鎮辺 (砲艦)

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鎮辺
艦歴
発注 1881年(光緒7年)李鴻章
建造所 アームストロング社エルジック造船所
起工 1879年
進水 1881年
就役 1881年
除籍 1903年8月21日雑役船編入
廃船 1906年6月30日
所属 Flag of the Qing Dynasty (1889-1912).svg 清国海軍英語版
 大日本帝国海軍
要目
排水量 常備:420t
全長 垂線間長:36.6m
全幅 8.8m
吃水 2.9m
機関 2軸レシプロエンジン2基
455馬力
最大速 10.0kt
兵員 28名
兵装 28cm砲1基
12ポンド砲1基
その他 信号符字:GQHT(1895年〜)[1]

鎮辺(ちんぺん、鎭邊)は、日本海軍砲艦。元清国海軍英語版の鎮東型砲艦「鎮辺 Chien-Pien」で日清戦争の戦利艦である。

艦歴[編集]

1881年、イギリスニューカッスルアームストロング社エルジック工場で竣工、清国北洋水師に所属した。

日清戦争時の1895年明治28年)2月17日、威海衛で捕獲され、3月16日に帝国軍艦籍に編入された[2]。試運転の後7月10日旅順口を抜錨し、大連湾、海洋島、大青島、豊島沖、仁川港、八口浦、長直路、欲知島朝鮮語版厳原港福岡湾などを経由して8月5日に軍港に到着[3]。その後の日清戦争中には国内警備に従事した。1898年(明治31年)3月21日、日本海軍は海軍軍艦及び水雷艇類別標準を制定し、1,000トン未満の砲艦を二等砲艦と定義[4]。鎮辺は二等砲艦に類別される[5]

義和団の乱においては、僚艦「鎮中」とともに1900年(明治30年)6月11日に常備艦隊に編入され[6]、6月14日にを出撃[7]佐世保を経由して清国太沾に派遣された[8]1903年(明治36年)8月21日に除籍され雑役船に編入、海軍兵学校附属船となる[9]1906年(明治39年)6月30日に廃船となり、7月16日司法省に移管、監獄局汽船「鎮辺号」となり、兵庫県の洲本育成学舎で練習船として利用された[10]

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 生中小次郎 大尉:1896年12月11日 -
  • 釜屋六郎 大尉:1897年12月1日 - 1898年3月8日
  • 高松公冬 大尉:1898年3月8日 - 10月1日
  • 吉田増次郎 大尉:1900年6月11日 - 10月10日

同型艦[編集]

脚注[編集]

  1. ^ #信号符字点附 画像1『四月四日 軍艦須磨其他ノ艦舩ヘ點附ノ信號符字 逓信省告示 ○逓信省告示第七十一號 軍艦須磨其他ノ艦船ヘ點附ノ信號符字ハ左ノ如シ 明治二十八年四月四日 逓信大臣渡邊國武 信號符字 艦船名 … GQHT 鎭邊 Chin-pen. …(以下略)…』
  2. ^ #編入 画像1『三月十六日 捕獲清國軍艦鎮遠以下十艘ヲ帝國軍艦トス 海軍省達 ○海軍省達第十六號 捕獲清國軍艦鎭遠、濟遠、平遠、廣丙、鎭東、鎭西、鎭南、鎭北、鎭中、鎭邊ノ十艘ヲ帝國軍艦ト定メラル 明治二十八年三月十六日 海軍大臣伯爵西郷從道』
  3. ^ #本邦回航 画像16・17・18
  4. ^ #達明治31年3月(1) 画像14『達第三十四號 海軍大臣ニ於テ別表ノ標準ニ據リ軍艦及水雷艇ノ類別及等級ヲ定メ若ハ其ノ變更ヲ行フコトヲ得セシメラル 明治三十一年三月二十一日 海軍大臣侯爵 西郷從道』
  5. ^ #達明治31年3月(1) 画像15・16『達第三十五號 軍艦及水雷艇ノ類別及等級ヲ別紙ノ通リ定ム 明治三十一年三月二十一日 海軍大臣侯爵 西郷從道 軍艦|砲艦|二等|… 鎭邊 …(以下略)…|』
  6. ^ #鎮辺鎮中の派遣 画像3『東郷常備艦隊司令長官宛 柴山呉鎮守府司令長官宛 河原海軍兵學校長宛 六月十一日發(電報) 山本海軍大臣 鎭邊鎭中常備艦隊ニ編入セシメラル』
  7. ^ #鎮辺鎮中の派遣 画像5『両艦共六月十四日午後吳軍港ヲ出發セリ』
  8. ^ #鎮辺鎮中の派遣 画像8『二艦ハ六月二十六日ヲ以テ芝罘ニ入リ二十八日同地ヲ發シ鎭中ハ二十九日夜半鎭邊ハ三十日午前孰レモ太沾ニ到着セリ』
  9. ^ #36年8月21日 画像3『海總第二九二五號 旧軍艦鎮中鎮邉鎮北ヲ雑役舩トシ鎮中ヲ呉海兵團鎮北ヲ呉海軍港務部鎭邊ヲ海軍兵學校附属ト定ム 明治三十六年八月廿一日 海軍大臣 呉鎮司令長官宛』
  10. ^ 倉持史朗. “懲治場(特別幼年監)における「感化教育」の試行と挫折 (PDF)”. 天理大学. 2018年9月15日閲覧。

                        

参考資料[編集]

  • 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集 航空母艦・水上機母艦』ダイヤモンド社、2005年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第一法規出版、1995年。
  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 『公文類聚・第十九編・明治二十八年・第二十四巻・軍事二・陸軍二・海軍:捕獲清国軍艦鎮遠以下十艘ヲ帝国軍艦トス』。Ref.A01200839500。
    • 『公文類聚・第十九編・明治二十八年・第二十七巻・交通(郵便~船車):軍艦須磨其他ノ艦船ヘ点附ノ信号符字』。Ref.A15113036900。
    • 『明治27・8年 海戦史附記 特別艦艇隊記略 澎湖島行政始末 軍艦龍田の柳留定員職別及官制条例:第4節 鎮遠、6鎮砲艦及水雷艇の本邦回航』。Ref.C08040563200。
    • 『明治31年 達 完:3月(1)』。Ref.C12070040500。
    • 『明治33年 清国事変海軍戦史資料 巻2:鎮辺鎮中の派遣』。Ref.C08040774300。
    • 『明治36年 公文雑輯 巻2 教育 演習 艦船1:36年8月21日 旧軍艦鎮東を雑役船とし横須賀海兵団附属と定むる件』。Ref.C10127870700。

関連項目[編集]