摩耶 (砲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
Japanese Gunboat Maya.jpg
艦歴
発注 1883年度計画
起工 1885年6月1日
進水 1886年8月18日
竣工 1888年1月20日
除籍 1908年5月16日雑役船に編入
その後 1911年廃船 内務省へ移管
1918年売却
1932年頃解体
性能諸元
排水量 常備:614t
全長 垂線間長:47.0m
全幅 8.20m
吃水 2.95m
機関 2軸レシプロエンジン2基、丸罐2
950馬力
燃料 石炭60t
最大速 11.0kt
兵員 104名
兵装 15cm砲2基
その他4基

摩耶(まや)は、日本海軍砲艦摩耶型砲艦の1番艦である。艦名は当初「吉野」「飛鳥」の2つが候補とされていた[1]が、最終的には兵庫県神戸市摩耶山にちなんで命名された。

概要[編集]

小野浜造船所1888年1月20日に竣工、1890年8月23日に第一種と定められる。船体構造は全鉄製であった。

日清戦争では旅順大連威海衛攻略作戦等に参加。1898年3月21日、二等砲艦に類別。

日露戦争では、旅順攻略作戦、樺太作戦等に参加。1908年5月16日に除籍され雑役船に編入、横須賀海兵団練習船として使用された。1911年に廃船となり、同年12月1日内務省に移管。兵庫県港務部検疫番船「摩耶号」となった。

1918年12月、九州若松造船で改装後に池田商事に売却され、1932年頃に解体された。

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 田尻唯一 少佐:1887年7月19日 - 10月27日[2]
  • 吉田重親 少佐:1887年10月27日[2] - 1889年5月15日
  • 町田実隆 少佐:1889年5月15日 - 1890年1月10日
  • 永田賛知 少佐:1890年1月10日 - 1891年7月23日
  • 上村彦之丞 少佐:1891年7月23日 - 1893年10月12日
  • 橋元正明 少佐:1893年12月20日 - 1895年10月14日
  • 餅原平二 少佐:1895年10月14日 - 1896年8月13日
  • 酒井忠利 少佐:1896年8月13日 - 1897年4月17日
  • 松枝新一 少佐:1897年4月17日 -
  • 福間隆家 少佐:1897年11月1日 - 1898年12月3日
  • 松本有信 中佐:1898年12月3日 - 1899年9月29日
  • 上原伸次郎 中佐:1899年9月29日 - 10月13日
  • 志賀直蔵 中佐:1899年10月13日 - 1900年5月20日
  • 天笠喜三 中佐:1900年6月19日 - 7月16日
  • 佐々木広勝 中佐:1900年7月16日 - 1901年7月5日
  • 黒水公三郎 中佐:1901年10月15日 - 1902年4月11日
  • 池中小次郎 中佐:1902年5月10日 - 10月6日
  • 中川重光 中佐:1903年12月28日 -
  • 藤田定市 中佐:不詳 - 1905年12月12日
  • 河野左金太 中佐:1907年3月15日 - 1908年5月16日

同型艦[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 明治17年12月20日付 海軍主船局 普第300号ノ2』 アジア歴史資料センター Ref.C11019255100 
  2. ^ a b 『官報』第1301号、明治20年10月28日。

参考資料[編集]

関連項目[編集]