鳥海 (砲艦)

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鳥海
艦歴
発注 1883年度計画
起工 1886年1月25日
進水 1887年8月20日
就役 1888年12月27日
除籍 1908年4月1日雑役船に編入
その後 1911年5月23日廃船
1912年売却
性能諸元
排水量 常備:614t
全長 垂線間長:47.0m
全幅 8.20m
吃水 2.95m
機関 2軸レシプロエンジン2基、丸罐2
950馬力
燃料 石炭60t
最大速 11.0kt
兵員 104名
兵装 21cm砲1基
12cm砲1基
その他1基

鳥海(ちょうかい)は、日本海軍砲艦摩耶型砲艦の2番艦である。艦名は秋田山形県境の鳥海山にちなんで命名された。

概要[編集]

石川島平野造船所1888年(明治21年)12月27日に竣工、1890年(明治23年)8月23日に第一種と定められる。船体構造は全鉄製であった。

日清戦争では旅順大連威海衛攻略作戦等に参加。1898年(明治31年)3月21日、二等砲艦に類別。北清事変では1900年(明治33年)7月から翌年6月にかけて大沽方面の警備に従事した。

日露戦争では、旅順攻略作戦樺太作戦等に参加。1905年(明治38年)5月26日、砲艦「筑紫」とともに対地支援射撃を実施して陸軍第2軍(司令官:男爵奥保鞏大将)の南山攻撃を援護したが、ロシア軍南山砲台から反撃を受け艦長林三子雄中佐が戦死した。1908年4月1日に除籍され雑役船に編入、佐世保海兵団練習船として使用された。1911年(明治44年)5月23日に廃船となり、翌年に売却された。

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 品川四方一 少佐:1888年5月14日 - 1891年12月14日
  • 伊藤常作 少佐:1891年12月14日 - 1893年10月12日
  • 上村彦之丞 少佐:1893年10月12日 - 1894年6月8日
  • 東郷正路 少佐:1894年6月8日 - 1895年1月30日
  • 小倉鋲一郎 少佐:1895年8月27日 - 1897年2月4日
  • 中尾雄 少佐:1897年2月18日 - 1897年10月8日
  • 矢島功 少佐:1897年10月8日 - 1897年12月27日
  • 宮岡直記 中佐:1897年12月27日 - 1898年10月1日
  • 藤井較一 中佐:1898年10月1日 - 1899年6月17日
  • 高橋助一郎 中佐:1899年6月17日 - 1900年5月20日
  • 中村貞邦 中佐:1900年8月11日 - 1901年2月18日
  • 森義太郎 中佐:1903年6月22日 - 1903年11月5日
  • 山澄太郎三 中佐:1903年11月5日 - 1904年3月29日
  • 林三子雄 中佐:1904年3月29日[1] - 1904年5月26日(戦死)
  • 広瀬勝比古 中佐:1904年5月 - 1905年1月7日
  • 牛田従三郎 中佐:1905年1月7日 - 1905年8月5日
  • 高島万太郎 中佐:1906年9月28日 - 1907年2月28日
  • 中野直枝 中佐:1907年2月28日 - 1907年7月1日
  • 高木七太郎 中佐:1907年7月1日 - 1908年2月20日
  • (兼)松永光敬 中佐:1908年2月20日 -

同型艦[編集]

脚注[編集]

参考資料[編集]

関連項目[編集]