎》、第十七駆逐隊《谷風浦風浜風》)は第四駆逐隊司令有賀幸作大佐の指揮下でトラック泊地を出動[92]

8月18日深夜、陸兵900名の揚陸に成功し、第十七駆逐隊はラビの戦いに参加するためラバウルに向かった[93]。この後、陽炎型3隻(嵐、萩風、陽炎)はアメリカ軍水雷艇部隊を撃退したのち、空襲により萩風が被弾し、嵐に護衛されてトラック泊地へと避退した[94]。陽炎は単艦でガダルカナル島海域の警戒を行う[95]。2日後、江風と任務を交代[94]。江風は22日にアメリカ軍駆逐艦2隻と交戦し駆逐艦1隻(ブルー)を撃沈した[96][97]

第二次ソロモン海戦[編集]

駆逐艦隊がガダルカナル島海域で行動する中、増援部隊旗艦神通以下護衛部隊(神通、哨戒艇1号、哨戒艇2号、哨戒艇34号、哨戒艇35号、第二十四駆逐隊)及び輸送船団(ぼすとん丸、大福丸、金龍丸)は8月16-17日トラック泊地を出港、海上で合同しガ島へ向かう[98][99]。しかし米軍機動部隊の出現、ガダルカナル島米軍ヘンダーソン飛行場の存在により日本側制空権掌握の見通しが立たないことから、輸送船団はガダルカナル島北方海域で北上と南下を繰返していた[100][101]

8月21日、燃料不足に陥った哨戒艇4隻を分離[102]。8月24日夜の一木師団揚陸は見送られ、25日夜に延期される[103]

このような状況下、8月24日朝より輸送船団はアメリカ軍飛行艇の接触を受けることになる[104]。正午すぎに第六戦隊(司令官五藤存知少将)の重巡2隻(青葉古鷹)と遭遇[105]。「敵味方飛行機約20機交戦中」「船団ハ一時西方ニ避退スルヲ可ト認ム」という信号を受信した[106]。また重巡衣笠と駆逐艦夕凪も輸送船団南西80浬に位置していた[105]。神通からは東方海面に空母らしきものが炎上している光景が見られた[107]。これは第三艦隊主力より分離して行動中、米空母サラトガ艦載機の攻撃で沈没しつつある空母龍驤と護衛部隊(利根天津風時津風)であった[105]

これらの状況から田中司令官は反転避退を決定した。南雲機動部隊(翔鶴瑞鶴)より「敵エセックス型空母1隻戦艦1隻大火災、空母1隻火災」(実際は空母エンタープライズの中破のみ。)という戦果報告が入る[108]。輸送船団は下令により再び南下してガダルカナル島へ向かうが、同島ヘンダーソン飛行場の勢力が健在である限り、低速の輸送船団の運命は明らかであった[109]

田中司令官は神通より宇垣纏連合艦隊参謀長を含む各上級部隊司令部に「低速輸送船ヲ以テスル増援ハ成功ノ算尠キモノト認ム」と意見具申を行った[110]。翌8月25日には第八艦隊司令部も田中司令官の判断を追認し、各方面に輸送船団の上空掩護を要請している[111]

8月24日深夜、第三十駆逐隊(司令安武史郎大佐:睦月弥生)及び駆逐艦3隻(江風、陽炎、磯風)はガダルカナル島ルンガ泊地に突入、ヘンダーソン飛行場を砲撃した[112]。この安武司令指揮下の夜襲部隊は夜間のうちに北上し、5時40分を以て神通以下輸送部隊と合流する[113][114]

命令伝達後、2隻(神通、陽炎)を率いて船団から離れようとしていた。空襲直前、哨戒艇1号・2号・34号・35号は神通左前方7kmにあって輸送船ぼすとん丸→大福丸→金龍丸の輸送船3隻単縦陣を護衛し、神通右前方(左前方)3kmに海風(凉風)が航行しており、神通左舷と凉風右舷の間を、駆逐艦5隻(睦月、江風、磯風、陽炎、弥生)の単縦陣が追い抜くように通過していた[115]。最も神通に接近していたのは磯風(第十七駆逐隊)で、神通左舷600mであった[115]

この状態で航行中の6時4-5分、ガ島ヘンダーソン飛行場を発進したアメリカ軍急降下爆撃機SBDドーントレス8機が雲間より出現、来襲機を味方機と誤認していた神通は奇襲を受けた[114]。神通の第1主砲・第2主砲の間に爆弾が命中、第一兵員室で炸裂し火災が発生、前部弾薬庫に注水する[116]

さらに船団への空襲は続いた。輸送船金龍丸は被弾して大爆発を起こし、乗組員と便乗者を弥生と哨戒艇に移したのち睦月によって雷撃処分された[114]。その睦月も、B-17爆撃機3機の空襲で被弾し9時40分に沈没した[117][118]。通信機能の一部を喪失した神通は駆逐艦2隻(陽炎、凉風)に護衛され、輸送船団から離れるように16ノットでアメリカ軍機行動圏外に避退を開始する[114]。火災も鎮火したため田中司令官は陽炎に移乗、2隻(神通、涼風)のみトラック泊地に向かわせた[119]

また沈没艦2隻(睦月、金龍丸)の生存者を救助した3隻(弥生、哨戒艇1号、2号)も船団を離脱してラバウルに向かった[120][121]。26日、第二水雷戦隊旗艦となった陽炎は燃料不足の海風と共に先行してショートランド泊地へ向かい、残された磯風が船団の指揮を執って同泊地へ向かった[122][123]

8月28日午前8時、神通はトラック泊地に到着し応急修理を開始した[124]。一方、ショートランド泊地にて田中頼三少将は二水戦旗艦を陽炎から重巡衣笠に変更した[125]。8月31日午前8時、第三水雷戦隊(司令官橋本信太郎少将:旗艦川内、第十九駆逐隊《浦波敷波》、第十七駆逐隊《浦風谷風》)がショートランド泊地に到着[126]。これをもって田中司令官は増援部隊の任務を解かれ、橋本司令官がその任を引き継いだ[127][128]。同日、田中司令官は衣笠より駆逐艦夕霧(第二十駆逐隊)に移乗し、ショートランドよりトラック泊地へ向かった[129][130]

9月2日午後、夕霧のトラック泊地到着後、田中司令官は神通に二水戦旗艦を戻した[131]。9日、二水戦旗艦は神通から陽炎型駆逐艦5番艦早潮(第十五駆逐隊)に変更された[132]。引き続きトラック泊地で待機する神通に対し[133]、9月25日附で長良型軽巡洋艦2番艦五十鈴が第二水雷戦隊に編入され、神通は呉鎮守府部隊に所属変更となった[134]。翌日、二水戦旗艦は五十鈴に変更された[135]。10月8日、神通は日本本土に戻る[136]呉鎮守府(司令長官豊田副武大将)の指揮下にあって、サボ島沖海戦で大破した重巡青葉などと共に修理整備作業に従事した[137][138]

12月29日、田中頼三少将は第二水雷戦隊司令官を更迭され、後任として小柳冨次少将が着任、駆逐艦長波に将旗を掲げた[139]。結局、第二次ソロモン海戦による損傷以降、神通が参加した海戦は神通が沈没するコロンバンガラ島沖海戦のみだった[140]

昭和18年の戦い[編集]

1943年(昭和18年)1月16日、五十鈴は第二水雷戦隊から第十六戦隊に編入された[141][142]。同日附で神通は呉鎮守府部隊から第二水雷戦隊に編入された[143][142]

この間、二水戦旗艦は五十鈴ヘンダーソン基地艦砲射撃時)、駆逐艦早霜(1942年11月12日第三次ソロモン海戦時)、長波(同年11月30日ルンガ沖夜戦時旗艦)、照月(ドラム缶輸送中同年12月12日沈没)、黒潮(第六次ガ島輸送作戦時一時将旗掲揚)などが歴任していた。

1月18日、神通は呉を出撃[142]大和型戦艦2番艦武蔵、第二水雷戦隊神通、第一航空戦隊瑞鶴瑞鳳)、駆逐艦5隻(第十駆逐隊《夕雲秋雲巻雲風雲》、第十六駆逐隊《雪風》)という編制だった[144]。1月23日、トラック泊地に到着[142]。同日、小柳司令官(旗艦長波)は退隊し、一時神通艦長の藤田俊造大佐が二水戦司令官職務を代理した[145]。30日、伊崎俊二少将が第二水雷戦隊司令官として着任、旗艦を神通に指定している[146]

1月31日、ガダルカナル島からの撤退作戦ケ号作戦支援のため、神通は前進部隊警戒隊(阿賀野長良朝雲五月雨陽炎大波時雨敷波涼風初雪)を率いて出撃、前進部隊本隊(旗艦:愛宕、高雄、妙高、羽黒、金剛、榛名)・航空部隊(隼鷹瑞鳳等)と合流し外洋に出た[147][148]。神通・朝雲・五月雨・陽炎・大波・時雨・敷波が本隊護衛、涼風が補給部隊、阿賀野以下が航空部隊の護衛という区分だった[149]。ただしガダルカナル島の北方約700海里グリニッチ島の東方海域に行動していた為、アメリカ軍と交戦することはなかった[150]

2月3日、駆逐艦2隻(朝雲、五月雨)は外南洋部隊に編入されてショートランド泊地に向かった[151][152]。2月9日、神通以下警戒部隊はトラック泊地帰投[153]。それからの神通はコロンバンガラ島沖海戦に参加するまで、ルオット島輸送以外はトラック泊地で待機を続けた[140]

3月中、神通はトラック泊地で待機[154]

4月、トラック泊地で待機[155]

5月、トラック泊地で待機[156]。5月8日、コロンバンガラ島輸送任務に従事していた麾下第十五駆逐隊の3隻(親潮、黒潮、陽炎)が触雷して一挙に沈没[157]

6月、ようやく神通に出動が命じられた。第二航空戦隊隼鷹飛鷹航空隊がマーシャル諸島地上基地に進出するにあたり、第四水雷戦隊(長良時雨)等と手分けしての基地要員輸送任務を命じられたのである[158][159]。2隻(軽巡《神通》、駆逐艦《江風》)の任務は、ルオット島(ロイ=ナムル島)への基地要員(314名[160])と軍需物資揚陸であった[161]

14日、二水戦(神通、江風)はトラックを出港し[158][162]、16日14時ルオット島に着いた。同島への補給の困難な点・食糧事情を考慮した伊崎二水戦司令官は、両艦の糧食を2週間分残すと、残りを現地基地要員のために降ろしてしまった[163]。17日朝に同地出発、19日夕刻トラック着[158][164]

ニュージョージア島の戦い[編集]

ガダルカナル島から日本軍を撤退させたアメリカ軍は小休止状態にあったが、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサー指揮の下、3月にカートホイール作戦を立案して作戦準備を行っていた。アメリカ軍の次の目標はニュージョージア島ムンダ飛行場であった。まず6月30日にレンドバ島を上陸占領、重砲陣地を築きムンダ一帯を射程に収めた。日本軍はコロンバンガラ島に戦力を集めて態勢を整え、しかる後レンドバ島のアメリカ軍に対し逆上陸を行う事を企図する。そのため駆逐艦による鼠輸送を実施するが、米艦隊に迎撃されて7月5-6日のクラ湾夜戦が生起[165]。海戦には勝利したものの、新鋭秋月型駆逐艦5番艦新月及び睦月型駆逐艦8番艦長月が沈没、新月の沈没時に第三水雷戦隊司令官秋山輝男少将以下第三水雷戦隊司令部全滅という代償を支払った[166]

そこで重巡鳥海艦長有賀幸作大佐が暫定的に増援部隊の指揮をとった[167]。同時に三水戦司令官後任として伊集院松治大佐(当時戦艦金剛艦長)が任命され、7月10日に着任すると旗艦を川内型1番艦川内に定めた[168][169]。しかし準備が整うまでの間、連合艦隊司令長官古賀峯一大将は第二水雷戦隊(司令官伊崎俊二少将:旗艦神通・駆逐艦清波)、および第七戦隊(司令官西村祥治少将:熊野鈴谷)を南東方面部隊に編入させ、コロンバンガラ島への輸送作戦従事を命じた[166]。なお神通と共に出撃した駆逐艦複数隻(雪風、浜風、三日月)等は一時的に伊崎司令官の指揮下に入っただけで、第二水雷戦隊所属艦ではない[170]。二水戦所属(神通麾下)の駆逐艦は清波のみであり、他の二水戦麾下艦は損傷して修理中か別方面の作戦に投入されていた。

コロンバンガラ島沖海戦[編集]
捕虜となった神通の乗員、ニコラス (USS Nicholas, DD-449) 艦内で

1943年(昭和18年)7月11日、ラバウルには川内・三日月・夕凪・鳥海・雪風・浜風・谷風・夕暮が所在し、戦力は整いつつあった[171]。12日3時30分、神通以下コロンバンガラ島警戒隊(清波、雪風、浜風、夕暮、三日月)・輸送隊(皐月、水無月、夕凪、松風)はラバウルを出撃、ブカ島を経てクラ湾に接近する[166][172]。13日、警戒隊旗艦の神通はコロンバンガラ島沖海戦に参加、警戒隊は三日月-神通-雪風-浜風-清波-夕暮という単縦陣であった[173]。対するアメリカ艦隊はウォルデン・L・エインズワース少将を指揮官とする軽巡洋艦3隻(ホノルルセントルイスリアンダー)・駆逐艦10隻で、日本艦隊より優勢であった[174][175]

戦闘開始前、神通は探照灯を照射[176]。照射をやめ魚雷発射後、神通は軽巡洋艦3隻からのレーダー射撃を受けた[177]。艦橋への被弾で艦長佐藤寅治郎大佐や伊崎俊二少将などが戦死し第二水雷戦隊司令部は全滅[178]。さらに、艦尾への命中弾で舵が破壊された[178]。神通は二度目の魚雷発射後、缶室に多数の命中弾を受けて航行不能となった[179]。その後、アメリカ駆逐艦の雷撃で二番煙突の右舷後方に魚雷が命中[179]。さらにもう一本魚雷が命中し、神通は大爆発を起こして二番煙突後方で二つに折れて沈没した[180]。軽巡洋艦3隻が発射した砲弾は合計で15cm砲弾が2630発、12.7cm高角砲弾が373発にのぼった[179]。神通に砲撃が集中した間に駆逐艦は雷撃を行い、軽巡リアンダーを撃破している[181]。さらに再装填後の雷撃により軽巡セントルイス、ホノルル、駆逐艦グウィンを撃破し、また海戦の間に輸送隊は揚陸をおこない輸送作戦は成功した[182]

戦闘後、輸送を終えた第二十二駆逐隊(皐月水無月)は反転して神通の遭難現場に向かうが生存者を発見できず、7時35分に救助を打ち切って帰投した[183]。基地航空隊も神通の生存者を捜索したが発見できず、また出撃した艦爆6・零戦32機も撤退する米艦隊を発見することが出来なかった[184]。 神通の生存者は伊号第百八十潜水艦により21名が救助され[185]、アメリカの高速輸送艦デントとウォーターにも2名が救助されている[186]

チェスター・ニミッツ(当時太平洋艦隊司令長官)は米艦隊(エインズワース少将)の問題として『レーダーに映ったもっとも大きな目標(クラ湾夜戦では新月、本海戦では神通)への攻撃に偏った』、『敵艦隊(二水戦)に近寄り過ぎた上に射撃開始の時機を逸し、ために雷撃のチャンスを敵に与えた』事を指摘している[187]

同年9月10日、神通は川内型巡洋艦[188]、帝国軍艦籍からそれぞれ除籍された[189]。三水戦旗艦新月や水上機母艦日進も神通と同日附で除籍されている[189]


発見[編集]

ポール・アレン創業の調査チームが神通の船体をソロモン諸島西部州クラ湾水深900mの地点で発見したと発表した[190]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』164-166頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長[編集]

  1. 柘植道二 大佐:1923年11月10日[191] - 1925年2月2日[192]
  2. 福島貫三 大佐:1925年2月2日 -

艦長[編集]

  1. 福島貫三 大佐:1925年7月31日 - 1925年12月1日
  2. 山内豊中 大佐:1925年12月1日 - 1926年11月1日
  3. 水城圭次 大佐:1926年11月1日 - 1927年10月7日
  4. (兼)三矢四郎 大佐:1927年10月7日 - 1927年11月15日
  5. 秋山虎六 大佐:1927年11月15日 - 1928年12月10日
  6. 町田進一郎 大佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
  7. 遠山彦次 大佐:1929年11月30日 - 1930年12月1日
  8. 井沢春馬 大佐:1930年12月1日 - 1931年12月1日
  9. 岩下保太郎 大佐:1931年12月1日 - 1932年11月15日
  10. 大熊政吉 大佐:1932年11月15日 - 1933年11月15日
  11. 鈴木幸三 大佐:1933年11月15日 - 1934年11月15日
  12. 原顕三郎 大佐:1934年11月15日 - 1935年11月15日
  13. 阿部孝壮 大佐:1935年11月15日 - 1936年12月1日
  14. 阿部弘毅 大佐:1936年12月1日 - 1937年12月1日
  15. 田中頼三 大佐:1937年12月1日 - 1938年12月15日
  16. 難波祐之 大佐:1938年12月15日 - 1939年11月15日[193]
  17. (兼)伊崎俊二 大佐:1939年11月15日 - 1939年12月5日
  18. 木村昌福 大佐:1939年12月5日 - 1940年10月15日
  19. 河西虎三 大佐:1940年10月15日 -
  20. 藤田俊造 大佐:1942年12月26日 -
  21. 佐藤寅治郎 大佐:1943年2月12日 - 1943年7月12日戦死

同型艦[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 令達等で使用される制式漢字はしめすへんが「示」の「示申(神)通」。

出典[編集]

  1. ^ a b c d #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1057-1087、昭和3年2月14日(内令43)艦船要目公表範囲。
  2. ^ 大正14年7月31日付 海軍内令 第204号改正、海軍定員令「第50表 二等巡洋艦定員表 其4」。この数字は特修兵を含まない。
  3. ^ a b #達大正10年3月p.14『達第四十三號 軍備補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ二等巡洋艦四隻ニ左ノ通命名セラル|大正十年三月十九日 海軍大臣男爵加藤友三郎|  センダイ ジンツウ
  4. ^ #日本軍艦集2600年版p.30『ニ等巡洋艦 神通(じんつう) 基準排水量5,1950噸、長さ152.4米、幅14.4米、平均吃水4.84米、速力33節、備砲14糎砲7門、8糎高角砲2門、魚雷發射管8門、起工大正11年8月4日、進水大正12年12月8日、竣工大正14年7月31日、建造所神戸川崎造船所-最上級に次いで大きい輕巡で、同型艦に那珂、川内がある。』
  5. ^ #艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.2『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|二等|川内型|川内、神通、那珂』
  6. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.137『神通(じんつう) 艦種二等巡洋艦 球磨改良型 艦名考川名に採る、神通川、古名河は飛騨に發し、越中国に入り海溝に注ぐ。 艦歴昭和6・7年事變(日支)從軍:同7年2月上海及揚子江方面警備(艦長大佐岩下保太郎)。』
  7. ^ #達大正1年8月p.32『達第十一號 艦艇類別標準別表ノ通改正セラル 大正元年八月二十六日 海軍大臣男爵斎藤實 |艦艇類別標準|軍艦|巡洋艦|一等|七千頓以上|二等|七千頓未満』
  8. ^ #達大正10年6月p.17『達第百十八號 艦艇類別等級別表中巡洋艦二等ノ欄「鬼怒」ノ下ニ「、加古、那珂、川内、神通」ヲ加フ|大正十年六月九日 海軍大臣男爵 加藤友三郎』
  9. ^ #軍艦加古工事に関する件p.3『大正十一年三月十七日 佐鎮司令長官宛 二等巡洋艦一隻建造ノ件取止メ』
  10. ^ a b c #艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『神通|二等巡洋艦|(艦要目略)|神戸川崎造船所|11-8-4|12-12-8|14-7-31|(艦装備略)』
  11. ^ #達大正11年10月p.2『達第百七十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|大正十一年十月九日 海軍大臣男爵加藤友三郎|巡洋艦一等ノ欄ニ「加古、衣笠、古鷹」ヲ加ヘ同二等ノ欄「加古、」ヲ削ル』
  12. ^ #達大正11年10月p.2『達第百七十六號 軍備補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ二等巡洋艦四隻ノ内加古ノ艦型ヲ一等巡洋艦ニ變更シ大正十一年度ニ於テ川崎造船所ニ於テ建造セシム|大正十一年十月九日 海軍大臣男爵加藤友三郎』
  13. ^ #出張(5)p.1『大正十二年十一月二十二日(略)二十二日朝神通水中進水台附近ニ汽船沈没シ急ニ引揚ノ見込ナキニ付進水ヲ當分延期ス(略)』
  14. ^ 北國新聞 (2018年7月14日). “軍艦「神通」、15日に慰霊祭 高岡・射水神社で初めて計画”. 2018年7月17日閲覧。
  15. ^ #川崎造船所四十年史p.109『大正十四年四月十日帝國一等巡洋艦加古(七,一〇〇頓)進水式ヲ擧行セラルルニ付御名代トシテ梨本宮守正王殿下御台臨アラセラル』
  16. ^ #軍艦加古p.13『一.進水式参列者(海軍側)仝(會社側))(略)五.川崎乗船所ニ建造中ノ軍艦神通艤装員(略)』
  17. ^ #日本軍艦集2600年版p.30
  18. ^ #ポケット海軍年鑑(1935)p.31『二等巡洋艦 "神通 じんつう" 全要目{基準排水量5,1950噸、速力33.0節、備砲14糎砲7門、8糎高角砲2門、魚雷發射管8門、起工大正11年8月、竣工大正14年7月 建造所神戸川崎造船所} その任務の廣汎なること及び調法千萬なることにかけてはこの艦種の右に出づるものはあるまい。艦隊の前衛として敵の輕快艦艇の來襲を遮断してこれを撃攘したり偵察索敵の任務は元よりのこと或は驅逐隊の旗艦ともなれば又潜水戰隊をも率ゐる。殊に平時に於てこの艦種が近海は元より、遠く日本海、支那海方面の固き守に専念してゐることを忘れてはならない。神通は全長152.40米、最大幅14.40米、平均吃水4.84米。艦橋の前方に飛行機を發艦させる射出機(カタパルト)が見えてゐる。昭和10年度は第二艦隊の第二水雷戰隊として活躍してゐる。』
  19. ^ #ポケット海軍年鑑(1937)p.36『二等巡洋艦 "神通 じんつう" 全要目{基準排水量5,1950噸、速力33.0節、備砲14糎砲7門、8糎高角砲2門、魚雷發射管8門、起工大正11年8月、竣工大正14年7月 建造所神戸川崎造船所} その任務の廣汎なること及び調法千萬なことにかけては二等巡洋艦の右に出づるものはあるまい。この意味では二等巡洋艦に多彩なる種類を有つわが海軍はまことに事實に即してゐるといつてよい。7門の大砲がすべて單装砲にあつてゐるのも自らその理由をもつてゐる。艦隊の前衛となり敵輕快艦艇の來襲を遮断してこれを撃攘したり偵察索敵するの任務はもとよりのこと、或は驅逐隊の旗艦ともなれば又潜水戰隊をも率ゐる。平時にあつては本州沿岸の近海はもとより、日本海、支那海方面の固き守りに専念してゐる。神通は全長152.40米、最大幅14.40米、平均吃水4.84米。搭載水上機またその活動を倍加せしめてゐるのである。』
  20. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(2)p.11『軍艦神通ハ昭和二年八月二十四日聯合艦隊第八回基本演習ニ参加シ乙軍第五戦隊第二小隊ノ先頭艦トシテ二番艦那珂ヲ率ヒ仝日午後十時美保湾錨地ヲ出港…』
  21. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(3)p.50『触接及襲撃要領』
  22. ^ a b #黒き日本海に消ゆ20頁
  23. ^ #黒き日本海に消ゆ62頁
  24. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(7)pp.7-16』
  25. ^ #黒き日本海に消ゆ36-37頁(龍田は神通が右旋回を終えるまで6分間照射)
  26. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(3)pp.46-47『実施経過概要 午後十時演習開始各隊予定ノ如ク行動ヲ開始ス午後十一時六分左翼列ノ第五戦隊第二小隊ハ甲軍伊勢型ヲ発見触接探照灯ヲ用ヒ之ヲ友軍ニ通報ス爰ニ於テ第二十六及第二十七駆逐隊ハ第五戦隊第一小隊ヨリ分離進撃ス 第二小隊ト概ネ竝進セシ第一小隊ハ其頃艦首ニ長門型ラシキモノヲ発見シテ之ガ艦尾ニ触接運動中十一時二十六分葦ヨリ衝突救助ヲ要スル旨信号ニ接シ反転現場ニ至リ損傷艦ノ救助溺者捜索ニ従事ス』
  27. ^ #黒き日本海に消ゆ46-47頁
  28. ^ #黒き日本海に消ゆ56-59頁『「那珂」衝突』
  29. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(1)p.12『当時遭難地附近ニ在リテ極力短艇等ヲ以テ救難ニ従事シツツアリシ艦艇左ノ如シ 伊勢加古古鷹鬼怒阿武隈由良龍田第二十六第二十七駆逐隊』
  30. ^ #黒き日本海に消ゆ71頁
  31. ^ a b c #黒き日本海に消ゆ73-74頁
  32. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(1)p.13『那珂ハ25日午前2時40分防水区画補強工事及防水畫出シ方終了自力航行ニ差支ナキヲ確メタル旨報告ニ接シ比叡及古鷹之ヲ護衛シ舞鶴ニ回航セシム25日午後5時無事到着セリ』
  33. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(1)p.14『神通ハ損傷最甚シク二十五日午前八時其ノ防水補強作業終了シ金剛ハ之ヲ艦尾曳ニテ舞鶴ニ回航加古之ヲ護衛シ二十六日午前九時無事舞鶴着』
  34. ^ a b #黒き日本海に消ゆ102-103頁
  35. ^ #軍艦神通艦首形状改正p.2『別紙図面ニ示ス通リ艦首形状ヲ軍艦那珂ニ準ジ改正』
  36. ^ #黒き日本海に消ゆ179頁
  37. ^ #近世自殺者列伝p.27『水城圭次 海軍大佐 昭和二年十二月二十六日自殺 享年四十四 長野縣の人、明治三十七年海軍兵學校卒業。昭和二年八月の海軍特別大演習に於ける美保關沖衝突事件の第一責任者として海軍々法會議に付せられたが、憂悶三月終に責任自殺を遂げた。』
  38. ^ #海軍生活放談362頁
  39. ^ a b #海軍生活放談363頁
  40. ^ a b c d #海軍生活放談364-365頁
  41. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制p.3『聯合艦隊|第二艦隊|第二水雷戦隊|神通、第十五驅逐隊 第十六驅逐隊 第十七驅逐隊 第十八驅逐隊』
  42. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、154ページ
  43. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、111ページ
  44. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、217-218ページ
  45. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、220、222ページ
  46. ^ #戦隊行動調書p.36『8dgハ南方部隊本隊、18dgハ機動部隊|1月13日、8dgハ2sdニ復帰』
  47. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、226ページ
  48. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、228ページ
  49. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、235ページ
  50. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、253ページ
  51. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、287ページ
  52. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、289ページ
  53. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、292ページ
  54. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、294ページ
  55. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、297-298ページ
  56. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、300ページ
  57. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、304ページ
  58. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、159-160ページ
  59. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、167ページ
  60. ^ a b 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、168ページ
  61. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、181ページ
  62. ^ JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030090500、昭和17年1月1日~昭和17年1月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(防衛省防衛研究所)
  63. ^ a b 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、232ページ
  64. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、232ページ
  65. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、235ページ
  66. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、241ページ
  67. ^ a b 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、364ページ
  68. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、359、264-265ページ
  69. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、369ページ
  70. ^ a b 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、368ページ
  71. ^ #S1703二水戦日誌(3)p.3『(一)4月10日附戦時編制ノ改編ニ伴ヒ8dgハ4sdニ編入セラレ又同日附GF第二段作戦第一期兵力部署ノ発動ニ依リ2sd(16dg、18dg缺)ハ前進部隊ニ、16dg・18dgハ特令アル迄夫々南方部隊及機動部隊ニ残留ノコトトナル。』
  72. ^ #戦史叢書29北東方面156頁『前進部隊』
  73. ^ #S1703二水戦日誌(3)p.47『四.参考 麾下艦船部隊ノ行動』
  74. ^ #戦史叢書29北東方面185頁『前進部隊の作戦』
  75. ^ #S1703二水戦日誌(3)p.53『20日(二)2sd(dg欠)前進部隊本隊ニ編入セラル』
  76. ^ #S1703二水戦日誌(3)pp.57-59『自昭和17年4月19日至昭和17年4月22日 2sd(dg欠)行動圖』
  77. ^ #S1703二水戦日誌(3)p.54『22日(三)1720 2sd(dg欠)呉着|(四)15dg警戒部隊ヨリ分離豊後水道発菲島ニ向フ』
  78. ^ #S1703二水戦日誌(5)pp.4-5『(ロ)自五月二十日至五月三十一日 五月二十日附GF第二段作戰第二期兵力部署トナリ尓後2sd(早潮欠)ハ攻略部隊護衛隊トシテ早潮ハ攻略部隊航空隊ニ編入MI作戰ニ従事』
  79. ^ #S1705二水戦日誌(2)p.35『四参考(イ)麾下艦船部隊ノ行動』
  80. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)28頁『MI作戦参加部隊一部のトラック、グァムへの引揚げ』
  81. ^ #S1705二水戦日誌(2)p.52『自7月1日至7月4日18dg(陽炎缺)ハ5F長官ノ指揮下ニ入リ千代田あるぜんちな丸護衛任務ニ従事7月5日「キスカ」警泊中遭難』
  82. ^ #S1705二水戦日誌(3)p.36『7月5日 一.0256 18dg(陽炎缺)「キスカ」ニ警泊中敵潜ノ攻撃ヲ受ケ霰沈没、不知火霞各魚雷1命中』
  83. ^ #内令昭和17年8月(2)p.40『内令第千五百三十號 驅逐隊編制中左ノ通改正セラル 昭和十七年八月十五日海軍大臣嶋田繁太郎 第十八駆逐隊ノ項ヲ削ル』
  84. ^ #S1705二水戦日誌(2)p.53『陽炎ハ自7月1日至7月9日湊町沖又ハ横須賀ニ在リテ敵潜掃蕩作戦竝ニ主要艦船護衛任務ニ従事、7月9日菊川丸ヲ護衛「キスカ」譜面ニ行動、7月20日附18dg(陽炎缺)ハ5Fニ、陽炎ハ15dgニ編入セラル』
  85. ^ #S1705二水戦日誌(2)p.52『7月11日16dg(-2d)ハ南海丸ヲ護衛シ「ラボール」ニ向フ、7月14日附16dgハ10sニ編入セラル』
  86. ^ #S1705二水戦日誌(2)p.53『24dg(山風缺)7月14日附當隊ニ編入セラレ7月18日湊町沖着當隊ニ合同…』
  87. ^ #S1708二水戦日誌(1)p.3『2sd(dg缺)自8月1日至敵潜掃蕩、主要艦船護衛ノ支援竝ニ整備改造工事(於横須賀)ニ従事』
  88. ^ #S1708二水戦日誌(6)pp.8-9『5日1400神通、初風横須賀発 1800木更津沖着|6日0800天津風江風、修理ノ為木更津沖発』-『7日 1730(1800)初風、1800(1830)凉風、1815(1945)神通 夫々木更津沖発(横須賀着)』
  89. ^ #S1708二水戦日誌(1)p.3『8月11日横須賀出撃、15日「トラック」ニ進出陸軍トノ協定竝作戦打合実施、自8月16日至8月31日外南洋部隊トシテ「ガダルカナル」奪還作戦ニ従事』
  90. ^ #S1708二水戦日誌(2)p.3『15日1525司令官2sd/神通陽炎1500「トラック」着』
  91. ^ #叢書49南東方面(1)518-519頁
  92. ^ #S1708増援部隊(1)p.10『(一)挺身隊(4dg《野分舞風缺》17dg《磯風缺》及陽炎)ハ陸軍一木支隊先遣隊(陸兵約900名)ヲ分乗、4dg司令指揮ノ下ニ8月16日0500「トラック」ヲ出撃ス』
  93. ^ #S1708増援部隊(1)p.11『((五)挺身隊ハ8月18日2030「ガダルカナル」島「タイボ」岬西方泊地ニ進入シ2100上陸成功2330右揚陸作業ヲ終了後予定計画ニ従ヒ4dg(野分舞風缺)及陽炎ハ「ツラギ」及「ルンガ」泊地附近ノ警戒ニ任ジ17dg(磯風缺)ハ「レ」号作戦参加ノ為「ラバール」ニ向フ』
  94. ^ a b #叢書49南東方面534-535頁『挺身隊の偵察攻撃』
  95. ^ #S1708増援部隊(1)p.12『1015萩風ハ三番砲塔後部ニ爆弾命中損傷ヲ蒙リ嵐護衛ノ下ニ「トラック」ニ向フ。陽炎ハ4dg(野分舞風缺)ノ任務ヲ継承シ「ガダルカナル」泊地ノ警戒ニ任ズ』
  96. ^ #S1708増援部隊(1)p.13『8月20日1420外南洋部隊電令作第40号ニ依リ江風ハ陽炎ト交代ノ為「ガダルカナル」方面ニ進出ス(略)江風ハ8月21日夜「ガダルカナル」「ツラギ」泊地襲撃ノ為急速南下、8月22日「ルンガ」泊地ニ侵入0200敵駆逐艦2隻ヲ砲雷撃内1隻ヲ轟沈セリ』
  97. ^ #叢書49南東方面552頁
  98. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)『「ガ」島奪還作戦部隊のトラック出撃』96頁
  99. ^ #S1708増援部隊(1)p.10『同時刻(8月16日0500)第二梯団(陸軍輸送船ぼすとん丸、大福丸《一木支隊ノ約1500名乗船》護衛艦艇《神通、哨34、哨35》)「トラック」発|(二)8月17日0700哨1、哨2、金龍丸ヲ護衛シ「トラック」発』|(三)24dgハ前進部隊電令作第24号ニ依リ2sd司令官ノ指揮ヲ受ケ一木支隊ノ護衛ニ任ゼシメラレシヲ以テ8月17日1500「トラック」発|(四)8月18日1300 24dg第二梯団ニ合同ス|(七)8月19日0530金龍丸、哨1、哨2、第二梯団ニ合同ス』
  100. ^ #S1708増援部隊(1)p.13『(10)「ガダルカナル」ハ8月20日夕刻迄ニ敵空母ヨリ艦上機約30機ノ増勢アリシモノノ如シ特ニ「ラビ」「サマライ」方面ヨリスル広範囲ニ亘ル敵ノ飛行索敵ノ現状ニ於テハ酸クトモ「ガダルカナル」基地ニ対スル航空撃滅戦ヲ実施セザル限リ低速船団ヲ以テ敵航空勢力圏内ニ進入スルハ極メテ港南ナルモノト認メタリ』
  101. ^ #叢書49南東方面541頁
  102. ^ #S1708増援部隊(1)p.13『(12)8月21日1225哨戒艇(4隻)ハ燃料補給ノ為「ショートランド」ニ向フ、神通及24dgハ船団(ボストン丸、大福丸、金龍丸)ヲ護衛、同日1315外南洋部隊電令作第44号ニ依リ反転針路135度トシ「ガダルカナル」ニ向フ』
  103. ^ #叢書49南東方面558頁
  104. ^ #S1708増援部隊(1)p.41『二.23ンチ0730敵「コンソリデット」型1機100度方向ヨリ飛来船団ニ触接護衛隊26節即時待機トナス~|三.0840 8F機密第345番電ニ依リ一時北方ニ避退ノ為針路0度トナス|四.0905尚モ敵「コンソリデット」型1機第2梯団ニ触接シオリヲ以テ針路315度トナス|(略)六.0937触接中ノ艇飛行艇ヲ5度方向17粁ニ認メ0939神通一時之ヲ砲撃、撃攘セシモ1047迄極メテ執拗ニ触接ヲ持続セリ』
  105. ^ a b c #叢書49南東方面584-585頁『外南洋部隊の作戦』
  106. ^ #S1708増援部隊(1)p.15『(17)8月24日1250 6S(衣笠缺)ヲ75°方向20粁ニ認メ1413将旗6Sヨリ「敵味方飛行機約20機交戦中」續イテ「船団ハ一時西方ニ避退スルヲ可ト認ム」トノ信号アリ』
  107. ^ #S1708増援部隊(1)p.15『偶〃東方海面ニ於テ空母ラシキモノ火災中ナルヲ認メタル等右情況ヲ総合シ船団ヲ一時西方ニ避退セシムルヲ可ト認メ1423針路270度トナシ1630日没ト共ニ針路180度ニテ「ガダルカナル」ニ向フ』
  108. ^ #S1708増援部隊(1)p.16『(18)8月24日彼我機動部隊ノ戦闘ニ於ケル戦果左ノ如シ 第一航空母艦(エセックス型)戦艦各1大火災 第二航空母艦1火災 「ガダルカナル」攻撃ニ於テ敵機10機以上撃墜其ノ他詳細不明』
  109. ^ #S1708増援部隊(1)p.16『8月24日1811梯団ハ外南洋部隊電令作第55号ニ依リ針路315度トナセシモ更ニ2112外南洋部隊電令作第57号ニ依リ反転ヲ命ゼラレ針路160度トシ「ガダルカナル」ニ向フ。同日ハ基地攻撃隊ヲ以テスル「ガダルカナル」ノ攻撃ヲ取止メラレタルヲ以テ假令龍驤飛行機隊攻撃ノ成果アリシト雖モ敵空母ノ存在竝ニ「ガダルカナル」基地増勢ノ現状ニ於テハ第二梯団ノ泊地侵入竝ニ揚陸ハ極メテ困難ニシテ速ニ敵基地航空兵力ヲ撃滅スルノ要切ナルモノアルヲ痛感セリ』
  110. ^ #S1708増援部隊(4)p.1『24日1730司令官2sd→11AF8F(GF、2F、3F)各参謀長/敵空母ノ活躍竝ニ「ガダルカナル」基地増強ノ現状等ニ鑑ミ此ノ際低速輸送船ヲ以テスル増援ハ成功ノ算尠キモノト認ム』
  111. ^ #S1708二水戦日誌(4)p.10『8F参謀長25日0755/目下ノ情況ニ於テハ第二梯団ノ泊地進入ハ不可能ト認ム、上空直衛ヲ至急配スルト共ニ「ガダルカナル」敵航空兵力ヲ速ニ撃滅ヲ要スコト緊要ナリ』
  112. ^ #S1708増援部隊(1)pp.16-17『(20)30dg(卯月望月缺)磯風江風陽炎ハ8月24日2200「ルンガロード」ニ進入飛行場附近ヲ砲撃シタル後北方ニ避退セリ。陽炎ハ敵潜1隻ヲ砲撃及爆雷攻撃ニ依リ概ネ確実ニ撃沈セリ』
  113. ^ #S1708増援部隊(1)pp.17『(21)第二梯団ハ8月25日0023月明下ニ船団触接中ノ敵「コンソリデット」1機ヲ認メ而モ既ニ敵航空威力圏内ニ進入シアリシヲ以テ益ヽ厳重ナル警戒ヲナシツツ南下シ0235哨戒艇(4隻)ヲ続イテ0540 30dg(望月卯月缺)陽炎江風及磯風ヲ合同セリ。右部隊ハ概ネ新編入ノモノナリシヲ以テ警戒航行序列泊地進入揚陸竝ニ出港離脱要領等ヲ下令スルノ要アリ』
  114. ^ a b c d #叢書49南東方面586-589頁『金龍丸及び睦月の沈没』
  115. ^ a b #S1708増援部隊(1)p.64『附圖第一神通爆撃時ノ第二梯団ノ陣形(註)睦月以下駆逐艦5隻ハ合同ト同時ニ指揮下ニ入レラレタルヲ以テ信号命令発信中ナリ』
  116. ^ #S1708増援部隊(1)p.17,46『神通ハ右信令下達後陽炎ト共ニ一時梯団ヨリ離隔セント企図シアリシモ0604敵「グラマン」戦闘機4機ノ掃射爆撃ヲ受ケ爆弾1、1.2番砲間ニ命中第一兵員室ニ於テ炸裂火災浸水セリ、直ニ防火、防水前部弾火薬庫ニ注水ヲ令スルト共ニ…』-『0605神通対空戦闘 敵戦闘機3機艦橋掃射續イテ爆撃機1機突入爆撃 神通前甲板(1.2番砲塔間)ニ爆弾1個命中火災ヲ起ス』
  117. ^ #S1708増援部隊(1)p.18『取敢ヘズ陽炎涼風ヲ神通ノ直衛トシテ敵航空威力圏外ニ脱出スルニ努メ24dg司令ヲシテ船団ヲ護衛シ一時北西方ニ避退セシメタリ。此ノ間梯団ハ敵飛行機ノ銃爆撃ヲ受ケ0607金龍丸ニ爆弾命中大火災ヲ起シ同船遂ニ鎮火ノ見込ナカリシヲ以テ睦月哨1哨2ハ横五特竝ニ金龍丸乗員ヲ収容ノ後睦月ノ魚雷ヲ以テ金龍丸ヲ処分ス。0940睦月ハ金龍丸ヲ処分中敵B17型3機ノ爆撃ヲ受ケ沈没セリ。弥生哨1哨2ハ金龍丸睦月ノ生存者ヲ収容避退ニ任ズ。』
  118. ^ #S1708増援部隊(4)p.14『30dg(望月卯月缺)ハ地点「ケムヌ14」ニ於テ金龍丸ノ救助処分ニ従事中睦月ハ0827敵B-17三機ノ爆撃ヲ受け後部機関室ニ命中0940遂ニ沈没セリ(略)』
  119. ^ #S1708増援部隊(1)p.18『(22)神通0715針路335度速力16節トナシ西方ニ避退中0805鎮火0930外南洋部隊指揮官ヨリ8月25日ノ上陸ハ取止メラレタル電命ヲ受ケシヲ以テ1000将旗ヲ陽炎ニ移揚シ、涼風ヲシテ神通ヲ護衛「トラック」ニ回航セシメ陽炎船団ニ追及、第二梯団ヲ指揮シ「ショートランド」ニ向フ。』
  120. ^ #S1708増援部隊(4)p.19『25日1400司令官2sd/弥生哨1哨2ハ30dg司令所定ニ依リ「ラボール」ニ回航スベシ』
  121. ^ #戦史叢書83ガ島戦6頁
  122. ^ #S1708増援部隊(1)p.19(23)『8月26日1138南東方面部隊電令作第15号ニ依リ第二梯団「ショートランド」回航後海軍艦艇ヲ以テ陸軍兵力ヲ急速輸送ノコトニ決セラレシヲ以テ24dg(凉風缺)磯風ハ24dg司令指揮ノ下ニ右任務ニ従事スベキ旨下令磯風駆逐艦長ヲシテ船団護衛ノ指揮ヲ執ラシメ陽炎海風ハ「ショートランド」ニ先行2200船団「ショートランド」着』
  123. ^ #S1708増援部隊(4)p.30『26日1700司令官2sd→24dg(凉風缺)磯風[哨34・35、ぼすとん丸、大福丸]/陽炎及海風ハ先行ス、磯風艦長ハ船団護衛ノ指揮ヲ執レ』
  124. ^ #S1708二水戦日誌(6)p.6『四.参考 麾下艦船部隊ノ行動』
  125. ^ #S1708増援部隊(1)p.20『(26)8月28日0715将旗ヲ陽炎ヨリ衣笠ニ移揚ス』、#S1708二水戦日誌(1)pp.3-4『8月25日神通ハ敵「グラマン」戦闘機4ノ爆撃ヲ受ケ損傷「トラック」ニ回航。同日陽炎ニ将旗ヲ移揚、28日「ショートランド」ニ於テ衣笠ニ、31日夕霧ニ夫々将旗ヲ移揚、31日増援部隊ノ指揮ヲ(旗)3sdニ引継グト共ニ夕霧「トラック」ニ向ケ「ショートランド」発』
  126. ^ #S1708増援部隊(1)p.61『31日 二.0800川内19dg(磯波綾波缺)17dg(浦風谷風)「ショートランド」着|三.0605将旗ヲ衣笠ヨリ夕霧ニ移揚ス|(略)五.0800増援部隊ノ指揮ヲ3sd司令官ニ引継ヲ了ス』
  127. ^ #S1708増援部隊(1)p.23『(33)8月29日附増援部隊ノ指揮ヲ3sd司令官ニ継承セシムルコトトナリタルヲ以テ31日0600川内「ショートランド」入港ト同時ニ将旗ヲ衣笠ヨリ夕霧ニ移揚シ、0800増援部隊ノ指揮ヲ3sd司令官ニ引継グト共ニ24dg陽炎、11dg(叢雲缺)、天霧(陸兵約1200名)ヲシテ「ガダルカナル」ニ向ケ「ショートランド」ヲ出撃セシム』
  128. ^ #戦史叢書83ガ島戦32頁
  129. ^ #S1708増援部隊(1)p.24『(35)8月31日0915夕霧「ショートランド」発「トラック」ニ向フ』
  130. ^ #戦史叢書83ガ島戦33頁
  131. ^ #S1709二水戦日誌(1)p.11『2日1544司令官2sd/本職将旗ヲ神通ニ復帰ス、1418』
  132. ^ #S1709二水戦日誌(1)p.3『9月2日夕霧「トラック」着後将旗ヲ夕霧ヨリ神通ニ復帰。神通自9月1日至9月30日「トラック」ニ於テ応急修理ニ従事、9月9日早潮ニ将旗ヲ移揚 自9月9日至9月23日前進部隊本隊トシテ「ガダルカナル」奪還支援竝ニ敵艦隊補足撃滅作戦ニ従事。』
  133. ^ #S1709二水戦日誌(1)p.56『四.麾下艦船部隊ノ行動』
  134. ^ #戦隊行動調書p.36『9月25日 神通支援部隊ヘ 五十鈴2sdニ編入サル』、#S1709二水戦日誌(1)p.11『9月25日附神通呉鎮部隊ニ、五十鈴2sdニ夫々編入。9月26日旗艦ヲ神通ヨリ五十鈴ニ変更』
  135. ^ #S1709二水戦日誌(1)p.82『25日本日附神通呉鎮部隊ニ編入、五十鈴2sdニ編入セラル|26日0730旗艦ヲ神通ヨリ五十鈴ニ変更ス』
  136. ^ #S1710佐伯防備隊日誌(1)p.34『十月七日1130呉防戦司令官(宛略)呉防戰機密第071130番電 伯防司令ハ哨四十六及駆潜一隻ヲ以テ本日日没時ヨリ神通沖ノ島通過迄E2哨区ノ對潜掃蕩ヲ実施スベシ』
  137. ^ #S1709呉鎮日誌(5)pp.39-41『四参考 (イ)部下艦船(特設艦船ヲ含ム)ノ行動』
  138. ^ #S1709呉鎮日誌(8)p.1『四.参考(イ)部下艦船(特設艦船ヲ含ム)ノ行動』
  139. ^ #戦史叢書83ガ島戦511頁
  140. ^ a b #撃沈戦記203頁『コロンバンガラ島への輸送』
  141. ^ #戦隊行動調書p.15『昭和18年1月16日 五十鈴ヲ16Sヘ編入』
  142. ^ a b c d #S1801二水戦日誌(1)pp.4-5『(ロ)五十鈴及神通 五十鈴ハ引続キ横須賀ニ於テ修理ニ従事、16日第十六戦隊ニ編入。神通同日第二水雷戦隊ニ編入、呉ニテ修理ニ従事。18日呉発23日「トラック」着訓練並ニ次期作戦準備ニ従事』
  143. ^ #S1801呉鎮日誌(1)p.5『十六日 直率部隊ヨリ神通(第二水雷戦隊ニ編入)及夕霧(第八艦隊ニ編入)ヲ除ク』
  144. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.20『18日 一.神通「トラック」ニ向ケ呉発(回航中3F長官ノ指揮ヲ受ケ瑞鶴瑞鳳武蔵10dg雪風ト同行)]
  145. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.7『備考(一)23日迄将旗ヲ長波ニ移揚 但シ第六次「ガ」島輸送作戦中一時黒潮ニ移揚|(二)23日小柳司令官退隊、長波将旗ヲ撤ス。30日伊崎司令官着任、神通ニ将旗ヲ掲グ|(三)旧司令官退隊ヨリ新司令官着任迄神通艦長海軍大佐藤田俊造第二水雷戦隊司令官ノ職務ヲ代理ス』
  146. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.23『30日1415伊崎司令官着任将旗ヲ神通ニ掲揚』
  147. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.24『31日|二.0630前進部隊警戒隊(神通朝雲五月雨陽炎大波時雨敷波)「トラック」出撃。0800ヨリ1045迄北口外方海面対潜掃蕩|三.900前進部隊本隊及同航空部隊「ケ」号作戦ノ為「トラック」出撃|四.1050警戒隊同右ノ直衛配備ニ就ク|五.1030親潮「トラック」帰着|六.野分初風、機動部隊ニ編入』
  148. ^ #戦史叢書83ガ島戦552頁
  149. ^ #戦史叢書83ガ島戦553頁
  150. ^ #S1801二水戦日誌(3)p.24『「ケ」号作戦 将旗2sd(神通)行動圖』
  151. ^ #S1801二水戦日誌(3)p.39『備考:9dg(朝雲)五月雨ハ2月3日2100解列「ショートランド」ニ進出外南洋部隊ニ編入サレタリ』
  152. ^ #戦史叢書83ガ島戦562頁
  153. ^ #S1801二水戦日誌(3)p.3『(イ)第二水雷戦隊司令部及神通 1月31日「トラック」発前進部隊警戒隊(警戒隊指揮官本職)トシテ「ケ」号作戦ニ従事、2月9日「トラック」帰着。爾後同地ニ在リテ訓練竝ニ次期作戦準備ニ従事』
  154. ^ #S1801二水戦日誌(4)pp.3,7(イ)司令部、神通、大波(将旗31dg)(5日以後)、清波(8日以後)、海風(8日以後)、陽炎(将旗15dg)(21日以後)ハ「トラック」方面ニ在リテ警戒待機訓練並ニ整備ニ従事シ一部ヲ以テ主要艦船護衛ニ任ズ』-『行動要覧(斜線部分航海中)』
  155. ^ #S1801二水戦日誌(4)p.3『(イ)司令部及神通「トラック」ニ在リテ警戒待機、訓練並ニ整備ニ従事』
  156. ^ #S1801二水戦日誌(5)p.3『(イ)司令部及神通「トラック」ニ在リテ警戒待機、訓練並ニ整備ニ従事』
  157. ^ #S1801二水戦日誌(5)p.3『(ロ)第十五駆逐隊 外南洋部隊増援部隊ニ属シ「コロンバンガラ」輸送作戦ニ従事中8日触雷(推定)三艦共沈没』
  158. ^ a b c #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)346-347頁『隼鷹飛行機隊のマーシャル方面への進出』
  159. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.11『一.左ニ依リ2sf基地員、物件、糧食ヲ「マーシャル」ニ輸送シ任務終了後速ニ「トラック」ニ帰投スベシ|(イ)2sd(神通)江風(隼鷹関係者物件竝ニ22sf用航空魚雷24本ヲ搭載)6月14日「トラック」發「ルオット」行|(ロ)4sd(長良)夕暮(飛鷹関係者人員、物件搭載)6月17日「トラック」發「ウオッゼ」行|(ハ)31dg(大波)「ブラウン」基地員、物件搭載(隼鷹ヨリ派出)6月14日「トラック」發「ブラウン」中継基地設置、隼鷹飛鷹飛行機隊進出後、令ニ依リ(21日頃)「ブラウン」發「ルオット」行(略)|三.隼鷹飛行機隊ハ艦長所定ニ依リ16日以後2sf司令部及飛鷹飛行機隊ハ2sf司令官所定ニ依リ20日以後速ニ「トラック」發「マーシャル」ニ進出スベシ』
  160. ^ #S1806二水戦日誌(1)p.13『神通(江風):准士官以上6(5)、下士官兵184(119)、計190(124)』
  161. ^ #S1806二水戦日誌(1)p.6『一.輸送物件 隼鷹基地員並基地物件及22sf航空魚雷24本(略)』
  162. ^ #S1806二水戦日誌(1)p.4『6月14日0400 2sd(神通、江風)「ルオット」ニ向ケ「トラック」発』
  163. ^ #S1806二水戦日誌(1)p.5『戦訓所見(略)三.「ルオット」方面補給ノ不便ニ鑑ミ各艦共糧食約2週間分ヲ残シ他ハ全部「ルオット」ニ陸揚セリ』
  164. ^ #S1806二水戦日誌(1)p.3『16日1400「ルオット」着、輸送人員物件揚陸、尚外ニ各艦用糧食多量揚陸|17日0830「トラック」ニ向ケ「ルオット」發|19日1645「トラック」着、任務終了』
  165. ^ #撃沈戦記202頁
  166. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後245-247頁『水上部隊の作戦』
  167. ^ #S1807三水戦日誌(1)pp.6-7『1.第三水雷戦隊司令部ハ増援部隊司令部トシテ作戦指導ニ任ズ 2.7月5日、6日RD方面輸送並ニ支援作戦中「コロンバンガラ」戦闘ニ於テ6日0000以後旗艦新月消息不明トナリシ為鳥海艦長増援部隊指揮官トナル』
  168. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.7『3.7月10日第三水雷戦隊司令官伊集院大佐着任、増援部隊指揮官トナル|4.7月15日附外南洋部隊野戦部隊編成セラレ當隊ハ夜戦部隊水雷戦隊ニ編入セラル(以下略)』
  169. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.36『10日3sd司令官伊集院大佐……将旗ヲ川内ニ揚ク』
  170. ^ #S1709八艦隊日誌(8)pp.67-68『別紙第二 兵力部署(昭和18年6月30日現在)』
  171. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.37『11日0745 3sd(川内三日月)夕凪鳥海16dg(雪風)谷風浜風夕暮「ラバウル」着』
  172. ^ #S1709八艦隊日誌(8)p.31『(一)2sd部隊 7月12日0330「ラバウル」出撃「ブカ」島北方ヲ経テ1830「ボーゲンビル」水道追加「クラ」湾北方海面ニ向フ。各艦咄嗟砲戦魚雷戦ニ備ヘツツ南下シツツアリ』
  173. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後246頁『コロンバンガラ冲夜戦合戦図』
  174. ^ #図説太平洋海戦史第3巻60-62頁『第六図コロンバンガラ島沖夜戦合戦図』
  175. ^ #撃沈戦記205-207頁
  176. ^ コロンバンガラ島沖夜戦、184ページ
  177. ^ コロンバンガラ島沖夜戦、184-186ページ
  178. ^ a b コロンバンガラ島沖夜戦、186ページ
  179. ^ a b c 日本水雷戦史、335ページ
  180. ^ 日本水雷戦史、335ページ、コロンバンガラ島沖夜戦、188ページ
  181. ^ 日本水雷戦史、335-336ページ
  182. ^ 日本水雷戦史、336-338ページ
  183. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.16『2.経過 輸送隊12日1815「ブイン」出撃、13日00036泊地着、0143揚搭終了帰還中命ニ依リ0545 22dg(皐月水無月)反転 神通遭難現場ニ向フ 発見スルニ至ラズ 0735救助ヲ止メ帰投、1140「ブイン」帰着』
  184. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後242-243頁『基地航空隊の作戦』
  185. ^ コロンバンガラ島沖夜戦、191ページ
  186. ^ 日本水雷戦史、338ページ
  187. ^ #ニミッツの太平洋海戦史171頁
  188. ^ #内令昭和18年9月(3)p.1『内令第千八百八十二號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十八年九月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦二等川内型ノ項中「神通、」ヲ、同水上機母艦ノ部中「日進、」ヲ削ル|驅逐艦、一等秋月型ノ項中「新月、」ヲ削ル』
  189. ^ a b #内令昭和18年9月(3)p.13『内令第千八百九十三號|呉鎮守府在籍 軍艦 神通|舞鶴鎮守府在籍 軍艦 日進|右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 新月 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|昭和十八年九月十日 海軍大臣嶋田繁太郎』
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参考文献[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]