鳥羽 (砲艦)

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鳥羽
艦歴
計画 1911年
起工 1911年7月7日佐世保工廠
進水 1911年11月7日
就役 1911年11月17日上海
その後 終戦時上海で残存
除籍 1945年9月30日(大日本帝国海軍)
1960年代(人民解放軍)
性能諸元 (竣工時)
排水量 基準:220t 常備:250t
全長 (垂線間長:54.86m)
全幅 8.23m
吃水 0.79m (公試平均)
主缶 艦本式缶2基
主機 レシプロ2基3軸 1,400hp
速力 15.0kt
航続距離 不明 (石炭81t)
乗員 竣工時定員59名[1]
兵装
(竣工時)
短8cm単装砲2門
6.5mm機銃6挺
兵装
(1941)
8cm単装高角砲2門
13mm連装機銃1基
7.7mm機銃2挺
三年式機銃4挺
(推定)

鳥羽(とば)は、日本海軍が初めて国内で建造した河用砲艦である。同型艦はない。

艦歴[編集]

佐世保工廠1911年7月7日起工、同年11月7日進水、11月17日竣工。「鳥羽」の前にイギリスで建造された砲艦「隅田」、「伏見」は長江三峡の航行に問題があったため、機関出力が強化され速力15ノットとなっている。

当時中国辛亥革命が発生していたため、竣工した「鳥羽」は自力では外洋を航行できないため浮きドックに入れられたまま防護巡洋艦笠置」に上海まで曳航された。第一次世界大戦では、始め中国が中立国であったため抑留された。太平洋戦争では上海で1941年12月8日駆逐艦」と共同で英砲艦「ペトリル」を撃沈、米砲艦「ウェーク」を捕獲した。ウェークはその後日本海軍に「多々良」として編入された。

1945年9月30日除籍。中華民国に接収され「永済」となった。1948年4月17日湖北省郝穴での戦闘で功をあげ「郝穴」と改名された。1949年11月29日永安と共に中国人民解放軍に投降、「湘江」となった。1960年代に除籍。

艦長/砲艦長[編集]

※脚注無き限り『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 堀田英夫 少佐:1911年11月7日 - 1912年12月1日
  • 三村俊夫 少佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
  • 池田幸作 少佐:1913年12月1日 -
  • 藤吉唆 少佐:1917年8月16日 - 1918年6月3日
  • 今川眞金 少佐:1918年6月3日[2] - 1919年3月1日[3]
  • 小松三郎 少佐:1919年3月1日[3] - 1919年3月26日[4]
  • 猪瀬乙彦 少佐:1919年3月26日[4] - 1920年12月1日[5]
  • 野口幸一 少佐:1920年12月1日[5] - 1921年10月6日[6]
  • 鈴木幸三 少佐:1921年10月6日[6] - 1922年4月20日
  • 鈴木清 少佐:1922年4月20日 - 1923年8月13日[7]
  • 佐野哲 少佐:1923年8月13日[7] - 1924年5月1日[8]
  • 後藤英次 少佐:1924年5月1日 - 6月21日
  • 須賀彦次郎 少佐:1924年6月21日 - 1925年12月1日
  • 隈部勇 大尉:1925年12月1日[9] - 1927年12月1日[10]
  • 勝野實 少佐:1927年12月1日 - 1929年11月30日
  • 鳥居卓哉 少佐:1929年11月30日[11] - 1930年12月1日[12]
  • 石河淡 少佐:1930年12月1日[13] - 1932年5月2日[14]
  • 加瀬三郎 少佐:1932年5月2日[14] - 12月1日
  • 片山司吾六 少佐:1932年12月1日[15] - 1934年11月1日[16]
  • 牟田口格郎 少佐:1934年11月1日 - 1935年10月31日[17]
  • 山代勝守 少佐:1935年10月31日[17] - 1936年12月1日[18]
  • 久保田智 少佐/中佐:1936年12月1日 - 1937年12月1日
  • 清水利夫 中佐:1937年12月1日 - 1938年12月15日
  • 赤澤次壽雄 少佐:1938年12月15日 - 1939年10月20日
  • 大石新一 少佐/中佐:1939年10月20日 - 1940年10月15日[19]
  • 古濱智 少佐:1940年10月15日[19] - 1941年8月20日[20]
  • 松田九郎 少佐:1941年8月20日[20] - 1943年6月20日[21]
  • 吉田謙吾 少佐/中佐:1943年6月20日[21] - 砲艦長 1944年10月1日[22] - 1945年8月15日[23]

脚注[編集]

  1. ^ 明治44年11月7日付 海軍内令 第196号改正、海軍定員令「艦第15表 二等砲艦定員表 其2」。
  2. ^ 『官報』第1750号、大正7年6月4日。
  3. ^ a b 大正8年3月3日付 官報第1972号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2954086 で閲覧可能。
  4. ^ a b 『官報』第1992号、大正8年3月27日。
  5. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  6. ^ a b 大正10年10月7日付 官報第2756号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2954871 で閲覧可能。
  7. ^ a b 大正12年8月14日付 官報第3312号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2955435 で閲覧可能。
  8. ^ 『官報』第3505号、大正13年5月2日。
  9. ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  10. ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  11. ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  12. ^ 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
  13. ^ 昭和5年12月2日付 官報第1179号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2957646 で閲覧可能。
  14. ^ a b 昭和7年5月3日付 官報第1599号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958070 で閲覧可能。
  15. ^ 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
  16. ^ 『官報』第2353号、昭和9年11月2日。
  17. ^ a b 『官報』第2651号、昭和10年11月2日。
  18. ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  19. ^ a b 昭和15年10月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第543号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072079000 で閲覧可能。
  20. ^ a b 昭和16年8月20日付 海軍辞令公報 (部内限) 第695号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072081800 で閲覧可能。
  21. ^ a b 昭和18年6月21日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1152号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072091700 で閲覧可能。
  22. ^ 昭和19年10月1日付 海軍大臣官房 官房人機密第1805号。
  23. ^ 昭和20年8月27日付 秘海軍辞令公報 甲 第1897号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072107000 で閲覧可能。

参考文献[編集]

  • 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第9巻 軽巡Ⅱ、光人社、1990年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報

関連項目[編集]

外部リンク[編集]