磐城 (砲艦)

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磐城
艦歴
計画 1877年度
起工 1877年2月1日
進水 1878年7月16日
就役 1880年7月5日
除籍 1907年7月12日雑役船編入
廃船 1911年5月23日
性能諸元
排水量 常備:656t
全長 垂線間長:47.7m
全幅 7.7m
吃水 3.7m
機関 一軸レシプロ蒸気機関1基、丸罐4基
650馬力
燃料 石炭107t
速力 10.0kt
兵員 112名
兵装 17cm砲1基
12cm砲5基
8cm砲3基
他3基

磐城(ばんじょう)は、大日本帝国海軍砲艦。艦名は静岡県の磐城岳(別名万次郎岳)にちなんで名づけられた。

概要[編集]

横須賀造船所が海軍所管となってから「迅鯨」 [I]、「清輝」、「天城」 [I] に次ぐ4番目の軍艦。木造船体で三檣バーク型である。艦名は良質の木材の産地であった伊豆の山名から採られている。設計、建造、進水の全てが日本人の手によってなされたという。1880年7月5日に竣工し、四等艦と定められる。

1889年(明治22年)以降は主に沿岸水域の測量任務に従事した。1890年8月23日、第一種と定められる。

日清戦争では旅順大連威海衛攻略作戦等に参加。1898年、二等砲艦に類別。

日露戦争では、旅順攻略作戦に参加。1907年に除籍され雑役船に編入、1911年に廃船となり、翌年4月23日に売却報告、新潟県立新潟商業商船学校の繋留練習船となった。

艦歴[編集]

  • 1877年(明治10年)2月1日 起工、4月6日 「磐城」と命名[1]
  • 1878年(明治11年)7月16日 進水
  • 1880年(明治13年)7月5日 竣工
  • 1898年(明治31年)3月21日 二等砲艦に類別。
  • 1907年(明治40年)7月12日 除籍
  • 1911年(明治44年)5月23日 廃船
  • 1912年(明治45年) 売却

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 坪井航三 少佐:1879年8月19日 - 1881年5月23日
  • 青木住真 中佐:不詳 - 1884年5月19日
  • 野辺田種興 少佐:1884年5月19日 - 1885年8月11日
  • 千住成貞 少佐:1885年8月11日 - 1886年1月29日
  • 松岡方祇 少佐:1886年8月4日 - 1886年12月28日
  • 高木安行 少佐:1886年12月28日 - 1887年9月7日
  • 早崎七郎 少佐:1887年9月7日 - 1887年10月27日[2]
  • 町田実隆 少佐:1887年10月27日[2] - 1889年5月15日
  • 高木英次郎 少佐:1889年5月15日 - 1891年12月14日
  • 柏原長繁 少佐:1891年12月14日 -
  • 大塚暢雄 少佐:不詳 - 1896年8月13日
  • 永峰光孚 少佐:1896年8月13日 - 1896年11月18日
  • 友野雄介 少佐:1896年11月18日 - 1897年4月17日
  • 加藤重成 少佐:1897年4月17日 - 1898年3月1日
  • 高桑勇 中佐:1898年3月1日 - 1899年3月22日
  • 伊東吉五郎 中佐:1899年3月22日 - 1900年7月4日
  • 松居銓太郎 中佐:1900年7月4日 - 1901年3月29日
  • 中村貞邦 中佐:1901年3月29日 - 1903年6月7日
  • 山澄太郎三 中佐:1903年2月4日 - 1903年11月5日
  • 佐伯胤貞 中佐:不詳 - 1904年3月29日[3]
  • 山澄太郎三 中佐:1904年3月29日 - 1905年8月5日
  • 秀島成忠 中佐:1905年8月5日 - 1905年12月12日
  • 山口九十郎 中佐:1905年12月12日 - 1907年2月28日
  • 千坂智次郎 中佐:1907年2月28日 - 1907年7月15日

脚注[編集]

  1. ^ 明治10年4月6日付 丙第51号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070002500 
  2. ^ a b 『官報』第1301号、明治20年10月28日。
  3. ^ 明治三十七年辞令通報 3月』 アジア歴史資料センター Ref.C13071937600 

参考文献[編集]

  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報

関連項目[編集]