夏潮 (駆逐艦)

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艦歴
計画 1937年度(マル3計画
起工 1937年12月9日
進水 1939年2月23日
就役 1940年8月31日[1]竣工
その後 1942年2月9日戦没
除籍 1942年2月28日
性能諸元
排水量 基準:2,033トン
全長 118.5m
全幅 10.8m
吃水 3.8m
機関 ロ号艦本式缶3基
艦本式衝動タービン2基2軸
52,000馬力
速力 35.5ノット
航続距離 18ノットで5,000
乗員 239人
兵装 50口径三年式12.7センチ砲連装×3
25mm機銃連装×2
61cm魚雷発射管4連装×2
爆雷16個

夏潮(なつしお/なつしほ)は、日本海軍駆逐艦[2]陽炎型駆逐艦(一等駆逐艦陽炎型)の6番艦である[3]1942年(昭和17年)2月、マカッサル沖で潜水艦の雷撃により戦没した。なお、本艦は陽炎型全19隻のうち最初の沈没艦となった。艦名は海上自衛隊のなつしお型潜水艦「なつしお」、はるしお型「なつしお」に継承された。

艦歴[編集]

駆逐艦「夏潮」は藤永田造船所1937年(昭和12年)12月9日に起工[4]1938年(昭和13年)9月20日、日本海軍(米内光政海軍大臣)は舞鶴海軍工廠で建造の陽炎型4番艦を『親潮』、藤永田造船所の陽炎型6番艦(本艦)を『夏潮』、川崎造船所の陽炎型7番艦を『初風』と命名した[2][5]。 同日附で、各艦(親潮、夏潮、初風、伊号第十八潜水艦伊号第二十潜水艦伊号第二十二潜水艦等)は、それぞれ艦艇類別等級表に登録[6]

「夏潮」は1939年(昭和14年)2月23日進水[4]。本艦の建造は陽炎型3番艦「黒潮」と同時に進められた[7]。同年4月11日、藤永田造船所で陽炎型11番艦「浦風」が起工[8]。同年10月18日、藤永田造船所で陽炎型14番艦「谷風」が起工[9]。藤永田造船所は陽炎型4隻(黒潮、夏潮、浦風、谷風)を同時に建造することになった。

1940年(昭和15年)1月27日、藤永田造船所で姉妹艦「黒潮」が竣工[10]。 5月1日、日本海軍は睦月型駆逐艦5番艦皐月艦長[11]白露型駆逐艦8番艦山風艦長[12]吹雪型駆逐艦浦波艦長[13]等を歴任した野間口兼知中佐を夏潮艤装員長に任命した[14]。同日附で早潮艤装員長も任命されている[14]。 5月3日、藤永田造船所に夏潮艤装員事務所を設置する[15]

同年8月31日[4][1]に竣工。陽炎型5番艦「早潮」と同日附の竣工であった[16]呉鎮守府籍。野間口艤装員長は制式に夏潮駆逐艦長(初代)となる[17]。夏潮艤装員事務所も撤去された[18]。 同日(8月31日)附で、日本海軍は既に竣工していた陽炎型4番艦「親潮」(8月20日、舞鶴海軍工廠建造艦)[19]と、完成したばかりの2隻(夏潮、早潮)で第15駆逐隊を編制した[20]。駆逐隊司令には、初春型駆逐艦2番艦子日初代艦長や吹雪型1番艦吹雪艦長[21]、第7駆逐隊司令[22][23]、特務艦野島特務艦長[24][25]等を歴任した植田弘之介大佐が任命されている[26]。編成直後の第15駆逐隊は、呉鎮守府練習駆逐隊となる[27]。 11月15日、第15駆逐隊は第二艦隊(司令長官古賀峯一中将)・第二水雷戦隊(司令官五藤存知少将)に編入[20][28]。同時に第16駆逐隊に所属していた姉妹艦「黒潮」が第15駆逐隊に編入され、15駆は定数4隻(黒潮、親潮、早潮、夏潮)を揃えた[20]

1941年(昭和16年)6月18日、第15駆逐隊司令は植田大佐から佐藤寅治郎大佐(前職第4駆逐隊司令)[29][30]に交代した(植田は9月20日より日本丸監督官)[31]。 6月23日、日向沖で実施された演習で「夏潮」は朝潮型駆逐艦8番艦「峯雲」(第9駆逐隊)と衝突、さらに「峯雲」と「黒潮」が衝突する多重事故が発生した。 9月1日、第二艦隊司令長官は古賀峯一中将から近藤信竹中将に交代(古賀は支那方面艦隊司令長官に補職)[32]。 9月15日、第二水雷戦隊司令官五藤存知少将は第六戦隊(青葉加古衣笠古鷹)司令官へ転任(翌年10月、サボ島沖海戦で青葉大破時に戦死)、後任の二水戦司令官は第六潜水戦隊司令官田中頼三少将となった[33]。 10月20日、野間口(夏潮艦長)は第5駆逐隊(春風朝風旗風松風)司令を命じられ、海軍省人事局局員長井純隆中佐が二代目夏潮駆逐艦長となる[34]。長井は初春型2番艦子日二代目艦長だった事がある(前の15駆司令植田大佐は、子日初代艦長)[21]。 10月25日、佐藤(15駆司令)は司令駆逐艦を「早潮」から「夏潮」に変更した[35]

太平洋戦争開戦時、陽炎型姉妹艦4隻(黒潮親潮早潮、夏潮)は引続き第15駆逐隊(司令佐藤寅治郎大佐)を編制、第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将:旗艦神通)に所属し、比島部隊(指揮官高橋伊望中将/第三艦隊司令長官)の指揮下にあった[36]。当事の第二水雷戦隊は、第15駆逐隊以外に第8駆逐隊(大潮朝潮満潮荒潮)、第16駆逐隊(雪風時津風初風天津風)、第18駆逐隊(不知火陽炎)が所属していたが、第8駆逐隊は南方部隊本隊(指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官)、第18駆逐隊は南雲機動部隊警戒隊(指揮官大森仙太郎第一水雷戦隊司令官)に所属して、第二水雷戦隊本隊とは別行動である[36]

1941年(昭和16年)12月上旬より、ダバオホロ攻略作戦に参加した[20][37]1942年(昭和17年)1月、メナド攻略作戦に参加し、以降ケンダリー攻略作戦、アンボン攻略作戦に参加。フィリピン方面の作戦が一段落すると比島部隊は蘭印部隊となり、東南アジアでの作戦に従事する。2月1日の時点で、第15駆逐隊は司令駆逐艦/第1小隊1番艦夏潮、2番艦黒潮、第2小隊3番艦親潮、4番艦早潮という編制であった[38]

2月5日、マカッサル攻略作戦に従事する部隊(軽巡長良、水上機母艦瑞穂、第8駆逐隊、第15駆逐隊等)はセレベス島スターリング湾に集結した[39]。前日には駆逐艦「涼風」(第24駆逐隊)[40]が米潜水艦スカルピン(USS Sculpin, SS-191)の雷撃で大破しており、船団はすでに連合国軍潜水艦に狙われていた。2月6日夕刻、マカッサル攻略船団はスターリング湾を出撃[20]。その前路掃蕩に従事していた駆逐艦「満潮」(第8駆逐隊)はスカルピンに爆雷攻撃を行うが、スカルピンを取り逃がした(満潮報告では効果確実)。

2月8日、船団はマサッカルに接近するが天候不良となり、第一根拠地部隊指揮官久保九次少将は指揮下部隊・各艦に天候不良時の上陸方法について指示を行う[41]。マサッカル入港時、攻略船団は各艦相互に通信をおこなって識別灯を点灯しており、対潜警戒をおろそかにしていた[41]。 22時15分[42][43]、輸送船団後尾にいた「夏潮」はスラウェシ島のマカッサル沖南緯5度36分9秒 東経119度6分6秒 / 南緯5.60250度 東経119.10167度 / -5.60250; 119.10167で米潜水艦S37(USS S-37,SS-142)の雷撃に遭った[37]。魚雷1本が艦中央前部機械室左舷に命中し船体に大破孔ができ、上甲板は膨れ上がった。また爆発と同時に九三式魚雷を装填していた2番魚雷発射管と測量儀が吹き飛び、被害箇所に近い位置にあった内火艇や探照灯も破壊された。これにより前部機械室と第三缶室が浸水、主機械破壊により航行不能となり左に2度傾斜したが、この時点では沈没せず僚艦「黒潮」の曳航でスラウェシ島ケンダリに退避する事になった[44]。黒潮駆逐艦長によれば、当初は機雷による被害だと考えていたという[45]

2月9日7時15分、「親潮」(第15駆逐隊司令)より緊急電が発信された[46]。タナケナ島の南で風向が急変、急速に浸水が進んだ[41]。手の施しようがなく[45]、「夏潮」は次第に中央部が沈降し、つづいて艦首と艦尾を持ち上げV字型に折れ曲がり前後に分断されて8時43分に沈没した[47]。乗員は2隻(親潮、黒潮)に収容された。沈没時点の戦死者は8名、重傷者6名[48][49]。沈没地点南緯5度53分 東経119度26分 / 南緯5.883度 東経119.433度 / -5.883; 119.433[37]。曳航失敗の原因について夏潮駆逐艦長は「被害認定が甘かった」と回想している[41]

なお『華々しく自爆して最後を飾ろう』という乗組員のはからいにより、爆雷に細工が行われた。水雷科員は投下器に装填中の爆雷全てを起爆深度を30mに設定、船体水没後、夏潮は巨大な水柱を上げ自爆した。佐藤(第15駆逐隊司令)は司令駆逐艦を「夏潮」から「親潮」に変更する[50][51]。僚艦に救助された夏潮乗員はセレベス島ケンダリに入港後、日本海軍初の生き残りとして珍しがられ各方面から見舞い品が届き、親切にされたという。長井(夏潮艦長)は2月14日附で呉鎮守府附となり、夏潮駆逐艦長の職務を解かれた[52]。 駆逐艦「夏潮」は2月28日、 第15駆逐隊[53]、 帝国駆逐艦籍[54] 一等陽炎型[55]、 それぞれから除籍された。夏潮残務処理は3月3日から呉海兵団内でおこなわれ[56]4月6日に終了した[57]。 第15駆逐隊は7月20日に陽炎型1番艦「陽炎」を編入するまでの間、3隻編制で行動することになった[58]

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 野間口兼知 中佐:1940年5月1日[14] - 1940年8月31日[17]
駆逐艦長
  1. 野間口兼知 中佐:1940年8月31日[17] - 1941年10月20日[34]
  2. 長井純隆 中佐:1941年10月20日[34] - 1942年2月14日[52]

参考文献[編集]

  • 大西 喬『艦隊ぐらしよもやま物語』光人社、1985年5月 ISBN 4-7698-0200-5
  • 重本俊一ほか 『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』 潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8
    • 戦史研究家落合康夫『駆逐隊別「陽炎型駆逐艦」全作戦行動ダイアリィ 第四、第十五、第十六、第十七、第十八駆逐隊 太平洋奮迅録
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第四巻 昭和十七年一月一日~昭和十七年九月三十日』 中央公論社、1996年7月。ISBN 4-12-403394-x
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年 ISBN 4-7698-1246-9
  • 寺内正道ほか 『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』 潮書房光人社、2015年9月。ISBN 978-47698-1601-0
    • 当時「黒潮」三代目艦長・海軍中佐宇垣環『第十五駆逐隊「黒潮」艦長の奮戦苦闘記 緒戦期からガ島血戦まで。夏潮の最後と黒潮、親潮、早潮=十五駆の航跡
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』 朝雲新聞社、1969年5月。
  • 雑誌『』編集部『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』光人社、1990年 ISBN 4-7698-0461-X
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿2.3』。Ref.C13072003500。
    • 『昭和16年6月30日現在10版内令提要追録第9号(上)原稿:巻1追録/第6類機密保護』。Ref.C13071997700。
    • 『昭和13年 達 完/9月(2)』。Ref.C12070104300。
    • 『昭和17年1月~3月 内令1巻/昭和17年2月(4)』。Ref.C12070161100。
    • 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年7月分(3)』。Ref.C12070164200。
    • 『支那事変 第8回功績概見表綴 駆逐隊 潜水隊 水雷隊 掃海隊 海軍武功調査/第15駆機密第35号 第15駆逐隊支那事変第8回功績概見表』。Ref.C14120969900。
    • 『支那事変 第9回功績概見表綴 海軍武功調査/支那事変第9回駆逐隊功績概見表/第15駆機密第27号の19 第15駆逐隊支那事変第9回功績概見表』。Ref.C14120979500。
    • 『支那事変 第10回功績概見表綴/支那事変駆逐隊第10回功績概見表/第15駆機密第27号の11 第15駆逐隊支那事変第10回功績概見表』。Ref.C14120988300。
    • 『昭和17年2月1日~昭和17年2月28日 第2水雷戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030092400。
    • 『昭和17年2月1日~昭和17年2月28日 第2水雷戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030092500。
    • 『昭和17年2月1日~昭和17年2月28日 第2水雷戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030092600。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『艦長たちの軍艦史』による。『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』では1940年8月21日竣工となっている。
  2. ^ a b #達昭和13年9月(2)pp.15-16『達第百四十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十二年度及昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻掃海艇二隻及驅潜艇四隻ニ左ノ通命名ス|昭和十三年九月二十日 海軍大臣 米内光政|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 親潮(オヤシホ)/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 夏潮(ナツシホ)/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 初風(ハツカゼ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第十八潜水艦/三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第二十潜水艦/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第二十二潜水艦(以下略)』
  3. ^ #昭和16年12月31日現在艦艇類別等級p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』
  4. ^ a b c #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『艦名:夏潮|艦種:一等駆逐艦|(性能略)|製造所:藤永田造船所|起工年月日12-12-9|進水年月日14-2-23|竣工年月日15-8-31|(兵装略)』
  5. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.211『◎驅逐艦親潮夏潮初風、伊號第十八第二十第二十二潜水艦 第十一號第十二號掃海艇、第六號第九號第十號第十二號驅潜艇命名ノ件 昭和十三年九月二十日(達一四五) 艦艇製造費ヲ以テ昭和十二年度及昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻掃海艇二隻驅潜艇四隻ニ左ノ通命名ス 舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 親潮(オヤシホ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 夏潮(ナツシホ)|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 初風(ハツカゼ)(以下略)』
  6. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.70『昭和十三年九月二十日(内令八〇五)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦一等ノ部中陽炎型ノ項中黒潮ノ下ニ「、親潮、夏潮、初風」ヲ加フ|潜水艦一等ノ部伊一六型ノ項中伊號第十六ノ下ニ「、伊號第十八、伊號第二十、第二十二」ヲ加フ|掃海艇第七號型ノ項中第十號ノ下ニ「、第十一號、第十二號」ヲ加フ』
  7. ^ 昭和14年2月24日 海軍公報(部内限)第3143号 pp.44-45』 アジア歴史資料センター Ref.C12070379700 『○艦船所在 ○二月二十四日午前十時調』
  8. ^ #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『浦風|一等駆逐艦|(性能略)|藤永田造船所|起工年月日14-4-11|進水年月日15-4-10|竣工年月日15-12-15|(兵装略)』
  9. ^ #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『谷風|一等駆逐艦|(性能略)|藤永田造船所|起工年月日14-10-18|進水年月日15-11-1|竣工年月日16-4-25|(兵装略)』
  10. ^ #陽炎型(2014)304頁『黒潮(くろしお)』
  11. ^ 昭和12年7月1日付 官報第3013号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959495 p.3で閲覧可能。
  12. ^ 昭和13年10月5日(発令10月5日付)海軍辞令公報(部内限)第247号 pp.9-10』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074400 
  13. ^ 昭和14年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第402号 pp.45』 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700 
  14. ^ a b c 昭和15年5月1日(発令5月1日付)海軍辞令公報(部内限)第472号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C13072078000 
  15. ^ 昭和15年5月14日 海軍公報(部内限)第3501号 p.18』 アジア歴史資料センター Ref.C12070387900 『○事務所設置 天津風艤装員事務所ヲ舞鶴海軍工廠内ニ設置シ五月六日ヨリ事務ヲ開始セリ/夏潮艤装員事務所ヲ大阪市住吉區柴谷町藤永田造船所内ニ設置シ五月三日ヨリ事務ヲ開始セリ』
  16. ^ #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『早潮|一等驅逐艦|(性能略)|浦賀船渠會社|起工年月日13-6-30|進水年月日14-4-19|竣工年月日15-8-31|(兵装略)』
  17. ^ a b c 昭和15年9月2日(発令8月31日付)海軍辞令公報(部内限)第521号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C13072078800 
  18. ^ 昭和15年目録(2)/海軍公報(部内限)目録(九月分) p.32』 アジア歴史資料センター Ref.C12070383800 『○雑款 五|三五九八|夏潮艤装員事務所撤去』
  19. ^ #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『親潮|一等駆逐艦|(性能略)|舞鶴工廠|起工年月日13-3-29|進水年月日13-11-29|竣工年月日15-8-20|(兵装略)』
  20. ^ a b c d e #陽炎型(2014)113-114頁『第十五駆逐隊(黒潮・親潮・早潮・夏潮・陽炎)』
  21. ^ a b 昭和10年11月11日付 官報第2658号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959137 p.4で閲覧可能。
  22. ^ 昭和13年12月15日(発令12月15日付)海軍辞令公報(部内限)号外第273号 p.18』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800 
  23. ^ 昭和15年5月1日(発令5月1日付)海軍辞令公報(部内限)第472号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C13072078000 
  24. ^ 昭和15年8月1日(発令8月1日付)海軍辞令公報(部内限)第510号 p.10』 アジア歴史資料センター Ref.C13072078700 
  25. ^ 昭和15年8月20日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第518号 p.51』 アジア歴史資料センター Ref.C13072078700 
  26. ^ 昭和15年9月2日(発令8月31日付)海軍辞令公報(部内限)第521号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C13072078800 
  27. ^ #支那事変15駆第8回p.1『夏潮 親潮 早潮|功労甲|自昭和十五年八月三十一日/至同年十一月十五日|呉鎮守府警備練習駆逐隊トシテ任務遂行』
  28. ^ #支那事変15駆第9回p.1『早潮 親潮 夏潮 黒潮|勲功丙|自昭和十五年十一月十五日至同十六年五月三十一日|第二艦隊第二水雷戰隊ニ編入セラレ對事変内地待機』
  29. ^ 昭和16年6月18日(発令6月18日付)海軍辞令公報(部内限)第657号 p.48』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081400 
  30. ^ 後日、軽巡洋艦神通艦長。神通沈没時に戦死(コロンバンガラ島沖海戦
  31. ^ 昭和16年9月20日(発令9月20日付)海軍辞令公報(部内限)第716号 p.43』 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100 
  32. ^ 昭和16年9月1日(発令9月1日付)海軍辞令公報(部内限)第701号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081900 
  33. ^ 昭和16年9月15日(発令9月15日付)海軍辞令公報(部内限)第713号 p.26』 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100 
  34. ^ a b c 昭和16年10月20日(発令10月20日付)海軍辞令公報(部内限)第732号 p.15』 アジア歴史資料センター Ref.C13072082900 
  35. ^ 昭和16年11月1日 海軍公報(部内限)3935号 p.5』 アジア歴史資料センター Ref.C12070403700 『○司令驅逐艦復帰 第十五驅逐隊司令ハ十月二十五日司令驅逐艦ヲ早潮ヨリ夏潮ニ變更、同二十六日早潮ニ一時變更同日復帰セリ』
  36. ^ a b #戦史叢書26海軍進攻作戦付表第一『南方部隊作戦関係主要職員表 昭和十六年十二月八日』
  37. ^ a b c #陽炎型(2014)303-304頁『夏潮(なつしお)』
  38. ^ #昭和17年2月二水戦日誌(1)p.6『(二)2月中ノ2sd艦隊區分 (一)二月一日現在』
  39. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦262頁
  40. ^ #高松宮日記4巻88頁『○「涼風」我敵潜ノ雷撃ヲ前部舟左〔左舷〕ニ受ク、一八三五(平文)四日』
  41. ^ a b c d #戦史叢書26海軍進攻作戦263-265頁『「夏潮」の被雷、上陸』
  42. ^ #昭和17年2月二水戦日誌(3)p.11『第15駆逐隊司令→8日2350第二水雷戦隊司令官・第一根拠地部隊司令官(蘭印部隊)/2215夏汐雷撃ヲ受ケ3缶前部機械室浸水今ノ処沈没ノ憂キナキモ行動不能、位置(5°-36.9′S・119°-6.6′E)2225』
  43. ^ #高松宮日記4巻97頁『○八日二二一五「マカッサル」沖ニテ「夏潮」潜水艦ノ雷撃ニヨリ戦死傷損傷ヲ受ク』
  44. ^ #昭和17年2月二水戦日誌(3)pp.14-15『第15駆逐隊司令/夏潮2215(5°26.9′S・119°-6.6′E)ニ於テ輸送船団ノ後尾ニ続行泊地進入時、機械室附近ニ雷撃ヲ受ク 当時「スコール」アリテ視界狭小敵潜ト認ムルモ確認セルモノナシ|損害状況 機械室大破浸水3缶室浸水後部発射管吹飛バサレ目下2缶室補強実施中 艦傾斜左2°前後ノ吃水差特ニ大ナラズ。遮防終了次第黒潮ヲシテ曳航親潮ヲシテ護衛ノ上「ケンダリー」ニ回航ス。行方不明者 浅井機関兵曹長以下下士官2、兵5(機械室当直員)其ノ他重傷者6』
  45. ^ a b #海軍駆逐隊(2015)188-189頁『僚艦夏潮の最後』
  46. ^ #昭和17年2月二水戦日誌(3)p.13『第15駆逐隊司令/夏潮沈没ノ虞アリ0715』
  47. ^ #昭和17年2月二水戦日誌(3)p.14『第15駆逐隊司令/夏潮ハ黒潮曳航親潮護衛ノ下ニ曳航状況調査中、中部ヨリ切断沈没、人員重要物件ヲ親汐、黒潮ニ収容セリ。誠ニ恐懼ニ堪ヘズ地点ニユト35〇八四三』
  48. ^ #昭和17年2月二水戦日誌(3)p.16『第一根拠地隊司令官/夏潮2月8日2215位置南緯5度36.9分東経119度6.6分ニ於テ輸送船団護衛中敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ9日0843沈没、戦死者准士官1、下士官兵7、重傷者6、9日1300』
  49. ^ #高松宮日記4巻97頁『○第一根拠地隊(九-一三〇〇)』
  50. ^ #昭和17年2月二水戦日誌(3)p.16『第15駆逐隊司令/司令駆逐艦ヲ夏汐ヨリ親潮ニ変更セリ』
  51. ^ 昭和17年2月18日 海軍公報(部内限)第4022号 p.40』 アジア歴史資料センター Ref.C12070419200 『○司令驅逐艦變更 第三十二驅逐隊司令ハ二月二日司令驅逐艦ヲ刈萱ニ變更セリ/第十五驅逐隊司令ハ二月九日司令驅逐ヲ親潮ニ變更セリ』
  52. ^ a b 昭和17年2月17日(発令2月14日付)海軍辞令公報(部内限)第813号 p.48』 アジア歴史資料センター Ref.C13072084200 
  53. ^ #内令昭和17年2月(4)p.18『内令第三百六十六號|驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年二月二十八日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十五驅逐隊ノ項中「、夏潮」ヲ削ル』
  54. ^ #内令昭和17年2月(4)p.18『内令第三百六十七號|呉鎮守府在籍 驅逐艦 夏潮 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|昭和十七年二月二十八日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  55. ^ #内令昭和17年2月(4)p.19『内令第三百六十九號|艦艇類別等級別表左ノ通改正ス 昭和十七年二月二十八日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等陽炎型ノ項中「夏潮、」ヲ削ル』
  56. ^ 昭和17年3月7日 海軍公報(部内限)第4037号 p.21』 アジア歴史資料センター Ref.C12070419400 『○残務整理 驅逐艦夏潮残務整理ハ三月三日ヨリ呉海兵團内ニ於テ之ヲ行フ』
  57. ^ 昭和17年4月15日 海軍公報(部内限)第4068号 p.30』 アジア歴史資料センター Ref.C12070419900 『○事務所撤去 夏潮残務整理事務所ヲ四月六日撤去セリ 追テ自今特ニ必要書類ハ左ニ送付相成度/呉郵便局氣付 驅逐艦黒潮 藪下中尉|第二號敷設艇艤装員事務所ヲ四月十日附撤去セリ』
  58. ^ #内令昭和17年7月分(3)p.28『内令第千三百二十四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年七月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十八驅逐隊ノ項中「陽炎、」ヲ削リ第十五驅逐隊ノ項中「早潮」ノ下ニ「、陽炎」ヲ加フ』

関連項目[編集]