桃 (松型駆逐艦)

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Japanese destroyer Momo 1944.jpg
基本情報
建造所 舞鶴海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
級名 松型駆逐艦
艦歴
発注 1942年戦時建造補充(改マル5)追加計画
起工 1943年11月5日[1]
進水 1944年3月25日[1]
竣工 1944年6月10日[1]
最期 1944年12月15日マニラ北西沖にて戦没
除籍 1945年2月10日
要目
基準排水量 1,262t
公試排水量 1,530t
全長 100.00m
最大幅 9.35m
吃水 3.30m
主機 オールギアードタービン2基2軸
出力 19,000hp
速力 27.8kt
燃料 重油370t
航続距離 18ktで3,500
乗員 211名 / 250名[2]
兵装
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(もも)は、大日本帝国海軍駆逐艦[3]松型駆逐艦(丁型)の4番艦である[4]。 日本海軍の艦名としては桃型駆逐艦[5]の1番艦[6]に続いて2代目。 舞鶴海軍工廠で建造され1944年(昭和19年)6月10日に竣工[1]、訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入された[7]。 7月15日、新編の第43駆逐隊に所属[8]8月20日以降、新編の第三十一戦隊に所属した[9]。同年11月上旬、第三十一戦隊は航空戦艦2隻(日向伊勢)を護衛して内地を出発[10]新南群島で別れたあとマニラに向かうが[11]旗艦の相次ぐ被雷に遭遇した[注 1]。 マニラ進出後は12月7日の第八次多号作戦に参加、小破した[14]12月14日のマニラ空襲で損傷し、台湾に向け避退中の12月15日[15]、アメリカ潜水艦「ホークビル」の攻撃で撃沈された[16]

艦歴[編集]

建造経緯[編集]

1942年戦時建造補充(改⑤)追加計画丁型(一等)駆逐艦第5484号艦として[17]舞鶴海軍工廠で建造[18][注 2]。 本艦は1943年(昭和18年)11月5日、夕雲型駆逐艦(沖波早霜)の艤装や軽巡木曾等の修理が行われる中で起工[20]

1944年(昭和19年)1月25日、『』と命名される[3]。同日付で駆逐艦3隻(竹、梅、桃)は松型駆逐艦に類別された[4]3月25日、舞鶴海軍工廠でネームシップの「松」[21]や秋月型駆逐艦「冬月[22]の艤装が急がれる中[23]、「桃」は進水する[24][注 3]。 「桃」は同25日付で舞鶴鎮守府籍となった[29]。 4月25日、日本海軍は若竹型駆逐艦8番艦刈萱艦長[30][31]等を歴任した益満行孝少佐を桃艤装員長に任命する[32]。 5月1日、舞鶴海軍工廠に桃艤装員事務所を設置した[33]6月10日[34]、「桃」は竣工する[35][注 4]。桃艤装員事務所を撤去する[37]。益満艤装員長も制式に桃駆逐艦長(初代)となった[38]

竣工後[編集]

竣工と共に、「桃」は訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入される[39][注 5]。 残工事を終えて6月16日に舞鶴を出発、瀬戸内海へ移動する[41][43]。翌17日以降、内海西部にあって[41][42]、工事や修理をおこなう[44][45]

7月15日付で、秋月型駆逐艦2隻(霜月冬月)により第41駆逐隊が、松型駆逐艦4隻()により第43駆逐隊(駆逐隊司令菅間良吉中佐)[46]が、それぞれ編制される[8]。第43駆逐隊は第十一水雷戦隊に編入された[47]29日、5隻(長良、冬月、桃、梅、竹)で訓練をおこなう[48]。 翌30日から8月3日まで、十一水戦旗艦は扶桑型戦艦「扶桑」になった[49][注 6]

8月3日、呉海軍工廠で秋月型駆逐艦「涼月」の修理が終わる[55][注 7]。8月上旬から中旬にかけて、「桃」をふくむ十一水戦(旗艦「桑」)は「涼月」と訓練をおこなった[57][58]。 8月14日夜、第四航空戦隊(司令官松田千秋少将)の航空戦艦2隻(伊勢日向)が夜間射撃訓練をおこない[注 8]、「桃」は標的の曳的艦になった[60]

第三十一戦隊[編集]

8月20日[61]、第43駆逐隊は新編された第三十一戦隊(司令官江戸兵太郎少将・海兵40期[62]、旗艦「五十鈴」)に編入された[9][注 9]。編入後も僚艦と共に瀬戸内海で訓練を続行する[64]。 9月10日、益満少佐(梅艦長)は呉鎮守府付となり、皆川芳雄少佐が梅駆逐艦長(2代目)に補職される[65] 10月25日には松型4隻(桃、)で、台湾第二航空艦隊むけ輸送作戦を行う大鷹型空母海鷹」と瑞鳳型空母龍鳳」を護衛して佐世保を出撃し[66]、10月27日に基隆に到着[67]。輸送任務を終えた後は10月30日に基隆を出港して佐世保を経由し、11月2日にに帰投した[68]

第三十一戦隊は旗艦軽巡洋艦五十鈴」と[10]、護衛部隊(秋月型駆逐艦〈霜月[69]、松型駆逐艦〈 〉)という編成で、南方に進出する第四航空戦隊航空戦艦2隻(日向伊勢)を護衛する[70][注 10]。南方輸送部隊「H部隊」は11月9日に五島列島有川湾を出撃し[注 11]馬公経由で14日に南沙諸島(新南群島)に到着した[73][74]

11月17日、同地で四航戦と護衛艦艇(霜月、梅、桐)と別れ[注 12]、第三十一戦隊はマニラに進出した[76]。マニラ進出後の11月19日、第三十一戦隊旗艦「五十鈴」がマニラ沖合で[77]、アメリカ潜水艦ヘイク (USS Hake, SS-256) の魚雷攻撃を受ける[12]。 被雷により艦尾と舵を失った「五十鈴」は昭南、次いでスラバヤに下がって修理が行われる事となり[78]、「桃」は「五十鈴」を護衛して昭南に向かった[79][注 13]

シンガポール到着後、第三十一戦隊旗艦は「五十鈴」から秋月型駆逐艦「霜月[81](第41駆逐隊司令駆逐艦)に変更された[注 14]11月24日、「霜月」と「桃」は昭南を出撃、ボルネオ島ブルネイ湾に向かう[82]。 直後の11月25日未明[83]、アメリカの潜水艦カヴァラ (USS Cavalla, SS-244) [84]の雷撃で「霜月」が沈没した[85]。 江戸少将(戦死により海軍中将へ昇進)[86]以下第三十一戦隊司令部全員と第41駆逐隊司令脇田喜一郎大佐[87]、さらに霜月艦長を含む乗員の大半が戦死した[13]ソナーと聴音機で捜索するも、カヴァラは浮上してレーダーを使用して雷撃していたため探知できなかった[88]。「桃」は46名の生存者[89]を救助の後マニラに再進出し、レイテ島行きの多号作戦に参加する事となる。 江戸少将の戦死により[90]、戦艦扶桑艦長[91][92]等を歴任した鶴岡信道少将[93]が第三十一戦隊司令官に任命された[9]

「桃」が「五十鈴」を護衛していた時期に、第三十一戦隊は第五艦隊に編入されていた[94]ルソン島マニラ進出後の「桃」は[76]、マニラからレイテ島西岸オルモックへの陸軍兵力輸送作戦「多号作戦」に参加する[95][96]12月5日午前10時30分[97]、第八次多号作戦輸送部隊[98](駆逐艦3隻〈梅、桃、杉〉、第11号輸送艦、第18号駆潜艇、第38号駆潜艇、輸送船4隻〈赤城山丸、白馬丸、第五真盛丸、日祥丸〉)と[99]SS艇3隻(6号、7号、9号)はマニラを出撃した[100]。 輸送部隊は第43駆逐隊司令が指揮をとり[100]第68旅団(旅団長栗栖猛夫陸軍少将、主力4,000名)など、合計約6900名が各艦に分乗した[101][102]

上陸予定日の12月7日早朝、日本陸軍航空部隊がオルモック南方に大規模船団を発見、上級司令部は判別に迷ったが、やがて敵輸送船団と判明した[103]。日本陸海軍航空部隊は、多号作戦部隊の護衛と、敵上陸船団攻撃の両方を行う羽目になった[104]。 アメリカ軍第77師団のオルモック南方上陸でレイテ島地上戦の状況が一変し[105]、菅間大佐(第43駆逐隊司令。「梅」座乗)はオルモック湾への接近を断念し、揚陸地をレイテ島西岸北方のサン・イシドロ英語版に変更した[106][107]。 同7日午前9時、第八次輸送部隊はサン・イシドロに到着して揚陸を開始した[108]。のべ25機の日本海軍戦闘機が船団の上空直掩を実施した[109]。同地には接岸施設がなく、兵員の揚陸は成功したが重火器の揚陸は出来なかった[110]。また揚陸中にタクロバンからの陸軍機と海兵隊機の爆撃を受け、多数の死傷者を出した[106]。船団も「白馬しろうま丸」(日本郵船、2,857トン)[注 15]が撃沈され[106]、残りの輸送船も海岸に擱座して壊滅した[111]。重装備を失ってレイテ島に上陸した第六十八旅団は、その後の地上戦で「消滅」した[112]。マニラへの帰投中、空襲を受け僚艦「杉」が損傷した[113]。「桃」もマスバテ島の暗礁に触れたものの[114]、離礁してマニラに帰投できた[14]

沈没[編集]

12月14日第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦上機がマニラを襲撃した[115]。4度の攻撃を受けて5機を撃墜したと判断されたが、「桃」は2発の直撃弾と多数の至近弾により第二缶室と前部機械室、通信装置、水測兵器が使用不能となって最大速力は14ノットに落ちた[116]。一時は火災が発生して誘爆を防ぐため魚雷は投棄され、戦死者30名と負傷者102名を出した[116]。蒸化器も破損して真水にも事欠く有様となった[117]。これにより、空襲から避退して修理を受けるため馬公に向けて脱出することとなった[118]。マニラにいた松型3隻()はカムラン湾に向かう[119]。「桃」と「」は同時に出港したが、「梅」は海南島経由で香港へ向かうことになった[120]

12月15日、「桃」はスービック湾内で第38任務部隊艦載機の空襲で沈没した輸送船鴨緑丸大阪商船、7,362トン)[113][注 16]の処理を済ませた後、第60号駆潜艇を伴ってマニラを出港する[117]。夜に入りマニラの北西210海里の地点で[15]、「桃」はアメリカの潜水艦ホークビル (USS Hawkbill, SS-366)[84]の襲撃をうける。 ホークビルはレーダーで2つの目標を探知し、19時27分に2つの目標に対して魚雷を3本ずつ発射[121]、うち4つの命中音が聞こえた[121]。ホークビルの発射した魚雷は「桃」の第二缶室に命中し、機械室が使用不能となって「桃」は沈没していった[122]。桃の艦長皆川芳雄少佐[123][124]以下多数が戦死した[注 17]

1945年(昭和20年)2月10日、「桃」と「桑」の2隻は松型駆逐艦[126]、 帝国駆逐艦籍[127]より除籍された。 「桃」は第43駆逐隊から、「桑」は第52駆逐隊から除かれた[128]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』362頁による。

艤装員長[編集]

  1. 益満行孝 少佐:1944年4月25日[32] - 1944年6月10日[38]

駆逐艦長[編集]

  1. 益満行孝 少佐:1944年6月10日[38] - 1944年9月10日[65]
  2. 皆川芳雄 少佐:1944年9月10日[65] - 12月15日戦死(同日付で海軍中佐)[124]

フィクション[編集]

映画「深く静かに潜航せよ」(監督:ロバート・ワイズ、主演:クラーク・ゲーブル)では、タンカーの護衛をしていた駆逐艦モモが、主人公率いる潜水艦ナーカに撃沈される。

出典[編集]

[編集]

  1. ^ 11月19日、マニラ沖合で旗艦の軽巡洋艦「五十鈴」が潜水艦の雷撃で大破、同艦を「桃」が護衛してシンガポールに送り届けた[12]。11月25日、今度は新旗艦「霜月」が潜水艦に撃沈されて第三十一戦隊司令官が戦死、「桃」は生存者46名を救助した[13]
  2. ^ 舞鶴工廠は松型計10隻(松、桃、槇、榧、椿、楡、椎、榎、雄竹、初梅)を建造した(他に未完成艦9隻)[19]
  3. ^ 当時の舞鶴工廠では、秋月型12番艦「花月[25]、松型8番艦「[26]、同型11番艦「[27]の建造も始まっている[23][28]
  4. ^ 姉妹艦「槇」の進水と同日付の竣工であった[36]
  5. ^ 第十一水雷戦隊司令官は高間完海軍少将[40]海軍兵学校41期。当時の十一水戦旗艦は軽巡洋艦「長良」だが、サイパン逆上陸作戦や小笠原諸島輸送作戦のため横須賀所在[41]。7月中旬以降は沖縄方面輸送作戦に従事する[42]
  6. ^ 8月3日、十一水戦旗艦は「扶桑」から駆逐艦「」になった[50]。「長良」が8月7日に潜水艦に撃沈されたので[51]、十一水戦司令官は8月末に「多摩」が編入されるまで[52][53]、「桑」に将旗を掲げ続けた[54]
  7. ^ 「涼月」は1944年(昭和19年)1月16日に潜水艦スタージョンの雷撃で大破、呉工廠で大修理をおこなっていた[56]
  8. ^ (昭和19年8月)[59]〔 10|岩国空にて4Sf航空戦務図演将旗岩国空。伊勢艦長指揮の下に夜間出港、陣形運動終って桂島泊地。/14|射撃其他諸訓練の為伊予灘に出動夜間照明弾利用。主砲高角砲同時射撃終って八島錨地。〕
  9. ^ 「五十鈴」は横須賀海軍工廠で整備改造工事中のため、当分の間、出撃できなかった[63]
  10. ^ 南方輸送部隊編成[71]〔 1KdF機密第〇二一四一八番電 第四航空戰隊(日向 伊勢)第四十一駆逐隊(霜月)凉月 第三十一戰隊(五十鈴 桑 桐 梅 桃 杉)ハ十一月八日槙冬月十八日頃内地出撃可能ノ見込 〕(註:秋月型涼月は浸水事故のため不参加[72]。)
  11. ^ (昭和19年11月)[11]〔 9|0615日向、有明湾発五島北方にて伊勢、(司令官)/31S、五十鈴、霜月、桑、槇、杉、桃、合同し茲に南方輸送部隊H部隊の集合成る。指揮官31S司令官。速力20kt馬公に向う。〕(註:槇ではなく「梅、桐」[71]が参加した。)
  12. ^ (昭和19年11月)[11]〔 17|2YP電令により支援部隊5F(足柄)4Sf、榛名、大淀、d×4はリンガに回航の事となる。31S(五十鈴、槇、桑、杉、桃)マニラに向かふ。4Sf、霜月、梅、桐は長島錨地に向ふ。1600入泊。1Sd、霞、潮、竹、同地にあり各艦に燃料を補給す。〕(註:「」は41駆(冬月、霜月)と空母「隼鷹」護衛任務[75]。)
  13. ^ 『戦史叢書93巻』74ページでは「梅」が「五十鈴」の護衛、「桃、桐」が第一遊撃部隊(大和、長門、金剛)護衛となっているが[76]、第一遊撃部隊護衛は「梅」と「桐」である[80]
  14. ^ (第二水雷戦隊、昭和19年11月~12月、経過概要)[82]〔 (二)經過(1)十一月二十日「リンガ」回航中第一水雷戰隊解隊同隊所属駆逐艦ノ第二水雷戰隊編入ト共ニ本職第二水雷戰隊司令官ニ補職セラレ多號作戰部隊第一警戒部隊指揮官トシテ支援部隊ニ属シ當方面所在二水戰ヲ直接指揮スルコトトナリ二十二日「リンガ」着岸波ヲ合同ス 同日四十一駆(霜月)第二警戒部隊ニ編入ノ令ニ接シ同夜之ヲ分離昭南ニ回航三十一戰隊ニ合同セシム(31Sハ二十四日同艦ニ将旗移揚昭南発「ブル子ー」回航中二十五日〇四四八 二度八分北一〇七度二〇分東ニ於テ敵潜攻撃ヲ受ケ沈没)二十三日七駆()ヲ二十六日朝霜ヲ夫々修理ノ爲昭南ニ回航セシム 〕
  15. ^ 読みは「はくばまる」ではない(『日本郵船戦時船史 下』65ページ)
  16. ^ 所謂ヘルシップ(地獄船)の一隻。
  17. ^ 岸見優美『地獄のレイテ輸送作戦』(2010)112頁では「桃乗組員は総員戦死」とする[125]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 舞廠造機部 2014, pp. 448a-449舞廠建造艦艇一覧、桃(5484)
  2. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127600, pp.7
  3. ^ a b #達昭和19年1月(2) pp.31-33〔 達第十七號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦七隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 竹(タケ) 伊號第三百六十八號潜水艦 伊號第三百六十九號潜水艦|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 梅(ウメ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 桃(モモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十五潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 屋代(ヤシロ) 海防艦 日振(ヒブリ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 鵜來(ウクル) 第十三號海防艦 第十五號海防艦 第十七號海防艦 第十九號海防艦|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第三十四號掃海艇|株式會社新潟鐡工所ニ於テ建造 第六十三號駆先手|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 特務艦 大濱(オホハマ)
  4. ^ a b #内令昭和19年1月(5) pp.17-18〔 内令第二百號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等松型ノ項中「松」ノ下ニ「、竹、梅、桃」ヲ加フ(以下略)
  5. ^ 福井静夫、日本駆逐艦物語 1993, pp. 77-78初期の二等駆逐艦〈 桃型 〉
  6. ^ 福井静夫、日本駆逐艦物語 1993, p. 294日本海軍駆逐艦艦名一覧/二等駆逐艦/桃(I)Momo
  7. ^ #S1906十一水戦日誌(1) p.14〔 十日一九四五軍令部総長(宛略)機密第一〇一九四九番電 六月十日附 桃ヲ第十一水雷戰隊ニ編入ス|無電 〕
  8. ^ a b #内令昭和19年7月 p.21〔 内令第八百六十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年七月十五日 海軍大臣|第三十二驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ二項ヲ加フ |第四十一驅逐隊|霜月、冬月|・|第四十三驅逐隊|梅、竹、松、桃| 〕
  9. ^ a b c 戦史叢書46 1971, pp. 330-332第三十一戦隊の編成
  10. ^ a b 戦史叢書93 1976, pp. 73-74南西方面艦隊、駆逐艦の不足を訴う
  11. ^ a b c 日向、追憶 1977, p. 92.
  12. ^ a b 戦史叢書54 1972, pp. 454a-455水上兵力の漸減
  13. ^ a b 激闘駆逐艦隊 1987, pp. 134-135霜月の最期
  14. ^ a b #S1912経過(護衛対潜) pp.4-5(昭和19年12月7日~8日、第八次多号作戦概要)
  15. ^ a b #S1912経過(護衛対潜) p.8(昭和19年12月)〔 15|2030|桃 高雄ニ向ケ避退中マニラノ北西210浬附近ニ於テ敵(潜水艦)ノ雷撃ヲ受ケ轟沈| |14日桃ハ四次ニ亘リ延約50(飛行機)ノ敵艦上機ト交戰撃墜×5撃破若干ノ戰果ヲ挙ゲタルモ直撃彈2至近彈10数発ヲ受ケ舟体各部ニ相当ノ損害ヲ被ル 〕
  16. ^ 戦史叢書46 1971, pp. 446a-447米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表
  17. ^ 福井静夫、日本駆逐艦物語 1993, p. 291日本海軍駆逐艦艦名一覧/一等駆逐艦/桃(II)Momo
  18. ^ #S1811舞鎮日誌(2) p.5〔 五(天候略)工廠工事 第五四八四號艦起工 不知火水中聴音機装備工事完成外 〕
  19. ^ 舞廠造機部 2014, pp. 291-293帝国海軍駆逐艦・水雷艇建造小史(18)戦時急造艦―松型と同改(丁型)
  20. ^ #S1811舞鎮日誌(1) pp.7-8〔 (2)重要ナル艦船兵器ノ造修(a)新造艦船 沖波、早霜 艤装工事ノ促進 第三六一號艦 第五四八一號艦}建造工事ノ促進 第五四八四號艦 五日起工建造工事ノ促進(略) 〕、#S1811舞鎮日誌(1) p.8〔 (b)修理艦船 名取不知火秋風木曾(十日入港)ノ損傷復舊工事ヲ初メ刈萱 朝顔(二十九日入港)、第二十號(七日工事着手)、第二十三號掃海艇、鵯(二十七日入港)ノ修理工事促進竝ニ呂號四十二(十三日入港)、三十九、四十四(二十八日入港)潜水艦ノ出師準備作業促進ニ努メ何レモ豫定通進捗秋風(四日)、不知火、第二十號掃海艇(十六日)、刈萱(二十日)、第二十三號掃海艇(二十四日)工事完成出撃セリ 〕
  21. ^ 舞廠造機部 2014, pp. 448b-449舞廠建造艦艇一覧、松(5481)
  22. ^ 舞廠造機部 2014, pp. 446a-447舞廠建造艦艇一覧、冬月(361)
  23. ^ a b #S1903舞鎮日誌 p.8〔 (a)新造艦船 冬月、松 艤装中/桃 三月二十五日進水 艤装中/第三六六號艦 第五四八八號艦}船臺ニ在リ船殻工事中(以下略) 〕
  24. ^ #S1903舞鎮日誌 p.48〔 二十五(天候略)工廠工事 驅逐艦桃進水 〕
  25. ^ 舞廠造機部 2014, pp. 446b-447舞廠建造艦艇一覧、花月(366)
  26. ^ 舞廠造機部 2014, pp. 448c-449舞廠建造艦艇一覧、槇(5488)
  27. ^ 舞廠造機部 2014, pp. 448d-449舞廠建造艦艇一覧、榧(5492)
  28. ^ #S1904舞鎮日誌 p.8〔 (a)新造艦船 松 兵装艤装竝ニ諸公試験完了四月二十八日引渡ヲ了ス/冬月 艤装中/桃 同/第三六六號艦 第五四八八號艦}船臺ニ在リテ船殻工事中/第二四三一號艦四月一日、第五四九二號四月十日起工(以下略) 〕
  29. ^ #内令昭和19年3月(2) p.36〔 内令弟四百七十四號 驅逐艦 桃 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル|佐世保鎮守府豫備潜水艦 伊號第百六十二潜水艦 右警備潜水艦ト定メラル 昭和十九年三月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 〕
  30. ^ 昭和17年10月13日(発令10月13日)海軍辞令公報(部内限)第963号 p.14」 アジア歴史資料センター Ref.C13072087300 
  31. ^ 昭和19年3月1日(発令3月1日)海軍辞令公報(部内限)第1351号 p.33」 アジア歴史資料センター Ref.C13072096300 
  32. ^ a b 昭和19年4月25日(発令4月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1440号 p.45」 アジア歴史資料センター Ref.C13072097400 
  33. ^ 昭和19年5月9日(火)海軍公報(部内限)第4684号 p.4」 アジア歴史資料センター Ref.C12070477100 〔 ○事務開始 驅逐艦桃艤装員事務所ハ五月一日舞鶴海軍工廠内ニ於テ事務ヲ開始セリ(以下略) 〕
  34. ^ #S1906舞鎮日誌 p.20〔 十日〇九一四桃驅逐艦長(宛略)桃機密弟一一〇九一四番電 十日一〇〇〇竣工受領十四日舞鶴發 〕
  35. ^ #S1906舞鎮日誌 p.44〔 十(天候略)其ノ他 五四八八號艦進水式驅逐艦桃引渡 〕
  36. ^ #S1906舞鎮日誌 p.8〔 (a)新造艦船 桃 兵装艤装竝ニ諸公試験完了六月十日引渡ヲ了ス/槇 六月十日進水/第一二六六號艦 第五四九二號艦 第五四九六號艦 第二四三一號艦}船臺ニ在リテ船殻工事中 〕
  37. ^ 昭和19年6月21日(水)海軍公報(部内限)第4719号 p.9」 アジア歴史資料センター Ref.C12070479400 〔 ○事務所撤去(略)驅逐艦桃艤装員事務所ハ六月十日之ヲ撤去セリ(以下略) 〕
  38. ^ a b c 昭和19年6月13日(発令6月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1513号 p.34」 アジア歴史資料センター Ref.C13072099500 
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  49. ^ #S19.06十一水戦日誌(2) p.66(昭和19年7月30日)〔 〇六三〇長良呉ニ向ケ八島発/一〇〇〇呉着/一九〇〇長良佐世保ニ向ケ呉発|一三〇〇将旗ヲ一時長良ヨリ扶桑ニ移揚 〕
  50. ^ #S1906十一水戦日誌(3) p.8〔 二日(司令官)11Sd|二日〇八三〇扶桑、桑〔呉鎭〕|11Sd信令第二〇號 一.明日三日一三〇〇将旗ヲ桑ニ移揚ス/二.本職桑ヲ率ヰ一三一五出港桂島ニ回航ノ豫定|信號 〕、同部隊戦時日誌 p.11〔 (司令官)11Sd(宛略)|機密第〇三一三〇五番電 将旗ヲ桑ニ移揚セリ|無電 〕
  51. ^ 軽巡二十五隻 2014, pp. 326-327長良(ながら)
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  53. ^ #S19.06十一水戦日誌(3) p.33〔 三十日0000軍令部總長(宛略)|機密第三〇〇〇〇〇番電 多摩ヲ21Sヨリ除キ11Sdニ編入ス|無電〕〔 三十一日〇七二八(宛略)|機密第三一〇七二八番電 八月三十日旗艦ヲ多摩ニ変更セリ|〃 〕
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  57. ^ #S19.06十一水戦日誌(3) p.12〔 三日(司令官)11Sd|三日一五一五 43dg 桑 涼月|11Sd信令第二一號 43dg及涼月ハ左ニ依リ対潜訓練ヲ實施スベシ 一.實施期日八月四日 竹涼月 五日梅桃/二.作業海面廣島湾崎田島附近 協力(参加)部隊呉潜戰(三航戰)|信号 〕〔 四日(司令官)11Sd(宛略)43dg司令ハ当分ノ間涼月及桑ノ訓練ヲ統制スベシ|信號 〕
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  127. ^ #秘公報昭和20年2月(2) p.21〔 内令第一一五號|横須賀鎮守在籍 驅逐艦 清霜|呉鎮守府在籍 驅逐艦 桑 驅逐艦 呉竹|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 桃|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略) 〕
  128. ^ #秘公報昭和20年2月(2) pp.20-21〔 内令第一一一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年二月十日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「時雨」ノ下ニ「、朝霜」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項中「桃、」ヲ削ル|第五十二驅逐隊ノ項中「桑、」ヲ削ル 〕

参考文献[編集]

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  • 当時「梅」乗組・海軍上等兵曹市川國雄『香り浅き「梅」バシー海峡に消えたり 熾烈なる対空戦闘の果て誕生六ヶ月余りで海底に没した愛艦への鎮魂歌
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    • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年十月一日至昭和十九年十月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十九年十一月一日至昭和十九年十一月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127700
    • 野村留吉『第四航空戦隊 戦時日誌抜粋』(昭和19年5月1日~昭和20年3月1日 第4航空戦隊戦時日誌抜粋 (旗艦日向行動等)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030742100
    • 第五艦隊司令部『自昭和十九年十二月一日至昭和十九年十二月三十一日 第五艦隊(第三遊撃部隊)戦時日誌』(昭和19年11月1日~昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030019900
  • SS-244, USS CAVALLA(issuuベータ版)
  • SS-366, USS HAWKBILL(issuuベータ版)

関連項目[編集]