水雷戦隊

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水雷戦隊(すいらいせんたい)は、機雷魚雷爆雷などを使った水雷戦を行うことを目的に編成された、大日本帝国海軍の部隊の一つ。

概要[編集]

水雷戦隊は2~4個駆逐隊と旗艦で編成される部隊で、旗艦には軽巡洋艦が使われた。指揮官は司令官と呼ばれ、通常少将が任じられた。

1914年(大正3年)に第一次世界大戦に備えた戦時編制で初めて編成され、主に水雷戦を行った。第二次世界大戦では練習戦隊を含め最大7個戦隊が編成された。

1945年(昭和20年)4月7日の坊ノ岬沖海戦で、旗艦「矢矧」と駆逐艦8隻中4隻が撃沈された第二水雷戦隊が同月20日に解隊、7月15日には第十一水雷戦隊も解隊され、ここに全ての水雷戦隊が解隊した。

第一水雷戦隊[編集]

  • 太平洋戦争開戦時は第一艦隊に所属。主力の戦艦部隊を護衛するための水雷戦隊であり、第二艦隊の所属である第二水雷戦隊よりやや旧式の駆逐艦で構成された。1943年4月1日に北方方面を担当する第五艦隊に編入された。1944年(昭和19年)11月中旬の多号作戦で第二水雷戦隊司令部が全滅したため、第一水雷戦隊は二水戦に改編される形で解隊された。

沿革[編集]

  • 1914年8月18日:巡洋艦音羽などで第一艦隊隷下に編制された。司令官は藤本秀四郎少将。
  • 1917年2月7日:一時解散となる。(1918年4月25日まで)
  • 1940年10月15日:大森仙太郎少将が司令官就任。
  • 1942年11月5日:森友一少将が司令官就任。
  • 1943年4月1日:第五艦隊に編入。
  • 1943年6月6日:森少将が阿武隈艦上で脳溢血により伏臥。同月8日木村昌福少将が司令官就任。
  • 1944年11月20日:解隊。

編制[編集]

1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制(第一艦隊所属)

旗艦の阿武隈と第17駆逐隊は真珠湾攻撃部隊の警戒隊として参加した。これは、第一航空艦隊所属の駆逐艦が旧式であり航続力が短いためであった。

1942年4月10日 セイロン沖海戦後の編制(第一艦隊所属)

1942年7月14日 ミッドウェー海戦後の編制(第一艦隊所属)

  • 阿武隈
    • 第六駆逐隊:雷、電、響、暁
    • 第二十一駆逐隊:初春、子日、初霜、若葉

1943年4月1日 ガダルカナル島撤退後の編制(第五隊所属)

1943年7月29日 キスカ島撤退作戦時の編制(第五艦隊所属) 

若葉、初霜、国後、日本丸は、幌筵島を出航するもキスカ島に到達せず離脱。[1]

1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制(第五艦隊所属)

1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制(第五艦隊所属)

  • 阿武隈
    • 第七駆逐隊:曙、潮
    • 第十八駆逐隊:薄雲、霞、不知火
    • 第二十一駆逐隊:初春、初霜、若葉

歴代司令官[編集]

  • 岡田啓介少将:1914年(大正3年)12月1日~
  • 土屋光金少将:1915年(大正4年)5月1日~
  • 岩村俊武少将:1915年(大正4年)12月13日~
  • 松村龍雄少将:1916年(大正5年)9月1日~
  • 田所広海少将:1916年(大正5年)12月1日~1917年(大正6年)2月7日 ※一時解隊
  • 中島資朋少将:1918年(大正7年)4月25日~
  • 島内桓太少将:1919年(大正8年)12月1日~
  • 大谷幸四郎少将:1921年(大正10年)12月1日~
  • 長沢直太郎少将:1922年(大正11年)12月1日~
  • 中村良三大佐:1923年(大正12年)11月6日~ ※司令官心得
  • 中村良三少将:1923年(大正12年)12月1日~
  • 高橋律人少将:1924年(大正13年)12月1日~
  • 八角三郎少将:1925年(大正14年)12月1日~
  • 高橋寿太郎少将:1926年(大正15年)12月1日~
  • 岡田郁男少将:1927年(昭和2年)12月1日~
  • 市村久雄少将:1928年(昭和3年)12月10日~
  • 後藤章少将:1929年(昭和4年)11月30日~
  • 岩村兼言少将:1930年(昭和5年)10月14日~
  • 有地十五郎少将:1931年(昭和6年)12月1日~
  • 町田進一郎少将:1933年(昭和8年)11月15日~
  • 南雲忠一少将:1935年(昭和10年)11月15日~
  • 斎藤二朗少将:1936年(昭和11年)12月1日~
  • 吉田庸光少将:1937年(昭和12年)1月26日~
  • 栗田健男少将:1938年(昭和13年)11月15日~
  • 河瀬四郎少将:1939年(昭和14年)11月25日~
  • 大森仙太郎少将:1940年(昭和15年)10月15日~
  • 森友一少将:1942年(昭和17年)11月5日~
  • 木村昌福少将:1943年(昭和18年)6月8日~1944年(昭和19年)11月20日解隊

第二水雷戦隊[編集]

  • 太平洋戦争開戦時は第二艦隊に所属。前線部隊であり、強力な装備と長大な航続力が要求され、常に最新の駆逐艦が投入された。1943年(昭和18年)7月中旬のコロンバンガラ島沖海戦で二水戦司令部は全滅し、二水戦と第四水雷戦隊を統合して二水戦を再建した(第四水雷戦隊司令官高間完少将が二水戦司令官に補職)。1944年(昭和19年)11月中旬の多号作戦で二水戦司令部は全滅し、第一水雷戦隊司令部を二水戦に転用した(第一水雷戦隊司令官木村昌福少将が二水戦司令官に補職)。1945年4月20日解隊。

編制[編集]

1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制(第二艦隊所属)

第18駆逐隊は真珠湾攻撃部隊の警戒隊として参加した。

1942年4月10日 セイロン沖海戦後の編制(第二艦隊所属)

  • 神通
    • 第十五駆逐隊:黒潮、親潮、早潮
    • 第十六駆逐隊:初風、雪風、天津風、時津風
    • 第十八駆逐隊:霞、霰、陽炎、不知火

1942年7月14日 ミッドウェー海戦後の編制(第二艦隊所属)

1943年4月1日 ガダルカナル島撤退後の編制(第二艦隊所属)

1943年9月1日 新型軽巡洋艦「能代」編入時の編制(第二艦隊所属)

1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制(第二艦隊所属)

島風は同型艦がないため、駆逐隊を組まず単独で所属していた。

1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制(第二艦隊所属)

  • 能代
    • 第二駆逐隊清霜秋霜早霜
    • 第二十七駆逐隊:時雨、五月雨
    • 第三十一駆逐隊:長波、沖波、岸波、朝霜
    • 第三十二駆逐隊:藤波、玉波、浜波
    • 島風

1945年3月1日 菊水作戦直前の編制(第二艦隊所属)

第三水雷戦隊[編集]

  • 太平洋戦争開戦時は第一艦隊に所属。役割は第一水雷戦隊と同様。1943年4月1日には南東(ソロモン海域)方面を担当する第八艦隊に編入された。1944年(昭和19年)7月上旬、サイパン島地上戦において第三水雷戦隊司令部はサイパン島陥落時に玉砕した[2]連合艦隊は第三水雷戦隊を対潜部隊として再建する意向であった[3]。8月20日、三水戦残存部隊を中心に第三十一戦隊が新編された[3]

編制[編集]

1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制(第一艦隊所属)

1942年4月10日 セイロン沖海戦後の編制(第一艦隊所属)

  • 川内
    • 第十一駆逐隊:吹雪、白雪、初雪、叢雲
    • 第十九駆逐隊:磯波、浦波、敷波、綾波
    • 第二十駆逐隊:天霧、朝霧、夕霧、白雲

1943年4月1日 ガダルカナル島撤退後の編制(第八艦隊所属)

1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制(第八艦隊所属)

  • 夕張
    • 第二十二駆逐隊:皐月、水無月
    • 第三十駆逐隊:卯月、夕月

1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制(連合艦隊直属

  • 名取
    • 第二十二駆逐隊:皐月、水無月、夕凪
    • 第三十駆逐隊:卯月、夕月、秋風

歴代司令官[編集]

  • 岡田啓介少将:1915年(大正4年)4月1日~
  • 吉嶋重太郎大佐:1915年(大正4年)・10月1日~ ※司令官心得
  • 吉嶋重太郎少将:1915年(大正4年)12月13日~
  • 荒川仲吾少将:1916年(大正5年)12月1日~
  • 田所広海少将:1917年(大正6年)2月7日~
  • 小林研蔵大佐:1918年(大正7年)11月10日~ ※司令官心得
  • 小林研蔵少将:1919年(大正8年)6月1日~
  • 桑島省三少将:1919年(大正8年)12月1日~
  • 大谷幸四郎少将:1920年(大正9年)12月1日~1921年(大正10年)12月1日 ※一時解隊
  • 近藤英次郎少将:1936年(昭和11年)12月1日~1937年(昭和12年)12月1日 ※一時解隊
  • 藤田類太郎少将:1940年(昭和15年)5月1日~
  • 橋本信太郎少将:1941年(昭和16年)9月1日~
  • 木村昌福少将:1943年(昭和18年)2月14日~ ※ビスマルク海海戦での戦傷により交代
  • 江戸兵太郎少将:1943年(昭和18年)3月6日~
  • 秋山輝男少将:1943年(昭和18年)3月23日~ ※昭和18年7月6日クラ湾夜戦にて戦死
  • 伊集院松治少将:1943年(昭和18年)7月7日~
  • 中川浩少将:1943年(昭和18年)12月5日~1944年(昭和19年)7月8日 ※サイパン島の戦いにて戦死
  • 昭和19年8月15日~:残余艦艇は第31戦隊へ改編

第四水雷戦隊[編集]

元々は潜水艦の増強により潜水艦部隊の編制が計画された際に、それまでの3個水雷戦隊に次いで1915年4月6日に組織された戦隊で、潜水母艦韓崎駒橋と2個潜水艇隊で編成された。この頃は新兵器である潜水艦をどう運用するか試行錯誤していた時代であり、潜水艇も「潜航できる水雷艇」という認識で水雷戦隊として編成した。その後1919年4月1日に名称を「第1潜水戦隊」に改称し、第4水雷戦隊は一時的に解隊となるが1937年7月28日に軽巡洋艦木曾を旗艦に再編成された。

太平洋戦争開戦時は第二艦隊に所属。役割は第二水雷戦隊と同様。1943年(昭和18年)7月20日、第二水雷戦隊を再編するため解隊され、四水戦司令部は二水戦司令部に改編された。

編制[編集]

1915年4月6日新編時

1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制(第二艦隊所属)

1942年4月10日 セイロン沖海戦後の編制(第二艦隊所属)

  • 那珂
    • 第二駆逐隊:村雨、夕立、春雨、五月雨
    • 第四駆逐隊:嵐、萩風、野分、舞風
    • 第八駆逐隊朝潮荒潮    ※大潮満潮は修理のため離脱中(大潮は同年12月、満潮は10月復帰)。
    • 第九駆逐隊:朝雲、山雲、夏雲、峯雲

1942年7月14日 ミッドウェー海戦後の編制(第二艦隊所属)

1943年4月1日 ガダルカナル島撤退後の編制(第二艦隊所属)

  • 長良
    • 第二駆逐隊:春雨、五月雨
    • 第二十七駆逐隊:有明、夕暮、白露、時雨

歴代司令官[編集]

  • 岩村俊武少将:1915年(大正4年)6月30日~
  • 松岡修蔵少将:1915年(大正4年)12月13日~
  • 岡野富士松少将:1917年(大正6年)4月1日~
  • 菅野勇七少将:1917年(大正6年)12月1日~1919年(大正8年)4月1日 ※第一潜水戦隊に改称したことで解隊
  • 細萱戊子郎少将:1937年(昭和12年)7月28日~1938年(昭和13年)4月19日~ ※一時解隊
  • 栗田健男少将:1939年(昭和14年)11月15日~
  • 西村祥治少将:1940年(昭和15年)11月1日~
  • 高間完少将:1942年(昭和17年)6月20日~1943年(昭和18年)7月20日 ※解隊

第五水雷戦隊[編集]

  • 太平洋戦争開戦時は南方攻略を担当した第三艦隊に所属。攻略完了に伴い第三艦隊と南遣艦隊が再編される形で南西方面艦隊が新編される。この再編にともない第五水雷戦隊は1942年3月10日附で解隊された。第22駆逐隊は4月10日に新編された第一海上護衛隊に編入され[4]、また第5駆逐隊も南西方面での海上護衛任務に従事した。

編制[編集]

1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制(第三艦隊所属)

歴代司令官[編集]

  • 原顯三郎少将:1940年(1940年)11月15日~1942年(1942年)3月10日 ※解隊

第六水雷戦隊[編集]

  • 1940年(昭和15年)11月15日、内南洋防衛を担当する第四艦隊隷下において新編。太平洋戦争開戦直前、第二航空戦隊所属の第23駆逐隊(菊月、卯月、夕月)は二航戦所属のまま南洋部隊(指揮官井上成美第四艦隊司令長官)に編入され、六水戦と行動を共にした。六水戦は初戦のウェーク島の戦いで所属2隻(疾風、如月)を喪失する。1942年(昭和17年)4月10日、第23駆逐隊が制式に第六水雷戦隊に編入される。同年7月10日、六水戦は解隊され、夕張・第29駆逐隊・第30駆逐隊は第四艦隊隷下の第二海上護衛隊(4月10日新編[5]、司令官は第四根拠地隊司令官兼務)に編入された[6]。このうち第30駆逐隊(睦月、弥生、望月、卯月)は7月14日に新編された第八艦隊に転籍した[6]

編制[編集]

1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制(第四艦隊所属)

1942年4月10日 セイロン沖海戦後の編制(第四艦隊所属)

1942年5月25日 菊月沈没にともない第23駆逐隊解隊後の編制(第四艦隊所属)

  • 夕張
    • 第二十九駆逐隊:追風、朝凪、夕凪、夕月[7]
    • 第三十駆逐隊:睦月、弥生、望月、卯月[7]

歴代司令官[編集]

  • 阿部弘毅少将:1940年(昭和15年)11月15日~
  • 梶岡定道少将:1941年(昭和16年)7月21日~
  • 武田盛治少将:1942年(昭和17年)7月11日~1942年(昭和17年)7月10日

第十一水雷戦隊[編集]

  • 練成部隊として1943年4月1日に編制された。夕雲型では玉波以降、秋月型では新月以降、松型では以降の各艦および島風が竣工後に編入され、練成を行った。1945年7月15日解隊。

編制[編集]

1943年4月1日 新編時の編制(第一艦隊所属)

1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制(連合艦隊直属)

1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制(連合艦隊直属)

1945年3月1日 菊水作戦直前の編制(連合艦隊直属)

1945年6月1日 最終時の編制(連合艦隊直属)

歴代司令官[編集]

  • 木村進少将:1943年(昭和18年)4月1日~
  • 高間完少将:1943年(昭和18年)12月15日~
  • 松本毅少将:1945年(昭和20年)7月1日~1945年(昭和20年)7月15日 ※解隊

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 濃霧により本隊と逸れた「国後」が「阿武隈」と衝突、この影響により「初霜」も「若葉」と「長波」に衝突し、「若葉」は単独で、「初霜」は「国後」の指揮の下「日本丸」の護衛に付き、補給隊と共に離脱。
  2. ^ 戦史叢書46 1971, pp. 330a-332第三十一戦隊の編成
  3. ^ a b 戦史叢書46 1971, p. 331.
  4. ^ 戦史叢書46 1971, p. 115-120第一海上護衛隊
  5. ^ 戦史叢書46 1971, pp. 121-124第二海上護衛隊
  6. ^ a b 戦史叢書46 1971, p. 144.
  7. ^ a b #内令昭和17年5月(3)p.39〔 内令第九百三十一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年五月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十三驅駆逐隊ノ項ヲ削ル|第二十九驅逐隊ノ項中「追風」ノ上ニ「夕月、」ヲ加フ|第三十驅逐隊ノ項中「望月」ノ下ニ「、卯月」ヲ加フ 〕
  8. ^ 戦史叢書46 1971, p. 332.

参考文献[編集]

  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海上護衛戦』第46巻、朝雲新聞社、1971年5月。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和17年4月〜6月 内令2巻/昭和17年5月(3)』。Ref.C12070162900。
  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十八年四月一日昭和十八年四月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十八年五月一日昭和十八年五月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年4月1日〜昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030126000

雑誌 丸各巻

関連項目[編集]