吉田増次郎
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吉田 増次郎(よしだ ますじろう、旧字体:吉田增次󠄁郞、1867年7月29日(慶応3年6月28日) - 1942年(昭和17年)3月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
経歴
[編集]静岡県出身。吉田弁蔵の三男として生れる。静岡中学校を経て[1]、1890年7月、海軍兵学校(17期)を卒業し、1892年5月、海軍少尉任官。日清戦争では「大和」分隊士として出征した。「吉野」分隊長、第1水雷艇隊艇長、軍令部諜報課員、同第3局員、同第2局員、砲艦「鎮辺」艦長などを経て、1902年1月、清国公使館付となる。日露戦争中は、韓国公使館付兼清国公使館付であった。
1906年2月、「周防」副長に就任、「松島」「吾妻」の各副長、第1艦隊副官、軍令部参謀、支那公使館付武官、「香取」艦長などを歴任し、1916年12月、海軍少将に進級。第一次世界大戦に臨時南洋群島防備隊司令官として出征した。
1917年12月、軍令部出仕となり、以後、兼軍令部参謀(支那出張)、軍令部第3班長、第1遣外艦隊司令官などを経て、1920年12月、海軍中将となった。将官会議議員を勤め、1922年10月、待命となり、翌年3月、予備役に編入された。
海軍兵学校(17期)同期に秋山真之。
栄典
[編集]- 位階
- 1892年(明治25年)7月5日 - 正八位[2]
- 1898年(明治31年)3月8日 - 正七位[3]
- 1911年(明治44年)3月20日 - 従五位[4]
- 1916年(大正5年)4月10日 - 正五位[5]
- 1923年(大正12年)4月30日 - 正四位[6]
- 勲章等
親族
[編集]- 娘婿 佐倉武夫(海軍少将)