桃 (松型駆逐艦)

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桃
艦歴
発注 1942年戦時建造補充(改マル5)追加計画
起工 1943年11月5日
進水 1944年3月25日
就役 1944年6月10日
その後 1944年12月15日戦没
除籍 1945年2月10日
要目
排水量 基準:1,262t
公試:1,530t
全長 100.00m
全幅 9.35m
吃水 3.30m(平均)
機関 オールギアードタービン2基2軸 19,000hp
速力 27.8kt
航続距離 18ktで3,500浬
燃料 重油370t
乗員 211名/250名[1]
兵装 40口径12.7cm単装高角砲 1基
40口径12.7cm連装高角砲 1基
25mm三連装機銃 4基
25mm単装機銃 8基
九二式61cm4連装魚雷発射管 1基
(予備魚雷なし)
爆雷投射機 2基 爆雷投下条 2基
二式爆雷×36

(もも)は、大日本帝国海軍駆逐艦[2]松型駆逐艦(丁型)の4番艦である[3]。日本海軍の艦名としては桃型駆逐艦の1番艦「」に続いて2代目。

艦歴[編集]

建造経緯[編集]

1942年戦時建造補充(改⑤)追加計画丁型(一等)駆逐艦第5484号艦として舞鶴海軍工廠で建造[4]。舞鶴工廠は松型計10隻(松、桃、槇、榧、椿、楡、椎、榎、雄竹、初梅)を建造した(他に未完成艦9隻)[5]。 本艦は1943年(昭和18年)11月5日、夕雲型駆逐艦(沖波早霜)の艤装や軽巡「木曾」等の修理が行われる中で起工[6][7]

1944年(昭和19年)1月25日、『』と命名[2]。同日附で3隻(竹、梅、桃)は松型駆逐艦に類別[3]3月25日、舞鶴海軍工廠で松型1番艦「松」や秋月型駆逐艦8番艦「冬月」の艤装が急がれる中[8]、「桃」は進水する[9]。また秋月型12番艦「花月」や松型8番艦「」、同型11番艦「」の建造も始まっている[8][10]。 「桃」は同日附で舞鶴鎮守府籍となった[11]。 4月25日、日本海軍は若竹型駆逐艦8番艦「刈萱」艦長[12][13]等を歴任した益満行孝少佐を桃艤装員長に任命する[14]。 5月1日、舞鶴海軍工廠に桃艤装員事務所を設置[15]6月10日[16]、本艦は竣工する(槇の進水と同日)[17][18]。艤装員事務所を撤去[19]。益満艤装員長も制式に桃駆逐艦長(初代)となった[20]

竣工後[編集]

竣工後、「桃」は訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官高間完海軍少将海軍兵学校41期)に編入。瀬戸内海で訓練に従事した。 7月15日附で、秋月型駆逐艦2隻(霜月冬月)により第41駆逐隊が、松型駆逐艦4隻()により第43駆逐隊(駆逐隊司令菅間良吉中佐)[21]が、それぞれ編制される[22]。 8月20日、第43駆逐隊は新編された第三十一戦隊(司令官江戸兵太郎少将・海兵40期。旗艦「五十鈴」)に編入[23][24]。編入後も僚艦と共に瀬戸内海で訓練を続行する[25]。 9月10日、益満少佐(梅艦長)は呉鎮守府附となり、皆川芳雄少佐が梅駆逐艦長(2代目)に補職される[26] 10月25日には松型3隻(梅、)で、台湾への輸送作戦を行う空母2隻(瑞鳳型《龍鳳》、大鷹型《海鷹》)を護衛して佐世保を出撃し、10月27日に基隆に到着[27]。輸送任務を終えた後は10月30日に基隆を出港して佐世保を経由し、11月2日にに帰投した[28]

第三十一戦隊は旗艦長良型軽巡洋艦2番艦「五十鈴」と護衛部隊(秋月型《霜月[29]、松型《》)を以って、南方に進出する第四航空戦隊(司令官松田千秋少将)の航空戦艦2隻(日向伊勢)を護衛する[30][31][32]。11月9日に五島列島有川湾を出撃し、馬公経由で14日に南沙諸島(新南群島)に到着[33][34]。 その後、「五十鈴」などとともにマニラに進出[35]。しかし、「五十鈴」は11月19日にアメリカの潜水艦ヘイク (USS Hake, SS-256) の雷撃で損傷し、昭南、次いでスラバヤに下がって修理が行われる事となり、「五十鈴」を護衛して昭南に向かった[36]。 第三十一戦隊旗艦は「五十鈴」から秋月型7番艦「霜月」(第41駆逐隊司令駆逐艦)に変更され、ブルネイ湾英語版に向かうこととなったため、「霜月」を護衛して昭南を出撃した。しかし11月25日未明にアメリカの潜水艦カヴァラ (USS Cavalla, SS-244) の雷撃で「霜月」は沈没[37]。江戸少将(戦死により海軍中将へ昇進)[38][39]以下第三十一戦隊司令部全員と第41駆逐隊司令脇田喜一郎大佐を含む乗員の大半が戦死した[40]ソナーと聴音機で捜索するも、カヴァラは浮上してレーダーを使用して雷撃していたため探知できなかった[41]。「桃」は46名の生存者[42]を救助の後マニラに再進出し、レイテ島行きの多号作戦に参加する事となる。 後任の三十一戦隊司令官は、戦艦「扶桑」艦長[43][44]等を歴任した鶴岡信道少将[45]

12月5日10時半[46]、第43駆逐隊司令菅間良吉大佐(梅座乗)指揮下の第八次多号作戦輸送部隊(梅、桃、杉、第11号輸送艦、18号駆潜艇、38号駆潜艇、赤城山丸、白馬丸、第五真盛丸、日祥丸)はマニラを出撃[47][48]。しかし、12月7日にアメリカ軍第77師団がオルモック南方に上陸したため、オルモックへの接近を断念して揚陸地をサン・イシドロに変更。兵員の揚陸は成功したが重火器の揚陸は出来ず、タクロバンからの陸軍機と海兵隊機の爆撃を受け、輸送船は沈没したり海岸に擱座して壊滅した[47]。「杉」も被害を受けた[47][49]。帰途、本艦はマスバテ島の暗礁に触れたものの[50]、12月9日にマニラに帰投。12月14日、マニラで第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機の空襲を受ける。4度の攻撃を受けて5機を撃墜したと判断されたが、「桃」は2発の直撃弾と多数の至近弾により、第二缶室と前部機械室、通信装置、水測兵器が使用不能となって最大速力は14ノットに落ちた[51]。一時は火災が発生して誘爆を防ぐため魚雷は投棄され、戦死者30名と負傷者102名を出した[51]。蒸化器も破損して真水にも事欠く有様となった[52]。これにより、空襲から避退して修理を受けるため馬公に向けて脱出することとなった[53]。「」と「榧」はカムラン湾に向かう[54]。「桃」と「」同時に出港したが、「梅」は海南島経由で香港へ向かうことになった[49]

12月15日、「桃」はスービック湾内で第38任務部隊艦載機の空襲で沈没した輸送船「鴨緑丸」(大阪商船、7,362トン)[55]の処理を済ませた後、第60号駆潜艇を伴ってマニラを出港する[52]。しかし、夜に入りマニラの北西210海里の地点でアメリカの潜水艦ホークビル (USS Hawkbill, SS-366) に発見される[37]。ホークビルはレーダーで2つの目標を探知し、19時27分に2つの目標に対して魚雷を3本ずつ発射[56]、うち4つの命中音が聞こえた[56]。ホークビルの発射した魚雷は第二缶室に命中し、機械室が使用不能となって「桃」は沈没していった[57]。「桃」の艦長皆川芳雄少佐[58][59]以下30名が戦死した[60]

1945年(昭和20年)2月10日、本艦と「桑」は松型駆逐艦[61]、 帝国駆逐艦籍[62]より除籍。 「桃」は第43駆逐隊から、「桑」は第52駆逐隊から除かれた[63]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』362頁による。

艤装員長[編集]

  1. 益満行孝 少佐:1944年4月25日[14] - 1944年6月10日[20]

駆逐艦長[編集]

  1. 益満行孝 少佐:1944年6月10日[20] - 1944年9月10日[26]
  2. 皆川芳雄 少佐:1944年9月10日[26] - 12月15日戦死(同日附で海軍中佐)[59]

フィクション[編集]

映画「深く静かに潜航せよ」(監督:ロバート・ワイズ、主演:クラーク・ゲーブル)では、タンカーの護衛をしていた駆逐艦モモが、主人公率いる潜水艦ナーカに撃沈される。

脚注[編集]

  1. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127600, pp.7
  2. ^ a b #達昭和19年1月(2)pp.31-33『達第十七號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦七隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 竹(タケ) 伊號第三百六十八號潜水艦 伊號第三百六十九號潜水艦|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 梅(ウメ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 桃(モモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十五潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 屋代(ヤシロ) 海防艦 日振(ヒブリ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 鵜来(ウクル) 第十三號海防艦 第十五號海防艦 第十七號海防艦 第十九號海防艦|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第三十四號掃海艇|株式會社新潟鐡工所ニ於テ建造 第六十三號駆先手|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 特務艦 大濱(オホハマ)』
  3. ^ a b #内令昭和19年1月(5)pp.17-18『内令第二百號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等松型ノ項中「松」ノ下ニ「、竹、梅、桃」ヲ加フ|潜水艦、一等伊十型ノ項中「伊號第十四」ノ下ニ「、伊號第十五」ヲ、同伊三百六十一型ノ項中「伊號三百六十六」ノ下ニ「、伊號三百六十八、伊號三百六十九」ヲ加フ|海防艦、占守型ノ項中「笠戸」ノ下ニ「、日振、鵜来」ヲ、同三御藏型ノ項中「倉橋」ノ下ニ「、屋代」ヲ、同第一號型ノ項中「第十一號」ノ下ニ「、第十三號、第十五號、第十七號、第十九號」ヲ加フ|掃海艇、第十九號型ノ項中「第三十三號」ノ下ニ「、第三十四號」ヲ加フ|驅潜艇、第十四號型ノ項中「第六十一號」ノ下ニ「、第六十三號」ヲ加フ』
  4. ^ #S1811舞鎮日誌(2)p.5『五(天候略)工廠工事 第五四八四號艦起工 不知火水中聴音機装備工事完成外』
  5. ^ #舞廠造機部291-293頁『戦時急造艦―松型と同改(丁型)』
  6. ^ #S1811舞鎮日誌(1)pp.7-8『(2)重要ナル艦船兵器ノ造修(a)新造艦船 沖波、早霜 艤装工事ノ促進 第三六一號艦 第五四八一號艦}建造工事ノ促進 第五四八四號艦 五日起工建造工事ノ促進(略)』
  7. ^ #S1811舞鎮日誌(1)p.8『(b)修理艦船 名取不知火秋風木曾(十日入港)ノ損傷復舊工事ヲ初メ刈萱 朝顔(二十九日入港)、第二十號(七日工事着手)、第二十三號掃海艇、鵯(二十七日入港)ノ修理工事促進竝ニ呂號四十二(十三日入港)、三十九、四十四(二十八日入港)潜水艦ノ出師準備作業促進ニ努メ何レモ豫定通進捗秋風(四日)、不知火、第二十號掃海艇(十六日)、刈萱(二十日)、第二十三號掃海艇(二十四日)工事完成出撃セリ』
  8. ^ a b #S1903舞鎮日誌p.8『(a)新造艦船 冬月、松 艤装中/桃 三月二十五日進水 艤装中/第三六六號艦 第五四八八號艦}船臺ニ在リ船殻工事中(以下略)』
  9. ^ #S1903舞鎮日誌p.48『二十五(天候略)工廠工事 驅逐艦桃進水』
  10. ^ #S1904舞鎮日誌p.8『(a)新造艦船 松 兵装艤装竝ニ諸公試験完了四月二十八日引渡ヲ了ス/冬月 艤装中/桃 同/第三六六號艦 第五四八八號艦}船臺ニ在リテ船殻工事中/第二四三一號艦四月一日、第五四九二號四月十日起工(以下略)』
  11. ^ #内令昭和19年3月(2)p.36『内令弟四百七十四號 驅逐艦 桃 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル|佐世保鎮守府豫備潜水艦 伊號第百六十二潜水艦 右警備潜水艦ト定メラル 昭和十九年三月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  12. ^ 昭和17年10月13日(発令10月13日)海軍辞令公報(部内限)第963号 p.14』 アジア歴史資料センター Ref.C13072087300 
  13. ^ 昭和19年3月1日(発令3月1日)海軍辞令公報(部内限)第1351号 p.33』 アジア歴史資料センター Ref.C13072096300 
  14. ^ a b 昭和19年4月25日(発令4月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1440号 p.45』 アジア歴史資料センター Ref.C13072097400 
  15. ^ 昭和19年5月9日(火)海軍公報(部内限)第4684号 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.C12070477100 『○事務開始 驅逐艦桃艤装員事務所ハ五月一日舞鶴海軍工廠内ニ於テ事務ヲ開始セリ(以下略)』
  16. ^ #S1906舞鎮日誌p.20『十日〇九一四桃驅逐艦長(宛略)桃機密弟一一〇九一四番電 十日一〇〇〇竣工受領十四日舞鶴發』
  17. ^ #S1906舞鎮日誌p.8『(a)新造艦船 桃 兵装艤装竝ニ諸公試験完了六月十日引渡ヲ了ス/槇 六月十日進水/第一二六六號艦 第五四九二號艦 第五四九六號艦 第二四三一號艦}船臺ニ在リテ船殻工事中』
  18. ^ #S1906舞鎮日誌p.44『十(天候略)其ノ他 五四八八號艦進水式驅逐艦桃引渡』
  19. ^ 昭和19年6月21日(水)海軍公報(部内限)第4719号 p.9』 アジア歴史資料センター Ref.C12070479400 『○事務所撤去(略)驅逐艦桃艤装員事務所ハ六月十日之ヲ撤去セリ(以下略)』
  20. ^ a b c 昭和19年6月13日(発令6月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1513号 p.34』 アジア歴史資料センター Ref.C13072099500 
  21. ^ 昭和19年7月21日(発令7月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1541号 p.7』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100100 
  22. ^ #内令昭和19年7月p.21『内令第八百六十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年七月十五日 海軍大臣|第三十二驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ二項ヲ加フ |第四十一驅逐隊|霜月、冬月|・|第四十三驅逐隊|梅、竹、松、桃|』
  23. ^ 昭和19年8月22日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1571号 p.40』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100600 
  24. ^ #叢書46海上護衛戦330-332頁『第三十一戦隊の編成』
  25. ^ #秋月型(潮2015)308-309頁
  26. ^ a b c 昭和19年9月13日(発令9月?日付)海軍辞令公報(部内限)第1593号 p.30』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100900 
  27. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.5,31,41
  28. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.33,42,51,52
  29. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.35『(2)霜月 内海西部方面ニアリテ警戒待機中ノ所第四航空戰隊第三十一戰隊ト共ニ八日出撃「ブルネイ」ニ回航中』
  30. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.53
  31. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.42『1KdF機密第〇二一四一八番電 第四航空戰隊(日向伊勢)第四十一駆逐隊(霜月)凉月 第三十一戰隊(五十鈴桑桐梅桃杉)ハ十一月八日槙冬月十八日頃内地出撃可能ノ見込』(涼月は浸水事故のため不参加)
  32. ^ #佐藤艦長続編(文庫)249-251頁『粛然とした「桑」の沈没』
  33. ^ 野村, pp.9
  34. ^ #秋月型(潮2015)309-310頁『僚艦沈没の非報しきり』
  35. ^ 野村, pp.10
  36. ^ 木俣『日本水雷戦史』586ページ
  37. ^ a b #叢書46海上護衛戦446-447頁『米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表』
  38. ^ 海軍中将江戸兵太郎叙位の件 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.A12090744000 
  39. ^ 昭和20年2月17日(発令11月25日付)海軍辞令公報(甲)第1724号 p.48』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103400 
  40. ^ #S1911二水戦日誌(1)p.8『(3)四十一駆(霜月)ハ十一月二十二日附第二警戒部隊ニ編入サレ31S司令官ノ作戰指揮ヲ受ケ二十五日被雷沈没』
  41. ^ 「SS-244, USS CAVALLA」p.173
  42. ^ 木俣『日本水雷戦史』587ページ
  43. ^ 昭和18年6月2日(発令5月31日付)海軍辞令公報(部内限)第1134号 p.23』 アジア歴史資料センター Ref.C13072091400 
  44. ^ 昭和19年2月23日(発令2月23日)海軍辞令公報(部内限)第1337号 p.48』 アジア歴史資料センター Ref.C13072095900 
  45. ^ 昭和19年12月6日(発令12月1日付)海軍辞令公報(甲)第1661号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C13072102200 
  46. ^ 木俣『日本水雷戦史』569ページ
  47. ^ a b c #秋月型(潮2015)311-314頁『リスクが大きい輸送作戦』
  48. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)174-175頁
  49. ^ a b #秋月型(潮2015)314-315頁『難をのがれ香港で修理』
  50. ^ 雨倉, 99ページ
  51. ^ a b 『第五艦隊戦時日誌』pp.35
  52. ^ a b 『第五艦隊戦時日誌』pp.35,36
  53. ^ 『第五艦隊戦時日誌』pp.33
  54. ^ 木俣『日本水雷戦史』571ページ
  55. ^ 所謂ヘルシップ(地獄船)の一隻
  56. ^ a b 「SS-366, USS HAWKBILL」p.66
  57. ^ 木俣『日本水雷戦史』589ページ
  58. ^ 雨倉, 95ページ
  59. ^ a b 昭和20年10月11日(発令昭和19年12月15日付)海軍辞令公報(甲)第1949号 p.22』 アジア歴史資料センター Ref.C13072107900 
  60. ^ #地獄のレイテ輸送作戦112頁では総員戦死とする
  61. ^ #秘公報昭和20年2月(2)p.20『内令第一〇八號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和二十年二月十日海軍大臣|驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「、清霜」ヲ、同松型ノ項中「、桃、桑」ヲ、同二等若竹型ノ項中「呉竹、」ヲ削ル(以下略)』
  62. ^ #秘公報昭和20年2月(2)p.21『内令第一一五號|横須賀鎮守在籍 驅逐艦 清霜|呉鎮守府在籍 驅逐艦 桑 驅逐艦 呉竹|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 桃|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)』
  63. ^ #秘公報昭和20年2月(2)pp.20-21『内令第一一一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年二月十日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「時雨」ノ下ニ「、朝霜」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項中「桃、」ヲ削ル|第五十二驅逐隊ノ項中「桑、」ヲ削ル』

参考文献[編集]

  • 雨倉孝之「松型駆逐艦長の奮戦記」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ43 松型駆逐艦』学習研究社、2003年、ISBN 4-05-603251-3
  • 岡本孝太郎 『舞廠造機部の昭和史』 文芸社、2014年5月。ISBN 978-4-286-14246-3
  • 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
  • 岸見勇美 『地獄のレイテ輸送作戦 敵制空権下の多号作戦の全貌光人社、2010年12月。ISBN 978-4-7698-2666-8
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 「幸運と不運」<駆逐艦「竹」艦長・宇那木勁少佐の証言>(太平洋戦争時、磯波水雷長、海軍兵学校教官、椿艤装委員長、竹艦長等)
    • 「縁の下の役割」<駆逐艦「梅」艦長・大西快治少佐の証言>(子ノ日航海長、水雷艇艇長、朝凪艦長等を歴任。梅艦長後、横須賀突撃隊特攻隊長。終戦後、艦長等を歴任)
    • 「勝敗の分岐点」<駆逐艦艦長・川畑誠少佐の証言>(太平洋戦争時、奄美大島根拠地隊副官、横須賀第一陸戦隊副官、水雷艇「」艇長、重巡鈴谷水雷長、桐艦長等)
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』私家版、2004年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書46 海上護衛戦』 朝雲新聞社、1971年5月。
  • ハンディ判日本海軍艦艇写真集18 駆逐艦秋月型・松型・橘型・睦月型・神風型・峯風型』 雑誌『』編集部/編、光人社、1997年11月。ISBN 4-7698-0819-4
  • 山本平弥ほか 『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』 潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6
    • 当時「梅」乗組・海軍上等兵曹市川國雄『香り浅き「梅」バシー海峡に消えたり 熾烈なる対空戦闘の果て誕生六ヶ月余りで海底に没した愛艦への鎮魂歌
    • 当時艦政本部部員・海軍技術中佐遠山光一『マスプロ防空駆逐艦"松型"の誕生と背景 駆逐艦発達史の中に位置づけた丁型=松型十八隻と橘型十四隻の新機軸
    • 戦史研究家伊達久『丁型駆逐艦船団護衛ダイアリィ 松型十八隻と橘型十四隻の太平洋戦争
  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 『昭和19年1月~6月達/1月(2)』。Ref.C12070124100。
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    • 『昭和19年1月1日~昭和19年1月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030359900。
    • 『昭和19年2月1日~昭和19年2月29日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030356000。
    • 『昭和19年3月1日~昭和19年3月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030357500。
    • 『昭和19年4月1日~昭和19年4月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030357600。
    • 『昭和19年5月1日~昭和19年5月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030357700。
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年6月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030357800。
    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030051000。
    • 『昭和19年11月20日~昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030102400。
    • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年八月一日至昭和十九年八月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日〜昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127600
    • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年十月一日至昭和十九年十月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十九年十一月一日至昭和十九年十一月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日〜昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127700
    • 野村留吉『第四航空戦隊 戦時日誌抜粋』(昭和19年5月1日〜昭和20年3月1日 第4航空戦隊戦時日誌抜粋 (旗艦日向行動等)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030742100
    • 第五艦隊司令部『自昭和十九年十二月一日至昭和十九年十二月三十一日 第五艦隊(第三遊撃部隊)戦時日誌』(昭和19年11月1日〜昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030019900
  • SS-244, USS CAVALLA(issuuベータ版)
  • SS-366, USS HAWKBILL(issuuベータ版)

関連項目[編集]